異世界ほのぼのクッキングロード ~元フードコーディネーター、不思議な食材で今日も一皿~

はぶさん

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第72話 偽りの奇跡と、真実の揚げ出し豆腐 (72-3)

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広場を支配していた真剣な沈黙の中、俺はまず、集まった人々に二つの小さな椀を差し出した。一つには『奇跡の香辛料』を白湯に溶かした液体。もう一つには、レオが魂を込めて引いた黄金色の『一番出汁』。
「皆さん。まず、あなた方の舌で、真実を確かめていただきたい」
俺は、漁師のギルさんに香辛料の椀を差し出した。彼が一口すする。
「…ん? おお、確かに、美味えな! なんだか、肉の出汁みてえな、ガツンとくる味だ!」
「だが…」ギルさんは首を傾げた。「…なんだろうな。美味いが、それだけだ。舌が、少し、痺れるような…」
「では、次はこちらを」
俺は静かに一番出汁の椀を差し出した。ギルさんが、それをゆっくりと口に含む。次の瞬間、彼の武骨な顔が、信じられないものを見たかのように、カッと見開かれた。
「…なんだ、こりゃあ…!? 味が…ねえ…。いや、違う!味が、ねえんじゃねえ! 静かすぎるんだ! だが…なんだ、この、後から、じんわりと、広がってくる、海の香りと、森の香りは…! さっきの味が、荒々しいだけの若造だとすりゃあ、こいつは、全てを知り尽くした、海の長老みてえな味だ…!」
その的確な比喩に、広場からどよめきが起こる。人々は次々と二つの味を比べ、そして、気づき始めたのだ。自分たちが熱狂していた味が、いかに表面的で奥行きのないものであったかという事実に。行商人の顔から余裕の笑みが消える。
俺は、揚げたての豆腐を深めの器に盛り、その上からあの黄金色の一番出汁をそっと注ぎかける。
ジュウウウッ…!
熱々の衣が出汁を吸い込む心地よい音。仕上げに、すりおろした大根と刻んだネギを天盛りにする。完成だ。
俺は、その最初の一皿を、人だかりの後ろで全てを見届けていた豆腐職人のゲンさんの元へと、自ら運んでいった。
「ゲンさん。あなたの、魂です」
彼は震える手でその椀を受け取った。そして、一口。
その刹那。ゲンさんの皺だらけの顔が、驚愕と、歓喜と、そして安堵にくしゃりと歪んだ。(…ああ…)衣が出汁を吸い、口の中でとろりととろけていく。その直後、やってくる、豆腐そのものの、どこまでも優しく深い大豆の甘み。出汁の気高い森の香りが、その甘みの輪郭をそっと際立たせている。
彼は、何も言えず、ただ、子供のように、声を上げて泣いていた。その、一人の職人の、あまりにも純粋な涙を前に、人々は、ようやく、自分たちが犯した過ちの、その本当の重さに気づいたのだ。彼らは我先にとその本物の味に殺到し、一口食べた者は誰もが言葉を失い、そしてゲンさんに深々と頭を下げていた。
その時だった。
「皆さん! 聞いてください!」
一番弟子のレオが、一つの小さな革袋を手に、調理台の上へと上がった。「俺は、この数日間、街の薬師であるゲッコーさんの元を訪ね、この『奇跡の香辛料』の正体を、調べていました」
彼の真剣な声に、広場が再び静まり返る。
「この粉末の強烈な旨味の正体は、南方に自生するある特殊な植物の根です。ですが、その植物には、もう一つの作用があった。それは、人間の舌の味を感じる部分を、ほんの少しだけ麻痺させるという効果です」「これは、美味いんじゃない。皆さんの舌を、この香辛料以外の繊細な味が分からなくさせていただけなんです! 美味しいと、錯覚させていただけなんですよ!」
レオの科学的な真実の追求が、この騒動に完璧なとどめを刺した。行商人は、いつの間にかその姿を消していた。
翌朝。ゲンさんの豆腐屋の前には、夜明け前から、長い、長い行列ができていたという。
その光景を、俺とレオは、『木漏れ日の食卓亭』の窓から、ただ、満足げに見つめていた。
レオが、ぽつりと呟いた。「…恐ろしいですね、師匠。人の心は、あんなにも簡単に、偽物の味に、熱狂してしまうのですから」
俺は、静かに首を横に振った。「いいや、レオ。本当に恐ろしいのは、『本物の味を、忘れてしまうこと』だ。俺たちの仕事は、戦うことじゃない。ただ、思い出させてあげることなんだ。いつでも、温かい故郷は、ここにあるんだぞ、ってな」

【作者より】
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