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(20)強行
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老婆はそこに居た。
薄ら汚れて異臭を放つボロ切れを頭まで被り、不揃いの歯が口元から覗いている。
イミザの街は旧王都だけあって、広大で貧富の差が色濃く残る。広く大きな街の片隅には貧困街は存在するし、その区画から出て物乞いをする浮浪者も後を立たない。
騎士団に警護された荷馬車を降りて、ヘンゼルがその老婆に話しかけた時にそれは起こった。
「道を急いでいるのです。悪いがこれだけで許してください」
水路に架かる橋の上で、その日の糧を乞う老婆のもとに銅貨を持ったヘンゼルが近付くと、彼女は不揃いに欠けた歯を合わせてニヤリと口元を歪ませた。
それを合図にしたように、顔すらも覆った黒装束に身を包んだ連中がどこからともなく現れ、警護についていた騎士団員がその場で次々と倒されていく。
その異様な事態に、荷馬車に乗っていたアイルーンとパメラは必死の抵抗をしたが、激しく殴打されて意識を奪われて、そのまま橋の下に控えた船に突き落とされた。
パメラが胸元に忍ばせていた抑制剤は、落下と共に溢れて水路に落ちていく。
「パメラッ、アイルーン!……うっ、ぐぁああっ」
騎士団の中に手引きした裏切り者が居たのだろう。あまりに手際の良いあっという間の出来事に、それでも食らい付くように咄嗟に叫んだヘンゼルの声は、次の瞬間苦悶の絶叫に変わった。
義足の脚を攻撃され、その場でうずくまり身動き取れない状態にされると、黒装束に身を包んだうちの一人がヘンゼルの首に刃を突き立て、完全に自由を奪い拘束する。
水路をゆっくりと進む小舟が、落下したパメラとアイルーンを受け留めて大きく揺れると、あらかじめ乗り込んでいた船頭を装った男が二人に布を被せて、外から完全に遮蔽してしまう。
焼けるように痛む首筋から鉄の匂いを感じながら、ヘンゼルはそれでも、信頼する人物が助けに来るのを信じて、その場で殺される訳にはいかないと、パメラとアイルーンを追うのを断念した。
諦め、脱力して項垂れるヘンゼルに対してすら、容赦なく金属製の模倣刀でいたぶるように義足を叩き折ると、騒ぎが大きくなる前に、黒装束に身を包んだ集団は散り散りになってその場から居なくなった。
「……クソっ、クソぉおお」
義足は潰され動く脚も痛め付けられ行動を封じられた。欄干を掴んでなんとか立ち上がると、ヘンゼルは血の滲む拳を何度もそこに叩きつける。
騒ぎに気が付いたイミザの住人たちが、なにごとかと周りに集まってくる中、倒れていた騎士団の面々もなんとか体を起こして立ち上がり始めた。
「ヘンゼル先生!」
「私は大丈夫です。それよりも騎士団の中にイルギルに買収されているやつが居る。誰でもいいから早くライリーに報告してください」
ヘンゼルが水路に厳しい視線を向けたまま悲痛に叫ぶと、警護についていた団員たちが悔しそうに顔を歪める。
馬車はすぐに動かせないよう細工されていたが、幸いすぐに修復が出来そうだ。
起き上がった団員たちが作業にあたり、ヘンゼルも傷の応急処置を済ませると、小舟が向かった先を確認して、騎馬に長けた団員がライリーのもとに急いで向かった。
「……頼む、無事であってくれ」
修復した馬車に揺られ、騎士団の詰め所に向かいながら、ヘンゼルはアイルーンとパメラの安否を気遣う。
もしも騎士団に身を寄せろと言わなければ、あるいはこんな目に遭わせることはなかったかも知れないと、己を責める後悔が募る。
詰め所に辿り着くと、ライリーの指示のもと第四騎士団の面々は慌ただしく動き回っていた。
「ライリー!」
「ヘンゼル先生。此度の失態、なんとお詫びをしたらいいのか……」
「裏切り者の目星は」
「それも含めて捜索中です」
街中に馬を走らせ、水路を中心に不審人物や荷物の捜索に当たっているようだが、騎士団員の中にすら買収されてイルギルに取り入ってる者が居る。
住人の中にも、金に目が眩んで捜査を妨害する者がいないとも限らない。
イミザのような自由で発展した大きな街であっても、オメガに対する偏見は根深い問題だ。
その上こんな白昼堂々の犯行ならば、イルギルの背景に貴族の後ろ盾があるのは明らかだ。
陽が落ちても捜索は続いたが、ヘンゼルの顔を笑みが浮かぶ結果は聞こえてこない。
詰め所に居てはまともな治療も出来ないと、ライリーに促されて王立病院に移動したヘンゼルは、このことを予測して憂慮していたハリマンからの厳しい言葉を甘んじて受け入れた。
「イルギル相手に常識が通用すると思ったのか。お前は最初から認識が甘すぎたんだ」
ハリマンはヘンゼルの治療を終えると、新しい義足を調整しながら語気を強める。
「人を助ける気持ちが間違いだとは言わん。だかなヘンゼル、オメガに関してはお前が手に負えるものじゃないんだ」
「言われなくても分かってるさ」
「いや、本質の惨さを分かってないんだお前は。今更言っても遅いが、お前の認識が甘いからこうなった自覚を持て」
「手厳しいな」
「俺も同じ失敗をしたから言ってるまでだ」
ヘンゼルが驚いて目を見開くと、しかしハリマンは話は終わりと言わんばかりに義足の確認をして、処置の道具を片付け始める。
「まさか」
「今はまだ語れるほど気持ちの整理がついてない。だから話の続きを知りたいだけなら勘弁してくれ」
ハリマンはベータだが、彼には美しい妻がいた。だが彼の妻は数年前に事件に巻き込まれ、酷い亡くなり方をしているはずだ。
ヘンゼルはそこから何かを悟り、それ以上言及するのをやめた。
「詰め所に戻る手筈は整ってる。彼女たちのことは心配だろ。ああは言ったが、ここまで関わったのなら最後まできちんと責任は持て」
ハリマンの言葉に無言で頷くと、ヘンゼルは肩を借りてベッドから立ち上がり、王立病院に併設された詰め所から馬車に乗り込んで、ライリーが待つイミザの第四騎士団本部の詰め所に向かった。
薄ら汚れて異臭を放つボロ切れを頭まで被り、不揃いの歯が口元から覗いている。
イミザの街は旧王都だけあって、広大で貧富の差が色濃く残る。広く大きな街の片隅には貧困街は存在するし、その区画から出て物乞いをする浮浪者も後を立たない。
騎士団に警護された荷馬車を降りて、ヘンゼルがその老婆に話しかけた時にそれは起こった。
「道を急いでいるのです。悪いがこれだけで許してください」
水路に架かる橋の上で、その日の糧を乞う老婆のもとに銅貨を持ったヘンゼルが近付くと、彼女は不揃いに欠けた歯を合わせてニヤリと口元を歪ませた。
それを合図にしたように、顔すらも覆った黒装束に身を包んだ連中がどこからともなく現れ、警護についていた騎士団員がその場で次々と倒されていく。
その異様な事態に、荷馬車に乗っていたアイルーンとパメラは必死の抵抗をしたが、激しく殴打されて意識を奪われて、そのまま橋の下に控えた船に突き落とされた。
パメラが胸元に忍ばせていた抑制剤は、落下と共に溢れて水路に落ちていく。
「パメラッ、アイルーン!……うっ、ぐぁああっ」
騎士団の中に手引きした裏切り者が居たのだろう。あまりに手際の良いあっという間の出来事に、それでも食らい付くように咄嗟に叫んだヘンゼルの声は、次の瞬間苦悶の絶叫に変わった。
義足の脚を攻撃され、その場でうずくまり身動き取れない状態にされると、黒装束に身を包んだうちの一人がヘンゼルの首に刃を突き立て、完全に自由を奪い拘束する。
水路をゆっくりと進む小舟が、落下したパメラとアイルーンを受け留めて大きく揺れると、あらかじめ乗り込んでいた船頭を装った男が二人に布を被せて、外から完全に遮蔽してしまう。
焼けるように痛む首筋から鉄の匂いを感じながら、ヘンゼルはそれでも、信頼する人物が助けに来るのを信じて、その場で殺される訳にはいかないと、パメラとアイルーンを追うのを断念した。
