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7.いただきますとごちそうさまの深い意味を知りました

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「え、えっと!それで、パンはライ麦パンにするといたしまして!何をお塗りいたしましょうか!?そして具材はどれにいたしましょう!?」 

 気づけばずっと背中を支えてもらい密着し続けていた、その腕の熱から離れ、自分ひとりで何とか椅子に座り直して言った私の声は上ずり、普段とはかけ離れた高さだった。 

 

 ああああああああ。 

 

 恥ずかしさにパトリックさまを見られない。 

 もうこうなったらオープンサンド作りに集中しようと、私はパトリックさまを見ることなくライ麦パンを手にした。 

「ローズマリーのお薦めで!で、もっと砕けようね。ということで、加算」 

「ううううう」 

 呻くように言いながらも、私は顔をあげない。 

 でもなんとなく判る、パトリックさまの楽しそうな気配。 

 

 パトリックさま。 

 今、きっと凄くにこにこしている。 

 

 パトリックさまの顔を見ないようにしているため、その表情は見えないけれど声で判る。 

 パトリックさまの声が弾んでいる。 

 その雰囲気が伝染するように、私の気持ちも軽くなった。 

「私の好みでいいですか?」 

「もちろん」 

 言われて、私はまずバターを薄く塗った。 

「私は、こうしてバターを薄く塗った上にたっぷりマスタードを塗るのが好きなんです。あ、でもマスタードによっては酸味が強いので注意が必要なんですけれど。ちょっと、匂いで確認してもいいですか?」 

「うん。どうぞ」 

 快く許可してくれたパトリックさまに感謝して、私はマスタードの瓶を引き寄せ自分の手で扇ぐようにしてマスタードの匂いを確認した。 

「ここのは酸味が少ないようなので、たっぷり塗りますね」 

 ライ麦パンにバターを塗って、マスタードをたっぷり塗る。 

 

 うん、いい香り。 

 

 風は心地いいし、目の端に見える風景は抜群。 

 そして、隣には楽し気なパトリックさま。 

 私は、とても幸せな気持ちでオープンサンドを作っていく。 

 しゃきしゃき葉野菜に、ハムと二種のチーズ。 

 他のひとが居るときには、その目を気にして食べやすさを重視しているため、余り盛らないようにしている具材を、今日は好きなだけ盛ってしまう。 

「ここまで盛るとかなり具沢山なので食べづらいのですが、幸福感は抜群です!今日はパトリックさましかいないので、許されて、ということで!」 

 仕上げにマヨネーズソースを少しかけ。 

 完成です! 

 と、私は出来上がったオープンサンドをパトリックさまに見せた。 

 見本としては最高だと、私は誇らしい気持ちになる。 

  

 我ながら会心の出来。 

 絶対、美味しい。 

 食べるの楽しみ! 

  

 思っていると。 

「おいしそう。いただきます」 

 パトリックさまがそれを器用に受け取って、思い切りひと口、かぶり付いた。 

 普段の上品さとはかけ離れた豪胆さだけれど、その食べ方には卑しさも下品さもまったく無い。 

 無い、けれど。 

 

 あら? 

 私のオープンサンド、では? 

 

 私の作ったオープンサンドを見本に、これからパトリックさまが自分のオープンサンドを作るのだとばかり思っていた私は、自分の手から離れたオープンサンドが、滞ることなくパトリックさまの口に消えていくのを亡羊と見つめた。 

「うん、おいしい」 

 幸せそうに笑い、ぱくぱくと美味しそうにオープンサンドを頬張るパトリックさま。 

 その言葉が嘘でない証拠のように、瞳がきらきらと輝いている。 

  

 パトリックさまって、色んな表情をされる。 

 

 婚約してからの時間は長いのに、三ヶ月前までは会ったこともなくて、どんな声のひとかも知らずにいたけれど。 

 

 たった三ヶ月で、色んな事を知ったわ。 

 

