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第四章 王立学院中等部三年生
224 留学生の居る生活④
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Side:アシェル14歳 春
重怠い瞼を開けると、アシェルは自分の部屋の寝台に寝かされていた。
誰がここまで連れて帰ってきたのだろうか。
イザベルかアークエイドしか合鍵はもっていないのだから、二人のうちのどちらかがいないと部屋には入れない。
まさか本当にアークエイドが迎えに来たのだろうかと思うが、もしそうならいくらムーランの相手があると言ってもアシェルの傍を離れたりしないだろう。
なんならアークエイドの部屋に連れて帰られていそうだ。
ということは、イザベルだろうか。
重たい身体に鞭打って上半身を起こすと、動きに合わせてチリンと鈴の音がなる。
どうやら動いたら分かるように、仕掛けを身体に付けられていたようだ。
「アシェル様。お目覚めになられましたか?まずはマナポーションをお飲みになってください。」
音が聞こえたのだろう。
寝室に入ってきたイザベルが身体を動かしにくいアシェルの代わりに、マナポーションを飲む手伝いをしてくれる。
一体どれだけ強力な睡眠薬だったのだろうか。
もう外は真っ暗だというのに、まだまだ体内魔力は頑張っている。
魔力を使って分解を促進させながらイザベルに聞けば、イザベルに分かる範囲で何があったのかを教えてくれた。
今日はアシェルは休めという伝言も。
「そう、ありがとう、ベル。もう下がって良いよ。あぁでも時間的に、ここに泊ってもらったほうが良いかな。今の時間は危ないから。明日ダニエル殿にお礼を言わないとね。……というか、このシャツは何?」
今更気付いたのだが、何故か寝台の上に。アシェルの近くに男物のシャツが置いてある。
それも明らかに、アシェルのものよりも一回り大きいものだ。
「そちらは洗濯しますので、お気になさらないでください。ダニエル様のお洋服をお放しになりませんでしたので、代わりに置いておいたものですから。」
「うわぁ……運んでもらっただけじゃなくて迷惑までかけちゃったのか。お礼だけじゃなくて謝罪もしておかないとだね。」
「ダニエル様はお気になさらないようにとおっしゃっていましたよ。軽食を持ってまいりますね。本日はお食事の後、もう一度お眠りください。アシェル様が不安かもしれませんが、アシェル様が観ていないことで咎める人間はいないのですから。」
「ご飯は——。」
「リリアーデ様より、ソウメンという細いパスタのようなものを頂いております。それでしたら食べやすいだろうと。温かい汁にいれるか、冷たくしてソースで食べるかお選びください。アシェル様にはそれで伝わると伺っております。」
この世界に素麺があることに驚きだ。
そしてリリアーデにまで食事の心配もさせてしまった。
「じゃあ冷たいので。……もし出来上がった時に寝てたら起こして?素麺は久しぶりに食べたいから。ちゃんと食べたら寝るって約束するから。」
「承りました。」
手にしていたシャツはサイドチェストの上に畳んで置いて、またごそごそと布団に潜り込んだアシェルを見て、イザベルは寝室を出て行く。
ダニエルに抱えられて寝台に降ろされたアシェルは、恐らく寝惚けていたのだろう。
ダニエルをアークエイドだと思って、一人で寝たくないと、しがみついて離さなかった。
仕方ないのでアークエイドの侍女からまだ洗濯されていないシャツを拝借してきて、ダニエルの代わりにアシェルに握らせたのだ。
起きてしまいそうだったアシェルはアークエイドの匂いで安心したのか、そのまますやすやとまた眠った。
まるで小さな子供のようだが、それで安眠出来て良かったと思う。
そしてそれほどまでにアークエイドには心を許しているのに、アシェルはどんどんアークエイドから距離を取っている。
アシェル自身が気付いているのかは分からないが、アークエイドとムーランが二人で並んでいる姿を見ていたくはないのだろう。
昼夜問わず観ているアシェルが、ムーランが夜、アークエイドの部屋に泊まり込むようになったのを知らないわけがない。
