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season2
第8話:名前のない英雄
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1.
極北の死地から帰還した一行を待っていたのは、かつての活気溢れる王都ヴェリタスではなかった。
城壁も、家々も、そして逃げ遅れた人々さえも、全てが半透明の黄金の結晶に覆われ、静止している。それは「修復」という名の、あまりに美しい「凍結」だった。
「……ひどい。みんな、時間が止まったまま……」
マリナが震える手で、近くにいた露店商の石像に触れようとする。だが、その指先が触れる直前、リアンが彼女の手を優しく制した。
「触れてはいけない。今の彼らは、世界のシステムを維持するための『定数』にされている。下手に干渉すれば、存在そのものが崩壊する」
リアンの声は、まるで遠い異空間から響いているかのように希薄だった。
彼の身体は、時折風景が透けて見えるほどに揺らぎ、その輪郭は陽炎のようにあやふやになっている。極北で手に入れた「虚無の心臓」を術式に組み込んだ代償――それは、彼という存在がこの世界の「物質」であることを辞めていく過程でもあった。
「リアンさん……あなたの身体、消えかけてるわ。もう、やめましょう。私、消えたっていいから……あなたが居なくなるのは……!」
「……もし、俺が誰だか分からなくなっても」
リアンはマリナの瞳をじっと見つめ、静かに、しかし力強く告げた。
「俺が君を射抜くことはない。この弦の音(ね)だけは、君を救うために鳴る。……それだけは、魂が覚えているから」
それが、彼が自分の「名前」を失う前の、最後の一言となった。
2.
王宮へと続く大階段。その頂を目前にして、空間が激しく歪んだ。
現れたのは、『忘却の特異点(レテ・コア)』の最高戦力、序列三位から一位までの執行官たちだった。
「これ以上の越権行為は、世界の崩壊を招く。……リアン・アークライト、君の物語はここで『廃棄』だ」
序列一位、裁定者プライム。純白の機械騎士が、神々しいまでの魔力を放ちながら宣告する。
その傍らには、空間そのものを切り裂く大鎌を持つ序列三位ゾア、そして先の戦いからさらに深淵を纏った序列二位、魔女レネが並び立っていた。
「行かせてくれ。……邪魔をするなら、理ごと射抜く」
リアンが弓を構える。背後では、重傷から回復したシグルドと、満身創痍のアルトが武器を構えた。
だが、執行官たちの実力は文字通り桁外れだった。ゾアの一振りが空を割れば、シグルドの剛剣が火花を散らして弾かれ、レネの忘却の眼差しがアルトの動きを封じる。
「ぐっ……速すぎる。……視えない、先生……奴らの動きが……!」
アルトが吐血し、膝をつく。世界のシステムそのものを味方につけた執行官の前では、いかなる修行も、いかなる決意も、無意味なノイズとして処理されてしまう。
3.
「……もはや、個の力で届く領域ではない。諦めるがいい」
プライムの杖が、マリナを「システムの中枢」へと強制転送しようとする。
マリナの悲鳴。リアンは、己の中に残された最後のリソース――自分を自分たらしめている最後の符(タグ)を見つめた。
(記憶、故郷、技術……全てを捨ててきた。……残っているのは、この『名前』だけか)
リアンは、ストーム・ウィスパーを握る手に力を込めた。
もし名前を捨てれば、世界は自分を「認識」できなくなる。それは勝利をもたらすが、同時に、愛する人との「繋がり」を永遠に失うことを意味する。
「――奉納(リリース)」
リアンが、心の中で呟いた。
『リアン・アークライト』という名前を、術式の炉へと投げ込む。
その瞬間、世界から音が消えた。
黄金色に輝いていた弓が、リアンの「存在」を燃料にして、光を全て吸い込むような漆黒の輝きを放つ『虚無のストーム・ウィスパー』へと転身を遂げた。
「……何をした、リアン・アークライト? ……いや、貴様は……誰だ?」
プライムの演算が停止した。
名前を失った瞬間、世界のシステムはリアンを「対象」として認識できなくなった。
彼は今、この世界に存在しながら、この世界のいかなる法則(ルール)にも縛られない、究極の「バグ」となったのだ。
4.
