殺し屋、JKになる。〜伝説の暗殺者、普通の青春が難しすぎて詰む〜

Y.

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第2話:戦慄のランチタイム

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 1. 補給任務の下令

 蓮見零にとって、午前中の授業とは「精神修練」の時間であった。

 教壇に立つ教師の喉元、チョークを持つ指の動き、そして時折廊下を通り過ぎる不審な足音。それら全てを警戒の対象から外し、あえて『無』の状態で座り続ける。これは、潜入任務において最も体力を消耗する作業の一つだ。

「……ふぅ」

 四時間目のチャイムが鳴る直前、零は微かに息を吐いた。

 隣の席では、親友(暫定)の佐々木ユウキが、ソワソワと貧乏ゆすりを始めている。その視線は教科書ではなく、廊下の先にある「何か」に向けられていた。

「ねぇ、レイちゃん。準備はいい?」

「……準備? 敵襲か」

「そう! ある意味、命がけの戦い! この学校の購買部にはさ、伝説の『極上厚切り焼きそばパン』があるんだよ。一日十個限定。それを手に入れた一年生は、その年度の『覇者』になれるって言われてるの」

 ユウキは真剣な表情で、零の肩を掴んだ。

「もし今日、レイちゃんがそれをゲットできたら……あんたはもう、名実ともに『本物のJK』だよ」

 零の脳内メモリに、その言葉が刻み込まれる。

(本物のJK……。つまり、これは昇格試験。焼きそばパンの確保こそが、この潜入任務における第一段階のゴールか)

「了解した。……必ずや、その『極上』を確保する」

「あはは! その気合、マジ受ける! じゃあ、チャイム鳴ったら即ダッシュね!」

 零は静かに頷いた。彼女は既に、机の下でローファーの紐を締め直している。

 彼女にとって、食事とは常に「補給」であった。戦地では泥水を啜り、乾燥した配給食を胃に流し込む。味など二の次、効率こそが正義。

 しかし、郷に入っては郷に従え。この学園という特殊な戦場において、焼きそばパンは「勲章」なのだ。

(目標:極上厚切り焼きそばパン。数量:一。確保難易度:極大。……これより、補給任務を開始する)

 キーンコーン、カーンコーン。

 終了のチャイムが鳴り響いた瞬間、零の意識は『戦闘モード』へと切り替わった。


 2. 廊下の地獄(ヘルウェイ)

 教室のドアが開いた瞬間、廊下は阿鼻叫喚の戦場へと変貌した。

「どけどけー! 焼きそばパンは俺のもんだ!」

「二年の意地を見せてやるわよ!」

 怒号、怒涛の足音。数百人の生徒が一斉に一箇所を目指して加速する。

 零は、その濁流のような群衆の隙間を見定めた。

「……甘い」

 彼女の動きは、周囲の生徒たちとは一線を画していた。

 全力疾走ではない。それは、古武術の歩法と現代の暗殺術を組み合わせた『縮地』に近い移動。

 上半身を微塵も揺らさず、最短距離を、氷の上を滑るように進む。

 進路を塞ぐ大柄な男子生徒がいれば、その肩に指先一つで触れ、重心をわずかにずらして自走不能にする。

 曲がり角では、壁の角を指の力だけで掴んで遠心力を利用し、速度を落とさずに直角に曲がる。

「な、何だあいつ!? 速すぎる!」

「残像が見えたぞ……!」

 背後から驚愕の声が上がるが、零は振り返らない。

 彼女の視界には、廊下の構造と、生徒たちの移動ベクトルがデジタルデータのように展開されていた。

 だが、階段の手前で「障害物」が現れた。

「お待ちなさい、蓮見零!」

 昨日、廊下でハグ(という名の制圧)を交わした神宮寺麗奈が、二人の取り巻きを連れて立ち塞がっていた。

「昨日の屈辱、忘れていませんわ! 貴女のような野蛮な転校生に、学園の至宝たる焼きそばパンは渡しません! さぁ、皆さん、お行きなさい!」

 取り巻きの二人が、零の両サイドを固めるように動く。

 零は足を止めず、冷静に状況を判断した。

(神宮寺麗奈。昨日の個体。戦闘能力は低いが、社会的地位(お嬢様)を利用したデコイ配置。……正面突破は時間のロスだ)

「……上だ」

「えっ?」

 零は、階段の手前にある手すりに片手をかけると、そのまま驚異的な跳躍を見せた。

 麗奈たちの頭上、二メートル近い高さを、一回転しながら飛び越える。

 ひらりと舞ったスカートの裾が麗奈の鼻先を掠め、零は階段の踊り場に音もなく着地した。

「ごきげんよう。……急いでいるのでな」

「な、ななな……なんですの!? 今の滞空時間は人間ではありませんわよ!」

 麗奈の絶叫を背に受けながら、零は一気に購買部へと繋がる最終ストレートを駆け抜けた。


 3. 購買部の決戦

 購買部は、もはや暴動現場だった。

 カウンターの前には二重三重の人垣ができ、パンを求める手が何本も伸びている。

「おばちゃん! カレーパン一個!」

「メロンパン二個、あと牛乳!」

 喧騒の中、零の鋭い瞳がターゲットを捉えた。

 カウンターの端、透明なケースの中に鎮座する、最後の一つ。

『極上厚切り焼きそばパン』。

 炭水化物の上に炭水化物がこれでもかと乗せられ、紅生姜の赤が勝利の血の色のように輝いている。

 だが、そこへもう一つの「巨体」が迫っていた。

 ラグビー部主将、剛田。身長一九〇センチ、体重一〇〇キロ超えの肉弾戦車だ。

「ガハハ! 最後の一つは、この俺がいただく!」

 剛田の太い腕が、パンへと伸びる。

 零は距離を計算した。普通に手を伸ばしても届かない。人混みをかき分ける時間もない。

(……やむを得ん。隠密性は放棄する)

