33 / 35
32
しおりを挟む「どうしてこんなことしたの? オリビア」
鉄格子の向こうから、エミリーがオリビアを見下ろしてそう言う。
「どうして……ですって?」
話したところで、最初から何でも持っているエミリーに、オリビアの気持ちなど分かるはずがない。
暗い牢屋から見上げたエミリーは、手持ちランプの明かりのせいかか、いつにも増して眩しく見えた。――憎らしいほどに。
「私はただ、あなたみたいに……なりたかった」
本当はこんなことを言うつもりはなかったのに、口をついたようにそんな言葉が漏れていた。
腹の底から感情が込み上げてきて、目頭がじわりと熱くなる。
豪奢な馬車に乗るエミリーを見たときから、羨ましかった。
優しくて、前向きで、小さな幸せを愛しく思える女の子の理想のようなエミリー。対する自分は、意地悪で、卑怯で、女に嫌われる女だ。
「家柄も、能力も性格も、何もかも、私はあなたに勝てない! ずっとそれが悔しくて、あなたなんか不幸になればいいと思ってたのよ!」
エーリクとの不倫がベルベラにバレたとき、彼女はオリビアを脅してきた。『不倫をバラしてあんたを社会的に殺してやる』と。
せっかく医療魔術師として頑張ってきたのに、たった一度の過ちでキャリアを潰され、貴族になる道を絶たれるのが許せなかった。
だから、入院してきた夫人に危険な魔法薬を飲ませて、殺した。
それを、エミリーに見つかってしまった。だが、エミリーはオリビアの罪を他の者に報告する前に、大怪我をした。だから、罪が明るみに出る前に、エミリーから記憶を奪ったのだ。彼女が最も大切にしていた記憶ごと。
すると、エミリーが言った。
「羨ましかったのは、私の方だよ」
「そんなはずない! 嘘言わないで!」
彼女の呟きに、一も二もなく、強く否定する。
「嘘じゃないよ」
エミリーは呪文を唱えた。すると、彼女の白い顔の半分側から、痛々しい痣が浮かび上がる。
「子どものころ、浄化魔術のコントロールを誤って暴発して、怪我したの。治癒魔術じゃ治せなくて、今は幻影魔術で常に痣を隠してるんだ」
エミリーに数多く来ていた縁談は、顔の傷を知った相手方が断ってきたという。魔物討伐に関わるの拒んだのも、浄化魔術へのトラウマが理由だった。
傷のことを知るのは家族だけで、リノにも言っていなかった。
けれど、そんな傷跡を受け入れたアステラがいたから、浄化魔術のトラウマを克服し、医療魔術師になったと――エミリーは語った。
「だからね、初めてオリビアに会ったとき、綺麗な人だなって思うのと同時に、心がざわざわした。私もオリビアみたいに綺麗な肌だったら、縁談が白紙になることも、男の人からひどい言葉を言われることもなかったのにって」
「なんて……言われたの?」
「私みたいな醜い女とは結婚できないとか、そんな感じかな」
エミリーは強がるようにへらりと微笑む。
「はっ、そんな無神経な男、こっちから願い下げだって言ってやればいいのよ」
「ふふ、オリビアならそう言うだろうね。はっきり思ったことを言えるところも、かっこよくて羨ましかった。石吐き症になるまで自分を追い詰めたのも、気持ちに蓋をする自分の弱さのせいだと思うから。……羨ましかったんだよ、ずっと」
「…………っ」
エミリーは手持ちランプを床に置いて、こちらをまっすぐに見据えた。火傷跡に覆われた顔が、ありのままに照らされていた。
「ないものはないよ。人と比べて辛くなることって、きっとみんなある。それでも、やれることを一生懸命やっていたら、他の誰にもない輝きを掴めるんじゃないかな。オリビア」
「うるさい! そんな綺麗事言ったって、もう何もかも遅いのよ……っ!」
オリビアの叫び声が、冷たい牢屋に響き渡る。
「私は人殺しなのよ? どうせ、処刑されるんだから」
平民が貴族を殺せば、確実に死刑だ。怪我をさせたり、暴言を吐いただけでも処刑されることがある。それほど、平民の命は貴族よりも軽い。
しかし、貴族たちは自分の地位や権力を利用して、情状酌量を求めたり、罪そのものを揉み消したりする。
だからオリビアは、一刻も早く、アステラのヘリオス魔術の論文を自分の手柄として発表し、功労者を受賞して貴族になろうとしていた。
石吐き症の利権のために、画期的な治療法を研究するアステラを、殺そうとしていたエーリク。
呪いをかけた魔物から、禁術である操作魔法がかけられていた痕跡が見つかり、エーリクの部屋からは魔方陣が書かれた紙が押収された。彼には余罪も複数あるので、貴族といえども制裁から逃れられないだろう。
すると、エミリーがふっくらとした唇を開いた。
「殺してないよ」
「…………は?」
「オリビアが夫人に魔法薬の包みを渡したあと、すぐに気づいて取り上げたの」
「じゃあなんで、二日後に亡くなったのよ」
「本当に、持病の悪化だったみたい。でも、私はオリビアが自分の罪を自覚するべきだと思って、言わなかった」
それを聞き、全身の力が抜けていくような感覚になった。
「ずっと、罪悪感を抱えているのは辛かったでしょ。自分の罪の重さが、時間とともにどんどんのしかかってきたんじゃない?」
「……」
「私が知ってることは、薬の包みと一緒に全部上に報告してる。記憶を奪う禁術を使った件もあるし、死刑はなくても医療魔術師の免許は剥奪されると聞いたし、そうなるべきだと思ってる。オリビアにはもう、医療に関わってほしくない」
エミリーはそうきっぱりと告げた。だが、実際に殺したのと殺害未遂では罰の重さが違う。
死刑を免れたのは、エミリーが気づいてくれたおかげだ。
エミリーがもう一度、生き直すチャンスを与えてくれたのだ。
「最後にひとつだけ聞かせて。私からグエン先生との思い出を全部奪ったのはどうして?」
オリビアがエミリーから奪った記憶はふたつだ。
ひとつは、夫人殺害に関する記憶。
もうひとつは、アステラに関する記憶。
夫人殺害の真相を闇に葬るだけなら、アステラの記憶を奪う必要はなかった。けれど、そうしたのは……。
「アステラさんを脅して論文を手に入れるため、ただそれだけよ」
オリビアが唇に嘲笑を浮かべて答えると、エミリーは表情に落胆を滲ませた。
「私を人殺しにしないでくれたのは、感謝するわ。でももう、あなたとは今後一切関わらない。友達ごっこはおしまいよ」
「……そう、分かった。今まで……ありがとう」
エミリーは最後に笑顔で礼を言い、牢屋を出ていった。彼女の笑顔を見る度に忌々しく思っていたのに、今日は胸の奥が切なく締め付けられた。
(私にお礼なんて、馬鹿じゃないの)
ひと月後にオリビアの裁判が控えており、それが終われば、特異医療院に足を踏み入れることはないだろう。
もう二度と、エミリーに会うこともない。
激しい劣等感に苛まれることもなくなる。
「これで、せいせいする。せいせいするはず……なのに……」
気づくと、オリビアの瞳から、熱いものが零れ落ちていた。
エミリーに追いつけなくて、ずっともがいてきた自分。けれど、オリビアが憧れてきたエミリーにもまた、苦悩があったと分かった。オリビアは何も知らずに、自分の欠乏感に酔いしれていただけだったのだ。
