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第三章 魔族姫と白髪の聖女編
67:レイナ・リュミエミルの復讐
しおりを挟む──ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ……。
レイナ・リュミエミルは幼い頃からこの音が嫌いだった。だんだんと早くなるこの何かが軋む音が。ドアに背を預け、十歳にも満たないレイナは膝を抱える。音はこのドアの向こうから。時折己の母親の妖艶な声も混じってくる。聞きたくないと耳を塞いでも嫌でも聞こえてきた。かといってこの場を離れるのも怖かった。長時間この嫌悪感と向き合い続けていると気が狂いそうになるので、レイナはいつもこういう時は眠るようにしている。そうして事が終わるのを待つのだ。
……ふと、音が止んだ。レイナは目が覚めてぱっと顔を上げる。ガチャッとドアが開いたかと思えば、レイナによく似た女性が出てくる。膝を抱えているレイナを見つけ、女性はギョッとした。彼女はレイナの母親だった。
「やだ、レイナ! またドアの前で待っていたの? 隣の部屋にいてって言ったじゃない! 気持ち悪かったでしょう……」
母親に顔を覗きこまれる。レイナは唇を噛みしめてその豊満な胸に飛び込んだ。母はそんなレイナを抱きながら隣の客室へ移動する。レイナをベッドに寝かせるとその額に唇を押し付けた。レイナはひくひくとしゃくりあげ、母親に手を伸ばす。
「おかあさん、あたし、こわいよぉ……あたしのおかあさんがおかあさんじゃなくなるの、こわい」
幼いレイナの叫びに母親は顔を歪めた。しかし彼女がそんなレイナのお願いを聞くわけにもいかない。レイナの母親は「流れ娼婦」というもので、自ら商家や貴族の屋敷に出向いて身体を売っていた。家もなく、子供がいるために娼婦館も追い出された母親にはそれしか生きる道はなかったのだ。故にレイナのお願いを聞いてしまえば自分達が食っていけなくなる。身体さえ売れば最低馬小屋に泊まらせてもらえるし、食事も提供してもらえるのだから。
レイナの母親は「ごめんね」と呟いて、涙を零す。そんな彼女にレイナはそれ以上我儘を言えなかった。大好きな母親を困らせたくなかったのだ。
……というのも、レイナは彼女が強引に孕ませられた自分を見捨てなかったことを知っていた。妊娠が発覚した彼女は勤めていた娼婦館で腹の子供を殺す薬を勧められたが断固としてこれを飲まなかったという。それどころか薬を勧めてきた雇い主をぶん殴り、娼婦館を飛び出したとか。偶然出会った母親の旧友から教えてもらった事実はこんな状況でありながらも、レイナの中で母親への限りない愛と感謝を芽生えさせたのだ。
「おかあさん、だいすきだよ」
その言葉に偽りはない。レイナの舌足らずなそれにレイナの母親はさらに涙を流しながらも、優しく微笑んだ。
──時が流れ、レイナは十三歳になった。それなりに年頃の少女になったものの、レイナの母親は絶対にレイナを汚すようなことはしなかった。若く純潔なレイナを商品にした方が楽に儲けられることは明らかだし、レイナ自身がそれを提案した。しかし母親は決して頷くことはなかった。
そんなある日。常客の紹介により、これまでの客とはレベルが違う上物の仕事がレイナの母親に舞い込んできた。流れ娼婦を買うだけにしてはあまりに破格の額にレイナの母親は不審がったが、レイナが丁度原因不明の高熱に冒されてしまっていたためにそれを受けた。「早く終わらせて、そのお金で医者に診てもらうから」と母親がレイナに言い聞かせるとでっぷりと太った男と共に寝室へ入っていく。レイナは嫌な予感がしたが、高熱のためにそれを止めることは出来なかった。
客に用意してもらった部屋で彼女が大人しく眠っていると──ふと母親の悲鳴に目が覚めた。重たい身体を引きずって床を這う。必死に必死に母親がいる部屋へ進んだ。あの大嫌いな音が聞こえる。だが母親の声は何故か聞こえなかった。ドアを開けて、レイナが見たものは──
あの音が、耳に、こびり付く。息をすることさえ忘れた。
男がレイナの存在に気づくなり、血だらけで動かなくなった母親の上でにぃっと不気味に笑う。レイナはその時、そのまま膝を崩した。嗚咽で呼吸ができなかった。脳が目の前の光景を認識することを拒否していた。男が近づいてくる。逃げなければ。そう全身が訴えていたがそれでもレイナは母親から離れたくなかった。
「おかあさぁん」
男がナイフを振り上げる。レイナはそんな男に目もくれず、母親の亡骸の前で茫然としていた。
──そんな、時だ。
突然、レイナの身体に熱が走る。全身が強い輝きに満ち溢れ、それを浴びた男の両目が焼けた。部屋の床に無様に転げまわりながら苦しむ男にレイナはさらに混乱する。するとそこで己の髪が白へ変色していることに気づいた。それは紛れもない、絶対神デウスからの寵愛の証。レイナは自分でも不思議に思うほどあっさりとその意味を理解する。つい先日、かの有名な白髪の聖女がその加護を失ったという話を思い出したのだ。
──つまり、その女の代わりにあたしが絶対神デウスに選ばれたということなのね。
レイナはそんな己の白髪をサラリと撫で、未だに泣きわめいている男から自分を救ってくれた絶対神デウスに感謝──するわけがなかった! 何故なら、
──だって、それは絶対神デウスは実在していながらも、母を見捨てた事実の証明に他ならないじゃない!!
レイナは白髪を握りしめ、引きちぎる。そして男のナイフを握り、転がる彼の皮膚に刃を突き立てたのだ。ふざけるな、ふざけるな。何度も何度もそう呟いたレイナはピタリと動きを止めると、フラフラと立ち上がった。そして母の亡骸を抱きしめながら誓う。
──復讐、してやる。
──デウスが本当に存在しているというのなら、たった今あたしを救ったというのなら、母だって救えたはずだ。
──しかしデウスはそうしなかった。母を見捨てた。絶対に、許すもんか。絶対に、復讐してやる!!
──彼女はその後、「新しい白髪の聖女」としてエレナの前に現れることになる。
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