 零は、隣の自動販売機の天板に足をかけた。

 そこから購買部のカウンターの上へとダイブする。

「ちょっ、危ないわよ!」という購買のおばちゃんの悲鳴をよそに、零は空中で体をひねり、剛田の腕がパンに触れる直前、そのわずかな「隙間」に自分の手を滑り込ませた。

 指先が、パンを包むセロハンの感触を捉える。

 しかし、剛田の怪力がパンの袋の反対側を掴んだ。

「ああっ!? なんだこの小娘は! 離せ、これは俺のパンだ!」

「……拒否する。これは私の、ミッションだ」

 零と剛田。見た目には圧倒的な差がある二人が、一つのパンを挟んで膠着状態に陥る。

 零は剛田の腕の筋肉の動きを読み、力が最大になる瞬間に、あえて力を抜いた。

『柔よく剛を制す』。

 引かれた力を利用して、剛田の姿勢を崩し、その拍子にパンの袋を回転させて彼の指を弾き飛ばす。

「ぬおおっ!? 指が、滑った……!?」

 体勢を崩した剛田が「おっとっと」と後ろに下がった隙に、零はパンを胸に抱き、カウンターから鮮やかに着地した。

「……確保。補給任務、完了」

 零はレジにお札を置き、おばちゃんが「お、お釣りは!?」と叫ぶのも構わず、戦場を後にした。

 その背中は、硝煙こそ上がっていないものの、激戦を終えた兵士のそれであった。


 4. 勝利の分配

 教室に戻ると、零は机に突っ伏していた。

 制服は乱れ、髪には購買で飛んできた誰かのマヨネーズが微かに付いている。

「レイちゃん! マジ!? マジで獲ったの!?」

 ユウキが駆け寄ってくる。その手には、零が掲げた『極上厚切り焼きそばパン』。

「……ああ。生存競争は熾烈だったが、なんとか確保した」

「すごすぎる……! 一年生で剛田主将からパンを奪うなんて、明日からレイちゃん、学園のレジェンドだよ!」

「レジェンド……。そんなコードネームは不要だ。私はただ、JKとしての義務を果たしたに過ぎない」

 零はパンの袋を破った。

 香ばしいソースの匂いが、鼻腔をくすぐる。

 彼女がパンを二つに割ろうとしたとき、その手が止まった。

 握力の調整を誤れば、この「勲章」を粉々にしてしまう。

「……苦戦しているのか?」

 背後から声をかけたのは、佐藤蓮だった。

 彼は震える手で、自分の持っていた『メロンパン』を差し出した。

「あ、あの……蓮見さん。そのパン、重い……じゃなくて、食べるの大変そうだよね。もしよかったら、僕のメロンパンと、半分ずつ……交換しない? その、友情の、証として……」

 佐藤の顔はリンゴのように赤い。

 零は、佐藤の瞳をじっと見つめた。

(「友情の証」……。なるほど。友好条約の締結、および戦利品の互恵的配分か。これは組織間における和平交渉の基本だ)

「……いいだろう。貴公の提案を受け入れる。この焼きそばパンの50%を譲渡する代わりに、貴公のメロンパンの50%の所有権を取得する。異議はないな」

「い、異議なしです!」

 零は、慎重に、かつ正確に焼きそばパンを半分に裂いた。

 そして佐藤から渡されたメロンパンの半分を受け取る。

「……食べるぞ」

 一口、齧る。

 焼きそばパンは、暴力的とも言えるほど濃い味がした。

 紅生姜の酸味と、太麺の歯応え。そして、それを包み込むパンの甘み。

 これまで食べてきた、栄養価だけを計算された軍用食とは対極にある、無駄で、過剰で、そして温かい味。

「……おいしい」

 ボソリと、零の口から本音が漏れた。

 それは「了解」でも「排除」でもない、彼女の本当の言葉だった。

「でしょ!? 購買のパンって、なんか特別なんだよね!」

 ユウキが笑い、佐藤が嬉しそうにパンを頬張る。

 窓の外では、生活指導の影山が、双眼鏡でその様子を監視していた。

「……あいつ、焼きそばパン一つで何という顔をしてやがる。……まぁ、いい。今のところは、暗殺者ではなく、ただの食いしん坊に見えるな」

 影山は安堵のため息をつき、手帳に『任務状況:良好。ただし栄養バランスに懸念あり』と書き込んだ。

 零は、メロンパンのクッキー生地を噛み締めながら、思う。

 殺し屋としての日常には、こんなにも豊かな「味」はなかった。

 誰かと競い、誰かと分け合い、笑いながら食べる。

 その「無駄」こそが、彼女が求めていた「青春」という名の贅沢なのかもしれなかった。

「レイちゃん、次は明日のプリン争奪戦の作戦会議ね!」

「……プリン。液体と固体の中間物か。攻略法を立案しておく」

 零の二日目は、紅生姜の香りと共に、穏やかに過ぎていった。
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