応接間の一部をムーランが泊まれるようにしているらしいので、流石に同衾はしていないようだが、それでも観ていて気持ちの良いものではないだろう。
そしてアークエイドも以前のように一緒に夕食を摂ることが無くなったし、夜に泊まりに来ることもない。二人の距離は開くばかりだ。
これらの情報やシャツの提供は、アシェルがマリクの抑制剤を作っている間にイザベルがアークエイドの送り迎えをしていたため、アークエイドの使用人達と仲良くなったから得ることが出来た。
そもそもアークエイドの一目惚れ相手はどう考えてもアシェルなため、アシェルの侍女であるイザベルに必要そうな情報があれば、問題のない範囲で流してくれている。
主人達がどこまで知っているのかは分からないが、使用人同士のネットワークは馬鹿にできないのだ。
何故アークエイドはあんなにもアシェルのことを好きだと言っていたのに、日に日にやつれていくアシェルに気が付いてくれないのだろうか。
普段のアシェルは化粧をしないので、見ればいつもと違うことは分かるはずなのに。
始業式を終えて一週間程経った後から、夜ご飯を拒絶されるようになった。
辛うじて具のない味が薄めのコンソメスープであれば、水分の代わりに摂ってくれているようだが、それだけだ。具が入っていたり、あまりしっかりした味付けのものは手を付けてくれない。
ポタージュスープが好きなのにポタージュはとろみがあるからなのか、具が入っているという認識なのか、全く手を付けてくれなかった。
ダニエルから携帯食料を受け取っているようだが、それを食べているところも見たことが無い。
お昼だって時折うつらうつらとしているが、睡眠を取っているとは言い難い。
それだけアシェルの状態は酷いのに、幼馴染たちにも普段通り振舞っているどころか、最近では徐々に距離を取ろうとしているとすら感じる。
生徒会には必ず顔を出しているが、少なくとも【シーズンズ】のメンバーとお喋りしたり、集会に参加したりはしていないようだ。
さらには以前メルティーを庇う為に流した噂のお誘いを、アシェルが一人だからと持ち掛けてくるご令嬢達が少なからずいる。
それをアシェルは上手くお断りを入れたり、時には期待させるようなセリフを吐いたりしながら対応している。
傍から見ればいつものように上手くあしらっているように見えるのだろうが、イザベルからはそれすらもアシェルの心を削っていっているようにしか見えない。
アシェルの心が壊れる前に気付いてほしいと思うのに、イザベルからアークエイドに伝えることは出来ない。
アシェルから釘を刺されているし、なにより常にムーランが隣に居る。
ただの伯爵家の娘で侍女であるイザベルが、アークエイドに話しかける事すら難しい状況になっていた。
イザベルはリリアーデから貰った素麺を茹で上げて氷水に晒し、こちらもリリアーデから貰った麵つゆの中に、カプセルを一つ割り入れる。
どうもあの後クリストファーから手紙が届いたらしく、二種類の睡眠薬について、強度や含有している成分、使い方についてが書かれていたらしい。
それから、シオンにだけは絶対に教えるなと念を押されたようだ。
この弱い方は栄養剤が入っている上に、ほとんど分からないほどの甘みと苦味しかないらしい。味が濃いものに混ぜれば分からないだろうということだ。
普段ならすぐに体内魔力で気付かれるが、今ならまだ先に飲ませている薬が効いているから、今夜までなら追加で飲ませられるだろうとも。
久しぶりに食事を摂る気になったアシェルに、薬を盛るのは申し訳ない気持ちもあるのだが、アシェルのためにも今夜くらいゆっくり休んでほしい。
どうせまた明日から、身を削るような生活に戻ってしまうのだから。
食事の支度を終えたイザベルは、恐らく寝ているであろうアシェルの元へと食事を運んだ。
イザベルに起こされて身体が怠いだろうからと、お行儀は悪いものの、寝台の上で食事にさせて貰う。
なんだか病人になった気分だ。
「すごい、本当に素麺だ。サクラでうどんは食べたことあるけど、素麺はみたことなかったんだよね。食べていい?」
「えぇ、アシェル様の為に作ったので。」
「いただきます。」
お箸を用意してくれているので、しっかり手を合わせてから素麺を口にする。
固形物は吐き気がするんじゃないかと少し警戒していたが、食べたいと思ったからだろうか。
すんなりと喉を通っていく。
