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第二章 王立学院中等部一年生
80 学院祭一般公開日③
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Side:アシェル13歳 冬
この状況に全く動じていなかったアレリオンとアルフォードは、アシェルに近づいて左右から挟むように抱き締め、代わる代わるその頭を撫でる。
「アシェ、よくできました。あとでちゃんと、コレを選んだ責任者とグレイは怒っておくからね。」
「お疲れ様。魔力操作の練度も上がってるな。多分アイツは、なんで魔法が使えなかったのか分かってないぞ。」
物心ついた時から惜しみなく与えられるその温もりが、アシェルの心も温かくしてくれる。
兄達にしかできない、アシェルを癒してくれる魔法だ。
「ありがとうございます。ちょっと居場所がバレたくらいで殺気を出すなんて、護衛としてどうかと思いますよね。護衛対象を危険に晒す可能性も解らないなんて。」
戦意喪失した後にまでボロクソに言われた男は、グレイニールの他の護衛に連れていかれた。
メイディー三兄弟がイチャイチャとしている間、説明を求めるような幼馴染達の視線がグレイニールに刺さる。
「まぁ、一般的には知られてないよね。アークも知っていたはずなのに、きちんとは理解できてなかったみたいだし。」
ちょっとだけ弟を非難したグレイニールは、そのまま言葉を続ける。
「割と王家とメイディー公爵家は、近い年齢の子供が産まれることが多くてね。医師家系ということもあってか、大体幼馴染として育つんだよ。たまに乳兄妹として育つこともあるらしいくらい、家同士の仲が良いんだ。だから君達の集まっていた“非公式お茶会”がなくても、アークとアシェル殿はいずれ引き合わせられていただろうね。」
グレイニールとアレリオンが、アルフォードとアビゲイルが引き合わせられたように。
何かしらの理由をつけて一緒に行動するようになっていたはずだ。
「アレを見てわかる通り、メイディー家は家族愛が強い。……とはいえ、彼らはその中でも群を抜いているけれどね。そして、何故か王家にもその愛情と言う名の過保護は、無条件に発揮されるらしくてね。幼少期からの教育の結果でもあるんだろうけど、彼らはそれを疑うことなく、当たり前のようにこなしてしまうんだ。可能な限り傍に居ることや、口にするものの確認、体調管理から護衛まで。君達にも覚えがあるんじゃないかな?家族の次に一番の、アークに対して程の過保護ではないにしても。」
問いかけるようなグレイニールの言葉に、幼馴染達は頷いた。
あまりにもいつもの光景過ぎて忘れがちだが、買い食いや飲食店での食事は、可能ならアシェルが一口ずつは口をつけてから食事を開始する。
友人達のものを味見しなかったとしても、アークエイドの食事に手をつけないことは絶対にない。
それに彼らに近づこうとするご令嬢達の矢面に、アシェルは積極的に立とうとしている。
可愛い女の子の反応を見るのは楽しいよね、なんて笑って言うが、最近は絶対に楽しんでいるというよりもストレスを溜めているだけのようだった。
やっと楽しそうに周りを揶揄う様になったのは、執事喫茶のあのスペース内だけだ。
それぞれ身に覚えのある話に、色々なことを思い出しながら続きを聴く。
「メイディー家は、本気を出せば王家なんて一瞬で滅ぼせるくらいの実力がある一族だよ。体質に加えて、その体質を活かして魔力を扱う訓練をするからね。どんなに修練を積んでいても、メイディー直系に敵う魔法使いは少ないんじゃないかな。その上、薬物にも精通していて所持も認められているときている。メイディー直系だから許されるが、これが他の家の加護に必要だったとしても、所持は認められなかっただろうね。限りなく暗殺者向きの医者で陰の護衛。彼らが居るから、私達は沢山の護衛を引き連れて勉学の場に通わなくても良いんだよ。外出もね。」
メイディー兄妹の話題が先程の件から、アルフォードがアビゲイルの傍に居ないことへの非難に変わったようだ。
アレリオンとアシェルがくどくどと、アルフォードに説教をしている。
「まぁ、家族や友人達は本当に大切にする血筋だから。さっきのアシェル殿を見ても、怖がらないでやっておくれよ。あの状態が根幹にあるのだとしても、普段の優しい姿もまた彼らだからね。むしろよくこれだけの人数とシルコットの双子を、平然と守ろうとするなって関心するくらいだよ。人当たりが良いように見えて、アンとアルの本当に守りたいものはそんなに多くはないからね。さて……私の思うメイディー家のことを話したけれど、質問があれば分かる範囲で答えるよ。」
「もしかして、俺が冒険者活動できているのも、アシェが居たからですか?」
確認するようなアークエイドの言葉に、グレイニールは頷いた。
「居なければ母上の許可は降りなかっただろうね。まぁ、母上はアシェル殿の許可が出たことに驚いていたけど。ちなみに私の視察の護衛が最少人数なのも、アンかアルが居るからだよ。というより、私が行くところにはアンが絶対についてくるからね。アルが過保護になり切れてないのは、アビーが女性だからと言うのが多分にあると思うよ。婚約者候補とはいえ、四六時中一緒というわけにはいかないしね。」
