最弱弓術士、全距離支配で最強へ

Y.

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season2

第2話 魔力なき特異

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 1.

 シグルドを襲った「魂の汚染」を浄化してから数日。アストリアの街は、表面上は平穏を取り戻していた。しかし、ギルドの地下にある療養室で横たわるシグルドの姿は、リアンの心に重い影を落としていた。

「魔力回路が一時的に焼き切れているわ。……今のシグルドさんは、高熱を出した子供のように脆い状態よ」

 マリナが診断を終え、疲れた顔で告げる。リアンは彼女の肩を優しく抱き寄せたが、その指先が触れた瞬間、わずかな違和感を覚えた。マリナの肌が、一瞬だけ、現実の物質ではないような「冷たさ」を帯びた気がしたのだ。

「リアンさん……?」

「いや、なんでもない。少し、道場の様子を見てくる」

 リアンは違和感を飲み込み、道場へと向かった。

 彼は今、かつてないほどに研ぎ澄まされていた。エグゼスとの決戦を経て進化した「全距離支配」は、今や意識せずとも周囲数キロメートルの魔力の流れを把握し、飛んでいる羽虫の羽ばたきさえもナノ単位で解析してしまう。

 最強。その言葉は、リアンにとって「孤独」と同義になりつつあった。自分と同じ景色を視る者は、もうこの世界にはいない。そう思っていた。


 2.

 道場の門まで辿り着いたリアンは、足を止めた。

 脳内の戦術マップに、異常な「エラー」が発生していたからだ。

(……何だ? 門の前に、空間が『欠落』している場所がある)

 リアンのナノ・サイトは、大気中の魔力(マナ)の乱れを演算して像を結ぶ。しかし、門の前の一点だけは、魔力の反射も、吸収も、摩擦も発生していない。そこには、物理的な「物体」は存在するはずなのに、魔力的な「意味」が全く存在しないのだ。

 リアンが門を開くと、そこには一人の少年が立っていた。

 年齢は十四、五歳ほど。煤けた服を着て、手には自分で削り出したのであろう、歪な形の木弓を握りしめている。

「……君か。俺の視界をバグらせているのは」

 リアンが声をかけると、少年はビクッと肩を揺らし、顔を上げた。その瞳には、恐怖を押し殺したような、それでいて燃えるような「飢え」が宿っていた。

「リアン・アークライト先生……。僕を、弟子にしてください」

「弟子だと? 門下生なら、中の受付で手続きをすればいい」

「違います。……正規の門下生は、僕を受け入れてくれませんでした。僕には、魔法の素養も、魔力そのものも……一滴も存在しないから」

 少年の言葉に、道場の中から稽古を見ていた他の門下生たちが失笑を漏らした。

「おい、聞いたか? 魔力ゼロだってよ」

「欠陥品が最強の弓術士に弟子入りなんて、笑わせるな」

 だが、リアンだけは笑わなかった。

 彼は、少年の目の前まで歩み寄り、その胸元に手を置いた。

(……驚いたな。本当に、一本のパスも、魔力溜まりもない。こいつの体は、この世界にありながら、世界の理から『無視』されているのか)

「名前は?」

「……アルト、と言います」

「アルト。お前がなぜ、弓を学びたいと思った?」

 アルトは震える声で、しかしはっきりと答えた。

「魔力がないからと、奪われ続けるのはもう嫌なんです。魔法で防げないなら、物理で射抜くしかない。……先生が、かつて最弱から世界を射抜いたように、僕も……!」


 3.

 リアンは、アルトに一张の練習用の弓を渡した。

「あそこの的を射てみろ。魔力は使わなくていい……というか、お前には使えないだろうがな」

 アルトは頷き、震える手で矢を番えた。

 フォームは拙い。引きも弱い。しかし、彼が弦を放した瞬間、道場の空気が一変した。

 シュッ!!

