【完結】親友を選んだ貴方へ、さようなら。「愛していた」は過去形ですので。

曽根原ツタ

文字の大きさ
26 / 35

25

しおりを挟む
 
「オリビアが……!? 記憶を抜き取るって、まさか禁忌魔術じゃ……」

 禁忌魔術は犯罪であり、使わないのがエミリーの常識だったため、可能性さえ考えに入れなかったが、まさかオリビアはそれを使ったというのか。
 エミリーが動揺していると、医局に数名が入ってきた。

「あれ? グエン先生にブラウン先生、そんなところでこそこそ何をやってるんですか?」
「つまみ食いとか?」

 医療魔術師たちがからかうように軽口を叩いてくる。エミリーはなけなしの平常心を掻き集めて、愛想笑いを取り繕った。

「え、ええと、そんな感じです。……はは」

 禁忌魔術は、人前で気軽にできる話題ではない。するとアステラが、「場所変えましょうか」とそっと提案してきた。

 アステラはもう今日の仕事が終わったということで、荷物をまとめ、連れ立って建物を出た。
 すっかり日が暮れて、夜空に星が輝いている。アステラは腕時計を見下ろして言った。

「こんな時間だと、店はもう閉まっていますね」
「どこか、公園とか。座れる場所があるといいんですけど――くしゅんっ。うう……さむ」

 今夜は寒くて、冷たい風がエミリーの身体を冷やした。
 エミリーは自分の身体を両手で抱き込みながら、身を縮める。その様子を見ていたアステラが、ジャケットを脱いでこちらの肩にかけた。

(さりげない)

 ジャケットにはまだアステラの体温が残っていて、胸の辺りがきゅっと甘く締めつけられた。すると、アステラが言う。

うちに、来ますか?」
「へっ!?」

 思わぬ誘いに、大きな声が出る。道行く人がこちらを振り向き、エミリーは気まずくなって目を泳がす。

「あ、あの……でも、それは……ご迷惑なんじゃ」
「いえ、別に」

 日記によると、恋人同士だったエミリーはアステラの家に何度も行ったことがあるようだったが、記憶喪失になった今、まるで初めて行く家のような感覚だ。まして、異性の家に、しかも夜に行くなんて……。

『今夜のことは一生忘れない』

 ふと脳裏に、エミリーが誕生日をアステラの家で過ごしたときの記録を思い出し、顔が熱くなる。

 あれこれと考え、エミリーの顔は少しずつ赤くなっていく。そっとアステラの顔を見ると、彼の紫の瞳に吸い込まれそうになった。エミリーは絞り出すようにして言う。

「……では、お言葉に甘えて」



 ◇◇◇



「お、お邪魔します……」

 アステラの家は、特異医療院の近所だった。徒歩十分ほどといったところか。一階が花屋で、二階の空き部屋を借りているらしい。

 玄関をくぐると、あちこちに観葉植物が置いてあった。リビングと寝室にも、沢山の植物が彩りを添えている。それ以外だと、研究者らしく大量の本が壁際に積んであるのが目に留まった。

(ここが、グエン先生の家……)

 間取りは男性が暮らすには少し手狭な気がする。
 アステラは医療魔術師として名の知れた存在なので、十分に稼いでいると思うのだが、贅沢はせずに慎ましく暮らしているようだった。

「荷物は適当に置いてください。飲み物、用意します」
「あ、ありがとうございます」

 リビングのテーブルには、向かい合うように椅子がニ脚置いてあった。エミリーはそのうちの片方に、遠慮がちに腰を下ろす。アステラが飲み物を用意してくれている間、日記帳を読み返すことにした。

 今朝、侍女に受け取ってから、植物園に行く予定があってバタバタしていたので、じっくり読んでいる時間がなかったのだ。
 ページをめくっていくと、過去の自分が初めてこの家に来たときの一節があった。

『△ △月△ △日
 初めてグエン先生の家に行った。殺風景で、ちょっぴり寂しい部屋。でも、グエン先生が生活してるんだって思うと、どきどきしっぱなしだった。
メモ:今度、観葉植物を先生にプレゼントする。気に入ってくれるといいな』

 その文を読んだあと、改めて周囲を見渡すと、そこかしこに観葉植物が置いてあって。殺風景な部屋とは程遠く、むしろ色彩豊かだ。

 キッチンでマグカップにコーヒーを淹れているアステラに、思い切って尋ねた。

「ここにある植物って、もしかして私が……?」
「はい。この家を植物園にするんだとはしゃいでいましたよ」
「そ、そんなことが……。恥ずかしいです。勝手なことをしたみたいでごめんなさい」
「――いえ」

