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しおりを挟むリノと一緒に植物園に行くのを止められたエミリーは、困惑する。
「な、何言ってるんですか。グエン先生は、オリビアと再婚約してるでしょう」
「していません」
「…………はい?」
「あなたを突き放すために、フリをしていただけです」
アステラは無表情で、椅子に座っているエミリーの両脇に手を伸ばし、机に手を置いた。机とアステラの腕の檻に囲まれた格好になり、逃げ道をなくしてしまう。
「あなたのためと思って、我慢してきました。でも、他の男と一緒にいるのを見ているのは、耐えられません」
「急にそんなこと言われても、困ります。私は先生のこと、何も思い出せないのに――」
「情けなくてすみません。――あなたを誰にも、渡したくない」
そう言って彼は、縋るような抱擁をしてきた。鼓動は烈しく波打ち、頬が熱くなっていく。
「……何を……」
(どうして、私を突き放そうとしたの? 何も思い出せないのに、どうしてこんなにも、胸が苦しくなるの?)
なんて身勝手で、強引で、不器用なのだろう。
突然抱きしめられて、怒りたいのに、怒れない。寂しげなアステラの背に腕を回しかけたそのとき、医局の扉が、ばんっと勢いよく開け放たれた。
「大変です! 先生方、どなたか手を貸してください!」
部屋に飛び込んできたのは、新人の看護師だった。エミリーは反射的に、アステラを思い切り突き飛ばす。
「は、はい! すぐに行きます。何かあったんですか?」
「ティナミア様のご容体が急変しまして。現在オリビア先生が対応なさっているのですが、ぜひ他の先生にもお力添えをと思った次第です」
エミリーとアステラは、顔を見合わせる。すると、アステラが迷いなく「すぐ行きます」と言って立ち上がった。先ほどまでエミリーに見せていた頼りなさかげな彼の面影はなく、優秀な医療魔術師としてのアステラ・グエンがそこにいた。
医局を出ていくアステラの後ろを、エミリーも付いていくのだった。
◇◇◇
エミリーたちが個室に駆けつけると、ティナミアが意識を失い、痙攣を起こしていた。オリビアは寝台の脇で、呆然と立ち尽くしている。そして、寝台には緑色の魔力結晶が散らばっていた。
(これは、石吐き症によるショック)
アステラはティナミアの傍に駆け寄り、呼吸がないことを確認して、心臓マッサージを始めた。自発呼吸が戻ったあと、エミリーが鎮静魔術で落ち着かせる。
アステラはオリビアを鋭く見据えた。
「一体、何をしたんですか」
「わ、私は……」
「王女様の身体に適応できない魔力が流れ込んでいました。あなたが処置したんですか」
「私はただ、不足した魔力を補っただけよ!」
「弱っている身体に、通常量の魔力補給を行うとかえって負担になります。それがショックに繋がったんでしょう。ブラウン先生、調整してもらえますか?」
エミリーは「はい」と頷き、ティナミアの体に触れた。
体内の魔力量を調整するのは、高度な技術が必要になる。今回の場合、オリビアが補給しすぎた余剰魔力を浄化し、生命維持に必要な最低限まで減らす。
(オリビアに実力がないわけじゃない。医療魔術師が扱う魔術は、人によって得意不得意がある。でも、私なら絶対こんな失敗しない)
エミリーにとって、浄化魔術は得意分野だ。詠唱をし、ティナミアの体に負担となっている魔力を、少しずつ削っていった。
処置が終わって病室を出たあと、オリビアは拳を固く握り締めて立ち尽くした。顔は真っ青で、両肩は小刻みに震えてる。
「私は、王女様を……」
彼女の動揺の理由は、ティナミアの命を危険に晒したことだろう。アステラとエミリーがカバーしたが、オリビアひとりだったら、どうなっていたか分からない。
たとえ、過失であったとしても、王族を死なせてしまえば重大な責任になる。エミリーの脳裏にも、痙攣を起こしたティナミアの姿が思い浮かび、背筋に冷たいものが流れる。
「オリビア。王女様の治療はグエン先生に任せて、担当から外してもらったら?」
「嫌っ!」
彼女は、エミリーの提案をにべもなく跳ね除ける。
「どうして意地になるの? オリビアは医学院時代から浄化が苦手だったでしょ。また、同じことが起きたら、自分の首を絞めるだけだよ」
