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第四章 王立学院中等部三年生
226 三日間のお休み②
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Side:アシェル14歳 夏
ダニエルに三日間休みが欲しいと言った二日間は、最上級生の野外実習に付き添っていた。
去年から導入された救援部隊専用の魔道具もしっかり用意されていたし、教職員も森に慣れている人員を中心に変更したようだ。
去年の教訓を活かしてのことだろう。
流石に通常の三の森では、救助後に棄権が必要なグループはいなかった。
救助と言っても駆けつけるまでに魔物は殲滅できていて、貰った毒に対する解毒剤が分からなかったり。魔物以外の何に状態異常を貰ったのか分からず、ぐったりしているパーティーメンバーに不安になっての救難信号だった。
流石最上級生なだけあって実力自体は十分だったし、かなり平和な二日間だったのではないかと思う。
因みにアシェルは冒険者活動中と色が違うのに、出会う冒険者たちに【血濡れの殺人人形】だと特定されたし、何故かフレンドリーに話しかけてこられた。
やっぱり冒険者の中で二つ名持ちというのは、アイドルか何かなのだろうか。物騒すぎる二つ名では、アイドル感は全くないのだが。
三日目はメイディー邸で過ごすつもりだ。
イザベルには付き添わなくて良いと言ったのに、アシェルが帰るなら一緒に戻ると言われ、冒険者ギルドで待ち合わせすることにしている。
イザベルが来るまでの間に、実習の付き添い中に狩った魔物たちを捌いておかなくてはいけない。
——ストレス発散も兼ねていたので少し狩りすぎてしまった気もするが、去年よりは少ないはずだ。
冒険者ギルドの受付で買取依頼を出して、そのまま解体場まで移動する。
「おう、アシェル。今日の獲物は三の森のやつか?」
アシェルに声を掛けてくれたのは、解体場のおやっさんことバン・アルバートだ。
「うん、そうだよ。おやっさんは無事、ユリウス先輩にギルマスは引き継いだの?」
「ようやくな。また冒険者に戻るか考えたけど、昔組んでたパーティーメンバーも引退してるしよ。まぁ、解体場に居るのも楽しいし、このまま解体場のおやっさんだな。」
アシェルが積み上げた遺体の山を、バンの指示で解体しに来た職員たちが鮮やかな手つきで捌いていく。
今日は一気に出せと言われたので、小高い山がいくつも出来た。
「そうだ、アシェル。一種類に付きそれぞれ5体ずつ、丸まる買取させてくれねぇか?勿論解体費用は取らねぇし、普通に素材として買い取るより色は付けるぜ。」
「特別欲しい素材があるわけじゃないから別に良いけど。どうして?」
必要だったり欲しい部位があれば交渉されることもあったが、魔物を丸々という申し入れは今までに聞いたことが無かった。
「アシェルの持ってきた魔物は、どれも状態が良いだろ?新人教育で練習させるにはうってつけなんだよ。小型のばっかり捌かせてちゃ上達しねぇし、かといっていきなり商品に手を出させるわけにもいかねぇからな。」
「なるほど。買取査定に響いちゃうもんね。そういうことなら5体と言わず好きなだけ持っていって。普通の素材と同じ買取値段で構わないから。正直なところ、魔の森の魔物素材は有り余ってるんだよね。僕個人も、邸にも。」
「そりゃありがてぇ。そういうことなら、結構な数を丸々頂くぜ。そういや、さっきダンジョンから帰った奴らが、氷結花を採取して帰ってたぞ。ストレージ持ちの持ち込みだから採取方法はともかく、鮮度だけは抜群なはずだぜ。」
「ほんとに!?それって割と下層で取れるやつだよね??ちょっと買取カウンターに行ってくる。」
「おぅ、行ってこい。こっちは任せとけ。」
バンは冒険者ギルド長を引退したのに、相変わらずギルド内のことに詳しいようだ。
そしてアシェルに教えてくれる珍しい素材情報は、本当に中々手に入らない素材を教えてくれるのでありがたい。
うきうきと買取カウンターに向かい、支払いは今日の収入から引くか、足りなければ冒険者タグから引いてくれと素材の受け取りをする。
氷結花はダンジョンの中でも極寒のエリアにしか咲くことが無く、なかなか見つからないレア素材だ。
