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(35)二人目の乳母
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モニークに入って四日目。
ケイレブはアプハンでの不穏な動きに対応するため、独自の伝手を使って乳母を務める侍女をもう一人追加した。
「カミーリア、よく来たな」
「話は後だ。面倒見て欲しいって赤ん坊はこれか」
カミーリアはぐずって泣き止まない赤子をミネーラから取り上げると、用無しは家に帰れときつい言葉でミネーラを罵倒する。
「おい、カミーリア」
「そのために雇われて来たんだろ。赤ん坊ひとりまともに扱えない乳母なんて聞いたこともないぞ」
「それにしてもお前、言い方があるだろうよ」
「私の口調が荒いのは元からだ。それよりケイレブ、お前に話しておきたいことがある。人払いしてくれ」
カミーリアは横柄な口調だが、ケイレブにとってこの中の誰よりも信頼できるのは事実だ。
「すまんが先に昼飯を済ませておいてくれ」
ビリーは現状を鑑みて見張りとして残りたいと申し出たが、ケイレブの意を汲んでデュロイがそれを制する。
従者たちに嫌な空気が漂う中、場所を移動しながら話そうと、カミーリアは赤ん坊を抱いたまま歩き始めた。
「なんで勝手に引き下がったんだ」
ビリーが苛ついたように声を荒げると、デュロイは表情も変えずに淡々と答えてこれも仕事だと小さく息を吐く。
「俺たちにとって得体の知れない人物だろうと、それがケイレブ殿の信頼を勝ち得た人なんだから指示されたら受け入れるべきだ。船の手配にしろ物資調達にしろ、やることは山積みだ」
「くっ……」
「ビリー。悔しいだろうがデュロイの言葉は正しい。とりあえず飯を食おう。ミネーラは実家に行くかい」
「はい。少し気分が優れないので出来ればそうしたいんですが」
ウデナに背中をさすられる青褪めたミネーラの顔を見る限り、彼女は本当のことを言っているのだろう。しかしケイレブの判断なしに彼女を一人にする訳にはいかない。
「ミネーラ、気持ちは分かるが指示もなく一人で行動しては危険な状況だ。それが理解出来るならケイレブ殿が戻るまで少し辛抱してくれないか」
「デュロイ!お前さっきから何様のつもりだ」
「おい、ビリー」
デュロイに食って掛かるビリーをウデナが制する。
デュロイは置かれている状況をいまいち把握していない、あるいは別の何か企みがあるであろうこの三人を監視しなければいけない状況に頭を抱えた。
勘弁して欲しい。しかし雑踏に消えていったケイレブの背中を睨むしか出来ない。あの暗号の伝令が意味するところを考えればそれしか出来ないのだ。
時を同じくして、騒がしく険悪な空気に包まれるデュロイたち従者一行とは別に、カミーリアに付き添うように街中を歩くケイレブは驚くべき事実に言葉を失っていた。
「今更なにを驚くことがある。お前の見立て通り、アマリエ公の飼い犬どもが動いてるだけじゃないか」
「それよりこの子の体に回った毒はなんだ」
カミーリア・リシャールは元々オルガッドの騎士団に所属していた軍医であり、現在は様々な事情から新興国であるアプハン合衆国に身を寄せている。
踊り子として日銭を稼ぎ、身寄りや金のない人々を診療する闇医者。しかしその本職はアプハンに蔓延るイルギルの調査をすることであり、カミーリアのいずれの姿も仮の姿である。
オルガッドで騎士団を退団した理由は定かではないがその腕は確かで、ヘンゼルも一目置く存在であるのは間違いない。
「遅効性の物というだけである程度絞り込める。しかも乳母の女が持ち歩いていても不自然でない物なら尚、絞り込んで特定は可能だろうな」