『私からグエン先生との思い出を全部奪ったのはどうして?』
先ほどのエミリーの問いかけを思い出し、拳を握り締める。
禁術は、強力な効力を発揮する代わりに、往々にして反動がある。つまりは――代償だ。
エーリクが魔物を操ってアステラを襲わせたときは、動物複数体の心臓を代償として捧げた。
そして、エミリーからアステラとの思い出を奪うために、オリビアはその年数分の――自分の寿命を捧げた。
「あなたに、生きててほしかったのよ」
無鉄砲で、優しい、たったひとりの友達だから。
憎しみだけではなく、オリビアの胸の奥に根付いていたものが確かにあった。ひとりで魔物を討伐するなんて無茶、もう二度としてほしくなかったのだ。
(馬鹿なのは、私ね)
どうしたって、関われば妬み、憎み、傷つけてしまうかもしれない。だから、ここで別れるのがお互いのためだろう。オリビアの呟きは、静寂に溶けていった。
656
あなたにおすすめの小説
忘れ去られた婚約者
かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』
甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。
レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。
恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。
サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!?
※他のサイトにも掲載しています。
毎日更新です。
(完結)婚約者の勇者に忘れられた王女様――行方不明になった勇者は妻と子供を伴い戻って来た
青空一夏
恋愛
私はジョージア王国の王女でレイラ・ジョージア。護衛騎士のアルフィーは私の憧れの男性だった。彼はローガンナ男爵家の三男で到底私とは結婚できる身分ではない。
それでも私は彼にお嫁さんにしてほしいと告白し勇者になってくれるようにお願いした。勇者は望めば王女とも婚姻できるからだ。
彼は私の為に勇者になり私と婚約。その後、魔物討伐に向かった。
ところが彼は行方不明となりおよそ2年後やっと戻って来た。しかし、彼の横には子供を抱いた見知らぬ女性が立っており・・・・・・
ハッピーエンドではない悲恋になるかもしれません。もやもやエンドの追記あり。ちょっとしたざまぁになっています。
(完)貴女は私の全てを奪う妹のふりをする他人ですよね?
青空一夏
恋愛
公爵令嬢の私は婚約者の王太子殿下と優しい家族に、気の合う親友に囲まれ充実した生活を送っていた。それは完璧なバランスがとれた幸せな世界。
けれど、それは一人の女のせいで歪んだ世界になっていくのだった。なぜ私がこんな思いをしなければならないの?
中世ヨーロッパ風異世界。魔道具使用により現代文明のような便利さが普通仕様になっている異世界です。
壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~
志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。
政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。
社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。
ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。
ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。
一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。
リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。
ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。
そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。
王家までも巻き込んだその作戦とは……。
他サイトでも掲載中です。
コメントありがとうございます。
タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。
必ず完結させますので、よろしくお願いします。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
(完)大好きなお姉様、なぜ?ー夫も子供も奪われた私
青空一夏
恋愛
妹が大嫌いな姉が仕組んだ身勝手な計画にまんまと引っかかった妹の不幸な結婚生活からの恋物語。ハッピーエンド保証。
中世ヨーロッパ風異世界。ゆるふわ設定ご都合主義。魔法のある世界。
嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜
みおな
恋愛
伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。
そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。
その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。
そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。
ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。
堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・
【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。
112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。
愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。
実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。
アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。
「私に娼館を紹介してください」
娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる