最弱弓術士、全距離支配で最強へ

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欠落の英雄と黄金の残滓 — 剛剣士シグルドの追憶戦記 —

第2話:アストリアの違和感

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 王都の喧騒を離れ、馬を走らせること三日。

 剛剣士シグルドの目の前に、緩やかな丘陵に囲まれた懐かしい街並みが姿を現した。辺境の街、アストリア。

 五年前、世界を揺るがした激動の震源地となったはずのこの街は、驚くほど静かだった。風にたなびく麦穂の波、遠くで聞こえる家畜の鳴き声。王都のような黄金の結晶化による傷跡も少なく、まるで時間が止まっているかのような錯覚さえ覚える。

 だが、街に一歩足を踏み入れた瞬間、シグルドは言いようのない「不自然さ」に襲われた。

(……おかしい。何かが、決定的に足りない)

 視界に入る全ての景色が、シグルドの魂に訴えかけてくる。

 あの広場で、誰かが「最弱」と罵られながらも、泥臭く弓を引いていたはずだ。

 あの酒場で、誰かが安いエールを片手に、世界の理不尽について静かに語っていたはずだ。

 そして自分は、その男の背中を、誰よりも頼もしく見つめていたはずなのだ。

 シグルドは懐に手をやり、王都の廃墟で拾った「折れた矢」に触れた。

 木の感触が、彼の心拍に合わせて微かに脈打っている気がした。その矢に導かれるように、シグルドは街の北れ、かつて「アークライト」という名の弓術士が住んでいたはずの場所へと向かった。

 そこには、新しく、しかしどこか質素な趣の道場が建っていた。

 看板には『アークライト弓術道場』と誇らしげに記されている。だが、その名前を目にしたシグルドの脳裏には、またしても激しいノイズが走った。

「アークライト……。あいつの、苗字か。……だが、下の名前が、どうしても出てこない」

 道場の門を潜ると、空気を切り裂く鋭い音がシグルドの鼓膜を打った。

 ――ビィンッ!!

 それは、並の弓術士が出せる音ではなかった。

 弦が空気を震わせるのではない。空間そのものを弾き、真空を産み出すような、極限まで無駄を削ぎ落とした「無」の弦音。

 シグルドは足を止め、修練場の中央に立つ一人の青年を凝視した。

 二十歳前後だろうか。黒い修練着を纏い、一张の古びた弓を構える青年。その立ち姿、呼吸の間合い、そして的を見据える冷徹なまでの集中力。

(……あいつだ)

 シグルドの心臓が跳ね上がった。

 あの日、王都の玉座の間で、絶望的な神の如き力に立ち向かっていた、あの男の背中。

 だが、次の瞬間、その幻想は崩れ去る。青年の顔は、シグルドの記憶にある「彼」よりもずっと若く、どこか幼さが残っていた。

 青年が弦を放した。

 放たれた矢は、光を纏う魔法の矢ではない。ただの木製の矢だ。

 しかし、その矢は物理法則を嘲笑うかのような直進性で、五十メートルの距離を瞬時に踏破し、的の「一点」――すでに十数本の矢が突き刺さっている、親指ほどの穴の中心を正確に射抜いた。

「……見事だ」

 シグルドの独り言に、青年が反応した。

 青年は矢を番えたまま、流れるような動作でシグルドの方を振り向いた。その瞳には、一瞬の油断も、過剰な警戒もない。ただ、相手の存在を「観測」する、透き通った強者の光。

「王都の騎士……それも、伝説の『剛剣士シグルド』殿とお見受けします」

 青年は弓を下ろし、深く一礼した。

「僕は、この道場の師範代を務めているアルトと申します。……辺境の街に、どのような御用でしょうか」

「……アルト、と言ったか。お前の今の構え、そしてあの矢の軌道。……誰に教わった?」

 シグルドの問いに、アルトの表情が微かに曇った。

 彼は自分の手元にある弓――リアンがかつて使っていた練習用の弓を寂しげに見つめ、静かに答えた。

「それが、僕にも分からないんです。……五年前、僕はこの道場の門を叩き、ある人に師事しました。その人は、魔力を持たない僕に『全距離支配』の基礎を叩き込んでくれた。……でも、その人の名前も、顔も、あの日以来、霧の向こう側に消えてしまったんです」