学院では寮も、学年も違うので授業も違うのだが、何だかんだでアビゲイルとアルフォードが一緒に居る姿を見かける理由に納得がいった。
そしてアシェルと比べて、確かに過保護になり切れてはいないのだろうとも。
「殿下……私はアビー様を、アシェやアルフォード先輩のように守れる自信はありません。」
この一連の流れと話に思わぬダメージを受けたのが、アビゲイルから猛烈アタックを受けているノアールだった。
ノアールの領地は辺境なので、王都から見れば一番遠い地域だ。
領主となって自分の領地を守っていくつもりでいるので、ノアールと婚姻を結ぶということは、アスノームにある領地で暮らしていくということだ。
社交界シーズンにタウンハウスに滞在することはあるかもしれないが、それもずっとではない。
そんな辺境の地に、ある意味最強の護衛から引き離して連れていくことに、ノアールは不安を覚える。
その不安を汲み取ってグレイニールは苦笑する。
「それはノアール殿が気にすることではないよ。メイディーの者が我々を大事にしてくれる血筋なら、我々は一目惚れ体質の執念深い血筋らしいからね。どんな理由をつけても、アビーはノアール殿を逃がさないと思うよ。アビーのことだから、断られたら死んでやる、くらい言ってるんじゃないかい。」
「……言われました。」
「ふふ、だろうね。私も近いことをシルに言ったしね。アビーのことが嫌いなら仕方ないけど、好意的に思えるのなら貰ってやってほしいかな。まぁ、卒業まで猶予はあるし、じっくり悩んで決めてくれたらいいよ。」
「はい。」
そんな会話が繰り広げられていることなど、メイディー兄妹はつゆ知らず。
まだぐちぐちとアルフォードを責めていた。
「大体、なんでアビー嬢と違う場所で役員の仕事をしているのかな。やっぱりユリウス君に一度きちんと——。」
「いい、言わなくて良いから!!良いんだよ、アビーと俺でちゃんと納得してるんだからっ。」
「良い訳がないでしょう。今日から一般公開日ですよ?昨日までならいざ知らず。アン兄様が怒って当然です。」
「あーもうっ。アビーのところにはシャーロット嬢と、ダリルが居るから良いだろっ。ちゃんと、魔法と武芸方面配置してるんだから。」
「シャーロット嬢じゃ刺客に気付けないでしょ。」
「ダリル先輩じゃ魔法でイチコロですよ。」
「仕方ねぇだろっ。大体、結界学のヤロウのせいで、人員割かれてるせいなんだよ。どうやってもアビーと一緒の配置は難しかったんだよ!だからってアシェに手伝ってもらったら、殿下が無防備になるか一緒に缶詰になっちまうだろ。」
「それはいただけませんね。僕は初めての学院祭ですし、アークを放っておけませんから。一般公開中は寮内ですら警戒すべきだと思ってるのに。」
初日にアークエイドのことを放置して魔術や薬の論文をじっくりと読み込んでいたが、あれはマリクが傍に居たから出来たことである。
マリクが居たとしても、一般公開日だったら論文を読むのを諦めていただろう。
「一応検討はしたんだね?それにしても、あの教師のせいか。派手に魔力を吸われてたみたいだね。枯渇の治療ついでに、ちょっと回路をいじってやったから、もう魔法はちゃんと使えないんじゃないかな。」
幼馴染達との話に一区切りついたグレイニールに、アルフォードからの助けてくれという懇願の視線が飛んでくる。
こうなったアレリオンを止められるのはグレイニールくらいだ。
「アン、それくらいにしてやれ。今年の学院祭は、去年までと同じというわけにはいかなかっただろうからね。アビーの最後の一年は、アルフォード無しで過ごさないといけないんだ。その予行訓練だとでも思えばいいよ。」
「……グレイが言うのなら仕方ないね。確かに今年はイレギュラーなようだし。」
「アシェも、もう十分に充電出来ただろ?それに、皆で昼ごはん代わりに野菜かじるんだろ。アシェがずっと兄達といると、皆が食いっぱぐれるんだが?」
アークエイドも助け舟代わりにアシェルに声をかける。
一連の騒動で忘れられているかもしれないが、本来ここで野菜を食べる予定ではなかっただろうか。
アークエイドに指摘されたアシェルは、あ、と声を上げ、しょんぼりと眉を下げた。
「ごめんね、すっかり忘れてた。皆お腹空いているよね。……あの辺りは誰もいないから、あそこで食べよう。」
すっかりいつも通りのアシェルが示した場所に、ぞろぞろと幼馴染達は移動した。
ノアールとエトワールは『ストレージ』から、領地で採れた自慢の野菜達を取り出していく。
「生で食べやすいのはこの辺りかな。食べたい野菜があれば言ってね、出すから。」
「で、ディップはこっちな。いくつか出しとくけど、個人的にマヨと味噌を合わせるのがおすすめ。それでキャベツ食べると美味いんだよな。」
それぞれ思い思いの生野菜を手に取り、調味料をつけてかじり出したアシェル達に、三人の兄達は苦笑する。
「ねぇ、アシェ。食べてるもの自体にケチつけるわけじゃないけれど……。学院祭は色んなお店が出ているから、食事には困らないでしょ?」
