異世界ほのぼのクッキングロード ~元フードコーディネーター、不思議な食材で今日も一皿~

はぶさん

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第66話 氷壁を溶かす一皿 (66-1)

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翌朝。『木漏れ日の食卓亭』の厨房は、夜明け前から、異様な静寂に包まれていた。聞こえるのは、狩人たちが巨大なナイフを砥石で研ぐ、シャッ、シャッ、という無機質な音と、街の料理人たちが緊張で唾を飲み込む、微かな喉の音だけ。互いに言葉を交わす者はなく、ただ、中央に置かれた巨大な調理台を境界線として、探るような、あるいは、値踏みするような視線が、火花のように何度も交錯していた。まるで戦場のような、息の詰まる緊張感だった。

厨房は、見えない壁で、二つの国に分断されていた。
片方には、漁師のギルさん、パン職人のクラウスさんをはじめとする、港町の見慣れた顔ぶれ。彼らの前には、街で採れた新鮮な野菜や、磨き上げられた調理器具が整然と並んでいる。
そして、もう片方には、族長のビョルンに率いられた、北の狩人たち。彼らの足元には、昨日仕留めたばかりだという、一頭の大きな羊が、丸ごと横たわっていた。その、あまりにも生々しい光景と、彼らが腰に下げた、血の匂いが染みついた巨大なナイフが、厨房の空気を、さらに重く、冷たいものにしていた。

厨房の片隅で、その一部始終を見ていた女将のベアトリスが、ちっ、と小さく舌打ちした。「…馬鹿弟子が、余計なことをしでかすんじゃないよ」。その声は誰に聞こえるでもなかったが、その横顔には、自分の店が戦場と化していることへの苛立ちと、どうにもならない状況への憂いが浮かんでいた。
そんな大人たちの空気をものともせず、リリィアだけが、物珍しそうに狩人たちの手元を覗き込んでいる。「わあ、大きいねえ…」。その無邪気な声だけが、この凍りついた厨房で、唯一、温度を持つものだった。

やがて、狩人の一人が、羊の腹を裂き、どろりとした内臓を取り出すと、厨房に、街の人々が嗅ぎ慣れない匂いが充満した。海の生臭さとは質の違う、もっと濃密な、獣の血と土の匂い。五感に訴えかける、原始的な不協和音。それが、この厨房の、最初の音色だった。

問題は、匂いだけではなかった。『技術』と『知恵』の、静かな衝突が始まったのだ。
狩人の一人が、羊の硬いスネ肉を、骨ごと断ち切ろうとしていた。彼は、巨大なナイフを振り上げると、力任せに、何度も、何度も、骨に叩きつける。
その、あまりにも非効率的な光景に、一番弟子のレオが、ついに耐えきれずに、口を挟んだ。
「待ってください! そんなやり方では、肉の繊維が潰れてしまう!」
レオは、自分の愛用の、王都仕込みの美しい肉切り包丁を手に、前に進み出た。「骨と肉の間には、もっと効率的な、急所となる関節がある。そこを狙えば、力は必要ない。こうやって…」
彼が、王都で学んだ、解剖学的な知識に基づいて、刃を入れようとした、その瞬間。
ガキンッ!
鈍い、嫌な音が響いた。レオの包丁の刃が、硬い骨に阻まれ、無惨にも、小さく、欠けてしまっていたのだ。
「な…!?」
レオが、愕然として、自分の刃を見る。(なんだ…? 今のは…。師である耕介さんから、あれほど食材への敬意と観察眼を学んだはずなのに。俺は、結局、王都で得た知識という名の『物差し』でしか、目の前の食材を見ていなかったのか…?)
これまで経験したことのない、純粋で完全な「敗北」だった。欠けた刃先が、まるで自分の傲慢さを指し示しているようで、レオは唇を噛みしめることしかできなかった。

狩人たちもまた、街の調理器具に戸惑っていた。先程レオの刃を欠いた若者が、野菜を切るために渡された薄刃の包丁を手に取り、そのあまりの軽さと薄さに、眉をひそめる。「…こんな紙切れのようなもので、本当に切れるのか?」。試しにカボチャに刃を当ててみるが、力加減が分からず、まな板に深く食い込ませてしまった。逆側では、別の狩人が、スープを煮込むための小さな鍋を前に、「おい、族長。こんなままごとみたいな鍋で、本当に全員分の肉が煮えるのか?」と真顔でビョルンに尋ねている。

厨房の空気は、最悪だった。互いの文化への無理解と、自らのプライドがぶつかり合い、一つの料理を作るはずの厨房は、完全に、二つの世界へと、分断してしまっていた。

***

**【作者より】**
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