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欠落の英雄と黄金の残滓 — 剛剣士シグルドの追憶戦記 —
第3話:隠蔽された記録
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1.
王都ヴェリタスは、祝祭の余韻に溺れていた。
復興記念祭の喧騒は夜になっても止まず、大通りでは魔法の灯火が舞い、人々は平和を謳歌する酒を酌み交わしている。だが、その華やかな光が届かない王宮の外郭、湿り気を帯びた石造りの回廊に、二人の影があった。
「……正気か、シグルド。アストリアから戻ったと思えば、いきなり禁書庫へ入れろだと?」
低い声で毒突いたのは、王都騎士団の現幹部であり、シグルドの旧友であるカイルだった。彼は周囲を警戒しながら、シグルドと、その背後に控える見慣れぬ少年――アルトを交互に見つめた。
「ああ。狂っているのは承知の上だ。だがカイル、これを見てくれ」
シグルドが懐から取り出したのは、黄金の結晶に守られた「折れた矢」と、アストリアで見つけた不完全な「設計図」の断片だった。
それらがカイルの瞳に映った瞬間、彼の表情に劇的な変化が訪れた。瞳孔が激しく散開し、こめかみに青筋が浮かぶ。世界というシステムが強制する「忘却」のプログラムが、彼の脳内で激しい拒絶反応を起こしていた。
「……がっ、く……なんだ、これは。……視たことがある。いや、知っているはずがない。弓? 木製の矢? そんな旧時代の遺物が、なぜ……」
カイルは頭を押さえ、苦悶に顔を歪めた。彼の理性は「そんなものは存在しない」と叫んでいるが、武人としての魂が、その矢に宿る凄まじい意志を感じ取っていた。
「カイル、思い出せ。お前の隣で、風を操り、俺たちの道を切り拓いた男がいたはずだ。そいつが遺したものが、俺の手の中で脈打っているんだ!」
シグルドの叫びに、カイルは荒い息をつきながら、震える手でシグルドの肩を掴んだ。
「……クソっ。……お前のその、必死すぎるツラを見てると、自分が大馬鹿な気がしてくるぜ。……いいだろう。公式記録には『定期巡回』と記載しておく。だが、俺が同行できるのは入り口までだ。それより奥、禁書区は……世界そのものの検閲が入る」
カイルは偽造された通行証をシグルドに押し付け、背を向けた。
「十五分だ。それ以上は、俺の権限でも誤魔化しきれん。……生きて戻れよ、シグルド」
2.
王宮の地下深く。物理的な階層を超え、魔導空間へと拡張された「王立禁書区」は、文字通り記録の墓場だった。
入り口を抜けた瞬間、アルトは鼻をつく奇妙な臭いに顔をしかめた。古い紙の匂いと、焦げたオゾンのような香り。そして、視界を遮るように立ち込める薄紫色の煙。
「……シグルドさん、気をつけて。この煙、魔力に干渉してきます。意識を『平坦』にしようとしてる」
アルトの指摘は正しかった。この煙こそが、禁書区の第一防衛線――侵入者の目的意識を希薄化させ、自分が何を探しに来たのかさえ忘れさせる「忘却の霧」だった。
シグルドは大剣の柄を握りしめ、襲いかかる強烈な眠気と戦う。英雄としての強固な意志さえも、世界の防衛本能の前には脆く崩れそうになる。
だが、ここでアルトの特異性が光った。
「僕には、あまり効かないみたいです」
魔力を持たない「無魔」の身体。世界の魔法的干渉を素通りさせるその特質が、アルトをこの迷宮における唯一の「正気な案内人」へと変えていた。
「こっちです、シグルドさん。……あそこだけ、記録が『歪んで』いる」
アルトが指差した先、大戦の公式記録が収められた巨大な書架があった。
シグルドはふらつく足取りで一冊の重厚な書物を手に取る。表紙には『レテ・コア大戦・完結記』とある。しかし、中を開いたシグルドは息を呑んだ。
ページは白紙ではなかった。
文字は確かに存在していた。しかし、その文字たちが「ページから逃げ出そうとしている」のだ。
インクのシミのような文字が、紙の上を不規則に動き回り、読む者の視線を拒絶する。特定の単語――おそらくは「彼」の名前や弓術に関する記述だけが、激しく明滅し、最後には黒い塵となって消え去っていく。
「……徹底しているな。文字そのものに、存在を禁じているというのか」
3.