どうして?と聞いてくるアレリオンに、アシェルは慌てて口の中のものを飲み込んだ。
「来場者からの人目が凄くて逃げてきちゃいました。リリィとデュークと別れたら話しかけられそうになったし。男ばかりになったからか、僕らを見る視線が……あれは捕食者の目付きです。逆にお兄様達はどうしてたんですか?」
「ふふ、アシェ達みたいに大所帯ではなかったから目立たないし、話しかけられても役員の仕事中だからって断っていたよ。」
「その言い訳は、僕らには使えないやつですね。」
「あとは見た目が良い男女は、一般公開の日はそれとなく、男女のペアやその集団で周るようにしていたね……。別に婚約者とかじゃなくても、利害が一致すればって言う感じでね。」
アレリオンのその言葉になる程、とアシェルは頷いた。
どうりで昨日までと違い、そこかしこにカップルのような二人組や、男女混合の団体様が目立つはずだ。
「それは……僕らにはなかなか難易度高いですね。今ココに居る中で、婚約者がいるのはアークだけですし。女性の知り合いがいなくはないけど——。」
【シーズンズ】に言えば何人か貸し出してくれるだろうかと、アシェルが難しい顔で悩みだしたところに、アークエイドが口を挟む。
「待て、アシェ。俺にはまだ婚約者はいない。」
「何言ってるの。シャーロット先輩が居るでしょ。」
「候補だ。」
「学院卒業と同時に婚約が決まってるなら、もう婚約者でいいじゃない。」
「良くない。」
ちょっぴり拗ねたようなアークエイドの声に、何が問題なのさ、と首を傾げる。
「アークはもう社交界デビューしてるから、パートナーはシャーロット先輩でしょう?アークがどう思おうと、周りから見ればシャーロット先輩が婚約者なの。分かった?」
諭すようなアシェルの言葉に、アークエイドが言葉に詰まった。
「確かに……そうだが……。それなら姉上はどうなる?」
アビゲイルがノアールにアタック中なことを言っているのだろうか。
それでもアシェルの中で答えは決まっている。
「もちろんアル兄様が婚約者でしょ。ノアがハッキリとアビー様のプロポーズを受けない限り、アビー様のパートナーはアル兄様だもの。」
「……そうだな。」
結局何も言い返せなくなったアークエイドが押し黙り、代わりにノアールが口を開く。
「僕ってプロポーズ受ける側なんだ……。」
「現状ノアがプロポーズされてんじゃん。」
「だよねー。」
「アビー様は、俺達の前でハッキリと求婚してるもんなぁ。」
そのままわいわいと、アシェル達は非公式お茶会であったことを話していく。
楽しそうなアシェル達を眺めながら、三人の兄達は言葉を交わす。
「弟は難儀な相手を好いてしまったみたいだね。」
「いくらグレイの命令でも、アシェが“うん”と言わない限り、嫁にはやらないからね。」
「ま、あの感じじゃ土俵にすら上がってなさそうですけどね。」
「全く……だから難儀なんだろう。彼女があの姿で過ごせる日はくるのかな。」
アレリオンとアルフォードは顔を見合わせる。
二人とも同じ答えを出していることを確認するように。
「多分、最初の理由はクリアしてると思うんだよね。でもアレが、アシェにとって居心地の良い世界みたいだね。」
「今じゃすっかり男のつもりで生活してますよ。下手に型にはめて、アシェから大切なものが零れ落ちるのは嫌ですしね。」
「それは……アシェル嬢がその世界を壊しても良いと思えるか、その世界ごと弟が受け入れることを認めさせないとってことだね。本当に難儀だね。」
「私達が邪魔をしないだけでも、ありがたく思ってほしいところだね。」
「まぁ、そもそもアシェに結婚願望なさそうですしね。そのアシェが結婚する気になるなら、反対しませんよ。」
「我々はしつこい自信はあるけど、卒業までだとあっという間だね。弟には幸せになって欲しいけど、どうなることやら……。」
そのまま三人は口をつぐみ、楽しそうな姿を見守った。
結局あの後、アルフォードの代わりにアシェルが治療担当者となることと引き換えに、第三演習場という救護室をシェルターにして過ごした。
第三演習場では、数か所で魔物を相手にした戦闘が行われる。
どの魔物もテイムから間もない個体で、万が一の時には首輪に仕込んだ毒を流せるようになっている。
魔物は畜産農業ギルドからの提供だ。
どの魔物も食用に適した種族を連れてきており、この演習場で倒された魔物は食肉加工されて市場に流れることになる。
そんな野生程ではないが、家畜と呼ぶにはまだ気性の荒い魔物達相手の戦闘を見ながら。
時折やってくる怪我人を治療しながら過ごした後、その日の学院祭は終了した。
そして寮に戻ったアシェルは、何故か自室でアークエイドと顔を突き合わせていた。
皆で寮に戻った流れで押しかけられたのだ。
いつものようにソファで隣にぴったりと寄り添うように座っている。
座った時にアークエイドは眼鏡を外したので、切れ長のサファイアブルーの瞳が良く見える。
「アシェが護衛をしているなんて聞いてなかった。」
どうやら昼間のことを話したかったらしい。
一応答えたはずだが、アークエイドはあの答えで納得できていなかったのか、皆の前では聞けないことでもあるのだろうか。
