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「ぬるい! 後宮の女官はまともに茶のひとつも淹れられないのか!?」
「も、申し訳ございません……! ただちに淹れ直して参ります」

 皇后には、凛凛の他に複数の側仕えがいる。そして、凛凛以外には一切心を開かず、冷たく当たっていたという。
 らんかは座卓に肘をつきながら、女官のひとりを睨めつける。

「淹れ直す必要はない。気分が悪くなった。皆下がれ」
「か、かしこまりました」
「凛凛。そなたはここに残るのだ」

 傍で控えていた凛凛が小さく相槌を打った。
 そうして、凛凛以外の女官を退室させる。格子戸が閉じたのを確認し、らんかは肩の力を抜いた。皺を刻んでいた眉間を指先で撫でながら、あっけらかんとした様子で尋ねる。

「どう? 今の、悪女っぽかった?」
「は、はい、完璧です。いつもの樹蘭様を見ているようでした」
「そっか……」

 安心したような顔を浮かべたらんかは、ぐっと伸びをして背もたれに半身を預け、足もだらしなく前に出す。
 皇后は傲岸不遜な悪女、そして嫌われ者だった。それを演じるのは気疲れする。

 樹蘭の死は監察医の誤診であり、実は生きていたという事実は、世間を騒がせた。
 今は、内之宮で療養中ということになっている。その間、らんかは孫雁が手ずから書き記した興栄国の歴史、樹蘭の経歴、人物像などの資料を読んで記憶していた。

「喉渇いた……。悪いけど、水を持ってきてくれる?」
「すぐにお持ちいたします」

 凛凛は恭しく礼をして、水を用意し始めた。彼女の後ろ姿を見ながら、日本にいたころはマネージャーが身の回りの世話をしてくれたことを思い出す。

 らんかは机の下に置いておいた箱を引っ張り出す。
 箱の蓋を開けると、中には宦官の衣裳が収まっていた。これは凛凛に頼んで用意させたものだ。衣裳を両手で取り出してかざしてみる。

「恐れながららんか様、その宦官の服を何に使うおつもりでしょうか」
「これはね――私が着るの」
「…………はい?」

 いたずらを企む子どものように笑ってみせると、彼女は目を瞬かせる。

 らんかは、彼女から受け取った水を飲み干したあと、自分が着ているものを脱いでいき、宦官の服に着替えた。黒と赤を基調にした簡素な装いだが、らんかの気品は少しも損なわれていない。

 去勢した宦官は、髭が抜け落ち、喉ぼとけが小さく、少年のような声のままだと聞いた。らんかは女だが、女らしい特徴がある宦官なら疑いを持たれることはないだろう。

 それから鏡台の前に座り、用意させた男物のかつらを被り、髪型を整える。
 凛々しい眉を描けば、らんかは青年のような容貌へと変わった。それも、嫌味なくらいに美形の。

「らんか様は……化粧がお上手なんですね。まるで別人のようです」
「ありがとう。仕事をしながら化粧の勉強もしていたの。あなたもしてあげようか?」
「いえ。……お構いなく」

 らんかは女優をする傍らで、化粧の専門学校に通っていた。色々な役を演じる中で、化粧に興味を持ったのだ。

 皇帝は大勢の妃を後宮に抱えている。
 皇后は皇帝の正妃であり、妃の中でも格別の存在として位置づけられる。そして、序列的に皇后に次いだ身分になるのが、四夫人。上から順に、貴妃、淑妃、徳妃、賢妃。しかし、貴妃だった、美帆メイファンは、病死したため、四夫人の中で貴妃のみは現在空席となっている。

 後宮において、皇帝が居住する本殿から最も近い場所にあるのが、皇后が暮らす内之宮だ。そしてその奥に、東西南北に分かれた四つの宮が大きく佇んでおり、南は空き家、残りの宮に三人の上級妃が住んでいる。

 らんかは鏡を見ながら、爪を噛む。

(陛下にはただ普通に過ごしていればいいって、言われたけど……大人しくしてなんかいられない。犯人をさっさと捕まえて、元の世界に帰してもらわなきゃいけないんだから)

 いつ解決するか分からないものを待っていても仕方がない。このまま大人しくしていたとして、犯人が後宮のどこかにいるなら、いつ命を狙いに来るかもしれない。だったら尚更、じっとしていられないだろう。

 らんかは自分が日本から着てきたスーツのスカートのポケットを漁る。そこから出てきたのは、小ぶりな小物入れ。
 中に入っていたのは、酔い止め、頭痛薬、睡眠薬。靴擦れしたときのための絆創膏のみ。特に役に立ちそうなものはない。
 机の上に小物入れの中身を散らばして、ひときわ大きなため息を零すらんか。

 するとそのとき、格子戸の向こうから足音が聞こえてきた。女官の足音とは違うことに気づき、顔を上げる。
 がらりと戸が開き、孫雁と視線がかち合った。その横には文英が付き従っていた。
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