【完結】僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~

葉影

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第一章

63話:騎士①

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 一瞬、幻聴かと思った。

 けれど、久遠を呼ぶ声は修斗の耳にも届いたらしく、久遠を閉じ込めていた力がふっと抜け、接近していた顔も止まる。

「――何してる」

 鋭い声が、静かに闇を切り裂いた。

 そこに現れたのは――神永だった。

 神永が修斗の肩を掴んでいる。表情は完全に凍りついていて、目が修斗だけを射抜いていた。

 ――嘘……。

 神永の姿を見た途端、久遠の体の奥から安心感が押し寄せて、涙となって込み上げた。

「あ……」

 何か言いたいのに、声にならない。それは、涙のせいもあるけれど、修斗を見る彼が見たことのない恐ろしい顔をしていて、口を挟むのが自然とはばかられたからだった。

「あ?離せよ」

「お前から離せ」

 神永の美しい顔はほとんど歪んでいなかった。けれど、眼力にこれ以上ないほどに力が込められ、真っ白な頬はぴくぴくと痙攣している。
 彼の手にも力が込められているらしく、肩を掴まれている修斗は身を捩った。しかし、彼は修斗を離さない。

 その様子に、修斗は少し笑った。

「あー……悪いけど、なんか勘違いしてない?俺たち今お互いに楽しんでたんだけど」

 軽く笑いながら言うが、久遠の両手を掴み上げている修斗の左手にはまた力が戻った。

騎士ナイト気取りのとこ申し訳ないんだけど、この子から誘ってきてるから」

 修斗はそう言って、久遠の顎を掴んだ右手の指を動かした。親指が久遠の舌に触れるほど侵入してきて、久遠の口から情けない声が漏れる。
 神永の方を見ると、目を見開いて久遠を見ていた。

 ――やめて、見ないで、こんな恥ずかしい姿……。

 久遠が泣きそうになると、その瞬間――視界が揺れた。

 バンッ――!

 激しい音がしたかと思うと、その瞬間に久遠は解放された。見ると、向かい側の壁に修斗が押し付けられている。神永が、力ずくで修斗を久遠から引き剥がし、壁に押付けたようだった。

 いきなり解放されたので、久遠は支えをなくしてその場に崩れ落ちる。

「彼女に触るな」

 久遠には、目の前で何が起きているのかが理解できないくらいだった。それほど、神永の声は今まで聞いたことがないほど低く、久遠が見上げた先の神永の眼差しは、別人のように恐ろしかった。