「言ってないからね。別に常に探査魔法使ってるわけじゃないからね?」
「今は?」
「……使ってる。」
正直に答えたアシェルに、アークエイドは「はぁ。」と大きなため息を吐いた。
「もう寮に戻ってきただろ。いつまで使ってるつもりだ。すぐに止めろ。」
「言ったでしょ、寮でも安心できないって。アークが寝たら僕も寝るし、その時には抑えるから大丈夫だよ。」
今は冒険者活動中よりもしっかりと魔力を使って、密度の高い探査魔法を使っている。
いつもが薄い波紋を乱す反応を拾っているのだとしたら、今はいくつも色々な方向に波紋を広げて、波紋が包み込んだ存在を拾っている形だ。その中には誰かの使う魔力反応も含まれている。
それを夜はいつもの探査魔法レベルまで落として、仮眠を取るつもりだ。
目を瞑ってうとうとするだけでも、起きっぱなしよりは楽だ。
「抑える……?どうい——。」
リーン、リーン。
来客を告げるベルの音が鳴り、アークエイドが咄嗟に口をつぐんだ。
アークエイドはしつこいので、気になることは根掘り葉掘り聞いてきただろう。
アシェルが勝手にやっていることなので、気にせずいつも通り生活してくれればいいのに。
天の助けとも思える来客に応えるため、インターホンの受話器を上げる。
そこに映ったのは、いつものお仕着せではなくドレスを身に纏った乳兄妹。
「ベル!帰ってきたんだね。開けたから入っておいで。」
『はい、イザベルです。帰りの挨拶はお部屋で。』
部屋の鍵を開け、嬉しさを隠すことなく笑顔で扉の前に立つ。
程なくしてコンコンと音がして扉が開いた。
「アシェル様、ただいま戻りました。」
「お帰りベル。ベルがいなくて寂しかったんだ。いっぱいギュッてさせて。」
久しぶりに会えたイザベルに両手を広げて「おいで。」といえば、首に手を回して抱き着いてくれる。
「アシェル様は本当に寂しいって思ってましたか?わたくしの予想では、お目付け役がいなくて清々したって思ってたんじゃないかと思っていたのだけれど。ふふ、お肌も髪もお手入れ頑張ったんですね。」
アシェルの侍女としてではなく乳兄妹として接してくれているイザベルは、アシェルに抱き着いたまま頬擦りし、背中を流れる綺麗な銀髪に指を通す。
「だって、数か月お手入れの手を抜いたら、ベルは怒るでしょう?疲れて帰ってきたベルを怒らせたくないもの。ベルは少しお肌が荒れちゃってるね……ちゃんと寝れてなかったの?クマまでできてるじゃない。でも、嬉しいよ。帰ってきてすぐ僕に会いに来てくれたんだよね。ベルの匂いがする。」
アシェルもイザベルの腰を抱き、マルベリー色のポニーテールに指を絡める。
腕の中のイザベルの頬が膨れた。
「もうっ。汗臭いならそうと言ってくださいよ。恥ずかしいじゃないですか。」
「そんなことないよ。ベルの匂いは好きだから……今日は久しぶりに一緒に寝る?怒る人は誰もいないよ。」
二人がまだ小さいころ。
サーニャに連れられて遊びに来ていたイザベルと、一緒の寝台でお昼寝して怒られたのは良い思い出だ。
あの時からサーニャは、イザベルを乳兄妹というよりもアシェルの侍女にしようとしていたことが分かる。
「魅力的なお誘いだけれど……。」
迷うイザベルにあと一押しかな、と思っていると、第三者の声がする。
「イチャついているところ悪いんだが、その誤解を生むような発言はどうにかならないのか。」
確実に姿は見えていたはずなのにアークエイドを無視していたイザベルは、アシェルの首に回していた腕を下ろした。
これからは侍女としての時間になるらしいことを感じて、アシェルも身体を離す。
「悪いと思うなら黙っててよ。夜のお誘いに失敗しちゃったじゃないか。」
「こんばんは、アークエイド様。このような時間にアシェル様のお部屋にいらっしゃるのは、本日も火遊びの最中だったでしょうか?私は侍女ですので、いないものとして扱っていただいて結構でございますよ。」
アシェルとの再会を邪魔されたことへの嫌味も含んだイザベルの言葉に、アークエイドは苦笑しながら答える。
「いや、今日は聞きたいことがあって来ただけだ。素直に答えてはくれなさそうだし、二人も積もる話があるだろう。俺は帰る。」
そう言って立ち上がったアークエイドは、この部屋の鍵をイザベルに返す。
「……イザベルの主人は、凶悪なものを作って味見するのが好きなようだな。出立前に心配していた意味が分かった。」
「共感頂けて嬉しい限りです。メイディーの者には共感していただけませんので。」
ペコリとイザベルが礼をしてアークエイドを見送る。
また明日な、という言葉だけ残して扉が閉まった。
「さて……色々聞きたいことはありますけれど、それは学院祭が終わってからにしますね。もう少し早く戻れたら良かったのですが……寝ないおつもりでしょう?」
「仮眠は取るよ。それより、ちょうどいいタイミングで帰ってきてくれたよ。今から手紙を書くから持って行ってくれない?返事は明日クラスで聞くから。」
「世間では寝ていると言わないのですよ。承りました。お届けしたら戻ってまいりますね。久しぶりにアシェル様のお世話をさせてください。」
「うん、お願いね。」
明日からの平穏の為にアシェルはペンを動かし、イザベルに手紙を預けた。