 そしてきっと、まだ知らない事もたくさんあって、それはこれから知って行く。 

 当たり前だけれど、パトリックさまは物語に出てくる登場人物ではなくて、今、私の目の前で現実に生きているひとだから。 

 そんなことを実感する。 

「マスタード、あんなに塗って大丈夫なのかと思ったけれど、いいね。凄く美味しかった。ごちそうさま」 

 すると、きれいにオープンサンドを平らげたパトリックさまが、濡れた布巾で手を拭きながら新しいパンを手に取った。 

「お、なかなか難しいなこれ。乗せ方失敗すると崩れてくる」 

 そして、苦心しながらも丁寧に具材を乗せていく。 

 何でも器用にこなすイメージのあるパトリックさまの、そんな一生懸命な姿に私はほのぼのとした気持ちになった。 

「サーモンにクリームチーズ。いいですね」 

 そしてパトリックさまが選んだ具材を見て、私もお腹が鳴りそうになる。 

  

 あの組み合わせ、私も好き。 

 あそこに玉ねぎのスライスを乗せて、オリーブオイルと岩塩と胡椒、レモンのスライスを足したら最高! 

 

 思っていたら、パトリックさまがその通りにオープンサンドを完成させた、けれどバランスが。 

「わわっ、崩れる!ローズマリー、早く食べて!」 

 パトリックさまの叫びと共に崩れ落ちるサーモン。 

 そして私へと差し出されたオープンサンド。 

「はぐっ」 

 結果。 

 私は、パトリックさまの手にあるままのオープンサンドを口にする、という事態に陥った。 

「ローズマリー。どう?おいしい?しょっぱかったりしない?」 

 パトリックさまの手にあるオープンサンドを、パトリックさまに食べさせてもらっている。 

 その事実に爆発しそうになりながら、私はこくこくとひたすらに頷いた。 

  

 おいしい。 

 確かにおいしいです、けれど! 

 

 恥ずかしい気持ちが優先する私は、食べかけてしまったオープンサンドをパトリックさまから受け取ろうとするのに。 

「よかった。ほら、もうひと口。あ、ジュースの方がいい?」 

 パトリックさまは甘やかすように言って、手ずからオープンサンドを食べさせてくれる。 

 それはもう、絶対全部自分が食べさせるという、意思の強い目を向けながら。 

「あ、あの。自分で食べられま・・る、から」 

 言葉遣いにまで視線を奔らせてくるパトリックさまに戦慄しつつ、自分で持って食べられると、それでも何とか言い切った。 

 

 頑張りました私! 

 

「うん。でも下手に動かすと崩れちゃうから。ごめんだけど、このまま食べてくれる?」 

 けれど、申し訳なさそうに言うパトリックさまにそれ以上何も言えず。 

「・・・ごちそうさまでした」 

 結局私はオープンサンドひとつ、全部まるっとパトリックさまに食べさせてもらってしまった。 

「おそまつさまでした」 

 最後のひと口。 

 もしかしなくても、触れてしまったパトリックさまの指。 

 

 私の唇に、パトリックさまの指、が。 

 

 恥ずかしさに固まりそうになった私の前で、パトリックさまがぺろりと自分の指を舐めた。 

 私の、唇に触れた指を。 

「っっっ!!!!」 

 意味にならない叫びをあげそうになった私は、なんとかそれを堪え自分の口を両手で抑えた。 

「ごちそうさま」 

 それなのに、パトリックさまは悪戯っぽくそう笑うばかり。 

  

 ごちそうさま、って。 

 ごちそうさま、って! 

  

 今オープンサンドを食べたのは私の方なのに、今のごちそうさまは何ですかパトリックさま! 

 そもそも、さっき自分がオープンサンドを食べた後は、すぐに濡れ布巾を使いましたよね!? 

 どうして今回は指を舐めてから濡れ布巾を使われたんですか!? 
 