 放たれた矢は、通常なら発生するはずの「魔力の摩擦」による風切り音を一切立てなかった。真空を滑るように直進した矢は、的に吸い込まれるように命中した。

「……!? 当たった……?」

 門下生たちが騒ぎ出す。今の射撃には、魔法的な加速(ブースト)は一切なかった。それなのに、矢の勢いは全く衰えていなかったのだ。

 リアンは、アルトの背後に回り、その肩を掴んだ。

「今の感覚を覚えておけ。お前は今、空気に干渉されなかった。……お前は『最弱』ではない。お前は、この世界のあらゆる魔法的防御(シールド)をすり抜ける、究極の『特異点』だ」

 リアンは周囲を見渡し、宣言した。

「今日から、アルトを俺の直弟子とする。異論がある奴は、今の矢を魔力なしで再現してみせろ」

 道場は静まり返った。魔力に依存しきった彼らに、今の「純粋な物理」を再現することなど不可能だったからだ。


 4. 

「アルト、俺の動きをよく見ておけ。これが、お前が進むべき道の先だ」

 リアンは自ら弓を手に取った。

 彼は、自分自身の魔力を完全に「オフ」にした。全身の筋肉を弛緩させ、重力と風、そして大地の振動だけを感じ取る。

「魔力は便利だ。だが、それに頼る者は、魔力という法則に支配される。……本物の弓術とは、法則そのものを味方につけることだ」

 リアンが弓を引く。弦がギリギリと鳴り、周囲の空気が彼の集中力に引き込まれるように収束していく。

 放たれた矢は、魔力の光を纏っていない。ただの鋼の矢だ。

 しかし。

 ドォォォォォン!!

 命中した巨大な訓練用の岩が、内側から爆発するように粉砕された。

 魔法による爆発ではない。矢が持つ「運動エネルギー」が、リアンの精密な狙撃によって岩の「構造的な急所」へと一点集中し、物理的に崩壊させたのだ。

「……魔法、じゃないのに……こんなことが……」

 アルトは、砕け散った岩の欠片を呆然と見つめていた。

「魔力がないことは、欠陥ではない。余計なノイズがないということだ。お前は、この世界で誰よりも『純粋な真実』を射抜くことができる。……明日から、地獄を見せるぞ」

 リアンは、少年の瞳の中に、かつての自分よりも鋭い「可能性」が芽生えたのを確認した。


 5.

 その夜。

 アルトを寄宿舎へ送り届け、リアンは自邸の庭で一人、月を見上げていた。

(アルトの存在は、世界の均衡を崩すかもしれない。……だが、それよりも……)

 リアンの脳裏には、夕方に見せたマリナの、あの「冷たさ」が離れなかった。

 彼は、隣の部屋で眠るマリナの様子を伺った。

「……マリナさん?」

 静かに扉を開けると、そこには寝台の上で苦しげに息をつくマリナの姿があった。

 彼女の首筋、そして肩にかけて――黄金の蔦のような、複雑な幾何学模様の紋様が浮かび上がっていた。

「聖痕(スティグマ)」。

 それは、世界の聖域を守護する「システム」が、適合者に刻む刻印。

 彼女が放つ魔力は、寝室の空間を微かに歪ませ、物理的な壁に亀裂を入れていた。彼女の存在そのものが、この次元の容量を超え、周囲を「上書き」し始めている。

「……まさか、エグゼスを倒した代償が、これなのか」

 リアンは、マリナの手にそっと触れた。

 以前の温もりは、どこか遠い場所にある。彼女は微笑みながら消えていく幻影のように、リアンの手からすり抜けてしまいそうだった。

 王都の遥か彼方、『忘却の特異点(レテ・コア)』では、新たな敵が演算を開始している。

「計算外の因子、アルト・アークライト。そして、臨界点に達しようとする聖女マリナ。……全ては、予定通り。リアン・アークライト、君の『支配』を、今度こそ終わらせてあげよう」

 闇の中から聞こえる冷笑を、リアンのナノ・サイトはまだ捉えることができない。

 運命の歯車は、リアンの最強の弓術さえも予測の範疇に収めようと、無慈悲に回転を加速させていた。
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