その夜はしっかり念入りにイザベルのお手入れを受ける。心地よいマッサージの間、睡魔と戦うのが大変だった。
この状況に全く動じていなかったアレリオンとアルフォードは、アシェルに近づいて左右から挟むように抱き締め、代わる代わるその頭を撫でる。
「アシェ、よくできました。あとでちゃんと、コレを選んだ責任者とグレイは怒っておくからね。」
「お疲れ様。魔力操作の練度も上がってるな。多分アイツは、なんで魔法が使えなかったのか分かってないぞ。」
物心ついた時から惜しみなく与えられるその温もりが、アシェルの心も温かくしてくれる。
兄達にしかできない、アシェルを癒してくれる魔法だ。
「ありがとうございます。ちょっと居場所がバレたくらいで殺気を出すなんて、護衛としてどうかと思いますよね。護衛対象を危険に晒す可能性も解らないなんて。」
戦意喪失した後にまでボロクソに言われた男は、グレイニールの他の護衛に連れていかれた。
メイディー三兄弟がイチャイチャとしている間、説明を求めるような幼馴染達の視線がグレイニールに刺さる。
「まぁ、一般的には知られてないよね。アークも知っていたはずなのに、きちんとは理解できてなかったみたいだし。」
ちょっとだけ弟を非難したグレイニールは、そのまま言葉を続ける。
「割と王家とメイディー公爵家は、近い年齢の子供が産まれることが多くてね。医師家系ということもあってか、大体幼馴染として育つんだよ。たまに乳兄妹として育つこともあるらしいくらい、家同士の仲が良いんだ。だから君達の集まっていた“非公式お茶会”がなくても、アークとアシェル殿はいずれ引き合わせられていただろうね。」
グレイニールとアレリオンが、アルフォードとアビゲイルが引き合わせられたように。
何かしらの理由をつけて一緒に行動するようになっていたはずだ。
「アレを見てわかる通り、メイディー家は家族愛が強い。……とはいえ、彼らはその中でも群を抜いているけれどね。そして、何故か王家にもその愛情と言う名の過保護は、無条件に発揮されるらしくてね。幼少期からの教育の結果でもあるんだろうけど、彼らはそれを疑うことなく、当たり前のようにこなしてしまうんだ。可能な限り傍に居ることや、口にするものの確認、体調管理から護衛まで。君達にも覚えがあるんじゃないかな?家族の次に一番の、アークに対して程の過保護ではないにしても。」
問いかけるようなグレイニールの言葉に、幼馴染達は頷いた。
あまりにもいつもの光景過ぎて忘れがちだが、買い食いや飲食店での食事は、可能ならアシェルが一口ずつは口をつけてから食事を開始する。
友人達のものを味見しなかったとしても、アークエイドの食事に手をつけないことは絶対にない。
それに彼らに近づこうとするご令嬢達の矢面に、アシェルは積極的に立とうとしている。
可愛い女の子の反応を見るのは楽しいよね、なんて笑って言うが、最近は絶対に楽しんでいるというよりもストレスを溜めているだけのようだった。
やっと楽しそうに周りを揶揄う様になったのは、執事喫茶のあのスペース内だけだ。
それぞれ身に覚えのある話に、色々なことを思い出しながら続きを聴く。
「メイディー家は、本気を出せば王家なんて一瞬で滅ぼせるくらいの実力がある一族だよ。体質に加えて、その体質を活かして魔力を扱う訓練をするからね。どんなに修練を積んでいても、メイディー直系に敵う魔法使いは少ないんじゃないかな。その上、薬物にも精通していて所持も認められているときている。メイディー直系だから許されるが、これが他の家の加護に必要だったとしても、所持は認められなかっただろうね。限りなく暗殺者向きの医者で陰の護衛。彼らが居るから、私達は沢山の護衛を引き連れて勉学の場に通わなくても良いんだよ。外出もね。」
メイディー兄妹の話題が先程の件から、アルフォードがアビゲイルの傍に居ないことへの非難に変わったようだ。
アレリオンとアシェルがくどくどと、アルフォードに説教をしている。
「まぁ、家族や友人達は本当に大切にする血筋だから。さっきのアシェル殿を見ても、怖がらないでやっておくれよ。あの状態が根幹にあるのだとしても、普段の優しい姿もまた彼らだからね。むしろよくこれだけの人数とシルコットの双子を、平然と守ろうとするなって関心するくらいだよ。人当たりが良いように見えて、アンとアルの本当に守りたいものはそんなに多くはないからね。さて……私の思うメイディー家のことを話したけれど、質問があれば分かる範囲で答えるよ。」
「もしかして、俺が冒険者活動できているのも、アシェが居たからですか?」
確認するようなアークエイドの言葉に、グレイニールは頷いた。
「居なければ母上の許可は降りなかっただろうね。まぁ、母上はアシェル殿の許可が出たことに驚いていたけど。ちなみに私の視察の護衛が最少人数なのも、アンかアルが居るからだよ。というより、私が行くところにはアンが絶対についてくるからね。アルが過保護になり切れてないのは、アビーが女性だからと言うのが多分にあると思うよ。婚約者候補とはいえ、四六時中一緒というわけにはいかないしね。」
学院では寮も、学年も違うので授業も違うのだが、何だかんだでアビゲイルとアルフォードが一緒に居る姿を見かける理由に納得がいった。
