異世界ほのぼのクッキングロード ~元フードコーディネーター、不思議な食材で今日も一皿~

はぶさん

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第63話 沈黙の音楽家と、調和のトムカーガイ (63-3)

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俺の言葉は、静寂な部屋に、ただ、響き渡った。
クラヴィスは、何も言わない。だが、その、固く握りしめられていた拳が、ほんの少しだけ、緩んだのを、俺は見逃さなかった。俺は、静かに立ち上がると、スープの椀を、彼の前にそっと置いた。
「…どうぞ。冷めないうちに」
そして、俺は、レオと共に、静かに部屋を後にした。ここから先は、彼と、このスープとの、一対一の対話の時間だ。

部屋に一人残されたクラヴィスは、目の前の、乳白色の液体を、ただ、虚ろな目で見つめていた。食欲など、もう何ヶ月も、感じたことがない。だが、鼻腔をくすぐる、この、あまりにも複雑で、しかし、どこか心を落ち着かせる香りは、彼の、凍てついていた五感を、無理やりにこじ開けようとしていた。
彼は、まるで、何かに導かれるように、震える手で、匙を手に取った。
そして、一口。

その刹那。
彼の、モノクロームだった世界が、暴力的なまでの色彩で、爆発した。
(…なんだ、これは…!?)

まず、舌を刺す、唐辛子の、鮮烈な**辛み(怒り)**。
次に、追いかけるように、喉を駆け抜ける、ライムの、鋭い**酸味(後悔)**。
そして、それらを下支えする、魚醤の、深く、切ない**塩味(悲しみ)**。
彼の魂が、ずっと蓋をしてきた、目を背けてきた、混沌(カオス)そのものの味が、彼の内側で、不協和音を奏でながら、荒れ狂う!
だが、その混沌が、彼の魂を食い尽くす、その寸前。
全てを、優しく、優しく、包み込んだ。
**ココナッツミルクの、どこまでも甘く、慈愛に満ちた、クリーミーな味わい**が。

辛みは、ただの暴力ではなく、情熱的なアクセントに。
酸味は、ただ心を苛むのではなく、爽やかな輪郭に。
塩味は、ただ悲しいのではなく、物語に、深い奥行きを与える、滋味に。
バラバラだったはずの不協和音が、ココナッツミルクという名の、絶対的な肯定の前で、互いの存在を認め合い、一つの、完璧な**『調和(ハーモニー)』**を、奏で始めたのだ。

彼は、ただの味ではない。その皿の中に、溶け込んでいる「物語」そのものを、味わっていた。
日向耕介という料理人が語った、哲学そのものを。
(…そうか。わたくしは、ずっと、間違っていたのだ…)
彼は、自分を苦しめる過去の記憶を、ただ、消し去ろうとしていた。だが、このスープは、教えてくれた。それらは、消し去るべきものではない。全てが、わたくし自身を形作る、かけがえのない「音色」なのだと。

クラヴィスは、夢中で、スープを飲み干した。
そして、気づけば、彼は、泣いていた。
それは、絶望の涙ではなかった。
長かった、暗い夜の果てに、ようやく、朝の光を見出した、再生の涙だった。

その夜、丘の上の宿屋から、久しぶりに、リュートの音色が、静かに、こぼれ落ちたという。
それは、まだ、たどたどしく、不器用な、生まれたてのプレリュード(前奏曲)。
だが、その音色には、確かに、悲しみを乗り越えた者だけが奏でられる、深く、そして、どこまでも優しい「調和」が、宿っていた。

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