 人の家を勝手に植物園にするなんて、過去のエミリーは何を考えていたのか。けれど恐らく、そういうことを気兼ねなくできる関係性だったのだろう。
 過去の自分とアステラの親しい間柄を知るのと同時に、今の自分と彼との距離を感じて、やけに寂しくなった。

 アステラは、湯気がのぼるカップをふたつ手にとって、テーブルに置きながら言った。

「むしろ、かわいいと思っていましたよ」
「!」

 そのとき、彼の口元がわずかに緩んだ。まるで、今のエミリーがかわいいと言われているようで、どぎまぎしてしまう。

(グエン先生、こういう顔もするんだ)

 アステラは向かいに座って、エミリーの記憶喪失の真相について語り始めた。

「ブラウン先生の記憶喪失は、禁忌魔術によるものです」

 この世には、手を出してはならない禁忌魔術というものが存在している。記憶を奪う魔術もそのうちのひとつで、人の記憶に干渉する倫理的問題と危険性から、固く禁じられている。

 だが、オリビアはその魔術を使用し、勝手にエミリーから『アステラに関連する記憶の全て』を取り上げたのだった。

「ブラウン先生が怪我をして運ばれてきてすぐでした。オリビア先生は勝手にあなたに禁術を施し、記憶の結晶を持ち去ったと、僕に言ったんです」
「それ、懲戒処分ところで済まない話じゃないですか。どうして王国魔術師団にすぐ報告しなかったんですか?」
「脅されていたので。もし誰かに言ったら――記憶の結晶を砕く、と」

 記憶の結晶をエミリーに戻せば、同時に失われた記憶も戻る。だが、砕いてしまえば、その記憶は永遠に失われる。

 オリビアは、記憶の結晶を人質にして、アステラの論文や功績を渡すよう迫っていた。

「どうして、そんなことを……」
「叙爵したいようです。随分焦っている様子だったので、ただの野心ではなく、何か事情があるのかもしれませんね」

 オリビアの目的や禁術を選んだ理由については、ますます謎が深まるばかりだった。

 すると、アステラが唇を動かす。

「記憶の結晶を取り返さなくてはと思う反面、このままあなたが僕を忘れる方がいいんじゃないかと、何度も考えるようになりました」
「それで、オリビアと恋人のフリまでして、私を突き放したんですか?」
「……はい。あなたの家の使用人に、僕に関するものは処分するようにお願いもしておきました。日記が残っていたのは想定外でしたが」

 エミリーは、マグカップをきゅっと握る。

「僕は、あなたにもう無茶をしてほしくなかった。オリビア先生には記憶の結晶を砕くよう頼みました。だから、このまま僕のことは忘れてください。それが、あなたのためです」
「そんな訳ないじゃないですか」

 エミリーは一も二もなく、強く否定した。

「この日記に書いてある思い出、どれもきらきらしていて、宝物みたい。忘れていいはずないです。グエン先生は全部覚えてるから、簡単に言えるんですよ」
「あなたこそ、僕の気持ちを知らないからそう言えるんじゃないですか」
「なん……ですって?」
「あなたは自分のために死にかけたんです。僕がどんな思いだったか分かりますか? 僕はあなたに命を懸けてほしいなんて、一度も頼んでません」
「分かりませんよ! だって……好きで、好きでたまらない人がいたら、助けたいって思うのは当たり前じゃないですか! 普段私たちが医療魔術師としてやってることと同じです。あなただって、愛する相手が呪われたら、同じことをするんじゃないですか……っ」

 言い終えるやいなや、エミリーは勢いよく椅子から立ち上がり、アステラを睨みつける。普段は温厚なエミリーの激しい剣幕に、彼は一瞬、言葉を失う。

「だから、分かりたいんです……。グエン先生のことをもっと……もっと。なのに、どうしていなくなろうとするんですか」

 勝手に記憶を取り上げ、思い出を独り占めしたまま消えてしまうなんてあんまりだ。中途半端に関わって、翻弄してきたくせに。

 アステラと過ごすうちに、記憶を失ったエミリーは、またアステラへの特別な思いを育てていた。

 日記には、かつてのエミリーのアステラに対する深い愛情が綴られているが、今のエミリーの心にも、過去の面影をなぞるように、アステラへの特別な情が根付こうとしている。

「あなたのせいで、また、好きになり始めてるのに……っ」

 記憶を失っても、心は覚えているのかもしれない。
 結局また、どうしようもなくこの人を愛おしく感じているのだから。

「先生はずるいです。……ふっ……ぅ、ばか……っ」

 こんなのはただの八つ当たりだ。
 アステラが悪くないのは分かっている。アステラのために勝手に無茶をして、彼を不安にさせてしまった過去の自分にも責任がある。

 しかし、行き場のない感情を彼にぶつけ、子どもが駄々をこねるように泣いた。

「ずるいのは、エミリーでしょう」

 ぼろぼろと泣いていると、アステラは静かに立ち上がった。無遠慮にこちらに近づいてきて、腰を抱き寄せてきたかと思えば、彼はエミリーの頬に手を添えた。そのまま――自分の唇をエミリーの唇に押し当てる。

