おっさん転生、相棒はもふもふ白熊。100均キャンプでスローライフはじめました。

はぶさん

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【第百六十四話】聖域の防衛線と、硝子の鉄菱

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『――どうか、くれぐれも、ご油断召されるな』

アメリア王女からの、そのインクも乾かぬ警告の言葉。それは、俺たちが丹精込めて作り上げた、完璧なまでの穏やかな日常に、一本の冷たい楔を打ち込むには、十分すぎるほどの重みを持っていた。
俺たちの、ほんのささやかなお節介が生んだ、あまりにも大きな力の『光』。それが今、それと同じくらい、深く、濃い『影』を、この穏やかな聖域へと、引き寄せようとしていたのだ。

「…ユキ殿。どうやら、我らの聖域に、本当の『夏』が、訪れようとしているようですね」

リディアは、手にした愛剣を、まるで己の決意を確かめるかのように、強く、強く握りしめていた。その横顔は、もはやただの食いしん坊な騎士ではない。いかなる脅威からもこの家を、この家族を守り抜くと誓った、真の守護騎士の顔だった。

その夜、ダイニングテーブルは、これまでにないほどの緊張感に包まれた、聖域初の『作戦会議』の場と化していた。
暖炉の炎が、壁に掛けられた農具や調理器具に揺らめく影を落とし、まるでこれから始まる戦いの過酷さを暗示しているかのようだ。
リディアが、トーマスが残していった羊皮紙の上に、炭で聖域周辺の地形を驚くほど正確に描き出していく。その線一本一本に、彼女がこの土地をどれほど愛し、そして熟知しているかが表れていた。それはもはや地図ではなく、彼女の魂そのものの一部だった。

「敵は、マルス子爵の私兵団。その数、これまでのチンピラとは訳が違う。最低でも五十は下るまい。街道整備が進んでいるとはいえ、森を抜けるにはこの西の獣道を使うのが最短。おそらく、騎馬を数騎含んだ先遣隊による、電撃的な奇襲を仕掛けてくるはずだ」
彼女は、騎士としての経験から、敵の兵力、侵攻ルート、そして戦術を、冷静に、的確に分析していく。その声は低く、しかし凛として響き、この場の空気を支配していた。
「聖域の入り口に、深い塹壕と、先端を鋭く尖らせた逆茂木を組み合わせた防衛線を。工房の屋根には弓兵を配置し、敵の突撃を…」
「待ってください、リディアさん」
俺は、その、あまりにも正しく、そしてあまりにも血生臭い戦術図を、静かに手で制した。
「俺たちの聖域を、砦にはしたくありません。ここは、戦場じゃない。俺たちが暮らす、『家』なんですから」

俺の言葉に、リディアは悔しそうに唇を噛む。
「だが、ユキ殿!相手は、我らを害し、この土地を奪おうとする本物の『軍隊』なのだぞ!優しさだけでは、この家は守れん!」
「ええ。だからこそ、彼らの土俵で戦ってはダメなんです」
俺は、リディアの、不安と決意に揺れる青い瞳を、まっすぐに見つめ返した。
「俺たちの武器は、剣でも弓でもない。彼らが決して持ち得ない、俺たちの『知恵』と、この聖域の『豊かさ』そのものです。戦って勝つんじゃない。彼らの戦意そのものを、この森の入り口で、心ごと、根こそぎへし折ってやるんです」

俺は、この聖域初の防衛戦を、一滴の血も流さずして終わらせるための、三段階の『迎撃システム』を提案した。
「第一段階は、『森の囁き』。以前仕掛けた心理トラップを、さらに強化します。敵が森に足を踏み入れた瞬間から、見えない恐怖で、彼らの心を内側から蝕むんです」
俺が、この心理戦のオーケストラを指揮するために召喚したのは、夏の夕暮れを彩る、あまりにも平和な楽器だった。

**ポンッ!**
【創造力:150/150 → 140/150】
※創造力は睡眠により全回復

Dランクの雑貨**『風鈴』**を、十数個。コストは10。
「これを、侵攻ルート上の木々の枝に、見えにくいように吊るしておくんです。風が吹くたびに、森のあちこちから、まるで亡霊の囁きのような、不気味で、しかし美しい音色が響き渡る。訓練された兵士ほど、規律と予測可能な情報を頼りにします。そこに、意味不明で、方向も数も特定できない『情報のノイズ』を浴びせ続ける。精神的なスタミナを、じわじわと削り取るんですよ」

「第二段階は、『大地の裏切り』。彼らの最大の武器である、騎馬の機動力を、完全に無力化します」
俺が、この無血の騎兵殺しのための切り札として召喚したのは、子供の玩具箱の底に転がっている、色とりどりの小さな宝石だった。

