5 / 5
永遠の別れ
しおりを挟む
サキの体調は、日に日に悪化していった。彼女の肌は透き通り、呼吸は浅くなった。
ある朝、サキは衰弱した体でアキトの手を握り、微笑んだ。
「お願い、アキト。あなたのせいで世界が壊れるのは嫌よ。私のせいで、あなたが罪を背負うのも嫌。私を助けて。そして、元の場所に戻って」
「助ける……?」
「あなたがいない世界で、私は元気に生きていくわ。そうすれば、あなたは戻れるでしょう? それが、私にできる、最後のあなたへの愛だわ」
サキの言葉は、アキトの胸を貫いた。愛する者を救う唯一の方法は、愛を捨てること。それは、神でさえ耐えられないほどの、残酷な報いだった。
アキトは、サキの寝顔を、焼き付けるように見つめた。その愛おしさに、彼は胸が張り裂けそうになった。
「サキ。お前を救う」
彼は、部屋の中央で立ち上がった。彼の体から、光の粒子が溢れ出し、部屋の隅々まで満たした。
アキトは、ゆっくりと、しかし決然と、自分自身に神の力を集中させた。
「私は、アストラル。星々の法則に誓う。この定命の者への愛、その記憶、そしてこの身に芽生えた感情の全てを、我自身の存在から切り離し、永遠に封印する」
それは、自らの魂の一部を切り裂くような、壮絶な行為だった。
悲痛な光が部屋を覆い尽くし、アキトは全身から力が抜け落ちるのを感じた。
愛の感情、サキと過ごした幸福な記憶、彼女の笑顔、声、全てが、彼の内から引き抜かれ、青白い光の玉となって宙に浮いた。
そして、その光の玉は、一筋の流星となって、天空の彼方へと消えていった。
アキトは、再び感情を持たない、冷たい神の姿に戻った。
彼は、ベッドで眠るサキを見下ろした。彼女の肌には血色が戻り、呼吸は安らかだ。法則が、彼女の身体に戻ったのだ。
しかし、彼の胸は何も感じない。ただ、法則が満たされたという、冷たい確信があるだけだった。
彼は、最後にサキの額に唇を寄せた。それは、愛ではなく、ただの「別れの儀式」だった。
アストラルは、静かに窓から飛び立ち、光となって天界へと昇っていった。
翌朝、サキは目覚めた。体はすっかり回復していた。
彼女はいつも通り、コーヒーを淹れ、図書館へ向かう準備をした。しかし、胸の奥には、説明のつかない「空虚」があった。
(なぜ、こんなにも心が欠けているのだろう?)
彼女の部屋には、見慣れないマグカップが一つあったが、なぜそれがあるのか思い出せない。時々、空を見上げると、わけもなく涙がこぼれそうになる。誰かとても大切な人が、自分の人生からすっぽり抜け落ちた気がする。
だが、誰だったのか、何があったのか、どんな愛を交わしたのか。サキは、その記憶を永遠に取り戻すことはできなかった。
アストラルは、再び天界の玉座に座っていた。彼は、星の軌道を、冷徹な法則に従って見守る。
彼はサキのいる地上を見下ろした。彼女はいつも通り、道端の小鳥を助けている。その姿は以前と同じように、清らかで美しかった。
だが、アストラルは何も感じない。彼女は、ただの「定命の者」。世界の法則の一部に過ぎない。
ただ、彼が司る星々の運行は、以前よりもどこか遅く、そして冷たい。彼自身も気づかないうちに、魂の奥底、封印された愛の残骸が、星の光の熱を永遠に奪ってしまったからだ。
サキは、アキトの存在を知らないまま、心優しい人生を穏やかに送り続けた。そして、やがて寿命を迎え、安らかに息を引き取った。
その瞬間、サキの魂が天に昇る直前、アストラルは、遠い記憶の残響のように、胸を締め付ける一瞬の激痛を感じた。それは、封印された愛が、愛する者の終焉を悟って上げた、最初で最後の悲鳴だった。
彼は、一秒も経たないうちに、その痛みさえも法則の一部として処理し、再び冷徹な神に戻る。
彼は、自分がサキを愛していたこと、そしてその愛のために自らを切り裂いたことを、永遠に知ることはない。
永遠に報われず、永遠に孤独な神と、愛した人の記憶を失って穏やかに生きる人間。
二人の愛は、世界の法則を守るために、完全な無に帰したのだった。
— 終 —
ある朝、サキは衰弱した体でアキトの手を握り、微笑んだ。
「お願い、アキト。あなたのせいで世界が壊れるのは嫌よ。私のせいで、あなたが罪を背負うのも嫌。私を助けて。そして、元の場所に戻って」
「助ける……?」
「あなたがいない世界で、私は元気に生きていくわ。そうすれば、あなたは戻れるでしょう? それが、私にできる、最後のあなたへの愛だわ」