「――未登録の概念を検知。記録の整合性を維持するため、対象を『抹消』します」
冷徹な、しかし幾千もの声を重ね合わせたような合成音声が、迷宮に響き渡った。
書架の陰から現れたのは、禁書区の守護者『記録の検閲官(ログ・チェッカー)』。
それは人の形をしていない。浮遊する巨大な「瞳」を中心に、無数の羊皮紙が羽のように展開され、その頁には王都がこれまでに蓄積してきたあらゆる武技、あらゆる魔法の「記録」がびっしりと書き込まれていた。
「……シグルドさん、来ます!」
検閲官の瞳が赤く発光した瞬間、シグルドは『グラディウス』を上段に構え、渾身の一撃を繰り出した。
「――剛剣・地裂斬!」
だが、異変は一瞬で起きた。
シグルドの剣が検閲官に触れる直前、検閲官の周囲に展開された頁が一斉にめくれ、シグルドの技を「特定」した。
『記録照合……剛剣・地裂斬。威力、軌道、使用者の筋力データ、すべて既知。――当該事象を『無効化(キャンセル)』します』
シグルドの剣から、衝撃が完全に消失した。
鋼の刃は検閲官の身体を通り抜けたが、そこには風圧さえ発生しない。まるで、最初から剣を振っていなかったかのように、因果が上書きされたのだ。
「……なっ、俺の技が……消された!?」
「無駄です。この空間において、『知られている技』は存在を許されません。貴方の剣は、あまりに有名すぎます、シグルド・バルムンク」
検閲官が放つ、文字の羅列で構成された不可視の圧力。シグルドは防戦一方となり、膝をつく。彼の最強の武器である「記録に残る功績」が、ここでは最大の弱点へと変わっていた。
「……だったら、記録にない技ならどうだ!」
アルトが前に出た。彼は背中のストーム・ウィスパーを引き絞る。
だが、彼が放とうとしているのは、リアンから教わった「精密な全距離支配」ではなかった。
「先生の技を、僕なりに『デタラメ』にアレンジした……名もない一射だ!」
アルトは目を閉じ、身体を不自然に捻りながら、足の指で弦を弾くような、弓術の常識から完全に逸脱した体勢で矢を放った。
その矢は、風を読み、計算された軌道を通るのではない。アルトの「無魔」の肉体が、その瞬間に感じた違和感だけを頼りに放たれた、混沌の一撃。
『記録照合……不一致。解析不能。……当該事象の定義が……っ、ぐあぁぁぁ!?』
予測不能、再現不能。
公式記録のどこにも存在しない「名前のない技」が、検閲官の視神経を真っ向から貫いた。
情報処理能力をオーバーフローさせた検閲官が激しく火花を散らす。
「今だ、シグルドさん! 理屈を捨てて、ただ『叩きつけて』ください!!」
アルトの叫びに、シグルドは咆哮した。
彼は剣技の名前を捨てた。騎士としての型を捨てた。
ただの重い鉄の塊を、ただの男が、ただ「壊す」ためだけに振り下ろす。
「――おおぉぉぉぉぉぉっ!!」
因果の相殺が追いつかない。
物理的な質量と、名前のない闘気が、検閲官を構成する魔導回路を文字通り粉砕した。
4.
検閲官が崩壊した跡に、一つの小さな、黒い魔導書が落ちていた。
それは、リアンの叔父アルスが、禁書区のシステムをハッキングして密かに遺した、唯一の「修正日誌」だった。
シグルドとアルトは、震える指でその頁を捲った。
そこには、大戦の結末に関する、あまりに残酷な真理が記されていた。
『……リアンは、世界を救うための「楔(くさび)」となった。
世界のシステム(レテ・コア)は、崩壊を食い止めるため、一つの膨大なエネルギー源を必要とした。
それは、リアン・アークライトという個人の、過去、現在、そして未来。
彼を世界が「忘れた」のではない。
世界を維持するための燃料として、彼の「存在」が今この瞬間も消費され続けているのだ』
「……消費……され続けている?」
シグルドの指が、ページを破りそうなほどに震える。
リアンは消えたのではない。
今もなお、誰にも思い出されることのない闇の底で、世界という巨大な怪物を支えるために、その魂を削り取られ、燃やされ続けている。
人々が平和を享受し、シグルドが英雄として称えられるその裏で、彼は永遠の孤独と痛みのなかに閉じ込められているのだ。
「世界を救った報酬が、世界に食われ続けることだと……? そんな正解を、誰が認めるかぁぁぁ!!」
シグルドの叫びが、崩壊を始めた禁書区に響き渡る。
日誌の最後には、こう付け加えられていた。
『彼を救う唯一の方法は、世界を再定義する術式を完成させること。
その設計図の鍵は、聖女マリナの肉体に刻まれた「聖痕」の深淵に隠した』
5.
