【完結】身代わり悪女ですが、殺されたくないので完璧を目指します。

曽根原ツタ

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「そのときにね、悪夢対策を凄く調べたんです。根本的な悩みを解消するのが一番かもしれないですけど、生活習慣でも改善できました。例えば――沢山運動する、とか」

 らんかはにこりと微笑みながら続ける。

「あとは、柑橘系の果物を食べるといいみたいですよ。焼き芋……は、どうかわかりませんけど」
「試してみる。気を遣わせたな」
「……いえ」

 孫雁は、冷酷で偉そうな人。
 そう思っていたが、この人も人間で、弱い部分を抱えている。先ほどのうなされ方は尋常ではなかく、昔の自分を思い出すようで胸が切なくなった。

「私は……樹蘭様が憎いです。陛下のお心をこんなに苦しめて……」

 生前も、孫雁の好意を無下にして傷つけてきた樹蘭。死してもなお、彼のことを苦しめているのが憎らしかった。

 この国の皇帝は、大勢の妃を持つことができるようだし、その地位があれば選り取りみどりだろう。たったひとりの、嫌われ者の悪女に固執する必要などないはず。
 拒まれ、疎まれてもなお、慕い続けるのは、畏怖さえ感じる。

「樹蘭様はひどい人です。きっと、陛下にはもっと良い人がいるのでは……? こんな風にあなたを傷つけたりしない人が――きゃっ」

 思わずそう呟いたところで、孫雁に押し倒されていた。

「陛下、」
「――お前に何が分かる」

 彼がついさっきまで横になっていた場所に背中が当たり、残っていた彼の体温が伝わる。抵抗しようにも、両腕を押さえつけられていて身動きが取れ取れない。
 彼の長い黒髪が重力に従って垂れ下がり、らんかの頬を無でる。

 らんかを射抜く美しい双眸は、怒りに揺れていた。そして、その歪んだ表情から、傷ついた心が伝わってくる。

「黙れ。樹蘭を貶めるようなことを次に口にすれば――その口を二度と効けなくしてやる」

 彼は片手をらんかの頬に添え、血色の良い唇に親指の爪を立てた。唇につめの先がくい込んで痛みを感じる。

 ああ、この人は。心酔し、執着し、盲目になっている。たったひとりの愛した女に雁字がらめになっている彼が、哀れで、美しくも思えた。らんかはこんな風に誰かを愛した経験がないから。

 らんかは彼に組み敷かれたまま、涙を零した。

「……っ。ごめん、なさい……っ。そんなに傷ついた顔、しないで……」

 ぽろぽろととめどなく雫を溢れさせるらんかを見て、孫雁ははっと我に返った。
 性急な動きで手を引き、らんかから離れる。

「すまない。つい怒りに任せて……」
「いいえ。何も知らないくせに、踏み込んで、ひどいことを言ったのは私です。傷つけるつもりなんて、なかったのに……っ」

 らんかも半身を起こして、彼に向き合って座る。

(どうしてだろう。この人の傷ついた表情を見ると、傷ついた声を聞くと、心が掻き乱されるのは)

 鏡の中で孫雁の声を初めて聞いたときからそうだった。彼が悲しんでいることが声から伝わって、胸が苦しくなって、なぜか泣きそうになった。
 それに、彼にこうして会う度、昔から知っていたような懐かしさを感じる。

「お、おい」
「うう……ごめんなさい。陛下……っ。私、陛下のことを励まそうとしたんです……っ」

 怒っていたはずの孫雁だが、らんかが子どものように泣き始めたのを見て、すっかり当惑の色を示している。

「分かったから。もう謝らなくていい。お前を許す」

 次の瞬間、彼の腕の中にいた。床に押し付けられていたときの乱暴さが嘘のように、優しい抱き締め方で。
 孫雁はらんかのことを、壊れ物でも扱うかのように包み込み、耳元で囁いた。

「だからもう、泣くな」

 彼の腕の中は、温かくて、心地が良かった。強ばっていた肩の力が勝手に抜けてしまう。
 顔をそっと上げると、彼は頬に手を添えて涙を拭ってくれた。その手つきが優しくて、胸の奥がきゅうと切なく締め付けられる。
 彼はこちらを見下ろしながら呟いた。

「こうして見ると、本当によく似ている。……お前が時々、樹蘭にしか見えなくてやりずらい」
「私は樹蘭様じゃありません。樹蘭様と重ねないで――私を見て」
「え……」

 その発言に、孫雁は眉を上げた。他方、思わず口から出た言葉に、らんかは顔を熱くなる。

(こんなの、陛下に好意があるみたいじゃない)

 すると彼は困ったように、眉尻を下げた。

「そうだな。少なくとも、樹蘭はお前ほど泣き虫ではなかった。すぐ怒ったり、泣いたり喚いたり、感情を表すこともしなかったな。お前は本当にこどものようだ」
「こどもじゃ、ないです」
「――だがなぜか、目が離せない」

 そのとき、孫雁の目に熱が宿ったように見えた。彼が樹蘭のことを語るときに見せる表情。また、らんかの脈動が加速していく。

(駄目だ、私……この人のことを好きになりかけてる。どうしてこんな、厄介な相手を……)

 らんかは自分の感情を自覚した。それはまるで、出会う前から恋をしていたようで。好きになったとしても、彼の目には樹蘭しか写っていない。絶対に振り向いてはもらえない相手なのに。

 冷酷な一面を持つ皇帝。ふいに見せる笑顔や、ふいに触れる優しさに、なぜか心惹かれてしまう。
 自覚した自分の気持ちに任せて、ゆっくりと、彼の肩に顔を埋めた。そして孫雁もらんかの背に腕を回す。そのとき。

 がたん。
 音がした方を振り向くと、扉の前に唖然とした文英が立っていた。直前の音は、手に抱えていたであろう書を床に落とした音だったらしい。

「ぶ、ぶぶぶぶぶ文英様!?」

 慌てて孫雁から離れるが、文英は何かを悟ったように微笑を浮かべ、何も言わずに部屋を出て行った。
 らんかは持ってきた毛布と書を抱えて、立ち上がる。

「私……内之宮に戻ります。文英様の誤解、解いておいてくださいね……! それじゃ、また何かあれば報告に来ますので……!」
「あ、ああ」

 文英に孫雁と抱き合っているところを目撃され、ようやく我に返ったらんかは、逃げるように執務室を出た。

 らんかは執務室の格子戸に背をもたれて、胸の辺りで拳を握る。そしてそのまま、床にへたり込むのだった。
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