「……消えろ」
名もなき英雄が、弦を弾いた。
放たれた矢は、光も音も伴わない「虚無の塊」。
「笑わせるな! 空間ごと切り裂……っ、がぁぁぁっ!?」
序列三位ゾアが放った空間切断の斬撃は、リアンの矢に触れた瞬間、抵抗もなく霧散した。矢はゾアの胸元を通り抜け、そこに「存在しないという事実」を刻みつけた。ゾアの身体は、まるで最初から存在しなかったかのように、足元からサラサラと砂になって消えていく。
「忘れてあげるよ、名もなき人! 忘却(デリート)……えっ?」
レネが放つ忘却の権能。だが、リアンには効かない。
なぜなら、彼はすでに「全てを忘れた男」であり、世界さえも彼を「忘れている」からだ。忘却すべき対象が存在しない。
リアンは歩みを止めず、無表情のまま二射目を放った。
『魂眼』×『虚無』。
至近距離から放たれた黒い一矢が、魔女レネの魔力核を直接貫通する。
「……そんな、私まで……忘れ……られ……」
魔女の言葉が途切れる前に、彼女の存在理由(ログ)そのものが、虚無の弓によって世界から完全に消去された。
「……ありえない。いかなる演算にも、貴様の存在は算出されない」
序列一位プライムが、自らの命を削り、世界崩壊規模の魔力砲を放とうとする。
だが、リアンは矢を番えなかった。
ただ、弓を構えたまま、プライムの攻撃の中を、散歩でもするように真っ直ぐ歩いていった。
あらゆる理を無効化する「無」の圧力。
プライムが放つ攻撃は、リアンに触れる直前で「意味」を失い、ただのそよ風へと変わる。
リアンがプライムの眉間に弓の端をそっと当てた。
「……お前の神(エグゼス)に伝えろ。……バグは、修正できないと」
黒い衝撃が走り、序列一位の機械騎士は、演算オーバーフローによって内側から爆発し、再起不能となった。
5.
執行官たちを退け、王宮の階段には静寂が戻った。
だが、その勝利はあまりに残酷だった。
「……おい、あんた。……誰だ?」
背後で、シグルドが呆然とリアンを見ていた。
「なんで俺たちの前に立ってるんだ? 俺たちは、ここで何をしてた……?」
アルトさえも、師匠の顔を思い出すことができずにいた。
「……知らない、人だ。でも、なんで……胸がこんなに痛いんだ……」
リアンの存在を定義する「名前」が世界から消えたことで、彼の知人たちの記憶から、リアンという個人の記録が強制的に書き換えられたのだ。彼らはリアンの「行動」は覚えているが、それが「誰」であったかを認識できない。
「……ぁ……あぁ…………」
マリナだけが、聖痕の加護によって、かろうじて彼が「大切な人」であることを感じ取っていた。
だが、彼女もまた、彼を呼ぶための「言葉」を失っていた。
「……お名前、なんていうの? ……あなた、私の、大事な……」
リアンは何も答えなかった。今の彼には、答えるべき名前も、それを伝える声さえも、この世界に届かない「ノイズ」になりつつあった。
彼はただ、震えるマリナを抱きかかえ、彼女の涙を拭うこともせず、最後の敵が待つ玉座の間へと一歩を踏み出した。
階段の頂上、巨大な扉がゆっくりと開く。
そこには、王都ヴェリタスそのものを苗床にして開花した、巨大な瞳――『レテ・コア』の本体が、世界の全てを監視するように鎮座していた。
名もなき英雄。
彼は、自分という存在の全てを薪にして、愛する者のために、最後の「不条理」を射抜く戦いへと挑む。
極北の死地から帰還した一行を待っていたのは、かつての活気溢れる王都ヴェリタスではなかった。
城壁も、家々も、そして逃げ遅れた人々さえも、全てが半透明の黄金の結晶に覆われ、静止している。それは「修復」という名の、あまりに美しい「凍結」だった。
