形而上の愛

羽衣石ゐお

文字の大きさ
2 / 25
形而上の愛

二〇一九年七月十五日月曜日

しおりを挟む
 〇
 今日は、久々の祝日だった。
 同室者の、「ああっ、もう携帯の通信制限来ちまったよ!」という声で目覚めると、続いて文句が垂れて来た。
「なんで学校はWi-Fiがあるのに、寮にはないんだろうなあ。工業高等専門学校の寮としてどうなんだよ」
 そんな不遇を託つ様を微睡の中で捉えつつ、ふと夜中に届いたメールのことを思い出した。


 朝食を食べてから、メールを開いてパスワード変更画面に飛んだ。



 ユーザID、従来のパスワード、新規のパスワードを打ち込んだ。確定ボタンを押し、――果たして、弾かれた。『現在のパスワードが有効ではありません』と。
 もう一度変更を試みて、また弾かれた。続いた失敗に面倒くさくなって、痒くもないのに頭を掻いていた。
 そして、ふと視界に映った目覚まし時計が私を煽りたてた。
「まずい。時間がない」

 ハンガーからワイシャツを乱暴に取った。


 〇
「あ」
 彼女が、いた。
 四阿の左側の腰掛で、申し訳なさそうに両手を腿に挟み、俯いていた。薄桃色で、綿麻生地のロングワンピースを装い、麦わら帽子を深々とかぶっていたが、私には、あれが絶対に彼女だ、という直感があった。理由はやはり、肌の白さと、亜麻色の髪だった。
 今は午前十時ほど。もう直ぐ南の空に日が差し掛かるところで、わりかし涼しげな空気でも、降りかかる陽光は酷く熱い。
「あ、来てくれたんですね! 待っていましたよ!」
 彼女はやや興奮気味に、私を歓迎してくれた。待たせていたのか、と少し悪い気がして、「待たせてしまったかね」と訊いてみた。いや、そうじゃないだろう。なぜ自分の非を認めようとしないのだ。
 すると彼女は眉を立て、
「待ちました」
 と少々怒っている様子だった。私はもう、とにかく謝るしかない、と頭を垂れようとしたとき――。

「――と、言ったほうが貴方は今度からもっと早く来てくれますか」
 
 なんて、彼女は茶化してきたのだった。
「ああ、来よう。是非来よう。学校が終わったらダッシュで来よう」
 と、まるで忠犬のように諂ってみせる。
 それを見て彼女は、「ありがとうございます」と破顔した。
 それは、大変に眩しいのだった。昨日の斜陽のように直視が出来ない、笑み。
 昨日ほどではないが、胸の高鳴りようといったら、グラウンドを三周した後のようで、視界はちかちかと、酸欠気味だった。
「一ついいかね」
「どうしましたか」
「……名前を、訊いてもいいかね。因みに、私は東雲秀一しののめしゅういちだ。東の雲で、東雲。秀でるに数字の一で、秀一だ」
「東雲くんですね」
 ほう、これは、大変素晴らしい。尤物が名前を呼んでくれるということは、どうも罪悪感の含まれた心地良さが身に浸るらしい。
「私はゆい。結ぶ、で結です。……結ちゃん。と呼んでください」
 結。良い響きだ。今世紀呼びたくなる名前ナンバーワンではないだろうか。
「いい名前だ。して、苗字は」
 すると、彼女は、呆れたように、
「もう……。苗字を言わないってことは、名前で呼んでいいってことなのに――わかってないですねえ」
「ほう……結ちゃん。と呼べと」
「そう、名前で。いいですね、わかりましたね、東雲くん」
「秀一くん、で構わない」
「遠慮しておきます」
「何故かね」
「そ、それは……」と、彼女はまどろっこしそうに口をもごもごして、なにかと煮え切らない様子だ。そしてそのまま俯き、直後、停止した。びた一文動かない。
「……結ちゃん?」
 と私は声を掛けてみた。すると、

「ああ! 私の苗字は南雲なぐもです! 南雲とそう呼んでください! うう……」

 と、酷く紅潮しながら、飛び起きて叫び、果てに再び俯いたのだった。萎れた彼女から、「恥ずかしい……恥ずかしかったんですよう……」と零れた。ときにこの生物はなんというのだろうか。めちゃくちゃ可愛い。私は恥ずかしさよりも、この生物の愛嬌さを、もっと見てみたかった。
「ときに結ちゃん」
「ねえ、南雲と呼んでくださいと言ったじゃないですか! もう……しゅ、秀一くんの意地悪」
 彼女に名前で呼ばれるということは、まるで無重力空間に身を投げうったようだった。おい、これ、大丈夫かね。警察に淫猥罪とかで捕まらないだろうね。

 そして私たちは飽きもせず、三時間ぐらいずっと話し込んでいたのだった。


 〇
 話終えたころには、もう日は南の空を超過していた。
 彼女が、「これから私はバイトに行かなければいけないので、この辺で」と、話を切ったとき、私は、「バス停まで送ろうかね」と対応するも、「東雲くんは、寮生なんですよね。学校とバス停は逆方向ですから、悪いですよ」と、本当の親切心から言われたような気がしたので、流れるままに頷いたのだった。
 しかし彼女はこう言っていた。

 また、会いましょう。と。

 こんな早々に電話番号を訊くなど、到底そのような勇気は持ち合わせていないから、「では、またここで」と釘を刺しておいた。
 早速、私は明日の放課後にここへ来ようと企てていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。  タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。  しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。  剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

処理中です...