そしてアシェルと比べて、確かに過保護になり切れてはいないのだろうとも。
「殿下……私はアビー様を、アシェやアルフォード先輩のように守れる自信はありません。」
この一連の流れと話に思わぬダメージを受けたのが、アビゲイルから猛烈アタックを受けているノアールだった。
ノアールの領地は辺境なので、王都から見れば一番遠い地域だ。
領主となって自分の領地を守っていくつもりでいるので、ノアールと婚姻を結ぶということは、アスノームにある領地で暮らしていくということだ。
社交界シーズンにタウンハウスに滞在することはあるかもしれないが、それもずっとではない。
そんな辺境の地に、ある意味最強の護衛から引き離して連れていくことに、ノアールは不安を覚える。
その不安を汲み取ってグレイニールは苦笑する。
「それはノアール殿が気にすることではないよ。メイディーの者が我々を大事にしてくれる血筋なら、我々は一目惚れ体質の執念深い血筋らしいからね。どんな理由をつけても、アビーはノアール殿を逃がさないと思うよ。アビーのことだから、断られたら死んでやる、くらい言ってるんじゃないかい。」
「……言われました。」
「ふふ、だろうね。私も近いことをシルに言ったしね。アビーのことが嫌いなら仕方ないけど、好意的に思えるのなら貰ってやってほしいかな。まぁ、卒業まで猶予はあるし、じっくり悩んで決めてくれたらいいよ。」
「はい。」
そんな会話が繰り広げられていることなど、メイディー兄妹はつゆ知らず。
まだぐちぐちとアルフォードを責めていた。
「大体、なんでアビー嬢と違う場所で役員の仕事をしているのかな。やっぱりユリウス君に一度きちんと——。」
「いい、言わなくて良いから!!良いんだよ、アビーと俺でちゃんと納得してるんだからっ。」
「良い訳がないでしょう。今日から一般公開日ですよ?昨日までならいざ知らず。アン兄様が怒って当然です。」
「あーもうっ。アビーのところにはシャーロット嬢と、ダリルが居るから良いだろっ。ちゃんと、魔法と武芸方面配置してるんだから。」
「シャーロット嬢じゃ刺客に気付けないでしょ。」
「ダリル先輩じゃ魔法でイチコロですよ。」
「仕方ねぇだろっ。大体、結界学のヤロウのせいで、人員割かれてるせいなんだよ。どうやってもアビーと一緒の配置は難しかったんだよ!だからってアシェに手伝ってもらったら、殿下が無防備になるか一緒に缶詰になっちまうだろ。」
「それはいただけませんね。僕は初めての学院祭ですし、アークを放っておけませんから。一般公開中は寮内ですら警戒すべきだと思ってるのに。」
初日にアークエイドのことを放置して魔術や薬の論文をじっくりと読み込んでいたが、あれはマリクが傍に居たから出来たことである。
マリクが居たとしても、一般公開日だったら論文を読むのを諦めていただろう。
「一応検討はしたんだね?それにしても、あの教師のせいか。派手に魔力を吸われてたみたいだね。枯渇の治療ついでに、ちょっと回路をいじってやったから、もう魔法はちゃんと使えないんじゃないかな。」
幼馴染達との話に一区切りついたグレイニールに、アルフォードからの助けてくれという懇願の視線が飛んでくる。
こうなったアレリオンを止められるのはグレイニールくらいだ。
「アン、それくらいにしてやれ。今年の学院祭は、去年までと同じというわけにはいかなかっただろうからね。アビーの最後の一年は、アルフォード無しで過ごさないといけないんだ。その予行訓練だとでも思えばいいよ。」
「……グレイが言うのなら仕方ないね。確かに今年はイレギュラーなようだし。」
「アシェも、もう十分に充電出来ただろ?それに、皆で昼ごはん代わりに野菜かじるんだろ。アシェがずっと兄達といると、皆が食いっぱぐれるんだが?」
アークエイドも助け舟代わりにアシェルに声をかける。
一連の騒動で忘れられているかもしれないが、本来ここで野菜を食べる予定ではなかっただろうか。
アークエイドに指摘されたアシェルは、あ、と声を上げ、しょんぼりと眉を下げた。
「ごめんね、すっかり忘れてた。皆お腹空いているよね。……あの辺りは誰もいないから、あそこで食べよう。」
すっかりいつも通りのアシェルが示した場所に、ぞろぞろと幼馴染達は移動した。
ノアールとエトワールは『ストレージ』から、領地で採れた自慢の野菜達を取り出していく。
「生で食べやすいのはこの辺りかな。食べたい野菜があれば言ってね、出すから。」
「で、ディップはこっちな。いくつか出しとくけど、個人的にマヨと味噌を合わせるのがおすすめ。それでキャベツ食べると美味いんだよな。」
それぞれ思い思いの生野菜を手に取り、調味料をつけてかじり出したアシェル達に、三人の兄達は苦笑する。
「ねぇ、アシェ。食べてるもの自体にケチつけるわけじゃないけれど……。学院祭は色んなお店が出ているから、食事には困らないでしょ?」
どうして?と聞いてくるアレリオンに、アシェルは慌てて口の中のものを飲み込んだ。
「来場者からの人目が凄くて逃げてきちゃいました。リリィとデュークと別れたら話しかけられそうになったし。男ばかりになったからか、僕らを見る視線が……あれは捕食者の目付きです。逆にお兄様達はどうしてたんですか?」