 脳内大混乱して、はくはくしてしまう私の頭を落ち着けるように、パトリックさまがぽんぽん叩く。 

「はいはい、どうどう」 

「う、馬じゃありません」 

「もちろん馬じゃないけれど、ローズマリーは馬になってもきっと可愛いよ」 

「馬は可愛くて賢くて、高貴な生き物だと思います」 

「ローズマリーみたいだね」 

「馬に悪いです」 

「ローズマリーは、馬好き?」 

「はい、好きです」 

「じゃあ、今度乗せてあげようか」 

「ほんとですか!?乗りたいです!是非!」 

 気が遠くなりながらも、何とか交わす会話のなかで出た、魅力的な言葉。 

 私は、先ほどまでの羞恥も忘れて瞬時にそれに乗った。 

 横向けていた体勢も、がばりとパトリックさまに向き直らせてしまう。 

「じゃあ、今度一緒に乗ろう」 

 やっと目が合った、と嬉しそうに笑ってパトリックさまが頷いてくれる。 

「本当にいいのですか?あ、でも父さまが」 

 ずっと馬に乗ってみたかった私には、パトリックさまの申し出は堪らなく魅力だけれど、これまで馬に乗れなかった理由。 

 父さまの強固な反対を思い出して、膨らんだ気持ちが一瞬で萎んだ。 

「大丈夫。お父上には俺が話をするから」 

 危ないから、というその理由だけで私が乗馬をすることを絶対に許してくれない父さま。 

 いつも優しい父さまの、その厳しい顔を思い出して私は身が竦む思いがした。 

  

 でも。 

 パトリックさまが一緒なら、大丈夫、かな。 

 

「そのときは、私も一緒に行きます。パトリックさまがいらっしゃるから大丈夫です、って父さまにお話しします」 

 馬に乗りたいのは私だ。 

 それなのに、最大難関と思われる父さまの説得をパトリックさまにすべて任せる訳にはいかないと、私は強い気持ちで言い切った。 

「じゃあ、それは次の長期休暇のときかな。俺が、ポーレット侯爵邸にお邪魔させてもらうよ。一緒にお父上にお願いしよう」 

 気分前のめりで身を乗り出し言った私に、パトリックさまは優しく笑んでくれる。 

「はい。よろしくお願いします」 

 その笑みが凄く心強くて、私も自然と笑顔になる。 

「ね、ローズマリー。それはそれとして、今度の休みは一緒に街のベーカリーに行ってみないか?ついでに街のあちこちを巡ったりして一日過ごすというのはどうだろう」 

 オープンサンド、今度はローストビーフがいい、というパトリックさまのために具材を乗せていると、パトリックさまがそんなことを言い出した。 

「街、ですか?」 

 そのパトリックさまは、私のためにいちじくと生ハムのオープンサンドを作ってくれている。 

「うん。馬に乗るにはお父上の許可が絶対必要だけれど、街なら平気だろう?」 

「はい、大丈夫です、って。あの、パトリックさま?」 

 完成した、互いが互いのために作った、互いのためのオープンサンド。 

 それを、お礼の言葉と共に受け取ろうとした私は、パトリックさまに拒絶されて首を傾げた。 

「ね、ローズマリー。折角だから、食べさせ合いっこしない?」 

「なっ!?」  

 そして、とんでも無く心臓に悪い事を言い出したパトリックさまに、私は口をぱくぱくさせてしまう。 

 

 あなた、陸にあがった魚ですか!? 

 

 誰かが見ていたら、そう突っ込まれても仕方ない状況。 

「そんなに照れられると、ローズマリーごと食べたくなってしまうよ。はい、じゃあ交換」 

 くすくす笑いながら言ったパトリックさまが、あっさりと私の作ったオープンサンドと自分の作ったオープンサンドを交換した。 

 その余裕な様子に何となく胸がむかむかして、私はパトリックさまからぷいと顔を背ける。 

「からかうなんて、ひどいです」 

「からかってなんかないよ」 

「冗談でもいやです」 

「冗談でもない。至って本気」 

 ああ言えばこう言うパトリックさまに翻弄されている気がするのに、ちっとも嫌じゃないのは何故だろう。 

 

 それに。 

 冗談でもからかいでもなかったのなら、なんだか嬉しい。 

 

 なんて。 

 ものすごく恥ずかしいから、絶対に言えないけれど。 

 

 

 
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