禁書区が警報と共に崩れ落ちる中、シグルドとアルトは間一髪で地上へと脱出した。
夜風に当たり、荒い息を吐く二人の前に、一人の女性が立っていた。
純白のドレスを纏い、月光を背に受けるその姿は、かつての聖女そのもの。
だが、その瞳に宿るのは慈愛だけではなかった。
「……シグルドさん、アルト君。……やはり、あなたたちだったのですね」
マリナが、悲しげに、しかし決然とした足取りで歩み寄る。
彼女の首元、かつて消えたはずの聖痕が、不気味な黒い熱を帯びて明滅していた。
「マリナ……お前、知っていたのか? あの男が、今もどこかで……」
「……はい。この聖痕が疼くたびに、私の心に、誰かの『叫び』が届くのです。……それが、あの方だとは、今の今まで思い出せませんでした」
マリナは二人が持つ設計図の断片に触れた。
彼女の聖痕が激しく反応し、黄金の光ではなく、リアンの弓と同じ「漆黒の波動」を放つ。
「この設計図は、私の苦しみと繋がっています。……私を、連れて行ってください。聖女としてではなく、あの方の隣に立つ、一人の女として」
三人の意志が、冷たい夜の闇のなかで一つに重なった。
彼らの行く先は、かつて聖女たちが隠棲したとされる「聖女の隠れ里」。そこに、設計図を完成させるための最後の祭壇があるという。
だが、彼らが歩き出したその時。
王宮の時計塔の頂上、月を背負う位置に、一人の影が立っていた。
純白の機械の翼、そして無機質な瞳。
死んだはずの執行官に似た、しかし意思を持たない世界の防衛プログラム。
「……バグの拡大を検知。……修正フェーズ、最終段階へ移行します」
それは、世界そのものが放つ、名もなき英雄への最後の「拒絶」の宣告だった。
王都ヴェリタスは、祝祭の余韻に溺れていた。
復興記念祭の喧騒は夜になっても止まず、大通りでは魔法の灯火が舞い、人々は平和を謳歌する酒を酌み交わしている。だが、その華やかな光が届かない王宮の外郭、湿り気を帯びた石造りの回廊に、二人の影があった。
「……正気か、シグルド。アストリアから戻ったと思えば、いきなり禁書庫へ入れろだと?」
低い声で毒突いたのは、王都騎士団の現幹部であり、シグルドの旧友であるカイルだった。彼は周囲を警戒しながら、シグルドと、その背後に控える見慣れぬ少年――アルトを交互に見つめた。
「ああ。狂っているのは承知の上だ。だがカイル、これを見てくれ」
シグルドが懐から取り出したのは、黄金の結晶に守られた「折れた矢」と、アストリアで見つけた不完全な「設計図」の断片だった。
それらがカイルの瞳に映った瞬間、彼の表情に劇的な変化が訪れた。瞳孔が激しく散開し、こめかみに青筋が浮かぶ。世界というシステムが強制する「忘却」のプログラムが、彼の脳内で激しい拒絶反応を起こしていた。
「……がっ、く……なんだ、これは。……視たことがある。いや、知っているはずがない。弓? 木製の矢? そんな旧時代の遺物が、なぜ……」
カイルは頭を押さえ、苦悶に顔を歪めた。彼の理性は「そんなものは存在しない」と叫んでいるが、武人としての魂が、その矢に宿る凄まじい意志を感じ取っていた。
「カイル、思い出せ。お前の隣で、風を操り、俺たちの道を切り拓いた男がいたはずだ。そいつが遺したものが、俺の手の中で脈打っているんだ!」
シグルドの叫びに、カイルは荒い息をつきながら、震える手でシグルドの肩を掴んだ。
「……クソっ。……お前のその、必死すぎるツラを見てると、自分が大馬鹿な気がしてくるぜ。……いいだろう。公式記録には『定期巡回』と記載しておく。だが、俺が同行できるのは入り口までだ。それより奥、禁書区は……世界そのものの検閲が入る」
カイルは偽造された通行証をシグルドに押し付け、背を向けた。
「十五分だ。それ以上は、俺の権限でも誤魔化しきれん。……生きて戻れよ、シグルド」
2.
