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第71話 二つの食卓と、融和のキッシュ (71-2)
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王都は、以前訪れた時と何も変わってはいなかった。いや、その光と影は、より一層コントラストを強めているように、俺の目には映った。
黄金の獅子の紋章を掲げた王家の馬車に乗り、俺と一番弟子のレオは、再びこの国の心臓部へと足を踏み入れる。貴族街は、相も変わらず豊かさと権威を誇示していた。だが、レオはもう、その華やかさだけに目を奪われる未熟な若者ではなかった。
「…師匠。この街は、笑っていませんね」
ぽつりと、彼が呟いた。その通りだった。この街には、港町にあったような温かい「一体感」が、決定的に欠けていた。
王宮で俺たちを迎えてくれたテオドア王子は、見違えるほどたくましくなっていた。その瞳には、一国の未来を憂う若き指導者の、強い意志の光が宿っていた。
「よくぞ来てくださいました、師よ。…どうか、わたくしと、一日だけ、この都を巡ってはいただけませんか。この国の、光と、影の両方を」
その日、俺たちは、二つのあまりにも対照的な「食卓」を目の当たりにすることになる。
最初に訪れたのは、ある大公爵が主催する夜会だった。大広間のテーブルには、見たこともないほど豪華な料理が芸術品のように並んでいる。だが、貴族たちはそのほとんどに手を付けようとはしない。銀の食器が虚しく皿の上を滑る音。誰一人料理の味を語らず、ただ己の宝石の自慢話や政敵の陰口だけが、ワインの香りよりも色濃く広間に満ちている。食べ残された七面鳥のローストや手つかずの子羊のパイが次々とゴミのように片付けられていく。
レオは、唇を固く噛み締め、拳を震わせていた。(…これは、料理じゃない。食材への、生産者への、そして、腹を空かせた全ての人々への、冒涜だ…! 北の山で、一つの魚を、あれほどまでに感謝して食べた、あの狩人たちに、この光景を見せられるか…!)
次に王子は、俺たちを城壁の外に広がる貧民街の炊き出しへと案内した。夕闇の中、人々は一つの巨大な鍋の前に長い列を作っている。鍋の中で煮込まれているのは、水で薄められた味気ない豆のスープだけ。列に並ぶ人々のすすり泣きのような咳の音、スープから立ち上る気力のない湯気の匂いと、すぐ側を流れるどぶ川の淀んだ匂いが、冷たい風に混じり合う。一杯のスープを受け取った母親が、自分の口にはほとんど運ばず、幼い子供の口にそっと流し込んでやっている。そこに、会話はない。笑顔もない。食事は、喜びではなく、ただ明日を生き延びるための、苦しいだけの「作業」だった。
その、あまりにも悲しい光景。
俺は、この問題を解決するための、一つの確かな答えにたどり着いていた。
王宮に戻った俺は、王子に一つの料理を提案した。
**『キッシュ』**だ。
俺は、王子と、そして共に未来を憂うレオに向かって、その料理が持つ融和の物語を語り始めた。
「キッシュは、元々私の故郷の貧しい農夫たちが、残ったパン生地にあり合わせの卵やクリームを流し込んで焼いた、素朴な家庭料理でした。彼らの、生きるためのたくましい知恵の結晶です」
「ですが、その飾らない温かい美味しさがやがて王侯貴族たちの目に留まった。彼らはその素朴な料理に上質なチーズや繊細なハーブといった、自分たちの磨き上げた技術と美意識を加え、やがて宮廷の華やかな食卓を飾る気品あふれる一皿へと昇華させたのです」
俺は、二人の目を真っ直ぐに見つめた。
「この一皿の中には、庶民のたくましい知恵と、貴族たちの磨き上げた美意識、その両方の魂が同居している。貧しい者も富める者も、同じこの一皿を前にすれば、互いの存在を認め合い、手を取り合うことができるはずです。これは、二つの食卓を一つにするための、最高の架け橋なのですよ」
黄金の獅子の紋章を掲げた王家の馬車に乗り、俺と一番弟子のレオは、再びこの国の心臓部へと足を踏み入れる。貴族街は、相も変わらず豊かさと権威を誇示していた。だが、レオはもう、その華やかさだけに目を奪われる未熟な若者ではなかった。
「…師匠。この街は、笑っていませんね」
ぽつりと、彼が呟いた。その通りだった。この街には、港町にあったような温かい「一体感」が、決定的に欠けていた。
王宮で俺たちを迎えてくれたテオドア王子は、見違えるほどたくましくなっていた。その瞳には、一国の未来を憂う若き指導者の、強い意志の光が宿っていた。
「よくぞ来てくださいました、師よ。…どうか、わたくしと、一日だけ、この都を巡ってはいただけませんか。この国の、光と、影の両方を」
その日、俺たちは、二つのあまりにも対照的な「食卓」を目の当たりにすることになる。
最初に訪れたのは、ある大公爵が主催する夜会だった。大広間のテーブルには、見たこともないほど豪華な料理が芸術品のように並んでいる。だが、貴族たちはそのほとんどに手を付けようとはしない。銀の食器が虚しく皿の上を滑る音。誰一人料理の味を語らず、ただ己の宝石の自慢話や政敵の陰口だけが、ワインの香りよりも色濃く広間に満ちている。食べ残された七面鳥のローストや手つかずの子羊のパイが次々とゴミのように片付けられていく。
レオは、唇を固く噛み締め、拳を震わせていた。(…これは、料理じゃない。食材への、生産者への、そして、腹を空かせた全ての人々への、冒涜だ…! 北の山で、一つの魚を、あれほどまでに感謝して食べた、あの狩人たちに、この光景を見せられるか…!)
次に王子は、俺たちを城壁の外に広がる貧民街の炊き出しへと案内した。夕闇の中、人々は一つの巨大な鍋の前に長い列を作っている。鍋の中で煮込まれているのは、水で薄められた味気ない豆のスープだけ。列に並ぶ人々のすすり泣きのような咳の音、スープから立ち上る気力のない湯気の匂いと、すぐ側を流れるどぶ川の淀んだ匂いが、冷たい風に混じり合う。一杯のスープを受け取った母親が、自分の口にはほとんど運ばず、幼い子供の口にそっと流し込んでやっている。そこに、会話はない。笑顔もない。食事は、喜びではなく、ただ明日を生き延びるための、苦しいだけの「作業」だった。
その、あまりにも悲しい光景。
俺は、この問題を解決するための、一つの確かな答えにたどり着いていた。
王宮に戻った俺は、王子に一つの料理を提案した。
**『キッシュ』**だ。
俺は、王子と、そして共に未来を憂うレオに向かって、その料理が持つ融和の物語を語り始めた。
「キッシュは、元々私の故郷の貧しい農夫たちが、残ったパン生地にあり合わせの卵やクリームを流し込んで焼いた、素朴な家庭料理でした。彼らの、生きるためのたくましい知恵の結晶です」
「ですが、その飾らない温かい美味しさがやがて王侯貴族たちの目に留まった。彼らはその素朴な料理に上質なチーズや繊細なハーブといった、自分たちの磨き上げた技術と美意識を加え、やがて宮廷の華やかな食卓を飾る気品あふれる一皿へと昇華させたのです」
俺は、二人の目を真っ直ぐに見つめた。
「この一皿の中には、庶民のたくましい知恵と、貴族たちの磨き上げた美意識、その両方の魂が同居している。貧しい者も富める者も、同じこの一皿を前にすれば、互いの存在を認め合い、手を取り合うことができるはずです。これは、二つの食卓を一つにするための、最高の架け橋なのですよ」
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