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【第百四十二話】百均の戦術と、守護騎士の鉄槌
しおりを挟む初夏の穏やかな風が、これから始まる戦いの匂いを運んでくる。
俺たちは、捕らえた斥候たちを後にして、応援部隊が来るであろう森の入り口へと、静かに、しかし速やかに向かっていた。リディアは、その美しい眉間に深い皺を寄せ、全身から闘気をみなぎらせている。一方、俺は、彼女の隣を歩きながら、頭の中で、この森そのものを一つの巨大な『罠』へと変えるための、設計図を組み立てていた。
「リディアさん。彼らは、俺たちのことを『森の賢人』と『白銀の神獣』、そして『屈強な女騎士』だと思っている。その、歪んだ思い込みこそが、俺たちの最大の武器になります」
森の中、開けた場所にたどり着いた俺は、足を止めた。
「彼らは、真正面からの力と力のぶつかり合いを想定しているはずです。だからこそ、俺たちは、彼らの想像の斜め上を行く。この森全体を、俺たちのための『舞台』に作り変えるんです」
俺は、この戦の脚本を書き上げるため、そして、その舞台装置を創造するため、残された創造力に意識を集中させた。
**ポンッ!ポンッ!ポンッ!ポンッ!**
【創造力:135/150 → 75/150】
俺の目の前に、次々と、およそ戦闘には似つかわしくない、平和な日用品が出現する。
まず、見えざる結界となる『釣り糸』と、その存在を告げる『小さな鈴』。次に、足元から敵の戦意を削ぐ、意地の悪いトゲの絨毯『猫よけシート』。そして、仕上げに、敵の五感を奪うための、台所の最終兵器『唐辛子の粉(大袋)』と、祭りの屋台で見るような『カラー発煙筒』。
合計で60もの創造力を一気に消費し、俺の全身を、フルマラソンを走り終えたかのような、重い疲労感が襲う。だが、その代償として、俺の手には、この戦を終わらせるための、完璧な『脚本』が揃っていた。
「…ユキ殿。これほどの創造力を、一度に…!?」
「ええ。ですが、これで勝利できるなら、安いものです」
俺は、息を切らしながらも、リディアに作戦の全貌を説明し始めた。
第一段階は、『聴覚による混乱』。森の入り口に、見えざる釣り糸と鈴の罠を張り巡らせ、彼らがどこに進んでも、まるで森全体が敵であるかのような、不気味な音で包み込む。
第二段階は、『触覚による痛み』。進軍ルート上に、猫よけシートを隠し、彼らの足元から、肉体的にも精神的にもダメージを与える。
そして、最終段階。『視覚と嗅覚の遮断』。混乱し、疲弊した彼らを、唐辛子の粉を混ぜた煙幕で完全に無力化する。
「リディアさん。あなたの役目は、その最後の煙の中から現れる、理不尽なまでの『鉄槌』です。決して殺さず、しかし、二度とこの聖域に足を踏み入れようとは思えないほどの、絶対的な恐怖を、その体に刻み込んでください」
その、あまりにも狡猾で、しかし完璧な戦術。騎士としての正々堂々とした戦いしか知らなかったリディアは、俺の、底知れない知略を前に、畏敬の念を込めて、深く、深く頷いた。
「…承知した。ユキ殿、貴殿は、もはや賢人ではない。恐るべき『軍師』だ」
数時間後。森の入り口に、十数名の傭兵たちが姿を現した。
彼らが、自信に満ちた足取りで森に足を踏み入れた、その瞬間。
チリン…
どこからか、頼りない、しかしやけに耳につく鈴の音がした。
「なんだ?」
次の瞬間、別の場所から、チリン、チリン…。まるで、見えない亡霊が、彼らの周りを嘲笑うかのように、鈴の音が鳴り響く。
「…落ち着け!ただの悪戯だ!」
隊長らしき男が怒鳴り、強引に進軍を再開した、その時。
「ぐあっ!?」
先頭の男が、足の裏を抑えて悲鳴を上げた。見れば、ブーツの底を貫通して、プラスチックの鋭い棘が突き刺さっている。
次々と、仲間たちが同じ罠にかかり、森は苦痛の呻き声で満たされた。
そして、彼らの混乱が頂点に達した、その瞬間。
シュウウウウウッ…!
風上から、赤い煙が、まるで生き物のように彼らへと流れ込んでくる。
「煙幕か!敵襲だ、構えろ!」
だが、その煙を吸い込んだ瞬間、彼らは地獄を見た。
「げほっ!ごほっ!目が…!喉が、焼ける…!?」
それは、ただ視界を遮るだけの煙ではない。粘膜を直接焼く、暴力的なまでの刺激物。傭兵たちは、あまりの激痛に、武器を放り出し、ただ地面を転げ回ることしかできなかった。
そして、その赤い地獄の霧の中から、静かに、二つの影が現れる。
一つは、白い、もふもふの砲弾。シラタマが、一番近くで咳き込んでいた男の背中に、渾身のタックルを叩き込む!
そして、もう一つは、絶対零度の怒りを宿した、守護騎士。
リディアの剣が、赤い煙を切り裂いて閃く。だが、その刃が肉を断つことはない。峰が、柄が、急所を的確に打ち据え、一人、また一人と、傭兵たちの意識を、確実な、しかし死に至らぬ闇へと沈めていく。
数分後。赤い煙が晴れた後には、全ての敵が地に伏し、静かな森の寝息だけが戻っていた。
俺は、息を整えながら、その光景を見下ろした。
「…誰も、死んでいませんね」
俺たちの、初めての戦い。それは、一滴の血も流れることなく、しかし、完璧な勝利で幕を閉じた。
リディアは、剣を鞘に収め、俺の隣に立つ。
「ユキ殿。この者たち、どうする?」
「ええ。最高の『置き手紙』として、彼らの雇い主に、返してあげましょう。この聖域には、あなたたちの常識も、剣も、そして悪意も、一切通用しない、とね」
俺たちは、捕らえた全ての傭兵たちを、彼らの斥候が縛り付けられていた場所へと運び、一本のロープで繋いだ。
聖域の穏やかな日常は、一度は終わりを告げた。
だが、それは絶望の終わりではない。
俺たちが、自分たちの手で築き上げてきた、この温かい場所を、自分たちの『知恵』と『力』で守り抜いた、新しい始まりの証だった。
初夏の風が、戦いの後の、静かな硝煙の匂いを、森の奥へと、優しく運んでいくのだった。
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