王宮の地下深く。物理的な階層を超え、魔導空間へと拡張された「王立禁書区」は、文字通り記録の墓場だった。
入り口を抜けた瞬間、アルトは鼻をつく奇妙な臭いに顔をしかめた。古い紙の匂いと、焦げたオゾンのような香り。そして、視界を遮るように立ち込める薄紫色の煙。
「……シグルドさん、気をつけて。この煙、魔力に干渉してきます。意識を『平坦』にしようとしてる」
アルトの指摘は正しかった。この煙こそが、禁書区の第一防衛線――侵入者の目的意識を希薄化させ、自分が何を探しに来たのかさえ忘れさせる「忘却の霧」だった。
シグルドは大剣の柄を握りしめ、襲いかかる強烈な眠気と戦う。英雄としての強固な意志さえも、世界の防衛本能の前には脆く崩れそうになる。
だが、ここでアルトの特異性が光った。
「僕には、あまり効かないみたいです」
魔力を持たない「無魔」の身体。世界の魔法的干渉を素通りさせるその特質が、アルトをこの迷宮における唯一の「正気な案内人」へと変えていた。
「こっちです、シグルドさん。……あそこだけ、記録が『歪んで』いる」
アルトが指差した先、大戦の公式記録が収められた巨大な書架があった。
シグルドはふらつく足取りで一冊の重厚な書物を手に取る。表紙には『レテ・コア大戦・完結記』とある。しかし、中を開いたシグルドは息を呑んだ。
ページは白紙ではなかった。
文字は確かに存在していた。しかし、その文字たちが「ページから逃げ出そうとしている」のだ。
インクのシミのような文字が、紙の上を不規則に動き回り、読む者の視線を拒絶する。特定の単語――おそらくは「彼」の名前や弓術に関する記述だけが、激しく明滅し、最後には黒い塵となって消え去っていく。
「……徹底しているな。文字そのものに、存在を禁じているというのか」
3.
「――未登録の概念を検知。記録の整合性を維持するため、対象を『抹消』します」
冷徹な、しかし幾千もの声を重ね合わせたような合成音声が、迷宮に響き渡った。
書架の陰から現れたのは、禁書区の守護者『記録の検閲官(ログ・チェッカー)』。
それは人の形をしていない。浮遊する巨大な「瞳」を中心に、無数の羊皮紙が羽のように展開され、その頁には王都がこれまでに蓄積してきたあらゆる武技、あらゆる魔法の「記録」がびっしりと書き込まれていた。
「……シグルドさん、来ます!」
検閲官の瞳が赤く発光した瞬間、シグルドは『グラディウス』を上段に構え、渾身の一撃を繰り出した。
「――剛剣・地裂斬!」
だが、異変は一瞬で起きた。
シグルドの剣が検閲官に触れる直前、検閲官の周囲に展開された頁が一斉にめくれ、シグルドの技を「特定」した。
『記録照合……剛剣・地裂斬。威力、軌道、使用者の筋力データ、すべて既知。――当該事象を『無効化(キャンセル)』します』
シグルドの剣から、衝撃が完全に消失した。
鋼の刃は検閲官の身体を通り抜けたが、そこには風圧さえ発生しない。まるで、最初から剣を振っていなかったかのように、因果が上書きされたのだ。
「……なっ、俺の技が……消された!?」
「無駄です。この空間において、『知られている技』は存在を許されません。貴方の剣は、あまりに有名すぎます、シグルド・バルムンク」
検閲官が放つ、文字の羅列で構成された不可視の圧力。シグルドは防戦一方となり、膝をつく。彼の最強の武器である「記録に残る功績」が、ここでは最大の弱点へと変わっていた。
「……だったら、記録にない技ならどうだ!」
アルトが前に出た。彼は背中のストーム・ウィスパーを引き絞る。
だが、彼が放とうとしているのは、リアンから教わった「精密な全距離支配」ではなかった。
「先生の技を、僕なりに『デタラメ』にアレンジした……名もない一射だ!」
アルトは目を閉じ、身体を不自然に捻りながら、足の指で弦を弾くような、弓術の常識から完全に逸脱した体勢で矢を放った。
その矢は、風を読み、計算された軌道を通るのではない。アルトの「無魔」の肉体が、その瞬間に感じた違和感だけを頼りに放たれた、混沌の一撃。
『記録照合……不一致。解析不能。……当該事象の定義が……っ、ぐあぁぁぁ!?』
予測不能、再現不能。
公式記録のどこにも存在しない「名前のない技」が、検閲官の視神経を真っ向から貫いた。
情報処理能力をオーバーフローさせた検閲官が激しく火花を散らす。
「今だ、シグルドさん! 理屈を捨てて、ただ『叩きつけて』ください!!」
アルトの叫びに、シグルドは咆哮した。
彼は剣技の名前を捨てた。騎士としての型を捨てた。
ただの重い鉄の塊を、ただの男が、ただ「壊す」ためだけに振り下ろす。
「――おおぉぉぉぉぉぉっ!!」
因果の相殺が追いつかない。
物理的な質量と、名前のない闘気が、検閲官を構成する魔導回路を文字通り粉砕した。
4.
