最弱弓術士、全距離支配で最強へ

Y.

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season2

第9話:存在の証明

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 1.

 王都ヴェリタスの中枢、玉座の間。かつて王が座していた場所は、いまやこの世界の「脳内」と化していた。

 天井も壁も存在せず、無限に広がる黄金の神経系が血管のように脈動し、空間そのものが数式と魔力の奔流で構成されている。その中心に鎮座するのは、巨大な「瞳」を宿した黄金の球体――世界の修復システム、『レテ・コア』の本体である。

「……ここが、終わりの場所か」

 名もなき英雄――かつてリアンと呼ばれた青年が、その中心へと足を踏み入れた。

 彼の身体は、もはや実体を持たない。半透明の輪郭はノイズのように激しく明滅し、彼が歩くたびに、世界から彼という存在が「削除」されようとする圧力が吹き荒れる。腕に抱いたマリナの温もりさえ、もはや認識の彼方へと消えかけていた。

「リアン、さん……もう、いい。もういいのよ……」

 マリナの声は、黄金の神経系に取り込まれ、機械的な共鳴を帯び始めている。彼女の身体はシステムの「中枢ユニット」として固定され、彼女の意識が消え去ることで、世界は完璧な、しかし死んだように静止した「楽園」へと作り変えられる。それが、エグゼスの遺した「正解」だった。

「……正解なんて、俺が決める」

 リアンは掠れた声で呟いた。名前を失い、記憶を削り、世界からの認識を捧げた。今の彼を動かしているのは、脳の演算でも過去の技術でもない。ただ魂の深淵に残った、「この女性(ひと)を、独りにはさせない」という、剥き出しの意志だけだった。


 2.

 リアンは漆黒の弓『虚無のストーム・ウィスパー』を引き絞った。

 矢は存在しない。ただ「理を拒絶する力」が弦に乗る。

「――零式・即時確定」

 無音の衝撃が放たれた。黒い飛礫はレテ・コアの「瞳」を正確に貫き、黄金の表面に深い亀裂を走らせる。だが、次の瞬間。

「……無意味だ。この世界に『傷』は存在しない」

 レテ・コアが、無機質な声で告げる。

 割れた表面から黄金の魔力が溢れ出し、コンマ数秒の間に「傷つく前の状態」へと空間が書き換えられた。リアンが放つ『虚無』の狙撃がいかに理を無視しようとも、世界そのものという巨大な全体(システム)は、その誤差を「なかったこと」にする圧倒的な自己修復能力を有していた。

 リアンは止まらない。

 二射、三射、そして千の射。

 漆黒の連射が玉座の間を埋め尽くすが、レテ・コアはその全てを瞬時にログから消去し、完璧な静寂を維持し続ける。

「無価値な抵抗だ、名もなき者。君はすでに世界のリストから外れたバグ。君がどれほど叫ぼうとも、この世界に影響を与えることはできない」

 レテ・コアの瞳から放たれた、純白の「消去の光」。
 リアンの足元から存在が虚無へと吸い込まれていく。身体が、思考が、魂が、真っ白な闇に溶けようとしていた。


 3.

 意識が遠のく中、リアンの『魂眼(アニマ・サイト)』が捉えたものがあった。

 それは、レテ・コアが「不要なノイズ」として切り捨て、ゴミ捨て場へと放り出してきた、不確かな感情の残滓たち。

 忘却の魔女に消された人々の、愛しい人を呼ぶ声。

 黄金の騎士にされたシグルドの、戦いの中にしか見いだせない誇り。

 魔力を持たぬがゆえに世界の計算式から除外されてきたアルトの、師を追いかけたいという幼い憧憬。

(……ああ。そうだ。世界が捨てたものは、消えてなくなるわけじゃない)

 リアンは、消えゆく右手を無理やり実体化させ、虚空へと伸ばした。

 彼一人の力では、世界を書き換えることはできない。

 だが、彼自身が「世界に捨てられたバグ」であるならば。

 捨てられた全ての「ノイズ」を、一つの矢として束ねることができるはずだ。

「……集え。……世界が、いらないと言った……全ての意志よ」

 漆黒の弓が、虹色の輝きを放ち始めた。

 それは美しい光ではない。人々の未練、怒り、悲しみ、そして希望が混ざり合った、濁りながらも力強い、生命の輝き。

 リアンは自分自身の消滅をさらに加速させた。

 己を構成する「魂の最後の一欠片」を薪にし、弓へと注ぎ込む。


 4.

