【完結】親友を選んだ貴方へ、さようなら。「愛していた」は過去形ですので。

曽根原ツタ

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 幼いころからずっと、エミリーが好きだった。明るくて、ひたむきで、底抜けにお人好しな彼女は、リノにとって太陽のような存在だった。手が届かないと分かっていても、そっと伸ばしたくなるような、そんな人だ。

「きゃあっ、リノ様だわ! 素敵……!」
「剣の訓練中みたいね。剣の腕もすごいってお聞きしたわ。本当に完璧ね」

 まだ、ティナミアの近衛騎士になる前のこと。
 リノは王国騎士団に入って訓練に励んでいた。リノの実家は代々優秀な騎士を輩出しており、一定の年齢になったら王国騎士団で修行し、領地に戻るというのが慣わしだった。

 訓練場に、しょっちゅう令嬢たちがリノを見学しに来るのだが、正直迷惑だった。
 リノは家柄も能力も申し分なく、擦り寄ってくる者は男女問わず多い。だが、リノは他人を簡単には信用しない。――ただひとりを除いて。

「リノ!」

 聞き馴染みのあるその声を聞き、すぐに誰か理解して振り向くと、バスケットを持ったエミリーが訓練場の外からこちらに手を振ってきた。リノは稽古から抜け、すぐに彼女の元に駆け寄った。

「来てくれるなんて珍しいね」
「訓練、抜けて大丈夫?」
「休憩に入ったから平気」

 本当は無理やり抜けてきたが、エミリーと話せるならなんでもいい。

「そっか。ちょうどお父様と王宮に来る予定があったから付いて来たの。リノに会えるかなって。はいこれ、差し入れ。サンドイッチ」
「ありがとう。ひょっとして手作り?」
「うん。ちょっと不格好だけど」
「お前が作ってくれただけで嬉しいよ。せっかくだし、一緒に食べる?」
「いいね」

 誰にも見せたことがないような愛おしさが宿った笑顔をエミリーに向けると、他の令嬢たちはひそひそと何かを囁き合い、悔しげにその場を去っていった。

 リノは昼休憩をもらい、エミリーと訓練場の外の芝生の上に座って、サンドイッチを食べた。

「美味しいよ」
「よかった。ねーリノ」
「ん?」
「何か悩んでる?」
「え、なんで」
「顔見たとき、なんとなくそう思ったの」

 普段は感情を表に出さないようにしているが、エミリーにはなぜか見抜かれてしまう。

「俺ってさ、なんでもそつなくこなせるし、家柄も見た目もいいし、モテるでしょ」
「うわっ、それ自分で言う?」
「まぁ、それでさ。……何やってても、空っぽな感じがして。これでいいのかなって」

 エミリーは柵に背を預けて言った。

「私も、何をやりたいのかよく分かんなくなって、悩むことあるよ。でも、何かを探したいって思った瞬間に、運命は動き出してるんじゃないかな。リノがこれだって思うこと、絶対見つかるよ」

 そう言って無邪気に微笑むエミリーを見て、瞳の奥を揺らす。エミリーの言葉はいつも、リノの胸にまっすぐ届く。

 周りがリノを理想の令息として扱う中で、エミリーだけが本当の自分を見てくれた。エミリーが笑っていてくれるだけで、そっと地に足がついた気分になる。

「私は今のリノが大好きだよ」
「!」

 大好き、という言葉に心臓が跳ねる。けれど、その後に続いた言葉が、リノの淡い期待を静かに打ち砕く。

「リノのことはお兄ちゃんみたいに思ってるから」
「……お前みたいな手のかかる妹を持つのは大変だな」
「なっ、それどういうこと……!?」

 むくれてこちらを睨みつけるエミリーの頭をぽん、と撫でる。――困ったように微笑みながら。
 自分がエミリーに異性として意識されていないことは、ちゃんと分かっている。

「髪、食べてる」
「えっ」
「そういうとこだよ」

 リノはふっと笑いながら手を伸ばし、口に入っていた髪をひと束退ける。

(俺には、お前が妹に見えなくて困ってるんだけどな)



 ◇◇◇



 王宮の使用人に案内され、エミリーが庭園から去っていったあと、ティナミアはリノに言った。

「エミリーさん、驚いていらしたようですわ。怖がらせてしまったかしら」

 王女ティナミアは、優秀な国王の血を引いており、賢くて度胸があり、正義感が強い。

 身体が弱いせいで、公務にほとんど参加できていなかったが、国王が盤上の駒を動かす裏から、その知恵と洞察力で治世を支えている。
 ティナミアは王族として十分に国家に貢献しているのに、どこまでも謙虚で、そういうところを尊敬している。

「殿下の聡明さに感心しただけだと思いますよ。グエン先生の件、幼馴染として俺からも礼を言わせていただきます」
「お礼なんていいわ。わたくしはただ、当然のことをしたまでですもの」

 エミリーとアステラがいなければ、ティナミアの石吐き症が治ることはなかった。まさに、恩人と言える。

 ティナミアが王女として優秀であると同時に、エミリーとアステラはこの国最高峰の医療魔術師だ。

 エミリーはいつもへらへらしているが、その実、幼いころから類稀れな魔力量を持つ逸材として注目され、将来を期待されてきた存在。そんな彼女をずっと幼馴染として誇りに思い、眩しく感じていた。
 
 そして、リノが尊敬できると思う女性はもうひとりいる。
 それが、今目の前にいる――ティナミアだ。彼女はいつも、この国と民のことを想っていて、王族の矜恃を背負った鑑のような王女だ。