「ふふ、アシェ達みたいに大所帯ではなかったから目立たないし、話しかけられても役員の仕事中だからって断っていたよ。」
「その言い訳は、僕らには使えないやつですね。」
「あとは見た目が良い男女は、一般公開の日はそれとなく、男女のペアやその集団で周るようにしていたね……。別に婚約者とかじゃなくても、利害が一致すればって言う感じでね。」
アレリオンのその言葉になる程、とアシェルは頷いた。
どうりで昨日までと違い、そこかしこにカップルのような二人組や、男女混合の団体様が目立つはずだ。
「それは……僕らにはなかなか難易度高いですね。今ココに居る中で、婚約者がいるのはアークだけですし。女性の知り合いがいなくはないけど——。」
【シーズンズ】に言えば何人か貸し出してくれるだろうかと、アシェルが難しい顔で悩みだしたところに、アークエイドが口を挟む。
「待て、アシェ。俺にはまだ婚約者はいない。」
「何言ってるの。シャーロット先輩が居るでしょ。」
「候補だ。」
「学院卒業と同時に婚約が決まってるなら、もう婚約者でいいじゃない。」
「良くない。」
ちょっぴり拗ねたようなアークエイドの声に、何が問題なのさ、と首を傾げる。
「アークはもう社交界デビューしてるから、パートナーはシャーロット先輩でしょう?アークがどう思おうと、周りから見ればシャーロット先輩が婚約者なの。分かった?」
諭すようなアシェルの言葉に、アークエイドが言葉に詰まった。
「確かに……そうだが……。それなら姉上はどうなる?」
アビゲイルがノアールにアタック中なことを言っているのだろうか。
それでもアシェルの中で答えは決まっている。
「もちろんアル兄様が婚約者でしょ。ノアがハッキリとアビー様のプロポーズを受けない限り、アビー様のパートナーはアル兄様だもの。」
「……そうだな。」
結局何も言い返せなくなったアークエイドが押し黙り、代わりにノアールが口を開く。
「僕ってプロポーズ受ける側なんだ……。」
「現状ノアがプロポーズされてんじゃん。」
「だよねー。」
「アビー様は、俺達の前でハッキリと求婚してるもんなぁ。」
そのままわいわいと、アシェル達は非公式お茶会であったことを話していく。
楽しそうなアシェル達を眺めながら、三人の兄達は言葉を交わす。
「弟は難儀な相手を好いてしまったみたいだね。」
「いくらグレイの命令でも、アシェが“うん”と言わない限り、嫁にはやらないからね。」
「ま、あの感じじゃ土俵にすら上がってなさそうですけどね。」
「全く……だから難儀なんだろう。彼女があの姿で過ごせる日はくるのかな。」
アレリオンとアルフォードは顔を見合わせる。
二人とも同じ答えを出していることを確認するように。
「多分、最初の理由はクリアしてると思うんだよね。でもアレが、アシェにとって居心地の良い世界みたいだね。」
「今じゃすっかり男のつもりで生活してますよ。下手に型にはめて、アシェから大切なものが零れ落ちるのは嫌ですしね。」
「それは……アシェル嬢がその世界を壊しても良いと思えるか、その世界ごと弟が受け入れることを認めさせないとってことだね。本当に難儀だね。」
「私達が邪魔をしないだけでも、ありがたく思ってほしいところだね。」
「まぁ、そもそもアシェに結婚願望なさそうですしね。そのアシェが結婚する気になるなら、反対しませんよ。」
「我々はしつこい自信はあるけど、卒業までだとあっという間だね。弟には幸せになって欲しいけど、どうなることやら……。」
そのまま三人は口をつぐみ、楽しそうな姿を見守った。
結局あの後、アルフォードの代わりにアシェルが治療担当者となることと引き換えに、第三演習場という救護室をシェルターにして過ごした。
第三演習場では、数か所で魔物を相手にした戦闘が行われる。
どの魔物もテイムから間もない個体で、万が一の時には首輪に仕込んだ毒を流せるようになっている。
魔物は畜産農業ギルドからの提供だ。
どの魔物も食用に適した種族を連れてきており、この演習場で倒された魔物は食肉加工されて市場に流れることになる。
そんな野生程ではないが、家畜と呼ぶにはまだ気性の荒い魔物達相手の戦闘を見ながら。
時折やってくる怪我人を治療しながら過ごした後、その日の学院祭は終了した。
そして寮に戻ったアシェルは、何故か自室でアークエイドと顔を突き合わせていた。
皆で寮に戻った流れで押しかけられたのだ。
いつものようにソファで隣にぴったりと寄り添うように座っている。
座った時にアークエイドは眼鏡を外したので、切れ長のサファイアブルーの瞳が良く見える。
「アシェが護衛をしているなんて聞いてなかった。」
どうやら昼間のことを話したかったらしい。
一応答えたはずだが、アークエイドはあの答えで納得できていなかったのか、皆の前では聞けないことでもあるのだろうか。
「言ってないからね。別に常に探査魔法使ってるわけじゃないからね?」
「今は?」
「……使ってる。」
正直に答えたアシェルに、アークエイドは「はぁ。」と大きなため息を吐いた。
「もう寮に戻ってきただろ。いつまで使ってるつもりだ。すぐに止めろ。」