「うん。美味しい。しかもおつゆが、出汁が効いててすごく美味しい。どこに売ってるんだろ?」
「素麺は商業ギルド経由でエルフェナーレ王国から。麺つゆの方は、パトリシア様お手製だそうですよ。」
「パティ嬢が?どうりで美味しい訳だ。流石に麺つゆの配合は企業秘密だろうから、せめてお味噌汁の出汁の取り方だけでも教えて貰おうかなぁ。」
「今度パトリシア様に教えて頂けるよう、お願いしておきましょうか?」
「んー……しばらくは時間が取れないだろうから、時間が取れそうなときに僕からお願いするよ。素麺は美味しいけど、流石にお腹いっぱいだな。ごめんね、ベル。残しても良い?」
「少し多めに準備しましたので、残されても構いませんよ。少し気になるので、私も残り物をいただこうと思っていましたし。」
「そうなの?一緒に食べれば良かったのに。」
「アシェル様が食べたいだけ食べていただきたかったんです。私が食べると言ったら、アシェル様は遠慮なさるでしょう?」
確かに最初からイザベルも食べると分かっていれば、好きなだけ食べようとは思わなかったかもしれない。
最近まともに食事を摂っていないアシェルに気を使ってくれたのだろう。
「……したかも。じゃあ、残り物で悪いけど、素麺味わってね?本当にこの麺つゆ美味しいから。」
「えぇ、楽しみです。お風呂はどうなさいますか?入浴中にお眠りになっても構いませんよ。」
「んー……久しぶりに入りたいけど、もう眠たいんだよね。すっごくよく効くお薬みたいで、解毒してるのに眠たいの取れないし。眠たいから魔力も扱いにくいし。」
イザベルのお風呂でのお世話は格別なので、折角ならお言葉に甘えてしまいたいが、既に瞼が落ちてしまいそうだ。
「でしたら、お召し物を脱いでシャツ一枚でお眠りください。お湯の準備が整いましたら、こちらで勝手にお風呂に入れて、寝支度を整えさせていただきますから。」
「……いいの?大変でしょ??」
「身体強化を使えば、アシェル様お一人くらい問題ありませんよ。また後で伺いますから、お召し物を脱いでおいてくださいね。脱いだお召し物はこちらへ。」
イザベルが『ストレージ』から洗濯カゴを出してくれる。
いつも持ち歩いているのだろうか。
「ありがとう、ベル。迷惑かけてごめんね。」
「私はアシェル様の侍女ですから。これくらい当たり前のことですよ。おやすみなさいませ。」
イザベルが出て行くのを見送って、全てを脱いだ後、シャツを一枚羽織っておく。
ボタンは全部止めると面倒だろうから、胸元だけ二つ止めておいた。
それから布団に潜って、そういえばと先程手に持っていたシャツを手に取る。
睡眠薬で眠たいのだが、なんとなく、これがある方が寝やすい気がする。
シャツはダブルガーゼのものだし、赤ん坊がガーゼやお気に入りのぬいぐるみがあると安心して寝やすいとか、そういう類のものなのだろうか。
イザベルに赤ん坊扱いされたのは悲しいが、ここ最近どれだけ寝てくれと言われても眠らなかったアシェルは、赤ん坊のように手のかかる存在なのかもしれない。
アシェルのものではなさそうだということしか分からないシャツを抱えて丸まると、また瞼は落ちて眠りの世界へ誘われた。
夜ご飯代わりにアシェルの残した素麺を食べ、湯船の支度も整えて戻ったイザベルは、アシェルがアークエイドのシャツを抱きしめて眠っていることに気が付いた。
誰のモノかまでは分かっていないようだったが、わざわざまた手に取って眠る程安心できるのだろう。
アシェルはメイディーの役割だからと、頑なにアークエイドの護衛を辞めようとしない。
アークエイドには近衛騎士が二人もついているにも関わらずだ。
確かに自分の目で見ていないと不安なのもあるだろうが、この不調のほとんどが恋煩いだと気付いているのだろうか。
助言したくても、アルフォードから“特別な好き”には自分で気付かなければ意味が無いと言われてしまっている。
きっとアスラモリオン帝国からアークエイドとムーランの婚姻の打診がなければ、ここまで酷いことにはならなかったのではないかと思う。
そして仮に今アシェルが“特別な好き”に気付いても、国同士の必要な婚姻だからと、アシェル自身の気持ちもアークエイドの気持ちも無視して、周囲が望むムーランとの婚姻を勧める結果を選ぶのだろう。
