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 凛凛は、真面目で気難しそうな雰囲気の娘だった。年齢はらんかより少し上くらいだろうか。
 彼女はらんかをひと目見るやいなや、驚きと困惑の表情で、こちらに駆け寄って来た。

「樹蘭様……っ!? なぜ、なぜここにいらっしゃるのですか……!? そのお姿は……?」

 至近距離で顔を見つめられながら尋ねられる。近くで見ても疑われないということは、樹蘭とらんかは余程似ているのだろう。

「そなたは……誰だ?」
「え……」

 らんかは何も分からない、と言った様子で小首を傾げる。
 凛凛が驚く横で、孫雁が事の仔細を説明した。樹蘭は首を絞められ死にかけていたが、実は生きていて、記憶喪失になったのだと。

「そんな……っ。凛凛です、樹蘭様! 忘れてしまったのですか!?」
「悪いが……覚えておらぬ」
「孤児だった私を、樹蘭様が助けてくださったのです。小さな頃からずっと一緒に過ごして参りましたのに……」

 記憶喪失の事実を知った凛凛は、顔を歪ませて悲しむ。生きていた事実への喜びと、自分のことを忘れてしまっていた悲しみがせめぎ合い、涙になって零れる。
 らんかは優美な所作で手を伸ばし、彼女の頬に添えた。瞳からこぼれ落ちていく雫を親指の腹で優しく拭いながら、そっと唇を開く。

「……小、凛」

 すると凛凛は、元々大きな瞳を更に大きくさせた。

「そうです! 樹蘭様! 小凛です。あなた様はいつも私のことをそう呼んでくださったのですよ」
「自分が何者かさえ思い出せぬはずなのに……なぜだろうか。そなたの泣き顔を見ていたら、とめどなく……涙が溢れてきた」
「……!」

 らんかはつぅと両目から涙を流しながら、困ったように小さく微笑む。
 樹蘭は悪女と聞いていたが、記憶喪失になって棘が取れるというのはありがちな展開だ。らんかは以前、記憶喪失になって別人のように優しくなった悪役を演じたことがある。

(記憶喪失の役は……一度やったことがあったな。あのときは確か……高校生の役か)

 そして凛凛は、長い間一緒に過ごした相手。そのような相手と再会すれば、頭では忘れてしまっていても、心は何か覚えているのではないか。
 らんかは女優として、お涙頂戴シーンを、何十回、何百回と演じてきている。嘘泣きだって朝飯前だ。

 らんかの切々とした表情や態度、そして洗練された所作に、孫雁と文英は『あれは本当に先ほどまでのらんかなのか』と驚き、息を飲んでいる。
 らんかと凛凛のやり取りは、大切な友人との感動的な再会そのものだった。

「樹蘭様、なんとお労しい……っ。ううっ……」

 仕える身でありながら、主人の衣裳に縋り付き、泣き崩れる彼女。

(よっぽど、慕っていたのね)

 そんな彼女を騙していることに罪悪感を感じたそのとき、孫雁がぱんっと手を叩く。
 乾いた音が部屋に反響し、俯いていた凛凛は顔を上げた。

「――そこまで。合格だ」
「……はい」

 らんかは雑な手つきで自分の涙を拭い、先ほどまでのしおらしい態度が嘘だったかのように、飄々とした様子で孫雁を見上げた。
 一方、何が起こったのか分からずにきょとんとしていた凛凛だが、らんかの首に絞殺されたときの痣がないことに気づく。


「樹蘭様、首の痣は……?」
「ごめんなさい、凛凛さん。私は樹蘭様ではないんです」
「へ…………?」

 唖然とする凛凛に、文英が告げる。

「彼女は我々も見まごうほど皇后陛下に似ていらっしゃいますが、赤の他人です」
「う、嘘……」
「らんか様には今後、皇后陛下暗殺の犯人が見つかるまで、皇后陛下のふりをして過ごしていただきます。ですので、あなたも彼女を本当の主人だと思って接するように」
「それは……あんまりでございます。樹蘭様が生きていたと私を期待させて……っ」

 再び樹蘭が死んだ事実を突きつけられた凛凛は、顔を覆って嗚咽を漏らした。そんな彼女に、孫雁はどこか同情した様子で告げる。

「お前には悪いことをした。すまない。……部屋に戻って休め」
「……かしこまりました。皇帝陛下」

 凛凛は両手を重ねて前方にかざし、礼を執る。孫雁の命令に従って部屋を退出した。

(冷血漢と思いきや、一応人の心はあるみたいね)

 らんかは割と、根に持つ性格だ。殺すと脅したことは決して忘れてやるものか。
 部屋に残っているのは、らんかに孫雁、文英の三人。

「お前に演技の才があるということは分かった。今一度問う。お前に樹蘭のふりが務まるか?」
「はい。樹蘭様はたぶん――私の得意分野です」
「……?」

 らんかの得意分野は、悪役だ。なぜか今まで、悪役を演じるのが得意で、演じる機会が多かった。
 まさかその経験がこんな形で役に立つとは予想もしなかったが。

 らんかは孫雁の顔を見上げながら、不敵に微笑む。

「私なら、本物の樹蘭様より完璧な悪女になれる自信があります。ですから早く、犯人を見つけてくださいね?」

 そして絶対に、元の世界に帰してもらうのだ。
 孫雁は少しだけ面白そうに口の端を持ち上げ、こちらを見下ろした。

「演技の実力だけではなく、度胸もあるらしい。なかなか奇特な女がいたものだな。――気に入った」

 こうして、なりかわり転移妃が誕生したのだった。悠然とした態度で孫雁に対峙するらんかは、固く決意する。

(なんとしてでも役を務め上げて、元の世界に帰ってみせるんだから……!)

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