159 / 170
第四十二話:絶叫姫と調律の豚汁 (3/3)
しおりを挟む静寂が、店を支配していた。
いや、静寂ではない。三人の見習いたちの、固唾をのむ音と、祈りだけが、そこにあった。
バンシーは、目の前に置かれた、素朴で、しかし、今まで感じたことのない、不思議な調和に満ちた一杯を、ただ、呆然と見つめていた。
彼女は、震える手で、木のレンゲを手に取った。
その、震える彼女の肩に、リルが、そっと、温かい布をかけた。
「…大丈夫です。これは、あなたを傷つけるものじゃ、ありませんから」
その、あまりにも優しい声に、彼女は、意を決したように、ゆっくりと、その一口を、唇に運んだ。
ごくり、と。
彼女が息を呑む音が、静かな店に、やけに大きく響いた。
その瞬間、彼女の、青白く透き通るような肌に、内側から、ぽっと、温かい灯火が灯ったかのように、血の気が差した。
豚肉と根菜の、深く、優しい旨味。味噌が織りなす、どこまでも温かいハーモニー。
**ビタミンB群**という名の「聖なる調律師」が、彼女の、荒れ狂い、張り詰めきっていた神経の弦を、一本、また一本と、優しく、優しく、緩めていく。
一口ごとに、奇跡は、より確かな形となって彼女の身に現れ始めた。
絶叫を生み出していた喉の奥の緊張が、すーっと、穏やかな春の雪解け水のように、溶けていく。
やがて、器の中が綺麗に空になる頃には、彼女の瞳には、深い安堵と、そして、かすかな期待の色が浮かんでいた。
彼女は、意を決したように、ほんの少しだけ口を開き、息を吐き出すように、小さな声を出そうとした。
**「ん………♪」**
それは、歌声と呼ぶには、あまりにもささやかだった。
だが、今までのかすれた音や、世界を切り裂く絶叫とは全く違う、**澄んだ、美しいアルトの音色**が、まるで教会の鐘のように、凛として、店の中に「ポーン」と響き渡ったのだ。
その音は、何も、壊さなかった。それどころか、店の窓を伝う雪の雫を、キラキラと、優しく震わせるだけだった。
《……声が……歌が……優しい、音が……出た……》
彼女の瞳から、大粒の涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。それは、絶望の涙ではない。暗闇の中に、一筋の、しかし確かな光を見出した、**歓喜の涙**だった。
彼女は、続ける。おぼつかない、しかし、心の底からのメロディーを。
それは、彼女が、ずっと歌いたかった、眠れぬ仔リスのための、**世界で一番、優しい子守唄**だった。
「…さて、と」
俺は、空になった器を手に取り、三人の見習いたちの前に、向き直った。
その顔は、自分たちの仕事に、確かな手応えと誇りを見出した、**本物の『料理人』の顔**をしていた。
「どうだった?自分たちの力で、世界で一番優しい歌を、この世に取り戻した気分は」
三人は、顔を見合わせると、少し照れくさそうに、しかし、満面の笑みで、力強く頷いた。
「あれは、俺が教えただけの豚汁じゃねえ。お前らが、初めて、本当の意味で**一つのオーケストラ**として作り上げた、お前らの作品だ。**よくやったな**」
その、ぶっきらぼうな、しかし、何よりも温かい、親方からの承認の言葉。
それが、彼らにとって、どんな褒美よりも、嬉しいものだった。
三人の瞳から、また、今度は、**誇らし涙**が、ぽろぽろとこぼれ落ちる。
その日、森の夜は、もう、悲劇の絶叫に怯えることはなくなった。
代わりに、どこからか、風に乗って聞こえてくる、穏やかで、優しい子守唄に、全ての命が、安らかな眠りにつくのだった。
---
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます!皆さんの感想や、フォロー・お気に入り登録が、何よりの励みになります。これからも、この物語を一緒に楽しんでいただけたら幸いです。
0
あなたにおすすめの小説
異世界ママ、今日も元気に無双中!
チャチャ
ファンタジー
> 地球で5人の子どもを育てていた明るく元気な主婦・春子。
ある日、建設現場の事故で命を落としたと思ったら――なんと剣と魔法の異世界に転生!?
目が覚めたら村の片隅、魔法も戦闘知識もゼロ……でも家事スキルは超一流!
「洗濯魔法? お掃除召喚? いえいえ、ただの生活の知恵です!」
おせっかい上等! お節介で世界を変える異世界ママ、今日も笑顔で大奮闘!
魔法も剣もぶっ飛ばせ♪ ほんわかテンポの“無双系ほんわかファンタジー”開幕!
青い鳥と 日記 〜コウタとディック 幸せを詰め込んで〜
Yokoちー
ファンタジー
もふもふと優しい大人達に温かく見守られて育つコウタの幸せ日記です。コウタの成長を一緒に楽しみませんか?
(長編になります。閑話ですと登場人物が少なくて読みやすいかもしれません)
地球で生まれた小さな魂。あまりの輝きに見合った器(身体)が見つからない。そこで新米女神の星で生を受けることになる。
小さな身体に何でも吸収する大きな器。だが、運命の日を迎え、両親との幸せな日々はたった三年で終わりを告げる。
辺境伯に拾われたコウタ。神鳥ソラと温かな家族を巻き込んで今日もほのぼのマイペース。置かれた場所で精一杯に生きていく。
「小説家になろう」「カクヨム」でも投稿しています。
ただのFランク探索者さん、うっかりSランク魔物をぶっとばす 規格外ダンジョンに住んでいるので、無自覚に最強でした
むらくも航
ファンタジー
旧題:ただのFランク探索者さん、うっかりSランク魔物をぶっとばして大バズりしてしまう~今まで住んでいた自宅は、最強種が住む規格外ダンジョンでした~
Fランク探索者の『彦根ホシ』は、幼馴染のダンジョン配信に助っ人として参加する。
配信は順調に進むが、二人はトラップによって誰も討伐したことのないSランク魔物がいる階層へ飛ばされてしまう。
誰もが生還を諦めたその時、Fランク探索者のはずのホシが立ち上がり、撮れ高を気にしながら余裕でSランク魔物をボコボコにしてしまう。
そんなホシは、ぼそっと一言。
「うちのペット達の方が手応えあるかな」
それからホシが配信を始めると、彼の自宅に映る最強の魔物たち・超希少アイテムに世間はひっくり返り、バズりにバズっていく──。
異世界に移住することになったので、異世界のルールについて学ぶことになりました!
心太黒蜜きな粉味
ファンタジー
※完結しました。感想をいただけると、今後の励みになります。よろしくお願いします。
これは、今まで暮らしていた世界とはかなり異なる世界に移住することになった僕の話である。
ようやく再就職できた会社をクビになった僕は、不気味な影に取り憑かれ、異世界へと運ばれる。
気がつくと、空を飛んで、口から火を吐いていた!
これは?ドラゴン?
僕はドラゴンだったのか?!
自分がドラゴンの先祖返りであると知った僕は、超絶美少女の王様に「もうヒトではないからな!異世界に移住するしかない!」と告げられる。
しかも、この世界では衣食住が保障されていて、お金や結婚、戦争も無いというのだ。なんて良い世界なんだ!と思ったのに、大いなる呪いがあるって?
この世界のちょっと特殊なルールを学びながら、僕は呪いを解くため7つの国を巡ることになる。
※派手なバトルやグロい表現はありません。
※25話から1話2000文字程度で基本毎日更新しています。
※なろうでも公開しています。
ナイスミドルな国王に生まれ変わったことを利用してヒロインを成敗する
ぴぴみ
恋愛
少し前まで普通のアラサーOLだった莉乃。ある時目を覚ますとなんだか身体が重いことに気がついて…。声は低いバリトン。鏡に写るはナイスミドルなおじ様。
皆畏れるような眼差しで私を陛下と呼ぶ。
ヒロインが悪役令嬢からの被害を訴える。元女として前世の記憶持ちとしてこの状況違和感しかないのですが…。
なんとか成敗してみたい。
オバちゃんだからこそ ~45歳の異世界珍道中~
鉄 主水
ファンタジー
子育ても一段落した40過ぎの訳あり主婦、里子。
そんなオバちゃん主人公が、突然……異世界へ――。
そこで里子を待ち構えていたのは……今まで見たことのない奇抜な珍獣であった。
「何がどうして、なぜこうなった! でも……せっかくの異世界だ! 思いっ切り楽しんじゃうぞ!」
オバちゃんパワーとオタクパワーを武器に、オバちゃんは我が道を行く!
ラブはないけど……笑いあり、涙ありの異世界ドタバタ珍道中。
いざ……はじまり、はじまり……。
※この作品は、エブリスタ様、小説家になろう様でも投稿しています。
神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
病弱少女、転生して健康な肉体(最強)を手に入れる~友達が欲しくて魔境を旅立ちましたが、どうやら私の魔法は少しおかしいようです~
アトハ
ファンタジー
【短いあらすじ】
普通を勘違いした魔界育ちの少女が、王都に旅立ちうっかり無双してしまう話(前世は病院少女なので、本人は「超健康な身体すごい!!」と無邪気に喜んでます)
【まじめなあらすじ】
主人公のフィアナは、前世では一生を病院で過ごした病弱少女であったが……、
「健康な身体って凄い! 神さま、ありがとう!(ドラゴンをワンパンしながら)」
転生して、超健康な身体(最強!)を手に入れてしまう。
魔界で育ったフィアナには、この世界の普通が分からない。
友達を作るため、王都の学園へと旅立つことになるのだが……、
「なるほど! 王都では、ドラゴンを狩るには許可が必要なんですね!」
「「「違う、そうじゃない!!」」」
これは魔界で育った超健康な少女が、うっかり無双してしまうお話である。
※他サイトにも投稿中
※旧タイトル
病弱少女、転生して健康な肉体(最強)を手に入れる~友達が欲しくて魔境を旅立ちましたが、どうやら私の魔法は少しおかしいようです~
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる