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しおりを挟むティナミアは、苦しげに咳き込みながら、魔力の結晶を吐き出し続けた。宝石のような緑色の小さな結晶が、ぼろぼろと落ちて、床に転がっていく。
「げほっ、ごほ……」
石吐き症は通常、治ることはないとされる。結晶を吐く度に体から魔力が失われていき、やがてショック症状を引き起こす可能性がある。発症すれば、ほとんどの者が数年で命を落とす。この病には治療法がなく、あるのは苦痛を和らげるための対症療法だけ。
リノは、今のティナミアの姿を人目に晒すべきではないと即座に判断し、使用人たちに「人払いを」と命じた。
使用人たちは、すぐさま広間から人々を外へと誘導し始める。
リノもティナミアに寄り添い、そっと背を撫でた。彼女は目にじわりと生理的な涙を滲ませながら、申し訳なさそうに掠れた声で言った。
「ごめん……なさい。わがままを言って、今日ここに来たせいで、あなたに迷惑を……ごほっ」
「そんなこと気にしないでください。今は、ご自分の身体のことだけ考えて」
「……ありが、ぅ――ゲホッ……」
ティナミアの咳は一向に収まらず、結晶が零れ落ちていく。直後、ティナミアはその場に倒れて意識を失った。
「王女様! 王女様、しっかり……!」
エミリーは彼女の身体を揺さぶりながら、必死に呼びかける。
(魔力が枯渇したんだ)
すると、この場で誰よりも冷静なアステラが指示を出した。
「エミリーは魔力補充をしてください。近衛騎士のあなたは、僕の質問に答えていただけますか」
「「はい」」
エミリーとリノの声が揃う。返事をしたあと、エミリーは自分が呼び捨てにされたことに気づく。
(今、エミリーって……)
しかし、すぐに気持ちを切り替えて、ティナミアの処置に専念した。エミリーがティナミアの魔力を補充している間に、アステラがリノに聞く。
「この症状はいつから?」
「四ヶ月ほど前です」
「四ヶ月前、何か精神的にショックを受ける出来事はありましたか?」
「特に、思い当たることは何も……。宮廷の医療魔術師に診ていただいてますが、対症療法と経過観察だけで」
「喀石……石を吐く頻度は?」
「把握している範囲で、数日に一度は」
「そうですか。分かりました」
アステラはリノをまっすぐ見据えながら、淡々と言った。
「特異医療院に彼女を運んでください。僕が診ます」
◇◇◇
オリビアはその夜、王国魔術師団のエーリクの執務室を訪れていた。本当はもう顔も見たくない相手だが、今は仕方がない。
「おや、君が来るなんて珍しいね」
「お頼みしたいことがあって」
「だと思ったよ。困ったときにだけ気まぐれに甘えてくる」
エーリクの妻は少し前に他界したが、生前からオリビアとエーリクは不倫していた。
「王女様の治療、私に担当させてほしいんです」
「理由は?」
「石吐き症をアステラさんに治療させたら、実績に繋がってしまうでしょう。そうなると、あなたも私も立場が危うくなる。だからよ」
オリビアはアステラを功労賞のライバルと見ていて、エーリクは自分の利権を脅かす存在として彼を危険視している。
「最近は私だけではなく、アステラ・グエンに取り入っているようだね」
「ちょっとした遊びです」
「どうしても貴族になりたいんだろう? だったら、私の妻になりなさい。君の望むものをなんでもあげよう」
「ふふ、お断りします。あなたと結婚したら泣くことばかりになりそうだもの」
「つれないな。妻が死んで後妻の座は空いている。君ならいつでも歓迎してやるぞ」
エーリクが不敵な笑みを浮かべる。
そのとき、背筋がぞわりと粟立った。
「顔色が悪いぞ。どうかしたか?」
「……いえ、なんでも。用は済んだので失礼しますね」
「待て。今夜、空いてるか?」
「ええ、空いています。いつもの別荘で」
オリビアは背を向け、執務室をあとにした。
扉を出てから、笑顔を消して舌打ちする。
(あのクソジジイ、ほんっと気持ち悪い)
まだ、エーリクは使い道があるので利用しているだけ。不倫関係になったのも、平民のオリビアが昇進するために必要だったからだ。
エーリクもオリビアと同じで、野心と欲望の塊のような人間だった。自分の利益のためなら、手段を選ばない。
犯した罪は、金と権力で揉み消してきた。
(アステラさんが呪われた件も、きっとあの男が……)
だが、アステラの論文を奪って貴族になった日には、この男との関係も切るつもりだ。
◇◇◇
「ご迷惑おかけしてしまって、ごめんなさい。せっかくお祝いの場でしたのに、わたくしのせいで台無しになってしまったわ」
王国魔術師団特異医療院。上流階級の患者のために特別に用意された賓客室に、ティナミアは入院することになった。
エミリーは部屋のカーテンを開け、部屋に光を入れながら言う。
「気にしないでください。王女様のお身体が何より大事なんですから」
「……ありがとう」
寝台の上で半身を起こしたティナミアが、困ったように眉尻を下げる。