「君は……何をしようとしている。……計算不能。予測不能……!」

 初めて、レテ・コアの瞳が激しく明滅した。

 完璧な数式で構築された世界に、計上されるはずのない「無限の変数」が流れ込んでいく。

「お前が『静止』を強要するなら……俺は、そこに『変化』を植え付ける」

 リアンは弓を引いた。いや、彼自身が、一張の弓となって世界へと放たれた。

『零式・全距離支配:世界再定義(ワールド・リライト)』。

 放たれたのは矢ではない。

 世界の法則を記述する「根源の術式」そのものを書き換える、最強のバグ。

「――行けぇぇぇぇぇぇっ!!」

 虹色の閃光が、レテ・コアの瞳の深淵を貫いた。

 それは敵を倒すための攻撃ではなく、世界というキャンバスに「不確定な未来」を強制的に上書きする一撃。

 バキィィィィィィン!!

 黄金の球体が砕け散る。

 張り巡らされた神経系がショートし、玉座の間を埋め尽くしていた無機質な静寂が、人々の「生きた喧騒」の記憶によって塗り替えられていく。

「……あ、あぁ……」

 マリナを縛り付けていた黄金の鎖が砕け、彼女の肉体が実体を取り戻す。

 聖痕は消え、彼女は「人柱」ではなく、ただの「治癒師マリナ」として世界に再定義された。


 5.

 黄金の光が収まり、王都に雨が降り始めた。

 それは失われていた記憶を人々に返す、恵みの雨。

 崩壊する玉座の間で、マリナは膝をつき、今にも消えそうなリアンを抱きしめた。

「リアン……さん……! リアンさん!!」

 世界が正常化するにつれ、システムの「エラー」であったリアンの存在は、自動修復機能によって排除されようとしていた。彼の身体は、マリナの腕をすり抜け、光の粒子となって空へと溶けていく。

「……お名前、思い出したわ。……リアン……リアンさん!」

 マリナの涙が、リアンの半透明の頬に落ちる。

 リアンは、穏やかな微笑みを浮かべた。

 名前を思い出してくれた。それだけで、彼が捧げた代償には意味があった。

「……マリナさん。……君を、救えて……よかった……」

 リアンの身体が、腰のあたりまで光に変わる。

 彼は、背後に立ち尽くしていた一人の少年に目を向けた。

「……アルト。……あとは、任せたぞ。……お前が……最高の弓術士だ」

 アルトは言葉にならず、ただ号泣しながら頷いた。

 師匠が何を成し遂げ、何を失ったのか。それを理解し、その背中を追い続ける覚悟を、彼はその魂に深く刻みつけた。

「……さよならだ。……愛してる、マリナ」

 最後に遺した言葉は、声にはならなかったかもしれない。

 だが、マリナの心の中に、温かな、決して消えない灯火となって永遠に刻まれた。

 リアン・アークライト。

 最弱から始まり、最強を極め、最後には自らの存在さえも捧げて、最愛の人の「明日」を射抜いた弓術士。

 彼の姿が完全に消え去った後、玉座の間には、一張の古い弓だけが残された。

 かつての黄金の輝きも、虚無の黒さもない。ただの、使い古された、しかし慈愛に満ちた一张の弓。

 アルトは震える手でその弓を拾い上げた。

 雨に打たれながら、少年は、かつての師が立っていた場所を見つめ、決意を新たにする。

 世界は救われた。

 英雄の名を覚えている者は、もうほとんどいない。

 だが、その英雄が射抜いた「明日」を、人々は今、歩き始めている。
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