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しおりを挟むらんかは夢を見た。夢にしては妙に生々しくて、現実味があって。
舞台は、天和宮の牡丹が咲く庭園だった。
(ここは……夢? 明晰夢ってやつかな)
夢だと自覚した状態で見る夢を、確か明晰夢と言ったはずだ。手足を自由に動かせることを確認したあとに、頬をつねってみると痛みがなかった。けれどそのときに思い出す。
(違う……ここは、鏡の中)
鏡に触れた瞬間、強い目眩がして倒れたのを覚えている。しかし、頬をつねって痛みがない、ということは意識だけ鏡の中に入ってしまったということだろうか。
ゆっくりと視線を上げると、建物の套廊に、孫雁らしき人物が座っていた。
「陛下……! もしかして、陛下も鏡の中に吸い込まれたんですか!?」
思わず呼びかけたが、彼はらんかの声に気づかなかった。それどころか、こちらの姿さえ見えていないようだ。
加えて、目の前にいる孫雁は今より若く、少年の姿をしていた。今の孫雁は近寄りがたい雰囲気がいつも漂っているが、少年の彼はあどけなさを残していた。
「孫雁様……!」
そのとき、鈴を転がしたような声が鼓膜を震わせた。
らんかの横をすれ違って行くその後ろ姿から、孫雁と同じくらいの年齢の少女だと分かる。長い黒髪を揺らしながら彼の元へと駆け寄った。ばっと振り返って彼の隣に腰を下ろしたとき、らんかは目を見開く。
(彼女は――本物の樹蘭様)
ひと目見てすぐに分かった。少女は樹蘭の幼かったころと瓜二つの容姿をしていたから。一瞬、過去の自分を見ているのではと思ったくらいに。
「樹蘭……! なぜお前が天和宮に?」
「お父上が宮廷にお仕事に参りましたので、付いてきたのですわ。ここに来れば、あなた様にお会いできるかもしれないと思って……」
「会えたな」
「ええ。会えました……!」
そう言って、花が咲いたような笑顔を浮かべる樹蘭。その表情を見て、その言葉を聞いて、彼女が孫雁を嫌っているようにはとても見えなかった。
むしろ、彼に特別な情を寄せているようにも思える。それに目の前の彼女は、悪女というには程遠く、可憐で、淑やかな令嬢だった。
樹蘭は懐紙に包まれた月餅をふたつ取り出して、孫雁に渡す。彼らは並んで座りながら、月餅を食べ、楽しそうに話していた。
「妾の月餅には胡桃が入っておりました。二種あるので、孫雁様の方には乾燥させた果物が入っているはずでございます」
「ああ、本当だ。これは……杏のようだ」
「甘いものがとても好きですの。孫雁様とご一緒に味わいたくて」
「ふ。そうか、ありがとう」
時折笑いながら話す様子は、本当に仲睦まじげで。
樹蘭が食べかけの月餅を差し出したのを見て、らんかの胸がつきりと痛む。
(ふたりとも、すごく楽しそう……)
自分が樹蘭に嫉妬しているのだと気づき、拳を握り締める。無意識に下唇を噛んでいて、鈍い痛みを感じた。
月餅を食べ終わったあと、孫雁がおもむろに言う。
「数年すれば、お前は皇后候補として後宮に入ることになるだろう。だが、周家出身というだけで、他の者からの心象は良いものではない。だから何か辛い思いをすることになるかもしれない」
「……とても怖いです。妾はとても、皇后にふさわしい女ではございませんもの」
「案ずるな。何があろうと、お前のことは私が守るから」
「まぁ……。そのお言葉が、どんなにか心強いです。孫雁様」
すると、彼は樹蘭の手に自身の手を重ね、真剣な眼差しを向けた。
「――私はお前のことが好きだ、樹蘭。お前は私のことを……どう思っている?」
「それは……」
樹蘭は頬を染め、しばらくの逡巡の末に答えた。
「今言うのは恥ずかしゅうございます。それはいつか……後宮に入ったときに」
思わせぶりな態度を取って、焦れったいと思っていると、場面が切り替わる。
孫雁も樹蘭も成長し、少年と少女から、青年と娘になっていた。
樹蘭は絹の寝着で寝台に腰かけ、孫雁が彼女を見下ろしていた。彼女は、先ほど見た楽しげな雰囲気が嘘のように、冷たい表情をしていた。孫雁が彼女に対して、気まずそうに言う。
「初夜だが、お前が嫌がることはしない。だからそう警戒するな。私はお前を今も愛している。必ず大事にすると誓おう」
初めての夜に、真摯な対応を取る孫雁。しかし、樹蘭は眉ひとつ動かさずに、凍えるような目で彼を見上げ、ぴしゃりと言い放つ。
「妾はあなたを――愛しておりません」
愛していないと告げられた孫雁は、ひどくがっかりしたような、傷ついたような表情を浮かべた。
(どうして……? 幼いころの樹蘭は陛下を慕っている様子だったのに。後宮に入るまでに、一体何があったの?)
孫雁は気を遣って寝所を出て行く。らんかは咄嗟にその後ろを付いて行った。扉の外に出た彼は、意気消沈して俯き、ため息混じりに零す。
「私の思い上がりだったのか? 樹蘭らそれでも私は……」
「陛下……」
彼はきっと、樹蘭が自分のことを好いていると思っていたのだろう。それも無理のないこと。樹蘭の態度は、傍から見ても好意があるようにしか見えなかった。
いつ心変わりしたのかは知らないが、思わせぶりな態度を取っておいて、やっぱりその気はなかったというのは失礼だと思う。
落ち込んでいる孫雁が気の毒で、彼の頬に手を伸ばす。らんかは意識だけの存在なので、触れることができずに指が肌をすり抜けてしまった。
「私が……本当の樹蘭だったらよかったのに。そしたら、あなたにそんな顔させなかった」
その呟きは、孫雁の耳に届くことはなかった。だだっ広い廊下の静寂に溶けて消える。
そしてその瞬間、また場面が切り替わった。今度は、らんかがこの世界に召喚された日の儀式の間にいた。祭壇の上に鏡が置いてあり、それを樹蘭が眺めていた。
「樹蘭、様」
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