「…………!」

 肌とも粘膜とも違う、柔らかな熱に、エミリーは目を見開く。
 ただ、互いの身体の一部分が触れ合っているだけなのに、甘い痺れが全身に広がって、ふわふわした心地になる。

 口付けのあと、唇をそっと離したアステラが囁く。

「……思い出させてあげてもいいですよ」
「お、思い出させるって……」
「何も考えずに男の部屋に来るなんて、世間知らずで無防備にもほどがありませんか。この家に来たことだって覚えてないんでしょう」

 次の瞬間、エミリーはソファに押し倒される。

「……っ、グエン先生、何を……」

 熱を帯びた紫の双眸に抜かれ、心臓の鼓動はすっかり言うことを聞いてくれなくなった。

 アステラの顔が近づいてきて、ぎゅっと目を閉じたとき、額をつんっと指で弾かれた。予想外のことに目を開けると、彼は真顔で言った。

「――なんて。冗談です」
「じょうだん」

 ほっと安心したような、少しだけ残念のような、複雑な気持ちになった。
 だが、聞きたいことは沢山あるのに、どきどきしすぎて頭が空っぽになってしまった。

 アステラは、エミリーが抱えたままの日記帳をひと撫でする。

「その日記、僕にも見せてくれませんか。過去のエミリーの目に僕がどう映っていたか、知りたいんです。嫌だったら無理にとは言いません」
「は、はい……先生。でも、あの……離れてくれませんか……?」

 エミリーの顔は真っ赤に染まり、湯気が上っていた。 
 すっかり翻弄されたエミリーの心臓は、しばらく収まってくれなかった。そして、肝心な話は逸らされてしまったと後になって気づいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

忘れ去られた婚約者

かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』 甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。 レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。 恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。 サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!? ※他のサイトにも掲載しています。 毎日更新です。

(完結)婚約者の勇者に忘れられた王女様――行方不明になった勇者は妻と子供を伴い戻って来た

青空一夏
恋愛
私はジョージア王国の王女でレイラ・ジョージア。護衛騎士のアルフィーは私の憧れの男性だった。彼はローガンナ男爵家の三男で到底私とは結婚できる身分ではない。 それでも私は彼にお嫁さんにしてほしいと告白し勇者になってくれるようにお願いした。勇者は望めば王女とも婚姻できるからだ。 彼は私の為に勇者になり私と婚約。その後、魔物討伐に向かった。 ところが彼は行方不明となりおよそ2年後やっと戻って来た。しかし、彼の横には子供を抱いた見知らぬ女性が立っており・・・・・・ ハッピーエンドではない悲恋になるかもしれません。もやもやエンドの追記あり。ちょっとしたざまぁになっています。

(完)貴女は私の全てを奪う妹のふりをする他人ですよね?

青空一夏
恋愛
公爵令嬢の私は婚約者の王太子殿下と優しい家族に、気の合う親友に囲まれ充実した生活を送っていた。それは完璧なバランスがとれた幸せな世界。 けれど、それは一人の女のせいで歪んだ世界になっていくのだった。なぜ私がこんな思いをしなければならないの? 中世ヨーロッパ風異世界。魔道具使用により現代文明のような便利さが普通仕様になっている異世界です。

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。

ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。 ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。 対面した婚約者は、 「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」 ……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。 「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」 今の私はあなたを愛していません。 気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。 ☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。 ☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

(完)大好きなお姉様、なぜ?ー夫も子供も奪われた私

青空一夏
恋愛
妹が大嫌いな姉が仕組んだ身勝手な計画にまんまと引っかかった妹の不幸な結婚生活からの恋物語。ハッピーエンド保証。 中世ヨーロッパ風異世界。ゆるふわ設定ご都合主義。魔法のある世界。

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

みおな
恋愛
 伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。  そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。  その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。  そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。  ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。  堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。

112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。 愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。 実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。 アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。 「私に娼館を紹介してください」 娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──

処理中です...