気付いても気付かなくても報われない結果しか見えないことが、悲しくて仕方ない。
今のイザベルに出来るのは見守って、こうやって支えて、アシェルが壊れてしまわないように尽くすだけだ。
重怠い瞼を開けると、アシェルは自分の部屋の寝台に寝かされていた。
誰がここまで連れて帰ってきたのだろうか。
イザベルかアークエイドしか合鍵はもっていないのだから、二人のうちのどちらかがいないと部屋には入れない。
まさか本当にアークエイドが迎えに来たのだろうかと思うが、もしそうならいくらムーランの相手があると言ってもアシェルの傍を離れたりしないだろう。
なんならアークエイドの部屋に連れて帰られていそうだ。
ということは、イザベルだろうか。
重たい身体に鞭打って上半身を起こすと、動きに合わせてチリンと鈴の音がなる。
どうやら動いたら分かるように、仕掛けを身体に付けられていたようだ。
「アシェル様。お目覚めになられましたか?まずはマナポーションをお飲みになってください。」
音が聞こえたのだろう。
寝室に入ってきたイザベルが身体を動かしにくいアシェルの代わりに、マナポーションを飲む手伝いをしてくれる。
一体どれだけ強力な睡眠薬だったのだろうか。
もう外は真っ暗だというのに、まだまだ体内魔力は頑張っている。
魔力を使って分解を促進させながらイザベルに聞けば、イザベルに分かる範囲で何があったのかを教えてくれた。
今日はアシェルは休めという伝言も。
「そう、ありがとう、ベル。もう下がって良いよ。あぁでも時間的に、ここに泊ってもらったほうが良いかな。今の時間は危ないから。明日ダニエル殿にお礼を言わないとね。……というか、このシャツは何?」
今更気付いたのだが、何故か寝台の上に。アシェルの近くに男物のシャツが置いてある。
それも明らかに、アシェルのものよりも一回り大きいものだ。
「そちらは洗濯しますので、お気になさらないでください。ダニエル様のお洋服をお放しになりませんでしたので、代わりに置いておいたものですから。」
「うわぁ……運んでもらっただけじゃなくて迷惑までかけちゃったのか。お礼だけじゃなくて謝罪もしておかないとだね。」
「ダニエル様はお気になさらないようにとおっしゃっていましたよ。軽食を持ってまいりますね。本日はお食事の後、もう一度お眠りください。アシェル様が不安かもしれませんが、アシェル様が観ていないことで咎める人間はいないのですから。」
「ご飯は——。」
「リリアーデ様より、ソウメンという細いパスタのようなものを頂いております。それでしたら食べやすいだろうと。温かい汁にいれるか、冷たくしてソースで食べるかお選びください。アシェル様にはそれで伝わると伺っております。」
この世界に素麺があることに驚きだ。
そしてリリアーデにまで食事の心配もさせてしまった。
「じゃあ冷たいので。……もし出来上がった時に寝てたら起こして?素麺は久しぶりに食べたいから。ちゃんと食べたら寝るって約束するから。」
「承りました。」
手にしていたシャツはサイドチェストの上に畳んで置いて、またごそごそと布団に潜り込んだアシェルを見て、イザベルは寝室を出て行く。
ダニエルに抱えられて寝台に降ろされたアシェルは、恐らく寝惚けていたのだろう。
ダニエルをアークエイドだと思って、一人で寝たくないと、しがみついて離さなかった。
仕方ないのでアークエイドの侍女からまだ洗濯されていないシャツを拝借してきて、ダニエルの代わりにアシェルに握らせたのだ。
起きてしまいそうだったアシェルはアークエイドの匂いで安心したのか、そのまますやすやとまた眠った。
まるで小さな子供のようだが、それで安眠出来て良かったと思う。
そしてそれほどまでにアークエイドには心を許しているのに、アシェルはどんどんアークエイドから距離を取っている。
アシェル自身が気付いているのかは分からないが、アークエイドとムーランが二人で並んでいる姿を見ていたくはないのだろう。
昼夜問わず観ているアシェルが、ムーランが夜、アークエイドの部屋に泊まり込むようになったのを知らないわけがない。
応接間の一部をムーランが泊まれるようにしているらしいので、流石に同衾はしていないようだが、それでも観ていて気持ちの良いものではないだろう。
そしてアークエイドも以前のように一緒に夕食を摂ることが無くなったし、夜に泊まりに来ることもない。二人の距離は開くばかりだ。