「……ひどい。みんな、時間が止まったまま……」
マリナが震える手で、近くにいた露店商の石像に触れようとする。だが、その指先が触れる直前、リアンが彼女の手を優しく制した。
「触れてはいけない。今の彼らは、世界のシステムを維持するための『定数』にされている。下手に干渉すれば、存在そのものが崩壊する」
リアンの声は、まるで遠い異空間から響いているかのように希薄だった。
彼の身体は、時折風景が透けて見えるほどに揺らぎ、その輪郭は陽炎のようにあやふやになっている。極北で手に入れた「虚無の心臓」を術式に組み込んだ代償――それは、彼という存在がこの世界の「物質」であることを辞めていく過程でもあった。
「リアンさん……あなたの身体、消えかけてるわ。もう、やめましょう。私、消えたっていいから……あなたが居なくなるのは……!」
「……もし、俺が誰だか分からなくなっても」
リアンはマリナの瞳をじっと見つめ、静かに、しかし力強く告げた。
「俺が君を射抜くことはない。この弦の音(ね)だけは、君を救うために鳴る。……それだけは、魂が覚えているから」
それが、彼が自分の「名前」を失う前の、最後の一言となった。
2.
王宮へと続く大階段。その頂を目前にして、空間が激しく歪んだ。
現れたのは、『忘却の特異点(レテ・コア)』の最高戦力、序列三位から一位までの執行官たちだった。
「これ以上の越権行為は、世界の崩壊を招く。……リアン・アークライト、君の物語はここで『廃棄』だ」
序列一位、裁定者プライム。純白の機械騎士が、神々しいまでの魔力を放ちながら宣告する。
その傍らには、空間そのものを切り裂く大鎌を持つ序列三位ゾア、そして先の戦いからさらに深淵を纏った序列二位、魔女レネが並び立っていた。
「行かせてくれ。……邪魔をするなら、理ごと射抜く」
リアンが弓を構える。背後では、重傷から回復したシグルドと、満身創痍のアルトが武器を構えた。
だが、執行官たちの実力は文字通り桁外れだった。ゾアの一振りが空を割れば、シグルドの剛剣が火花を散らして弾かれ、レネの忘却の眼差しがアルトの動きを封じる。
「ぐっ……速すぎる。……視えない、先生……奴らの動きが……!」
アルトが吐血し、膝をつく。世界のシステムそのものを味方につけた執行官の前では、いかなる修行も、いかなる決意も、無意味なノイズとして処理されてしまう。
3.
「……もはや、個の力で届く領域ではない。諦めるがいい」
プライムの杖が、マリナを「システムの中枢」へと強制転送しようとする。
マリナの悲鳴。リアンは、己の中に残された最後のリソース――自分を自分たらしめている最後の符(タグ)を見つめた。
(記憶、故郷、技術……全てを捨ててきた。……残っているのは、この『名前』だけか)
リアンは、ストーム・ウィスパーを握る手に力を込めた。
もし名前を捨てれば、世界は自分を「認識」できなくなる。それは勝利をもたらすが、同時に、愛する人との「繋がり」を永遠に失うことを意味する。
「――奉納(リリース)」
リアンが、心の中で呟いた。
『リアン・アークライト』という名前を、術式の炉へと投げ込む。
その瞬間、世界から音が消えた。
黄金色に輝いていた弓が、リアンの「存在」を燃料にして、光を全て吸い込むような漆黒の輝きを放つ『虚無のストーム・ウィスパー』へと転身を遂げた。
「……何をした、リアン・アークライト? ……いや、貴様は……誰だ?」
プライムの演算が停止した。
名前を失った瞬間、世界のシステムはリアンを「対象」として認識できなくなった。
彼は今、この世界に存在しながら、この世界のいかなる法則(ルール)にも縛られない、究極の「バグ」となったのだ。
4.