さらには下層の素材なのでそこに行ける冒険者の実力もだが、保存の仕方や帰りの時間のことも考えると、ストレージ持ちでないと持ち帰るのは難しい。
採取も丁寧だし、数もしっかり持ち帰っていたようで、全て買取させてもらった。
折角メイディー邸に帰るのだし、家族にお裾分けしてあげよう。
ご機嫌なまま解体場に戻ると、バンに温かいココアを渡され、手伝わずにゆっくりしていろと言われてしまった。
確かにココアは温かい方が美味しいので、お言葉に甘えて解体場の隅で見学させてもらう。
流石に虫系はいつものベテラン解体員達だが、獣系はあまり見かけない職員も解体している。
流石に一人ではまだ無理なのか、数人のグループで大き目の体格の魔物を捌いている感じだ。
ベテランほどではないが、動きもチームワークも悪くないように見える。
甘いココアを片手に見学していると、見知った顔がやってきた。
「ユリウス先輩、お久しぶりです。ギルマス就任、おめでとうございます。」
「ありがとう、アシェル君。アシェル君もお疲れ様。」
いつもの黒ぶち眼鏡をかけた人当たりの良い笑みでアシェルに近寄ってくるのは、ユリウス・フレイムだ。
今年から冒険者ギルド長になったが、去年までは生徒会長をしていてアシェルもお世話になった先輩だ。
そのユリウスがじっとアシェルの顔を見てくる。
「どうしましたか?」
「いや……なんだか少しやつれてないかい?一日、二日じゃそのクマは出来ないだろう?」
どうやら顔色が悪いと思われたらしい。
これでも朝クリーンで身体を綺麗にした後、ちゃんと目元にファンデーションを塗っておいたのだが、イザベルがしてくれているようにうまく隠すことが出来ていないようだ。
「あはは……少し寝不足気味なんですよ。そんなに目立ちます?」
「うん。流石に良く知ってる顔だからね。ちょっと待ってて、マチルダを呼んで貰うから。隠したいのならマチルダに化粧してもらえばいい。」
どうやら婚約者であるマチルダも冒険者ギルドで働いているようだ。
ユリウスが近くの職員に声を掛けてくれる。
「フレイムの坊ちゃん……。そこは気付いても言っちゃダメだろうが。」
「……もしかして、おやっさんも気付いてたの?」
「あったりまえだろ。学院じゃ侍女にやらせてるんだろうが、隠すつもりならもう少し技術を磨いた方が良いぜ。」
もしかしてバンがアシェルにココアを渡して休ませていたのは、顔色の悪さに気付いていたからなのだろうか。
気を遣わせてしまって申し訳ない。
ユリウスはバンから、紳士なら気付いてもさり気なくフォローしろと注意されている。
バンの筋骨隆々な姿からは想像できない注意内容だ。そして本当に貴族出身なんだなと思わせる。
「アシェル君、お久しぶりね。」
「お久しぶりです、マチルダ先輩。」
「本当に酷い顔色ね。綺麗に隠してあげるから、顔に触っても良いかしら?」
「お願いします。」
生徒会執行部で副会長をしていたマチルダは、ギルド職員の制服を綺麗に着こなしていた。
やっぱり見ただけで分かったようで、お願いすると早速アシェルに化粧を施してくれる。
「はい、これで良いわよ。鏡をどうぞ。アシェル君のことだから殿下関連なんでしょうけど、無茶はダメよ?お化粧は一時的に隠せても万能じゃないんだから。ちゃんと睡眠と栄養を取らないと、倒れちゃうわ。」
マチルダはフレイム地方出身らしい赤銅色の肌なのに、ちゃんとアシェルの肌の色に合わせた化粧品を使ってくれていた。
ほんの少しだけ暗い色だが、違和感のないレベルのものだ。
そして丁寧に施された化粧のお陰で、鏡の中のアシェルはとても顔色が良く見えた。
「流石にこの色はわたくしは持っていないから、他の子から借りてきたのよ。あぁ、ちゃんと男の子に使う許可も貰ったから、アシェル君は気にしなくて大丈夫よ。これでも一番色白の子から借りてきたんだけど、あまり目立たなくて良かったわ。」
「すみません、ありがとうございます。」
「気にしないで。それにしても本当に羨ましいわ。遺伝で無理って分かってても、白肌には憧れちゃうわね。」
「そうですか?病的に見えてしまって貧弱そうに見えるだけなんですけど……。それにマチルダ先輩はとても美しいですよ。綺麗な赤銅色の肌がとてもエキゾチックで、大人の魅力を感じます。」