「解毒は出来るのか」
「ああ、問題ない。しかし急に回復させてはお前が勘付いてることが気取られる。だから向こうと同じく時間を掛けて徐々に回復させていくしかないだろうな」
腕の中で心地良さそうに眠る赤子の頬を撫でると、カミーリアはその表情とは裏腹に物騒な話を切り出した。
「引き返すか。北から二、東から三、南の物陰にはずっと張り付いて来てるやつも居るな」
「ああ、どうやらそうらしい。悪いが泣かせるぞ」
「仕方ないだろうな」
ケイレブは咄嗟に手首に仕込んだ針で赤子の足の裏を傷付けると、痛みに驚いた赤子が大声で号泣し始める。
赤子が泣きじゃくることでケイレブたちに周りの視線は集まり、様子を窺っている連中もおいそれと手出し出来ない状況が出来上がる。
「行くぞ」
カミーリアが短く呟くと、あやしながら赤子の足の裏に応急処置を施し来た道を引き返す。
デュロイなら状況を把握して店の中ではなく、路面に張り出した場所で食事をしているはずだ。
不審な追跡を受けながらも、何食わぬ顔で赤子をあやしてデュロイたちと別れた場所に戻ると、すぐそばの店の軒先で食事をする四人の姿が見えた。
「ほう、あれがイヒャルドの駒か」
「だから言い方考えろよ」
「ならお前も敬意を持って私に話し掛けろ。お前より歳も幾らか上だぞ」
「だったら敬意を持たせる威厳を見せてくれよ」
売り言葉に買い言葉を繰り返すうちに、食事を取る従者四人と合流すると何事もなかったように席に着き、平然とした様子で食事を取る。
相変わらず顔色の悪いミネーラは居心地悪そうに、実家に戻って休みたいと申し出たが、ケイレブは危険を理由にそれを受け入れず、デュロイの判断通りその場を離れることを許さなかった。
「お食事中のところ失礼致します。サイラット州知事より、公邸にお越しいただきたい旨、お伝えに参上しました」
使いだという男の声に、ケイレブとデュロイ、そしてカミーリアは周りが悟れない程短く目配せしたのだった。
ケイレブはアプハンでの不穏な動きに対応するため、独自の伝手を使って乳母を務める侍女をもう一人追加した。
「カミーリア、よく来たな」
「話は後だ。面倒見て欲しいって赤ん坊はこれか」
カミーリアはぐずって泣き止まない赤子をミネーラから取り上げると、用無しは家に帰れときつい言葉でミネーラを罵倒する。
「おい、カミーリア」
「そのために雇われて来たんだろ。赤ん坊ひとりまともに扱えない乳母なんて聞いたこともないぞ」
「それにしてもお前、言い方があるだろうよ」
「私の口調が荒いのは元からだ。それよりケイレブ、お前に話しておきたいことがある。人払いしてくれ」
カミーリアは横柄な口調だが、ケイレブにとってこの中の誰よりも信頼できるのは事実だ。
「すまんが先に昼飯を済ませておいてくれ」
ビリーは現状を鑑みて見張りとして残りたいと申し出たが、ケイレブの意を汲んでデュロイがそれを制する。
従者たちに嫌な空気が漂う中、場所を移動しながら話そうと、カミーリアは赤ん坊を抱いたまま歩き始めた。
「なんで勝手に引き下がったんだ」
ビリーが苛ついたように声を荒げると、デュロイは表情も変えずに淡々と答えてこれも仕事だと小さく息を吐く。
「俺たちにとって得体の知れない人物だろうと、それがケイレブ殿の信頼を勝ち得た人なんだから指示されたら受け入れるべきだ。船の手配にしろ物資調達にしろ、やることは山積みだ」
「くっ……」
「ビリー。悔しいだろうがデュロイの言葉は正しい。とりあえず飯を食おう。ミネーラは実家に行くかい」
「はい。少し気分が優れないので出来ればそうしたいんですが」