 二人は道場の縁側に腰を下ろした。

 アストリアの夕焼けが、二人の影を長く伸ばす。

「お前も、そうなのか」

 シグルドが重い口を開いた。

「俺も、あの大戦を共に戦ったはずの親友を思い出せん。王都の連中は、俺が一人で戦ったと言い、教科書にもそう記されている。だが、俺の魂がそれを拒絶しているんだ」

 シグルドは懐から、あの折れた矢を取り出し、アルトの前に差し出した。

 それを見た瞬間、アルトの身体が目に見えて震え始めた。

「……あ……」

 アルトの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。

 彼は震える手でその矢を手に取り、頬に寄せた。

「これ……『先生』の矢です。この削り方、このバランス。間違いない……。ああ、どうして……。どうして、僕はあんなに大切な人を忘れていられるんだ……!」

 アルトの慟哭が、静かなアストリアの空に響く。

 シグルドは、青年の肩を強く抱きしめた。

 それは、世界という巨大なシステムが隠蔽した「一人の男」の存在を、今、この世界で二人だけが共有した瞬間だった。

「アルト、泣くな。俺たちは今、繋がった。……この世界が、あいつを『なかったこと』にしようとしているなら、俺たちがそれを射抜く番だ」

「シグルドさん……。……はい。僕も、ずっと違和感と戦っていました。道場の奥にある『空の祭壇』。誰を祀っているのか分からないのに、毎日祈らずにはいられなかった。……ようやく、確信が持てました」

 アルトが涙を拭い、強い瞳でシグルドを見つめた。

 その時、二人の共鳴に呼応するかのように、不気味な震動が大地を揺らした。

 アストリア近郊の『嘆きの森』。かつてリアンが最初の苦難を乗り越えたその場所から、眩いばかりの黄金の光が溢れ出した。

「この魔力の波長……王都で遭遇した奴と同じだ!」

 シグルドが大剣『グラディウス』を抜き放つ。

 森の奥から現れたのは、かつての大戦で猛威を振るった『黄金の守護騎士』の残骸。だが、それは以前よりも肥大化し、あちこちから不気味な黄金の結晶を突き出している。世界の自己修復機能が暴走し、かつての「防衛システム」を怪物として具現化させたもの――『修復の獣(システム・ビースト)』。

「街の人々に近づけるな! アルト、行けるか!」

「もちろんです! 『先生』の技が、錆びついていないことを証明してみせます!」

 二人は同時に地を蹴った。

 五年の空白、そして初対面。本来なら、連携など望むべくもない。

 しかし。

「――正面は任せた!」

「――了解。……三秒後、右膝を抜きます!」

 シグルドが地を裂くような踏み込みで正面から大剣を叩きつけ、獣の注意を引きつける。

 その一撃で獣が体勢を崩した瞬間、シグルドは一切の躊躇なく、自らの「死角」へと身を投げ出した。普通なら自殺行為だ。しかし、シグルドの魂は知っていた。そこに必ず、自分を救う「矢」が飛んでくることを。

 シュンッ!!

 シグルドの耳元を掠め、一本の矢が黄金の獣の右膝、装甲のわずかな隙間を正確に貫いた。

 獣が姿勢を崩し、咆哮を上げる。

「……ははっ、最高の援護だ、小僧!」

「そっちこそ! あのタイミングで飛び込んでくれるなんて、まるで僕の矢が視えているみたいだ!」

 二人は戦慄した。

 身体が、勝手に「阿吽の呼吸」を刻んでいる。

 シグルドが剣を振れば、アルトがその風圧を利用して矢を加速させる。

 アルトが矢を放てば、シグルドがその軌道に合わせて敵を追い込む。

 それは、かつてリアンを交えて何度も繰り返した、究極の「連携」の残滓。

 記憶は失われても、共に死線を潜り抜けた肉体の記憶は、世界のシステムさえも書き換えられなかったのだ。

 戦いは、一分と持たなかった。

 アルトが放った「虚無の一矢」が獣の核(コア)を露出させ、そこへシグルドの渾身の一撃が叩き込まれた。

 黄金の粒子となって消えていく獣。

 その崩壊した跡に、一つの奇妙な「紙片」が残されていた。

 それは、黄金の結晶に守られ、五年の歳月を経ても劣化していない、精密な設計図。

「……これは、何だ?」

 シグルドがそれを手に取る。

 そこには、リアンの叔父アルスが記した、世界のシステムに干渉するための特殊な魔導具――『概念固定の矢』の構造図が記されていた。

 そして、その端には、誰かの手書きのメモが添えられていた。

『もし、世界が俺を忘れたとしても。この矢だけは、真実を繋ぎ止める楔となるだろう』

「……あいつだ。あいつが、自分の消滅を予感して、これを遺したんだ」

 アルトが震える声で呟く。

 設計図は不完全で、途中で途切れている。だが、そこには明確な「意志」が宿っていた。

「アルト、俺と一緒に来い。王都の記念碑を眺めていても、あいつの名前は戻ってこない」

 シグルドは、設計図を大切に懐に収めた。

「この設計図の続き……そして、あいつの足跡は、世界の記録が眠る『最果ての図書館』、あるいは王宮の深淵にあるはずだ」

 アルトは、背中の弓を強く握り直した。

「……はい。僕も行きます。僕が、師匠を忘れたままでいるなんて……そんなの、僕の弓が許さない」

 アストリアの空に、一番星が輝き始める。

 英雄シグルドと、無魔の少年アルト。

 世界が隠蔽した「正解」を取り戻すための、追憶の旅。

 二人の背中は、かつてこの丘で弓を引いていた「名もなき英雄」の面影を、確かに継承していた。
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