「小さいころからずっとね、身体が弱かったの。外に出かけることもままならなくて、しょっちゅう熱を出して寝込んでいたわ。でもまさか、こんな病気になってしまうなんて。……わたくしはもう、助からないわね」
「そんなこと……」
そんなことはない――と言いかけたが、途中まででかかった言葉を呑み込む。石吐き症は不死の病と言われており、一度発症したら、治ることはなく命を落とす。
(でも、過去の私の手紙には……グエン先生が石吐き症を治してくれたって書いてあった。それが事実なら、もしかしたら――)
だが、安易に期待を持たせるようなことは言えない。
「でも、わたくしはまだね、希望の欠片を手放せずにいる。この苦しみにはきっと何か意味があって、頑張っていたら奇跡も起こるのではないかって」
「起こりますよ、きっと。希望を抱いて頑張っていらっしゃる王女様の姿が、私には奇跡みたいなものです。本当に尊敬します」
エミリーの励ましに、ティナミアが微笑む。
「それに、優秀な医療魔術師の先生がわたくしを診てくださると聞いて、それだけでも本当に心強いわ」
「…………」
その直後、個室の扉がノックされて、ひとりの医療魔術師が部屋に入ってきた。
「ぜひ、安心して担当医である私に任せてください。王女様」
胸に手を当て、そう軽やかに告げたのは、アステラではなく――オリビアだった。
(オリビア……)
エミリーはぎゅっと拳を握り締める。
祝賀会で、アステラがティナミアの担当医になることを名乗り出た。しかし、実際に担当になったのは、オリビアだった。彼女は院長エーリクに直談判し、アステラから王女の担当医の座を奪い取ったのだ。
王女の治療をするのは、とても名誉なこと。けれど、助けられないのでは意味がない。
(オリビアは、自分の功績のために患者を道具にしている)
ティナミアの治療に最もふさわしいのは、アステラだとエミリーは思っている。
だが今、診断書を片手に抱え、寝台横の椅子に腰かけ、足を組んでいるのはオリビアだった。
「石吐き症は不死の病ですが、適切な治療を行えば進行を遅らせることができ、十年以上生きられるケースもございます。王女様が穏やかに日々を過ごせるよう、全力を尽くさせていただきますので」
「まぁ……とっても頼もしいです」
ふわりと無邪気に微笑むティナミアを見て、エミリーはざらつくような複雑な思いだった。
◇◇◇
部屋を出たあと、エミリーはオリビアに声をかけた。
「どうしてオリビアが王女様の担当医なの?」
「何か文句でも?」
「グエン先生が先に申し出たでしょ。また先生から名誉を横取りする気?」
いつも穏やかなエミリーの声に、鋭さが混じる。
「横取りなんて、人聞き悪いこと言わないで。女同士の方がいいと思っただけよ」
そう言って、薄ら笑いを浮かべるオリビア。
「グエン先生は石吐き症の研究をしてるの。過去に、私の症状を治したことがある。彼が適任だよ」
「あなたの石吐き症を治した? その証拠はあるの?」
「それは……ないけど」
「研究をしてるって言っても、まだ臨床段階でしょ。承認されてない治療法を王女様に試す訳にはいかないわ」
オリビアの主張は一理ある。だが、治療法を試すかどうか、その選択の自由は患者にあるべきだ。
(リノに送った手紙以外、証明できるものは何もない。でも……)
オリビアは腕を組みながら冷笑気味に言う。
「石吐き症は死ぬ病なの。どうせ死ぬなら、私の野望のために利用させてもらうわ。王女様を看取った美人医療魔術師として、話題になりそうだし」
「~~~~っ」
それを聞いた瞬間、エミリーの中で何かが切れた。
――パシンッ。
エミリーがオリビアの頬を叩く乾いた音が、辺りに響いた。オリビアは目を見開き、赤くなった頬を手で抑える。
「な、何するのよ……っ!?」
「どうせ死ぬとか、不謹慎なこと言わないで! 医療魔術師は、最後まで、患者の命を救うために最善を尽くすべきでしょう……!?」
「あなたに私の何が分かるのよ」
「分かんないよ。オリビアはこういうずるいことしない人だって信じてた。でも最近、おかしいよ」
「残念ね、私はこういう女なの。知らなかった?」
彼女は意地悪に唇の端を吊り上げながら言う。
「私があなたと仲良くしてたのはね、あなたといると私が引き立つからよ。友達だと思ったことなんて一度もなかった」
その言葉に、頭を殴られたような衝撃を受ける。
オリビアとの友情が、エミリーの思い違いだったなんて。
気づくと、涙が出ていた。
「……ひどい」
エミリーの泣き顔を見たオリビアは、一瞬目を泳がせたあと、何も言わずにその場を去っていった。
◇◇◇
「ブラウン先生、そんなところに立ってどうしたんですか」
立ち尽くしているエミリーに、ちょうど通り掛かったアステラが後ろからそう声をかけてきた。
「グエン……先生」
振り返り目が合ったとき、エミリーの瞳からぽろぽろと雫が零れ落ちる。次の瞬間、エミリーはアステラの腕の中にいた。彼の腕の中は、大きくてたくましくて――
(あったかい)
突然抱き締められたのに、驚きよりも先に、安心感が胸を満たしていた。
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