サキの言葉は、アキトの胸を貫いた。愛する者を救う唯一の方法は、愛を捨てること。それは、神でさえ耐えられないほどの、残酷な報いだった。
アキトは、サキの寝顔を、焼き付けるように見つめた。その愛おしさに、彼は胸が張り裂けそうになった。
「サキ。お前を救う」
彼は、部屋の中央で立ち上がった。彼の体から、光の粒子が溢れ出し、部屋の隅々まで満たした。
アキトは、ゆっくりと、しかし決然と、自分自身に神の力を集中させた。
「私は、アストラル。星々の法則に誓う。この定命の者への愛、その記憶、そしてこの身に芽生えた感情の全てを、我自身の存在から切り離し、永遠に封印する」
それは、自らの魂の一部を切り裂くような、壮絶な行為だった。
悲痛な光が部屋を覆い尽くし、アキトは全身から力が抜け落ちるのを感じた。
愛の感情、サキと過ごした幸福な記憶、彼女の笑顔、声、全てが、彼の内から引き抜かれ、青白い光の玉となって宙に浮いた。
そして、その光の玉は、一筋の流星となって、天空の彼方へと消えていった。
アキトは、再び感情を持たない、冷たい神の姿に戻った。
彼は、ベッドで眠るサキを見下ろした。彼女の肌には血色が戻り、呼吸は安らかだ。法則が、彼女の身体に戻ったのだ。
しかし、彼の胸は何も感じない。ただ、法則が満たされたという、冷たい確信があるだけだった。
彼は、最後にサキの額に唇を寄せた。それは、愛ではなく、ただの「別れの儀式」だった。
アストラルは、静かに窓から飛び立ち、光となって天界へと昇っていった。
翌朝、サキは目覚めた。体はすっかり回復していた。
彼女はいつも通り、コーヒーを淹れ、図書館へ向かう準備をした。しかし、胸の奥には、説明のつかない「空虚」があった。
(なぜ、こんなにも心が欠けているのだろう?)
彼女の部屋には、見慣れないマグカップが一つあったが、なぜそれがあるのか思い出せない。時々、空を見上げると、わけもなく涙がこぼれそうになる。誰かとても大切な人が、自分の人生からすっぽり抜け落ちた気がする。
だが、誰だったのか、何があったのか、どんな愛を交わしたのか。サキは、その記憶を永遠に取り戻すことはできなかった。
アストラルは、再び天界の玉座に座っていた。彼は、星の軌道を、冷徹な法則に従って見守る。
彼はサキのいる地上を見下ろした。彼女はいつも通り、道端の小鳥を助けている。その姿は以前と同じように、清らかで美しかった。
だが、アストラルは何も感じない。彼女は、ただの「定命の者」。世界の法則の一部に過ぎない。
ただ、彼が司る星々の運行は、以前よりもどこか遅く、そして冷たい。彼自身も気づかないうちに、魂の奥底、封印された愛の残骸が、星の光の熱を永遠に奪ってしまったからだ。
サキは、アキトの存在を知らないまま、心優しい人生を穏やかに送り続けた。そして、やがて寿命を迎え、安らかに息を引き取った。
その瞬間、サキの魂が天に昇る直前、アストラルは、遠い記憶の残響のように、胸を締め付ける一瞬の激痛を感じた。それは、封印された愛が、愛する者の終焉を悟って上げた、最初で最後の悲鳴だった。
彼は、一秒も経たないうちに、その痛みさえも法則の一部として処理し、再び冷徹な神に戻る。
彼は、自分がサキを愛していたこと、そしてその愛のために自らを切り裂いたことを、永遠に知ることはない。
永遠に報われず、永遠に孤独な神と、愛した人の記憶を失って穏やかに生きる人間。
二人の愛は、世界の法則を守るために、完全な無に帰したのだった。
— 終 —
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
「お前みたいな卑しい闇属性の魔女など側室でもごめんだ」と言われましたが、私も殿下に嫁ぐ気はありません!
野生のイエネコ
恋愛
闇の精霊の加護を受けている私は、闇属性を差別する国で迫害されていた。いつか私を受け入れてくれる人を探そうと夢に見ていたデビュタントの舞踏会で、闇属性を差別する王太子に罵倒されて心が折れてしまう。
私が国を出奔すると、闇精霊の森という場所に住まう、不思議な男性と出会った。なぜかその男性が私の事情を聞くと、国に与えられた闇精霊の加護が消滅して、国は大混乱に。
そんな中、闇精霊の森での生活は穏やかに進んでいく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる