異世界ほのぼのクッキングロード ~元フードコーディネーター、不思議な食材で今日も一皿~

はぶさん

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第72話 偽りの奇跡と、真実の揚げ出し豆腐 (72-2)

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豆腐職人ゲンさんの、静かな、しかし、あまりにも重い決意を受け取った翌日。俺は、店の前に、大きな黒板を立てかけた。
『本日、お昼の営業はお休みいたします。街の皆さんへ、日向耕介より、ささやかな贈り物がございますので、午後の鐘が鳴りましたら、どうぞ、広場へお集まりください』
その知らせは、あっという間に港町中に広まった。
午後の鐘が鳴る頃には、広場は黒山の人だかりで埋め尽されていた。その中には『奇跡の香辛料』を売る行商人の姿も、腕を組み、値踏みするようにこちらを見つめている。そして、その人だかりの一番後ろに、豆腐職人のゲンさんが、杖を頼りに、一人、静かに立っていた。自分の人生そのものである豆腐が、今、衆人の前で何をされようとしているのか。その顔には、期待と、不安と、そして祈りのような色が浮かんでいた。
俺は、広場の中央に設置した大きな調理台の前に立った。隣には、一番弟子のレオをはじめとする、全ての弟子たちが緊張した面持ちで並んでいる。
俺はまず、集まった人々に深々と頭を下げた。
「皆さん。今日は、あなた方が忘れかけている、この街の本当の宝物の味を、思い出していただきたく、お集まりいただきました」
俺は、静かにゲンさんから受け取った桐の箱を調理台の中央に置き、蓋を開ける。
現れたのは、ただの真っ白な豆腐だった。だが、その一点の曇りもない神聖なまでの純白の輝きは、どんな宝石よりも美しかった。
「この豆腐は、ゲンさんが、その職人人生の全てをかけて作り上げた、魂の結晶です。今日、俺が作る料理の主役は、この豆腐です」
俺が作るのは**『揚げ出し豆腐』。あまりにも地味で、素朴な料理。人々は少し拍子抜けしたような顔をしている。行商人は、ふん、と鼻で笑ったのが見えた。
俺は、その空気を意に介さず、調理を始めた。まず、その神聖な豆腐にそっと包丁を入れる。一切の迷いなく均等な大きさに切り分け、その絹のように滑らかな豆腐の表面の水分を、布で、まるで赤子の体を拭うかのように、優しく吸い取っていく。次に、片栗粉を薄く、薄く纏わせ、熱した油の鍋へと、そっと滑り込ませた。
ジュワアアアアアッ、という心地よい音が広場に響き渡る。豆腐が黄金色の美しい衣を纏っていく。
俺は、豆腐を揚げながら、集まった人々に、そして心を乱されている弟子たちに、語り始めた。
「揚げ出し豆腐は、決して派手な料理ではありません。主役は、どこまでも、この豆腐そのもの。衣も、出汁も、薬味も、全ては、この淡く、繊細で、しかし奥深い豆腐の魂を、最大限に輝かせるためだけに存在する、脇役なのです」
「『奇跡の香辛料』は、素晴らしい発明です。それは、どんな食材も強烈な主役へと変えてしまう、足し算の魔法でしょう。ですが、その魔法は、時として、もっと大切なものを、見失わせてしまう」
俺は、揚げたての豆腐を油から引き上げた。
「本当の美味しさとは、何かを『足す』ことだけではない。素材が持つか細い声を、丁寧に、丁寧に、聞き取ってあげること。その魂の輪郭を、そっと際立たせることなのです。あなた方が毎日食べているこの街の魚や野菜、そしてゲンさんが人生をかけて守ってきたこの豆腐。その本物の声が、今のあなた方には、聞こえていますか?」
俺の言葉は、静かに、しかし確実に、人々の心の奥深くへと染み渡っていった。広場を支配していた熱狂と軽薄な空気は、いつしか真剣な内省の沈黙へと変わっていた。
その頃、『木漏れ日の食卓亭』の厨房では、レオが、この日のために最高の『一番出汁』を引いていた。だが、最高の出汁には最高の魂が必要だ。その時、「きゅいん!」と、モグモグが、店の裏の薪置き場から、一枚の、黒く乾燥した『香茸(こうたけ)』**を、誇らしげに咥えてきたのだ。それは、街の者たちが「ただの苦いキノコだ」と見向きもしなかった、忘れられた山の恵み。だが、その乾燥した茸こそが、出汁に、どんな香辛料にも負けない、深く気高い森の香りを、与えてくれることを、モグモグだけが知っていた。
最後の舞台は、整った。

【作者より】
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