**ポンッ!**
【創造力:140/150 → 90/150】

Eランクの玩具**『ビー玉』**を、惜しげもなく五十袋。コストは50。
「これを、森の中の、硬い岩盤が露出している場所に、びっしりと撒いておくんです。木漏れ日の中では、朝露のように輝き、ほとんど目に見えません。ですが、その上を馬が駆け抜けた瞬間…馬は、足元が不安定な場所を本能的に嫌います。一度でも仲間が派手に転倒すれば、その恐怖は群れ全体に伝染する。これは、騎馬隊の『連携』という最大の武器を、内側から崩壊させるための罠です」
「…!足を取られ、人馬もろとも転倒する、か…!なんと恐ろしい…!血を流さずに、重装騎馬隊を壊滅させる…これはもはや罠ではない…『硝子の鉄菱』…!」
リディアは、その、あまりにも悪魔的で、しかし天才的な発想に、戦慄していた。

「そして、最後の仕上げです」
俺は、地図の上で、森の入り口から少し入った、緩やかな窪地を指さした。
「ここに、彼らのための『歓迎の泥沼』を用意します」
俺は、リディアにその窪地を少しだけ深く掘ってもらい、そこに、聖域の神様を招待した。
俺たちが、つちのこのために用意した、最高に居心地の良い苔のベッド。その上で、俺は静かに祈るように、お願いした。
「つちのこ。もし、悪い人たちがここまで来たら、この地面を、あなたが一番好きな、ふかふかで、どろどろの、決して抜け出せない土に変えてはくれませんか?」
つちのこは、俺の意図を完全に理解したのだろう。こくり、と一度だけ、力強く頷いてみせた。

数日後。俺たちの、静かなる防衛網は完成した。
そして、その日の昼食。俺は、これから始まるかもしれない戦いに臨む仲間たちのために、最高の『勝負メシ』を用意した。
俺が作るのは、日本の縁起担ぎの王様…**『特製カツ丼』**だった。
鉄鍋に聖域の出汁と自家製燻製醤油、ほんの少しの蜂蜜を煮立て、暴力的なまでに食欲をそそる香りが工房に満ちる。そこに薄切りにした玉ねぎを加え、しんなりとしたところで、揚げたての、黄金色に輝くカツレツを乗せる。サクサクの衣が、甘辛い割り下をじゅわ…と吸い込む音。森で採れた太陽の色をした卵を贅沢に使い、ふわりととじる。炊きたての、一粒一粒が輝く白米の上に、それを滑らせるように乗せれば、完成だ。
湯気と共に立ち上る、出汁と醤油の、抗いがたい香り。甘辛いタレが染み込んだサクサクの衣、噛みしめるほどに力強い肉の旨味、そして、それらを優しく包み込む、とろとろの半熟卵。
「う…うまい…!力が、体の底から、マグマのように湧き上がってくるようだ…!」
「キュイイイイイイイイイイイッ!(これなら百人力だ!)」
リディアとシラタマは、無心で、夢中で、その一皿をかき込んだ。それは、ただの食事ではない。この温かい食卓を、この幸福な日常を、自分たちの力で守り抜くのだという、魂の誓いの儀式だった。

その、どこまでも温かく、満ち足りた食事が終わろうとしていた、まさにその時。
森のパトロールに出ていたシラタマが、風のように工房へと駆け込んできた。彼の毛は逆立ち、顔には遊びの色は一切ない。研ぎ澄まされた、警備隊員としての鋭い光だけが宿っていた。
彼は、俺たちの前に立つと、一声、「キュン!」と、短く、鋭く鳴いた。そして、森の入り口の方を、じっと見つめる。
リディアは、食べ終えた器を静かに置くと、音もなく立ち上がり、その手は、自然と、壁に立てかけてあった愛剣の柄へと伸びていた。
「…来たか」
彼女の、静かな呟き。
それを合図にしたかのように、森の奥から、風に乗って、チリン…という、これまで一度も聞いたことのない、高く、澄んだ、そして、どこまでも不気味な風鈴の音色が、一つ、聞こえてきた。
マルス子爵の私兵団が、今、俺たちが仕掛けた、壮大な心理戦の舞台の、その入り口に、足を踏み入れたのだ。

聖域の、本当の『夏』が、今、静かに始まろうとしていた。

いつもお読みいただきありがとうございます!
ついに始まった、マルス子爵との直接対決。ユキの仕掛けた100均トラップは、果たして訓練された私兵団に通用するのか?そして、守護騎士リディアの剣は、再び火を噴くのか?手に汗握る次回の展開に、どうぞご期待ください!
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