色白に憧れる女性が多いのは知っているが、アシェル程白いとただただ不健康そうに見えるだけだ。
運動するようになってようやく心配されなくなったが、毎年冬には血色が悪すぎて倒れるんじゃないかと周りを心配させてしまっていたのだから。
「まぁ、アシェル君ったら。相変わらず口が上手いのね。」
「アシェル君……お願いだから僕の婚約者を口説かないでくれるかい?」
「口説いてませんよ。マチルダ先輩が美しいのは事実ですから。そういえば式はいつ挙げられるんですか?」
「あぁ、うん。分かってはいたことだけどね。卒業して一年は新しい生活に慣れるのが大変だから、その後にってことになってるよ。領地の方で行うから、暇を作らないといけないしね。」
確かに二人とも一緒に社会人になったのだから、直ぐに新しい生活と環境というより、仕事が落ち着いてから婚姻したほうがいいのだろう。
アークエイドならそんなことお構いなしに、卒業したら直ぐに式を挙げたいと言いそうだと考えて、少し悲しくなる。
答えを出すのが遅すぎたアシェルには、悲しむ権利なんて無いのに。
不意に表情を曇らせたアシェルに、ユリウスとマチルダは顔を見合わせた。
いつも笑みを絶やさないアシェルが、こんな風に二人の前で落ち込んだ様子を見せたことは一度もないからだ。
「ねぇ、アシェル君。もし何か困ったり悩んだりしていることがあって、周りにも相談しにくいことなら、いつでもギルドにいらっしゃい。身近な人には言いにくくても、少し離れた人になら相談できることもあるでしょうから。身体は大事にして欲しいわ。」
マチルダの声に我に返り、いつもの微笑みを作る。
アシェルの化粧が下手だったせいで、余計な心配をかけてしまった。
「ありがとうございます、マチルダ先輩。少し護衛で気を張って疲れてるだけで、今夜は邸でゆっくりする予定ですから。少しは顔色も良くなるはずです。」
「そう?無理はしちゃ駄目よ。」
「はい。解体も終わったし、そろそろ査定も出ていると思うので、僕はこれで失礼しますね。お仕事中にありがとうございます。」
「アシェル君は気にしないでおくれ。それと、遺体の提供をありがとう。お陰で職員の練習が捗りそうだよ。」
「お役に立てたようで良かったです。では。」
アシェルはぺこりと頭を下げて、買取カウンターへ向かった。
そろそろイザベルも到着するはずなので、ローブ姿で目立たないように来ると言っていたが先に見つけてあげないといけない。
変な冒険者に絡ませたくない。
「誤魔化されちゃったわね。」
「仕方ないさ。僕らから見たら可愛い後輩だけど、アシェル君はあまり人に頼るタイプじゃないからね。もしもの時に相談できる相手が居るって、心の片隅にでも留めておいてもらえたら良いんじゃないかな。」
「そうね。わたくし達も仕事に戻りましょうか。」
「そうだね。」
アシェルの姿を見送ったユリウスとマチルダも、それぞれの仕事に戻るために解体場を後にした。
********
無事に冒険者ギルドでイザベルと落ち合ったアシェルは、馬車を借りてメイディー公爵家のタウンハウスに帰ってきた。
一人なら歩いても良いのだが、イザベルまで歩かせるわけにはいかないからだ。
馬車は停留所にタクシー代わりの馬車が数台停まっている。
目的地を告げ、お金を払えばそこまで運んでくれる辻馬車だ。
まだ昼間だと言うのにイザベルはお風呂の準備をしてくれ、アシェルをお風呂に入れてくれた。
極上のマッサージ付きだ。
それから素麺を湯がいて持ってきてくれる。
邸に居る間は食事は要らないと伝えて貰ったし、アベルと話すのは明日だ。
肌に悪いからと目元のカバーもしてくれなかった。
今日はいつ寝ても良いように、先に食事を持ってきてくれたのだろう。
固形物を受け付けなくなっていたが、週に一度であれば辛うじて、素麺だけは食べられるようになっていた。
毎日や一日置きだと吐き戻してしまうので、今はイザベルがこうやって様子を見て素麺を出してくれる。
普段は丁寧に具の取り除かれたコンソメスープで栄養を摂っている。
一度栄養剤を作って飲んでみたのだが、味が濃く感じて飲めなかった。
錬金しても味見が出来ないので、長らくマナポーション以外は作っていない。