諦め、脱力して項垂れるヘンゼルに対してすら、容赦なく金属製の模倣刀でいたぶるように義足を叩き折ると、騒ぎが大きくなる前に、黒装束に身を包んだ集団は散り散りになってその場から居なくなった。
「……クソっ、クソぉおお」
義足は潰され動く脚も痛め付けられ行動を封じられた。欄干を掴んでなんとか立ち上がると、ヘンゼルは血の滲む拳を何度もそこに叩きつける。
騒ぎに気が付いたイミザの住人たちが、なにごとかと周りに集まってくる中、倒れていた騎士団の面々もなんとか体を起こして立ち上がり始めた。
「ヘンゼル先生!」
「私は大丈夫です。それよりも騎士団の中にイルギルに買収されているやつが居る。誰でもいいから早くライリーに報告してください」
ヘンゼルが水路に厳しい視線を向けたまま悲痛に叫ぶと、警護についていた団員たちが悔しそうに顔を歪める。
馬車はすぐに動かせないよう細工されていたが、幸いすぐに修復が出来そうだ。
起き上がった団員たちが作業にあたり、ヘンゼルも傷の応急処置を済ませると、小舟が向かった先を確認して、騎馬に長けた団員がライリーのもとに急いで向かった。
「……頼む、無事であってくれ」
修復した馬車に揺られ、騎士団の詰め所に向かいながら、ヘンゼルはアイルーンとパメラの安否を気遣う。
もしも騎士団に身を寄せろと言わなければ、あるいはこんな目に遭わせることはなかったかも知れないと、己を責める後悔が募る。
詰め所に辿り着くと、ライリーの指示のもと第四騎士団の面々は慌ただしく動き回っていた。
「ライリー!」
「ヘンゼル先生。此度の失態、なんとお詫びをしたらいいのか……」
「裏切り者の目星は」
「それも含めて捜索中です」
街中に馬を走らせ、水路を中心に不審人物や荷物の捜索に当たっているようだが、騎士団員の中にすら買収されてイルギルに取り入ってる者が居る。
住人の中にも、金に目が眩んで捜査を妨害する者がいないとも限らない。
イミザのような自由で発展した大きな街であっても、オメガに対する偏見は根深い問題だ。
その上こんな白昼堂々の犯行ならば、イルギルの背景に貴族の後ろ盾があるのは明らかだ。
陽が落ちても捜索は続いたが、ヘンゼルの顔を笑みが浮かぶ結果は聞こえてこない。
詰め所に居てはまともな治療も出来ないと、ライリーに促されて王立病院に移動したヘンゼルは、このことを予測して憂慮していたハリマンからの厳しい言葉を甘んじて受け入れた。
「イルギル相手に常識が通用すると思ったのか。お前は最初から認識が甘すぎたんだ」
ハリマンはヘンゼルの治療を終えると、新しい義足を調整しながら語気を強める。
「人を助ける気持ちが間違いだとは言わん。だかなヘンゼル、オメガに関してはお前が手に負えるものじゃないんだ」
「言われなくても分かってるさ」
「いや、本質の惨さを分かってないんだお前は。今更言っても遅いが、お前の認識が甘いからこうなった自覚を持て」
「手厳しいな」
「俺も同じ失敗をしたから言ってるまでだ」
ヘンゼルが驚いて目を見開くと、しかしハリマンは話は終わりと言わんばかりに義足の確認をして、処置の道具を片付け始める。
「まさか」
「今はまだ語れるほど気持ちの整理がついてない。だから話の続きを知りたいだけなら勘弁してくれ」
ハリマンはベータだが、彼には美しい妻がいた。だが彼の妻は数年前に事件に巻き込まれ、酷い亡くなり方をしているはずだ。
ヘンゼルはそこから何かを悟り、それ以上言及するのをやめた。
「詰め所に戻る手筈は整ってる。彼女たちのことは心配だろ。ああは言ったが、ここまで関わったのなら最後まできちんと責任は持て」
ハリマンの言葉に無言で頷くと、ヘンゼルは肩を借りてベッドから立ち上がり、王立病院に併設された詰め所から馬車に乗り込んで、ライリーが待つイミザの第四騎士団本部の詰め所に向かった。
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