「言ったでしょ、寮でも安心できないって。アークが寝たら僕も寝るし、その時には抑えるから大丈夫だよ。」
今は冒険者活動中よりもしっかりと魔力を使って、密度の高い探査魔法を使っている。
いつもが薄い波紋を乱す反応を拾っているのだとしたら、今はいくつも色々な方向に波紋を広げて、波紋が包み込んだ存在を拾っている形だ。その中には誰かの使う魔力反応も含まれている。
それを夜はいつもの探査魔法レベルまで落として、仮眠を取るつもりだ。
目を瞑ってうとうとするだけでも、起きっぱなしよりは楽だ。
「抑える……?どうい——。」
リーン、リーン。
来客を告げるベルの音が鳴り、アークエイドが咄嗟に口をつぐんだ。
アークエイドはしつこいので、気になることは根掘り葉掘り聞いてきただろう。
アシェルが勝手にやっていることなので、気にせずいつも通り生活してくれればいいのに。
天の助けとも思える来客に応えるため、インターホンの受話器を上げる。
そこに映ったのは、いつものお仕着せではなくドレスを身に纏った乳兄妹。
「ベル!帰ってきたんだね。開けたから入っておいで。」
『はい、イザベルです。帰りの挨拶はお部屋で。』
部屋の鍵を開け、嬉しさを隠すことなく笑顔で扉の前に立つ。
程なくしてコンコンと音がして扉が開いた。
「アシェル様、ただいま戻りました。」
「お帰りベル。ベルがいなくて寂しかったんだ。いっぱいギュッてさせて。」
久しぶりに会えたイザベルに両手を広げて「おいで。」といえば、首に手を回して抱き着いてくれる。
「アシェル様は本当に寂しいって思ってましたか?わたくしの予想では、お目付け役がいなくて清々したって思ってたんじゃないかと思っていたのだけれど。ふふ、お肌も髪もお手入れ頑張ったんですね。」
アシェルの侍女としてではなく乳兄妹として接してくれているイザベルは、アシェルに抱き着いたまま頬擦りし、背中を流れる綺麗な銀髪に指を通す。
「だって、数か月お手入れの手を抜いたら、ベルは怒るでしょう?疲れて帰ってきたベルを怒らせたくないもの。ベルは少しお肌が荒れちゃってるね……ちゃんと寝れてなかったの?クマまでできてるじゃない。でも、嬉しいよ。帰ってきてすぐ僕に会いに来てくれたんだよね。ベルの匂いがする。」
アシェルもイザベルの腰を抱き、マルベリー色のポニーテールに指を絡める。
腕の中のイザベルの頬が膨れた。
「もうっ。汗臭いならそうと言ってくださいよ。恥ずかしいじゃないですか。」
「そんなことないよ。ベルの匂いは好きだから……今日は久しぶりに一緒に寝る?怒る人は誰もいないよ。」
二人がまだ小さいころ。
サーニャに連れられて遊びに来ていたイザベルと、一緒の寝台でお昼寝して怒られたのは良い思い出だ。
あの時からサーニャは、イザベルを乳兄妹というよりもアシェルの侍女にしようとしていたことが分かる。
「魅力的なお誘いだけれど……。」
迷うイザベルにあと一押しかな、と思っていると、第三者の声がする。
「イチャついているところ悪いんだが、その誤解を生むような発言はどうにかならないのか。」
確実に姿は見えていたはずなのにアークエイドを無視していたイザベルは、アシェルの首に回していた腕を下ろした。
これからは侍女としての時間になるらしいことを感じて、アシェルも身体を離す。
「悪いと思うなら黙っててよ。夜のお誘いに失敗しちゃったじゃないか。」
「こんばんは、アークエイド様。このような時間にアシェル様のお部屋にいらっしゃるのは、本日も火遊びの最中だったでしょうか?私は侍女ですので、いないものとして扱っていただいて結構でございますよ。」
アシェルとの再会を邪魔されたことへの嫌味も含んだイザベルの言葉に、アークエイドは苦笑しながら答える。
「いや、今日は聞きたいことがあって来ただけだ。素直に答えてはくれなさそうだし、二人も積もる話があるだろう。俺は帰る。」
そう言って立ち上がったアークエイドは、この部屋の鍵をイザベルに返す。
「……イザベルの主人は、凶悪なものを作って味見するのが好きなようだな。出立前に心配していた意味が分かった。」
「共感頂けて嬉しい限りです。メイディーの者には共感していただけませんので。」
ペコリとイザベルが礼をしてアークエイドを見送る。
また明日な、という言葉だけ残して扉が閉まった。
「さて……色々聞きたいことはありますけれど、それは学院祭が終わってからにしますね。もう少し早く戻れたら良かったのですが……寝ないおつもりでしょう?」
「仮眠は取るよ。それより、ちょうどいいタイミングで帰ってきてくれたよ。今から手紙を書くから持って行ってくれない?返事は明日クラスで聞くから。」
「世間では寝ていると言わないのですよ。承りました。お届けしたら戻ってまいりますね。久しぶりにアシェル様のお世話をさせてください。」
「うん、お願いね。」
明日からの平穏の為にアシェルはペンを動かし、イザベルに手紙を預けた。
その夜はしっかり念入りにイザベルのお手入れを受ける。心地よいマッサージの間、睡魔と戦うのが大変だった。
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