これらの情報やシャツの提供は、アシェルがマリクの抑制剤を作っている間にイザベルがアークエイドの送り迎えをしていたため、アークエイドの使用人達と仲良くなったから得ることが出来た。
そもそもアークエイドの一目惚れ相手はどう考えてもアシェルなため、アシェルの侍女であるイザベルに必要そうな情報があれば、問題のない範囲で流してくれている。
主人達がどこまで知っているのかは分からないが、使用人同士のネットワークは馬鹿にできないのだ。
何故アークエイドはあんなにもアシェルのことを好きだと言っていたのに、日に日にやつれていくアシェルに気が付いてくれないのだろうか。
普段のアシェルは化粧をしないので、見ればいつもと違うことは分かるはずなのに。
始業式を終えて一週間程経った後から、夜ご飯を拒絶されるようになった。
辛うじて具のない味が薄めのコンソメスープであれば、水分の代わりに摂ってくれているようだが、それだけだ。具が入っていたり、あまりしっかりした味付けのものは手を付けてくれない。
ポタージュスープが好きなのにポタージュはとろみがあるからなのか、具が入っているという認識なのか、全く手を付けてくれなかった。
ダニエルから携帯食料を受け取っているようだが、それを食べているところも見たことが無い。
お昼だって時折うつらうつらとしているが、睡眠を取っているとは言い難い。
それだけアシェルの状態は酷いのに、幼馴染たちにも普段通り振舞っているどころか、最近では徐々に距離を取ろうとしているとすら感じる。
生徒会には必ず顔を出しているが、少なくとも【シーズンズ】のメンバーとお喋りしたり、集会に参加したりはしていないようだ。
さらには以前メルティーを庇う為に流した噂のお誘いを、アシェルが一人だからと持ち掛けてくるご令嬢達が少なからずいる。
それをアシェルは上手くお断りを入れたり、時には期待させるようなセリフを吐いたりしながら対応している。
傍から見ればいつものように上手くあしらっているように見えるのだろうが、イザベルからはそれすらもアシェルの心を削っていっているようにしか見えない。
アシェルの心が壊れる前に気付いてほしいと思うのに、イザベルからアークエイドに伝えることは出来ない。
アシェルから釘を刺されているし、なにより常にムーランが隣に居る。
ただの伯爵家の娘で侍女であるイザベルが、アークエイドに話しかける事すら難しい状況になっていた。
イザベルはリリアーデから貰った素麺を茹で上げて氷水に晒し、こちらもリリアーデから貰った麵つゆの中に、カプセルを一つ割り入れる。
どうもあの後クリストファーから手紙が届いたらしく、二種類の睡眠薬について、強度や含有している成分、使い方についてが書かれていたらしい。
それから、シオンにだけは絶対に教えるなと念を押されたようだ。
この弱い方は栄養剤が入っている上に、ほとんど分からないほどの甘みと苦味しかないらしい。味が濃いものに混ぜれば分からないだろうということだ。
普段ならすぐに体内魔力で気付かれるが、今ならまだ先に飲ませている薬が効いているから、今夜までなら追加で飲ませられるだろうとも。
久しぶりに食事を摂る気になったアシェルに、薬を盛るのは申し訳ない気持ちもあるのだが、アシェルのためにも今夜くらいゆっくり休んでほしい。
どうせまた明日から、身を削るような生活に戻ってしまうのだから。
食事の支度を終えたイザベルは、恐らく寝ているであろうアシェルの元へと食事を運んだ。
イザベルに起こされて身体が怠いだろうからと、お行儀は悪いものの、寝台の上で食事にさせて貰う。
なんだか病人になった気分だ。
「すごい、本当に素麺だ。サクラでうどんは食べたことあるけど、素麺はみたことなかったんだよね。食べていい?」
「えぇ、アシェル様の為に作ったので。」
「いただきます。」
お箸を用意してくれているので、しっかり手を合わせてから素麺を口にする。
固形物は吐き気がするんじゃないかと少し警戒していたが、食べたいと思ったからだろうか。
すんなりと喉を通っていく。
「うん。美味しい。しかもおつゆが、出汁が効いててすごく美味しい。どこに売ってるんだろ?」
「素麺は商業ギルド経由でエルフェナーレ王国から。麺つゆの方は、パトリシア様お手製だそうですよ。」