「ひとつ、あなたに聞いてもいいかしら」
「なんでしょうか」
「あなたはどうして、わたくしの近衛騎士になってくれたの? 女性はあまり、得意ではなかったでしょう。病弱なわたくしを、哀れに思ったから?」

 リノは静かに首を横に振る。

「いいえ。あなたにお仕えしたいと思ったからです。僕に近衛騎士を依頼するとき、あなたはなんとおっしゃったか覚えていますか? 『より良い国にするために力を貸してほしい』とおっしゃったんです。守ってほしい、ではなく。王女としての志に感銘を受けました。あなたに仕えることが、俺の一番やりたいことなんです」
「……そう」

 ティナミアは、嬉しそうに頬を緩めた。
 そして椅子に座ったまま振り返り、リノを見上げた。

「これで、よろしいんですの?」
「それはどういう意味ですか」
「グエン先生は、あなたにとって恋敵でしょう。助けてしまってもよろしいの?」

 その問いかけに、眉を動かす。

「気づいていらっしゃったんですね。僕があいつを好きだって」
「……ええ。以前から、なんとなく」

 ずっと、エミリーが好きだった。
 幼いころから当たり前に傍にいて、これからも一緒にいるのだと思っていた。けれど、彼女の心は、突然現れたアステラ・グエンに一瞬で奪われてしまった。

 彼が命を落とせば、ふたりが結ばれることはなくなる。けれどそれは、人を見殺しにしていい理由にはならない。

(どうやったって俺は、アステラ・グエンに敵わない)

 記憶を失う前のエミリーはずっと、リノを巻き込まないように配慮したのか、アステラの呪いのことを一切話さなかった。 

 そして今、記憶を失っているにもかかわらず、エミリーはアステラを慕っているようだった。リノはエミリーだけを見てきたから、表情を見ればすぐに、恋しているのだと分かる。

 リノの胸に、エミリーと過ごしてきた日々が思い浮かぶ。

『リノ、足痛い。おんぶして』
『おじいさんが亡くなったって聞いた。辛いよね。今日は一緒にいるから。力になれることがあったらなんでも言って』
『今度の試験が終わったらケーキ食べに行かない? あのカフェ、お洒落すぎてひとりで入る勇気なくて。お願いリノ! 奢るからさ』
『いつもありがとう。私、リノが幼馴染でよかったぁ』

 リノに見せてくれた輝くような笑顔を思い出し、懐かしさと愛しさが込み上げてくる。
 エミリーが自分以外の男を愛していても、それでもいい。エミリーはもう十分すぎるくらい、リノに多くのものを与えてくれた。

 愛しげに目を細め、ティナミアに言った。

「いいんです。あいつが幸せなら、それで」

 なぜなら、エミリーの幸せが、リノの幸せだから。
 すると、ティナミアはこちらを見つめながら、静かに涙を流した。彼女の泣き顔を見て、リノはぎょっとする。

「で、殿下!? どうして急に、泣いたり……」
「ただ、悲しくて……。わたくしはリノさんにも幸せになってほしかったから」
「俺なら、平気ですよ。大丈夫ですから」

 何年もティナミアに仕えてきているが、彼女が泣いているところを見るのはこれが初めてだった。

 彼女は常に気品に満ち溢れ、王族としての威厳をまとい、他人に弱さを見せなかった。
 王宮の使用人に悪口を言われていたときにも、他国の王女に侮られたときも、大切にしていたドレスを誰かに破られたときも、母親が亡くなったときでさえ、涙を見せなかった。

 そんな彼女が、感情のままに泣いている。

「……もしかして、俺のために泣いてくれてるんですか?」
「ごめんなさい。わたくしが泣いたって、何かが変わる訳ではないのに……」

 自分を思い泣いてくれるティナミアに、渇いていた心が満たされるような、不思議な感覚になった。
 ティナミアは潤んだ瞳でリノを見つめたまま、絞り出すようにして言う。

「――わたくしでは、だめ?」
「……!」
「わたくしなら、あなたにそんな寂しそうな笑い方をさせません。わたくしは一途にリノさんだけを、大切にし続けるのに……」

 それを聞いた瞬間、自分の心臓が波打つのが分かった。

 一方のティナミアは、そこまで言いかけてはっと我に返り、おろおろと目を泳がせ始める。彼女の白い頬は、熟れたりんごのように赤く染まっていった。

「わ、わたくしは……その、いまのは……っ」

 心に留めておくはずだった思いを、勢い余って口にしてしまったような、様子だった。
 近衛騎士と頼んできたときから、ティナミアはいつも毅然としていて、まさか自分に好意があるとは思わなかった。一度だって、そのような素振りを見せなかったのだ。

「……いつからですか? そんな風に思ってくださったのは」

 恐る恐る尋ねれば、ティナミアはそっと息を吐き、静かに答える。

「…………訓練場で初めてあなたと会った日から、ずっと」

 まさか、ティナミアがそこまで自分を想ってくれていたと思わず、驚きが心を揺らす。
 リノは思わずその場に跪き、慎重に言葉を選びながらティナミアに尋ねた。

「その涙を拭う許可をいただけますか。俺のために流してくださった涙を」

 彼女がこくんとと小さく頷いたのを見て、リノはティナミアの頬に手を添え、次から次に零れ落ちていく涙を、親指の腹できわめて優しく拭っていった。

 自分より年下のティナミアを、それこそ妹のように思っていた。
 けれど、エミリー以外で唯一、手放しで尊敬できる女性でもある。
 そんな彼女の思いに触れて、リノの中で新しい何かが、確かに動き始めていた。
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