おっさん転生、相棒はもふもふ白熊。100均キャンプでスローライフはじめました。

はぶさん

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【第百六十五話】硝子の鉄菱と、泥沼の降伏勧告

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チリン…

森の静寂を切り裂いて、高く、澄んだ風鈴の音色が、一つだけ響いた。
それは、俺たちが仕掛けた壮大な心理戦の舞台の、静かなる開幕を告げるファンファーレ。俺の隣で、リディアが音もなく剣の柄を握りしめ、その美しい横顔には、聖域の守護騎士としての鋼の決意が宿っていた。
「…来たか」
彼女の静かな呟きは、初夏の生暖かい風に溶けて消えた。

森の入り口に足を踏み入れたマルス子爵の私兵団は、およそ五十名。先頭を行くのは、幾多の戦場を生き抜いてきたであろう、歴戦の強者の雰囲気をまとった重装歩兵たち。その後方には、この森を蹂躙するための切り札であろう、黒光りする鋼の鎧をまとった数騎の騎馬兵が控えている。彼らの顔には、辺境の森の民を相手にするという傲慢な油断と、訓練された兵士だけが持つ、冷たい自信が浮かんでいた。

「――なんだ、この音は?」
進軍を始めて数分。先頭を歩いていた兵士の一人が、訝しげに足を止めた。
チリン… チリリン… コロロン…
風が木々の葉を揺らすたび、まるで森そのものが囁くかのように、どこからともなく、不規則で、しかし耳について離れない鈴の音が響き始める。一つではない。右からも、左からも、そして時には頭上からも。その音は、戦場の喧騒に慣れた彼らの聴覚を、そして張り詰めた理性を、じわじわと、しかし確実に蝕んでいった。
「怯むな!ただの鳥よけか、森の民の悪戯だ!このようなもので我らの進軍が止められると思うてか!構わず進め!」

隊長らしき男が怒鳴りつけ、兵士たちの動揺を無理やり押さえつける。彼らは、規律に従い、再び歩を進めた。その先にあるのが、俺たちが用意した、第二の絶望とも知らずに。
隊長は、森が開けた岩盤地帯に出ると、後方の騎馬隊に合図を送った。
「騎馬隊、前へ!ここから一気に、賢人の住処とやらを踏み潰せ!我らの蹄の前に、森の静寂など存在せぬことを見せてやれ!」

号令一下、蹄の音が大地を揺るがす。数騎の馬が、森の静寂を破壊する圧倒的な質量と速度をもって、突撃を開始した。木漏れ日の中を駆けるその姿は、まさしく鉄の津波。茂みの影で、リディアが息をのむのが、隣にいて分かった。
だが、俺は静かだった。

先頭の馬が、木漏れ日でキラキラと輝く岩盤の上に、その力強い蹄を振り下ろした、まさにその瞬間。
カシャリ、という、あまりにも頼りない、場違いな音がした。
次の瞬間、世界から音が消えた。

先頭の馬が、まるで凍てついた湖の上を全力で駆けるかのように、ありえない角度で体勢を崩したのだ。蹄が、見えない無数の何かに乗って滑り、その鍛え上げられた巨体は、もはや制御不能の鉄塊と化して、横倒しに崩れ落ちていく。
「なっ…!?」「敵襲か!?」「馬が…言うことを聞かん!」
「うわあああああっ!」

それは、悪夢のドミノ倒しの始まりだった。後続の馬は、避けきれずに次々と転倒した仲間に乗り上げ、人馬もろとも、もんどりうって折り重なっていく。鎧がぶつかり合う甲高い金属音、馬の骨が折れる鈍い音、苦痛に満ちたいななき、そして、騎士としての誇りを無様に打ち砕かれた男たちの、悲鳴と罵声。
かつて鉄の津波と見えた騎馬隊は、わずか数秒で、ただの無力で、滑稽な鉄屑の山へと成り果てていた。

「…馬鹿な。血も、矢も、魔法の一片すらなく、我が騎士団が誇る精鋭騎馬隊が…ただの子供の玩具で…?」
茂みの影からその光景を見ていたリディアは、あまりの出来事に、戦慄していた。彼女が最も警戒していたはずの騎馬隊は、俺が五十袋分の創造力で撒いた、無数の『ビー玉』…俺が『硝子の鉄菱』と名付けた悪魔の罠の前に、戦うことさえできずに、その牙を折られたのだ。