「そんなこと、分かってる。分かってるけど、私に時間がないのよ」
「時間?」
「私は、今年の功労賞を受賞して、叙爵するの。――絶対に」
功労賞は、国中の医療魔術師の中から、年間を通して最も顕著な成果を上げた者が選ばれ、国王から表彰される最も名誉な賞だ。特に、貴族になれるチャンスでもあるため、平民出身の者は喉から手が出るほど欲しいものだ。
もし仮にアステラが石吐き症を治療して王女の命を救ったとあれば、その賞は彼に与えられる可能性が高い。
「そんなに名誉が欲しい? 患者の命より大事なもの?」
オリビアはいつだって、余裕のある笑顔を浮かべていて、向上心をもって努力していた。けれど、目の前の彼女はこれまでになく切羽詰まった様子だった。
「最初から何もかも持ってるあなたには分からないわよ。私は、私は……」
そのとき、オリビアの美しい瞳に、じわりと涙が滲む。
「オリビア――」
そう呼びかけた直後、オリビアが立ち上がって、逃げるように去っていった。ほどなくして、ティナミアの処置を施していたアステラも、病室から出てきた。
「ショックが起きた以上、王女様の治療は、別の者が行うことになると思います。もし僕が任されたら、ブラウン先生も助手として入ってくれますか」
「もちろんです」
最初から、アステラに任せておくべきだっただろう。エミリーはそう思いつつ、静かに頷いた。
◇◇◇
ティナミアの体内の魔力が安定すると、数時間後に彼女は意識を取り戻した。改めて賓客室を訪れたエミリーとアステラ。
アステラはティナミアを見下ろして声をかける。
「気がつきましたか?」
「グエン……先生?」
「はい。あなたは喀石発作によるショックで呼吸が止まっていました。思った以上に身体が弱っており、このままではいつ命を落としてもおかしくありません」
それから、オリビアの処置がうまくいかなかったことも説明する。
ティナティナは悲しげに眉を寄せた。
「もう……わたくしが助かる方法はありませんか?」
「いいえ、ひとつあります。ヘリオス魔術という特別な治療を行えば、治せる可能性があります」
「ヘリオス……魔術?」
「魔力核中枢に魔術を施し、魔力の結晶化を止める方法です。複雑な術ではありますが、成功すれば高い確率で回復を見込めます」
アステラは、ヘリオス療法の概要を素人でも分かるように丁寧に説明していく。それをティナミアは真剣に聞き、相槌を打っていた。
「ただし、この治療法はまだ正式に承認されていないものです。受けるかどうか、じっくり考えてみてください」
そこに、エミリーも付け加えた。
「実は、私もグエン先生の治療で石吐き症を克服したんです」
「え……」
「今は元気にお仕事ができています。もしよければ、私の治療経過も見てくださっていいですよ」
アステラを振り返り、「いいですか?」と尋ねると、彼は静かに頷いた。
彼は一度医局に戻り、治療経過の記録を持ってきて、ティナミアに渡した。その数時間後――
「受けます。どうかその魔術を、わたくしに受けさせてください」
エミリーの治療経過を読んだティナミアは、そう答えた。弱々しくやつれて、今にも消えてしまいそうな風貌だったが、その目には「生きたい」という強い意志が宿っており、エミリーの心を揺さぶった。
しかしその直後、後から部屋に入ってきたオリビアが声を上げた。
「なりません、王女様。この魔術にはどんな副作用や危険があるか分からないのですよ。治療方針は担当医である私が決めます。より安全な方法で、延命を考えるべきです!」
だが、ティナミアはゆっくりと首を横に振る。
「いいえ、受けます。もう一度元気になる可能性があるなら、たとえ失敗しても、挑戦してみたいの。グエン先生を、信じてみたい。……それに今回のショックは、あなたの魔力の過剰供給が原因だったと聞いたわ」
「……! そ、それについては、本当に……申し訳ございませんでした」
「仕方がないことですから謝罪は結構です。ですが、あなたには担当医を下りていただきます。ごめんなさい、オリビア先生」
「…………っ」
オリビアは悔しげに下唇を噛み締めていた。
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