ウデナに背中をさすられる青褪めたミネーラの顔を見る限り、彼女は本当のことを言っているのだろう。しかしケイレブの判断なしに彼女を一人にする訳にはいかない。
「ミネーラ、気持ちは分かるが指示もなく一人で行動しては危険な状況だ。それが理解出来るならケイレブ殿が戻るまで少し辛抱してくれないか」
「デュロイ!お前さっきから何様のつもりだ」
「おい、ビリー」
デュロイに食って掛かるビリーをウデナが制する。
デュロイは置かれている状況をいまいち把握していない、あるいは別の何か企みがあるであろうこの三人を監視しなければいけない状況に頭を抱えた。
勘弁して欲しい。しかし雑踏に消えていったケイレブの背中を睨むしか出来ない。あの暗号の伝令が意味するところを考えればそれしか出来ないのだ。
時を同じくして、騒がしく険悪な空気に包まれるデュロイたち従者一行とは別に、カミーリアに付き添うように街中を歩くケイレブは驚くべき事実に言葉を失っていた。
「今更なにを驚くことがある。お前の見立て通り、アマリエ公の飼い犬どもが動いてるだけじゃないか」
「それよりこの子の体に回った毒はなんだ」
カミーリア・リシャールは元々オルガッドの騎士団に所属していた軍医であり、現在は様々な事情から新興国であるアプハン合衆国に身を寄せている。
踊り子として日銭を稼ぎ、身寄りや金のない人々を診療する闇医者。しかしその本職はアプハンに蔓延るイルギルの調査をすることであり、カミーリアのいずれの姿も仮の姿である。
オルガッドで騎士団を退団した理由は定かではないがその腕は確かで、ヘンゼルも一目置く存在であるのは間違いない。
「遅効性の物というだけである程度絞り込める。しかも乳母の女が持ち歩いていても不自然でない物なら尚、絞り込んで特定は可能だろうな」
「解毒は出来るのか」
「ああ、問題ない。しかし急に回復させてはお前が勘付いてることが気取られる。だから向こうと同じく時間を掛けて徐々に回復させていくしかないだろうな」
腕の中で心地良さそうに眠る赤子の頬を撫でると、カミーリアはその表情とは裏腹に物騒な話を切り出した。
「引き返すか。北から二、東から三、南の物陰にはずっと張り付いて来てるやつも居るな」
「ああ、どうやらそうらしい。悪いが泣かせるぞ」
「仕方ないだろうな」
ケイレブは咄嗟に手首に仕込んだ針で赤子の足の裏を傷付けると、痛みに驚いた赤子が大声で号泣し始める。
赤子が泣きじゃくることでケイレブたちに周りの視線は集まり、様子を窺っている連中もおいそれと手出し出来ない状況が出来上がる。
「行くぞ」
カミーリアが短く呟くと、あやしながら赤子の足の裏に応急処置を施し来た道を引き返す。
デュロイなら状況を把握して店の中ではなく、路面に張り出した場所で食事をしているはずだ。
不審な追跡を受けながらも、何食わぬ顔で赤子をあやしてデュロイたちと別れた場所に戻ると、すぐそばの店の軒先で食事をする四人の姿が見えた。
「ほう、あれがイヒャルドの駒か」
「だから言い方考えろよ」
「ならお前も敬意を持って私に話し掛けろ。お前より歳も幾らか上だぞ」
「だったら敬意を持たせる威厳を見せてくれよ」
売り言葉に買い言葉を繰り返すうちに、食事を取る従者四人と合流すると何事もなかったように席に着き、平然とした様子で食事を取る。
相変わらず顔色の悪いミネーラは居心地悪そうに、実家に戻って休みたいと申し出たが、ケイレブは危険を理由にそれを受け入れず、デュロイの判断通りその場を離れることを許さなかった。
「お食事中のところ失礼致します。サイラット州知事より、公邸にお越しいただきたい旨、お伝えに参上しました」
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