騎馬隊を失い、完全に浮き足立った歩兵たち。だが、彼らはまだ、この森の本当の恐ろしさを知らなかった。
「グルル…」
彼らの混乱の極みに、森の奥から、一つの白い影が、風のように現れた。シラタマだ。
だが、その姿は、もはや愛らしいペットではない。森の地形を完全に知り尽くした、俊敏な狩人。彼は、兵士たちの隊列を嘲笑うかのように駆け抜け、急に立ち止まっては威嚇するように吠え、そしてまた幻のように姿を消す。その神出鬼没な動きは、兵士たちの恐怖をさらに煽り、彼らを、俺が望んだただ一つの場所へと、巧みに、そして確実に誘導していった。

「追え!あの白い魔獣を追うんだ!あれこそが賢人の使い魔に違いない!あれを捕らえれば、我らの勝利だ!」
隊長の、もはや理性を見失った叫び声。兵士たちは、最後の希望を託すかのように、シラタマが消えていった、緩やかな窪地へと、雪崩れ込んでいった。
そして、最後の兵士が、その窪地に足を踏み入れた、その瞬間。
聖域の神様が、静かに微笑んだ。

それまで固く締まっていたはずの大地が、音もなく、その表情を変えた。まるで、固く握られていた拳が、ふっと、優しく開かれるかのように。
「なっ…!?足が…!足が、沈む…!?なんだ、この泥は!?」
兵士たちの足元が、ずぶ、ずぶ、と。抗いがたい力で、大地に吸い込まれていく。それは、もはやただの泥ではない。つちのこの神聖な力によって生み出された、底なしの、そして決して抜け出すことのできない、生命力に満ちた『聖域の泥濘』。
重い鎧は、もはや身を守る盾ではなく、彼らを地の底へと引きずり込む、鉛の枷となっていた。

全ての戦闘は、終わった。
俺とリディアは、泥の中でもがき、完全に戦意を喪失した兵士たちの前に、ゆっくりと姿を現した。
彼らは、俺たちの姿を認めると、まるで神か悪魔でも見るかのように、恐怖に顔を引きつらせた。
リディアは、剣を抜くことさえしない。ただ、そこに静かに立つだけで、その圧倒的な存在感が、彼らにとどめを刺していた。

「…さて、と」
俺は、絶望に染まる彼らを前に、静かにスキルを発動した。だが、俺が召喚したのは、彼らの首を刎ねるための断頭台ではなかった。

ポンッ!ポンッ!
【創造力:90/150 → 83/150】
Dランクの**『固形燃料』と、Eランクの『折りたたみ式の五徳』**。コストは合わせて7。

俺は、その場で小さなコンロを組むと、鉄鍋をかけ、聖域の畑で採れた野菜の切れ端と、燻製肉の骨を煮込み始めた。
やがて、絶望に満ちた泥沼の上に、あまりにも場違いな、どこまでも優しく、温かいスープの香りが、ふわりと立ち込めていった。
それは、彼らが、この数日間の過酷な行軍で、夢にまで見た『家庭の香り』そのものだった。
俺は、泥の中でもがき続ける隊長の前に、静かに歩み寄った。
そして、最高の笑顔で、しかし、その瞳の奥に、絶対零度の光を宿して、言った。

「腹が減っては、降伏勧告も聞けませんよね。さあ、まずは腹ごしらえでもしながら、ゆっくりとお話をしましょうか。あなたの雇い主、マルス子爵のことについて」

剣でも魔法でもない。一杯の温かいスープの香りが、この戦場における、最も雄弁で、そして最も残酷な、降伏勧告の始まりを告げていた。
聖域の『夏』は、一滴の血も流すことなく、しかし、完璧なまでの勝利で、その初戦を飾ったのだった。

***

いつもお読みいただきありがとうございます!
圧倒的な知略で、マルス子爵の私兵団を無力化したユキ。捕虜となった彼らを、ユキはどのように『調理』するのか?そして、この勝利が、王都に、そしてマルス子爵に、どのような波紋を広げるのか。物語は、さらに大きなうねりの中へ。次回の展開に、どうぞご期待ください!
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