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第四章 エレナと桃色の聖遺物
84:もう誰も傷つけないように
しおりを挟む──瞼を閉じると、今でも思い出す。
飛び散る肉片。頬についた生ぬるい赤。「化け物」と己の罵る母の声。
──違う、私は、私はただ……お母さんを助けたかっただけなの。
──この大槌がこんなに恐ろしいものだなんて知らなかったの。
──そんなに力を入れていないのに……。
──ごめんなさい、ごめんなさいお母さん。泣かないで。
そう伸ばした手は、鋭く叩かれた。そして彼女は私に恐怖で引き攣った顔を向けて、「出ていけ」と。
どうしようもなくなった私は、大槌を抱えたまま家を飛び出した──。
***
「ちょっと」
「!」
焚火を眺めながらぼんやりしていたサラは降ってきた声にハッとする。顔を上げれば紫の短髪を持つ竜人──アスモデウスが立っていた。アスモデウスは木の板いっぱいに乗せられたアドラメルクの料理をサラに渡す。
「アタシはアスモデウス。見ての通りテネブリスの者よ。ほら、食べるといいわ。あのお人よしプリンセスがアンタが腹減っているだろうからってうちのコックに作らせたの」
「お人よしプリンセス? ……あぁ、エレナのことか。馬鹿だな、オレはもうすぐ城を襲うっていうのに」
「そうよ。あの子は馬鹿よ。ったく、振り回されるアタシ達の身にもなりなさいよね」
ため息を溢しながらサラの向かい側に座るアスモデウス。サラはそんな彼の美しい顔に見惚れた。
「それで。お前はオレの監視役ってわけか」
「御名答。決して慣れ合うつもりはないから話しかけないでちょうだい」
「なんだよつれねぇなぁ。ってか、男の癖になんでそんな変な口調になってんだ? 見たところ、心が女ってわけでもねぇんだろ?」
「……なんでもいいでしょ別に。色々と事情があんのよ。それを言うアンタだって、無理やり男のように振る舞って変よ。本当は女らしく振る舞いたいくせに無理してるように見えるけれど」
「!」
自分の本心を見抜かれたサラは目を丸くする。アスモデウスはサラと目が合わないようにか、焚火をひたすら見つめていた。穏やかな沈黙が二人を包む。それを破ったのはサラだ。サラは大槌のロイの長柄に巻かれた紐を解きながら、泣きそうな子供のような表情を浮かべる。
「──オレさ、こいつで自分の父親を殺したんだ」
「!」
アスモデウスの一部が欠けた左耳がピクリと動いた。怪訝そうにする彼を余所に、サラは言葉を続ける。
「こいつ、小さい頃の遊び場だった洞窟の奥で見つけてさ。一目見た時は土だらけでボロボロだったから何の価値もないだろうと思って一度は捨てたんだ。だけどなんとなく放っておけなくて……仕方ないから水で洗って綺麗にしてやったのがこいつとの出会い」
「なによ。別にアンタの過去なんか聞きたくないのだけど」
「いいじゃねぇか。暇つぶしと思って聞いてくれよ」
アスモデウスは再度ため息を溢す。サラはなんとなく彼がこんな自分の話を最後まで聞いてくれる“お人よし”であることに気が付いていた。そんな彼に心地よく感じつつ、己の過去を思い出していく……。
サラの父は己の感情を制御することがとことん苦手な人間だった。普段は心優しく、穏やかな良き父であったのだが──それ故に信頼していた人間に騙されることが多々あった。特に多額の借金を背負わせられた時の父の荒れ模様は凄まじかった。今までため込んでいた、裏切りによる怒りと悲しみが一気に爆発したのだろう。父は母に暴力を振るった。何度も、何度も、母を殴る。母の泣き声、父の怒号……まだ子供だったサラはこのままでは父が母を殺してしまうのではないかと考え──庭に隠していた大槌を握りしめた。必死だった。自分なりに家族を守る方法を考えた。その結果がこれだった。父をどうにか気絶させてその場を収めようとしたのだ。父の背後でサラは大槌を振り上げ──
──気付けば父は細かい肉片へと化していた。
何が起こったのか分からない。己の頬に触れると生ぬるい液体が手の平に広がる。そして放心するサラに彼女の母親は罵倒を浴びせた。サラは訳が分からないままロイと一緒に家を飛び出す。裸足のまま、どこに向かえばいいのか分からないまま……。ただただ彼女の心は「父親を殺した」という罪悪感で腐り始めていった。
数日後、狩りの知識も技術もない彼女は当然餓死しようとしていた。ようやく見つけた洞窟の中で雨宿りをしながら、「ああ、自分はここで死ぬんだ」と確信していたのだ。
しかしその時──大槌が勝手に動いた。そして己の意思があるかのように浮遊し、雨の森へ消えたかと思うと果物を長柄に刺して戻ってくるではないか。大槌はそれを繰り返した。サラは大槌が持ってきた果物を無我夢中で貪った……。
そうしていると、次第に彼女と大槌に絆が生まれる。大槌と心を通わせるようになったサラは自分が父親を殺したのは大槌の魔力回路が一時的に暴走してしまったことが原因だと知る。大陸中に散らばる聖遺物にはそんな未知数の危険が潜んでいることを知ったのだ。
そこで、彼女は──
──ならば私が、破壊しよう。そんな恐ろしいものがこの世にあるというのならば。
──これ以上私のような人間を生み出さない為に尽力しようじゃないか。
──それが、せめてもの父への償いだと信じて。己が背負った存在意義だと、信じて。
そう誓い、大槌のロイと聖遺物ハンターとしての旅を始めたのだ……。
「──聖遺物ってのはロイみたいに本来は悪いやつじゃねぇんだ。だけど魔力回路がおかしくなっちまって、力加減が出来なくなることがある。聖遺物自身、人間に不本意に牙を剥くことで傷ついてんだよ。そんなのどっちも救われねぇじゃねぇか。……そんな不幸を食い止めることがオレの役割だと思ってる。破壊神の大槌と一番に出会ったのも運命めいたものを感じるしな」
「…………、」
アスモデウスは何も言わない。サラは「聞いてくれてありがとな」とにっと歯を見せた。そしてアドラメルクの料理の最後の一口を口に放り込むと膨らんだ己の腹を撫でる。
「ぷはぁ! うまかった! ごっそうさん!」
「ふん、下品な女。そんな話聞いても、アンタがテネブリス城を襲いに行くというならばアタシは容赦なくアンタを殺すわよ」
「分かってるよ。ただ話を聞いてもらいたかった気分だったんだ」
──と、ここでアスモデウスが眉を顰めた。誰かがこちらに歩いてくる気配がしたのだ。恐る恐る振り返ってみると……
「アンタ、どうしてここに……っ?」
桃色の長髪に覆われた天使がこちらを見て、静かに佇んでいた。天使もといリリィはサラに向かって、微笑む。
「──リリィの気持ちを汲み取ってくれる優しい人間よ。どうかその大槌で、リリィを破壊してください。もうリリィが、大切な家族を傷つけることがないように……」
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