 突然背中を壁に叩きつけられた修斗は、咳き込みながら、しかし強い力で、神永の胸ぐらを掴む。

「ってぇな、邪魔してんじゃねぇよ!」

「警察に行きたいのか?」

「あ?」

「これ以上騒ぐなら警察を呼ぶ。彼女の同意のもとだって自信があるなら、ここで大人しく待って、警察に説明すればいい」

 神永にそう言われた修斗は、しばらく神永を睨み返していた。

 鼻が触れそうな距離でお互い視線を外さず、どちらが殴りかかってもおかしくない状況。足に力が入らず立ち上がれもしない久遠は、それをただ眺めることしか出来なかった。
  
「……チッ、しゃばすぎ」

 修斗から先に視線を外すと、神永の胸ぐらを掴んでいた手で神永の胸を押し、神永を突き放した。そしてジロリと地面に落ちている久遠を見やる。

「お前が欲しがったくせに被害者ヅラしてんなよ」

 そう吐き捨てると、びくりと身体を震わせる久遠から視線を外し、修斗はその場から去った。
  
 ――立ち上がらないと。

 壁をつたい、慌てて立ち上がろうとすると、バランスを崩して転倒した。――いや、しそうになった。

「小島さん!」

 地面に膝が着く前に、神永が久遠の脇の下に手を入れ、支えてくれた。

「チーム長、ごめんなさい、私……」

 足に力が入らない中、神永を見上げてそういうと、神永は苦しそうな顔をして言った。

「怖かったね。もっと早く来られたらよかったのに、ごめんね」

 声は、普段の彼の声に戻っていた。

 ――いや違う。優しく、穏やかで――慈しむみたいな声だった。まるで、昔久遠を大事にしてくれていた頃の彼みたいな。

「っ……」

 安心感で涙が溢れてしまった。早く止めなきゃと思うのに、思えば思うほど胸の奥が震える。感謝も謝罪も早く伝えきゃと思うのに、何も言葉にならない。

 神永が、そっと久遠の腕を持ち上げて立たせてくれた。

 足はまだ震えている。けれど、そばに神永がいるという安心感が、段々と呼吸を落ち着かせてくれている。

 神永に迷惑をかけてしまったという罪悪感以上に、縋りついてしまいたいという衝動に駆られる。けれどそこをぐっと耐えて、神永の腕から離れ、壁を支えにして立った。

「ごめんなさい、ありがとうございました……」

「帰ろう。送るよ」

 神永の申し出に息を飲んだ。送る、とは、レストランまで、ということではきっとないだろう。

「いや、そんな……そんなお手数かけられません」

 単なる上司に。

 久遠は目を逸らしたが、神永は真っ直ぐ久遠を見つめていた。

「このまま置いていけって言うの?あいつがどこにいるかも分からないのに?」

 そう言われて、何も言えなくなる。神永の気遣いを反射的に拒んでしまったけれど、現実的に考えると、久遠が1人で夜道を歩いて帰れるとは我ながら思えなかった。

「でも……」

「荷物、向こうにあるよね。待ってて、俺が取ってくるよ」

 神永が久遠に言って、そのまま店の方へ向かおうとした。――と、神永が一歩踏み出したところで、久遠は咄嗟にその袖を掴んでしまう。

「小島さん?」

「あっ……ごめんなさい!」

 なんで触れてしまったんだろう。不相応なことをしてしまった。自分でも信じられない。

 やってしまったと思い即座に手を引いたが、神永は久遠の目の前に戻ってきて、少し身を屈めてくれる。

「そうだよね。……ここで今1人残されたら心細いよね。気づかなくてごめん。俺と一緒に戻ろうか」

 神永の目は見れないが、落ち着かせてくれる彼の声が久遠を包む。

 混乱の中、こんなに優しくされて、もっと訳が分からなくなる。

 神永一織が元から優しい人なのは分かってる。部下が男に襲われて危ない目に遭ったら、彼なら誰にだってこうする。――わかってる。

「歩ける?」

「は、はい……。あでも――」

 久遠が踏み止まると、神永も一緒になって止まった。

「どうした?」

「ありすさん……。チーム長、ありすさんといらしてますよね。私と帰ったらありすさんが……」

「ああ、うん。大丈夫。戻った時ありすに一言かけるから」

「えでもそれじゃ……」

 しつこい久遠に、神永は呆れたように向き直った。

「今は小島さんの方が緊急でしょ」

「そう……ですかね、そうかもしれないですけど、でも」

 デートに来ていた彼氏が、急にほかの女と帰る展開になったらどうだ。自分が彼女だったら耐えられない。だから同意しきれなかった。

「あのさ、前から聞こうか迷ってたんだけど」

 神永が久遠の言葉を遮る。

「過去にこういうことで、つらい思いしたことあるの?」

「え……?」

「手」

 神永に言われて自分の手を見ると、細かく震えていた。

 まだこんな……。治まったと思ったのに。

 修斗の吐息が、前の会社のセクハラ上司の吐息の温さを思い出させた瞬間、手が震えてしまった。

「そんなに震えた手、見たことないから」

 久遠も自分の手の震えに自分で驚きながら、片手でそれを覆った。ただ、隠せるわけがなかった。覆った方の手もまた、同じように震えていたからだ。

「別に答えなくていい。ただ、その震え見ておいて、はい分かりましただなんて言って帰れないってこと」

 彼の声は静かだった。けれど、確かな芯があるような、説得力のある口調だった。

「ゆっくりでいいから、移動しよう」

 今度こそ久遠も黙って神永の後ろを歩いた。

 目の前の広い背中が、夜闇が与えるすべての不安から守ってくれる盾のように見えた。背中が広くて、久遠から前の景色が見えなくても何も怖くない。そばにいるのが彼だから。――もうとっくに私の恋人ではないけれど。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 店内に戻ると、すぐそばで騒ぎがあったとは知る由もない他の合コンメンバーたちが盛り上がっていた。そのギャップが普通の世界に連れ戻してくれるようで、久遠はかえって安心する。手の震えは残っているものの、鼓動はかなり落ち着いてきた。

 神永はその集団のテーブルを通り過ぎて、ありすが1人座るテーブルに向かった。久遠も自分の座席に置いてある荷物を持ち、神永のあとに続く。

 神永が声をかけると、スマホを見ていたありすが振り返った。

「もう、遅い!いつまで――」

 神永の後ろに久遠がいることに気がついたありすが口を噤む。久遠は居心地が悪く、ぎゅっと手を握った。

「ありす、悪いけど先に帰らせてほしい」

「え?何……どうしたの?」

「あの会のメンバーの一人が、小島さんを危ない目に遭わせたんだ。一人で帰したくないから俺が送ってく」

 神永はそう言い、椅子の背もたれにかけてあった自分の上着をとる。

 突然そんなことを言われたありすは目をキョロキョロと動かし、動揺しているようだった。

「え、でも、なんで神永が?神永じゃなきゃいけない理由って、あるっけ。ほら、男ならあそこに結構いるよ?」

 ありすが盛り上がっている合コン卓に目をやった。

 神永じゃなきゃいけない理由。デートに来ている彼女からしたら、当然の問いだった。

 しかし、神永は首を振る。

「何もしてない彼らには申し訳ないけど、俺が信用できない。同じようなことをする人がいないとも限らないから」

 久遠の身に何があったか知らないありすは眉を顰める。彼氏が他の女を送ると言い出し、しかも自分の知人が信用ならないと言われているのだ。心中は決して穏やかではないはずだ。

「ごめんなさい、やっぱり私大丈夫です」

 久遠が言うと、神永が久遠の方を振り返った。ありすも久遠を見ているので、2人分の刺さってきて冷や汗が出そうになる。

「タクシー呼びますし……」

「いいから。行くよ」

 神永はそのまま久遠の横を通り過ぎ、先に歩いていってしまった。

「ちょっと神永!」

 ガチャンッ

 置いていかれたありすが、立ち上がって神永を呼んだ。立ち上がる拍子に椅子がテーブルの脚にぶつかり、カトラリーが音を立てて落下した。その激しい音がレストランに響き、盛り上がっていた合コンメンバーたちもさすがにこちらの動向に気づき、静かになった。

 レストラン中が静かになってしまった状況で、神永がありすを振り返る。

「ありす。手癖の悪い男連れてきたこと、申し訳ないと思わない?俺は正直、ありすにも腹が立つ」

 冷たい目でそう言い放つと、久遠に「行こ」と目配せし、また歩き出した。今度は、ありすは何も言わずにその背中を見送っていた。
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