「……消えろ」
名もなき英雄が、弦を弾いた。
放たれた矢は、光も音も伴わない「虚無の塊」。
「笑わせるな! 空間ごと切り裂……っ、がぁぁぁっ!?」
序列三位ゾアが放った空間切断の斬撃は、リアンの矢に触れた瞬間、抵抗もなく霧散した。矢はゾアの胸元を通り抜け、そこに「存在しないという事実」を刻みつけた。ゾアの身体は、まるで最初から存在しなかったかのように、足元からサラサラと砂になって消えていく。
「忘れてあげるよ、名もなき人! 忘却(デリート)……えっ?」
レネが放つ忘却の権能。だが、リアンには効かない。
なぜなら、彼はすでに「全てを忘れた男」であり、世界さえも彼を「忘れている」からだ。忘却すべき対象が存在しない。
リアンは歩みを止めず、無表情のまま二射目を放った。
『魂眼』×『虚無』。
至近距離から放たれた黒い一矢が、魔女レネの魔力核を直接貫通する。
「……そんな、私まで……忘れ……られ……」
魔女の言葉が途切れる前に、彼女の存在理由(ログ)そのものが、虚無の弓によって世界から完全に消去された。
「……ありえない。いかなる演算にも、貴様の存在は算出されない」
序列一位プライムが、自らの命を削り、世界崩壊規模の魔力砲を放とうとする。
だが、リアンは矢を番えなかった。
ただ、弓を構えたまま、プライムの攻撃の中を、散歩でもするように真っ直ぐ歩いていった。
あらゆる理を無効化する「無」の圧力。
プライムが放つ攻撃は、リアンに触れる直前で「意味」を失い、ただのそよ風へと変わる。
リアンがプライムの眉間に弓の端をそっと当てた。
「……お前の神(エグゼス)に伝えろ。……バグは、修正できないと」
黒い衝撃が走り、序列一位の機械騎士は、演算オーバーフローによって内側から爆発し、再起不能となった。
5.
執行官たちを退け、王宮の階段には静寂が戻った。
だが、その勝利はあまりに残酷だった。
「……おい、あんた。……誰だ?」
背後で、シグルドが呆然とリアンを見ていた。
「なんで俺たちの前に立ってるんだ? 俺たちは、ここで何をしてた……?」
アルトさえも、師匠の顔を思い出すことができずにいた。
「……知らない、人だ。でも、なんで……胸がこんなに痛いんだ……」
リアンの存在を定義する「名前」が世界から消えたことで、彼の知人たちの記憶から、リアンという個人の記録が強制的に書き換えられたのだ。彼らはリアンの「行動」は覚えているが、それが「誰」であったかを認識できない。
「……ぁ……あぁ…………」
マリナだけが、聖痕の加護によって、かろうじて彼が「大切な人」であることを感じ取っていた。
だが、彼女もまた、彼を呼ぶための「言葉」を失っていた。
「……お名前、なんていうの? ……あなた、私の、大事な……」
リアンは何も答えなかった。今の彼には、答えるべき名前も、それを伝える声さえも、この世界に届かない「ノイズ」になりつつあった。
彼はただ、震えるマリナを抱きかかえ、彼女の涙を拭うこともせず、最後の敵が待つ玉座の間へと一歩を踏み出した。
階段の頂上、巨大な扉がゆっくりと開く。
そこには、王都ヴェリタスそのものを苗床にして開花した、巨大な瞳――『レテ・コア』の本体が、世界の全てを監視するように鎮座していた。
名もなき英雄。
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