「パティ嬢が?どうりで美味しい訳だ。流石に麺つゆの配合は企業秘密だろうから、せめてお味噌汁の出汁の取り方だけでも教えて貰おうかなぁ。」
「今度パトリシア様に教えて頂けるよう、お願いしておきましょうか?」
「んー……しばらくは時間が取れないだろうから、時間が取れそうなときに僕からお願いするよ。素麺は美味しいけど、流石にお腹いっぱいだな。ごめんね、ベル。残しても良い?」
「少し多めに準備しましたので、残されても構いませんよ。少し気になるので、私も残り物をいただこうと思っていましたし。」
「そうなの?一緒に食べれば良かったのに。」
「アシェル様が食べたいだけ食べていただきたかったんです。私が食べると言ったら、アシェル様は遠慮なさるでしょう?」
確かに最初からイザベルも食べると分かっていれば、好きなだけ食べようとは思わなかったかもしれない。
最近まともに食事を摂っていないアシェルに気を使ってくれたのだろう。
「……したかも。じゃあ、残り物で悪いけど、素麺味わってね?本当にこの麺つゆ美味しいから。」
「えぇ、楽しみです。お風呂はどうなさいますか?入浴中にお眠りになっても構いませんよ。」
「んー……久しぶりに入りたいけど、もう眠たいんだよね。すっごくよく効くお薬みたいで、解毒してるのに眠たいの取れないし。眠たいから魔力も扱いにくいし。」
イザベルのお風呂でのお世話は格別なので、折角ならお言葉に甘えてしまいたいが、既に瞼が落ちてしまいそうだ。
「でしたら、お召し物を脱いでシャツ一枚でお眠りください。お湯の準備が整いましたら、こちらで勝手にお風呂に入れて、寝支度を整えさせていただきますから。」
「……いいの?大変でしょ??」
「身体強化を使えば、アシェル様お一人くらい問題ありませんよ。また後で伺いますから、お召し物を脱いでおいてくださいね。脱いだお召し物はこちらへ。」
イザベルが『ストレージ』から洗濯カゴを出してくれる。
いつも持ち歩いているのだろうか。
「ありがとう、ベル。迷惑かけてごめんね。」
「私はアシェル様の侍女ですから。これくらい当たり前のことですよ。おやすみなさいませ。」
イザベルが出て行くのを見送って、全てを脱いだ後、シャツを一枚羽織っておく。
ボタンは全部止めると面倒だろうから、胸元だけ二つ止めておいた。
それから布団に潜って、そういえばと先程手に持っていたシャツを手に取る。
睡眠薬で眠たいのだが、なんとなく、これがある方が寝やすい気がする。
シャツはダブルガーゼのものだし、赤ん坊がガーゼやお気に入りのぬいぐるみがあると安心して寝やすいとか、そういう類のものなのだろうか。
イザベルに赤ん坊扱いされたのは悲しいが、ここ最近どれだけ寝てくれと言われても眠らなかったアシェルは、赤ん坊のように手のかかる存在なのかもしれない。
アシェルのものではなさそうだということしか分からないシャツを抱えて丸まると、また瞼は落ちて眠りの世界へ誘われた。
夜ご飯代わりにアシェルの残した素麺を食べ、湯船の支度も整えて戻ったイザベルは、アシェルがアークエイドのシャツを抱きしめて眠っていることに気が付いた。
誰のモノかまでは分かっていないようだったが、わざわざまた手に取って眠る程安心できるのだろう。
アシェルはメイディーの役割だからと、頑なにアークエイドの護衛を辞めようとしない。
アークエイドには近衛騎士が二人もついているにも関わらずだ。
確かに自分の目で見ていないと不安なのもあるだろうが、この不調のほとんどが恋煩いだと気付いているのだろうか。
助言したくても、アルフォードから“特別な好き”には自分で気付かなければ意味が無いと言われてしまっている。
きっとアスラモリオン帝国からアークエイドとムーランの婚姻の打診がなければ、ここまで酷いことにはならなかったのではないかと思う。
そして仮に今アシェルが“特別な好き”に気付いても、国同士の必要な婚姻だからと、アシェル自身の気持ちもアークエイドの気持ちも無視して、周囲が望むムーランとの婚姻を勧める結果を選ぶのだろう。
気付いても気付かなくても報われない結果しか見えないことが、悲しくて仕方ない。
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