検閲官が崩壊した跡に、一つの小さな、黒い魔導書が落ちていた。
それは、リアンの叔父アルスが、禁書区のシステムをハッキングして密かに遺した、唯一の「修正日誌」だった。
シグルドとアルトは、震える指でその頁を捲った。
そこには、大戦の結末に関する、あまりに残酷な真理が記されていた。
『……リアンは、世界を救うための「楔(くさび)」となった。
世界のシステム(レテ・コア)は、崩壊を食い止めるため、一つの膨大なエネルギー源を必要とした。
それは、リアン・アークライトという個人の、過去、現在、そして未来。
彼を世界が「忘れた」のではない。
世界を維持するための燃料として、彼の「存在」が今この瞬間も消費され続けているのだ』
「……消費……され続けている?」
シグルドの指が、ページを破りそうなほどに震える。
リアンは消えたのではない。
今もなお、誰にも思い出されることのない闇の底で、世界という巨大な怪物を支えるために、その魂を削り取られ、燃やされ続けている。
人々が平和を享受し、シグルドが英雄として称えられるその裏で、彼は永遠の孤独と痛みのなかに閉じ込められているのだ。
「世界を救った報酬が、世界に食われ続けることだと……? そんな正解を、誰が認めるかぁぁぁ!!」
シグルドの叫びが、崩壊を始めた禁書区に響き渡る。
日誌の最後には、こう付け加えられていた。
『彼を救う唯一の方法は、世界を再定義する術式を完成させること。
その設計図の鍵は、聖女マリナの肉体に刻まれた「聖痕」の深淵に隠した』
5.
禁書区が警報と共に崩れ落ちる中、シグルドとアルトは間一髪で地上へと脱出した。
夜風に当たり、荒い息を吐く二人の前に、一人の女性が立っていた。
純白のドレスを纏い、月光を背に受けるその姿は、かつての聖女そのもの。
だが、その瞳に宿るのは慈愛だけではなかった。
「……シグルドさん、アルト君。……やはり、あなたたちだったのですね」
マリナが、悲しげに、しかし決然とした足取りで歩み寄る。
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「マリナ……お前、知っていたのか? あの男が、今もどこかで……」
「……はい。この聖痕が疼くたびに、私の心に、誰かの『叫び』が届くのです。……それが、あの方だとは、今の今まで思い出せませんでした」
マリナは二人が持つ設計図の断片に触れた。
彼女の聖痕が激しく反応し、黄金の光ではなく、リアンの弓と同じ「漆黒の波動」を放つ。
「この設計図は、私の苦しみと繋がっています。……私を、連れて行ってください。聖女としてではなく、あの方の隣に立つ、一人の女として」
三人の意志が、冷たい夜の闇のなかで一つに重なった。
彼らの行く先は、かつて聖女たちが隠棲したとされる「聖女の隠れ里」。そこに、設計図を完成させるための最後の祭壇があるという。
だが、彼らが歩き出したその時。
王宮の時計塔の頂上、月を背負う位置に、一人の影が立っていた。
純白の機械の翼、そして無機質な瞳。
死んだはずの執行官に似た、しかし意思を持たない世界の防衛プログラム。
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