「ベル……ベルは料理長のご飯食べておいで?使用人のご飯って言っても、素麺より美味しいのが色々出てくるでしょ?」
「わたくしはアシェル様とお食事を共にしたいから、一緒に居るのです。それに今回は邸の侍女として戻ってきたわけじゃありませんから。こうしてアシェル様と一緒に食事を摂っても問題ないはずです。それに、素麺も美味しいですから。」
アシェルは今、自室の小さな応接セットでイザベルと素麺を食べていた。
侍女ではないというものの、いつものお仕着せ姿だ。
寮は応接間があるので寝室には応接セットは置いていないが、一応邸の私室にはシンプルなものを置いてある。
明らかにアシェルのお世話の為に付いてきたのに、お風呂上りからずっとこう言い張られているのだ。
「じゃあ、今日は一緒に寝てくれる?侍女じゃないなら、一緒に寝ても良いでしょ?」
「アシェル様がそれでお眠りになられるのでしたら、ご一緒させていただきますが……わたくしが隣に居たら、アシェル様はお眠りになられないでしょう?ソファで眠らせていただくから、気になさらないで。」
「じゃあ、ベルが眠たくなるまででも良いから。それまでに寝れてなかったら、僕がソファに行くよ。」
「駄目です。ただでさえ疲れが取れていないのに、ソファでお眠りになるのは許しませんからね。……もう横になられるのであれば、わたくしが眠たくなるまででしたらお邪魔させてもらいますわ。片付けと寝支度を終わらせたら戻ってまいりますので。」
「ほんと?じゃあベルが戻るのを待ってるね。……ちゃんと戻ってきてくれる?」
「当たり前です。わたくしはアシェル様の侍女ですよ。アシェル様がお望みでしたら、どこへでもお供します。というよりも、アシェル様が嫌がってもお傍に仕えさせていただきますから。」
「ふふっ、ベルが言うと信憑性あるな。じゃあ待ってるね。」
にこっと微笑んだアシェルは、いそいそと布団の中に潜ってしまう。
疲れが溜まっているのか、それだけ心への負担が大きいのか。
最近ではイザベルが近くを離れる時に、不安を口にすることが増えた。
かなり情緒不安定になってしまっている。
それとは別にこの三日間で、今までと違う噂が出回り始めたのが気がかりだ。
そんなイザベルの気苦労は知らず、戻ってきたイザベルと一緒に横になったアシェルは、ご機嫌でイザベルを愛でていた。
「やっぱりベルは可愛いなぁ。絶対いいお嫁さんになるし、アル兄様には勿体ないよ。僕が本当に男だったら、ベルのことお嫁さんにしたかったな。」
「っ、分かりましたからっ。向かい合わせで、あまり強く抱きしめないでください。……メルティー様が凶器だという意味が良く分かりますわ。」
「あはは……ごめんね。後ろからなら良い?ベルをぎゅってしてたいんだ。」
アシェルの希望に合わせ、背中を向けてくれたイザベルをまた抱きしめる。
イザベルに迷惑をかけてしまっているのは分かっているが、違うと分かっていても人肌が恋しい。
「アシェル様はまだ“特別な好き”が分かっておられないのでしょう?もしアシェル様が本当に男だったとして、“特別な好き”をくれない相手にわたくしを嫁がせるつもりですか?」
「んー……それは嫌だなぁ。でも僕が男だったらって考えたら、多分僕の“特別な好き”はベルだったんじゃないかなって思うよ。そう考えた時、ベルしか考えられなかったから。」
「……アシェル様は。“特別な好き”を理解されたのですか?」
「どうなんだろう……これが本当に皆の言う、“特別な好き”か分からないんだよね。でも色々考えたら、大切なモノはいっぱいあるのに一緒に一生過ごすって考えたら、驚くほどスッキリしてた。一人しか残らなかったんだもん。……ねぇ。僕がクリストファー先輩に睡眠薬盛られた時……あの時のシャツ、アークのだよね?」
そう。アシェルの中に残ったのはアークエイドだけだった。
もし自分が男ならと考えたらイザベルも残ったが、もしもの話だし、その前提条件が無ければ他の誰も残らなかったのだ。
「……お気づきでしたか。」
「ううん。気付いたのはついこの前。イザベルを泣かせちゃった日に、アークに抱きしめられて……あの生地じゃなくて、アークの匂いがしたから眠れたんだなって。おかしな話だよね。ずっと一緒に居た時は分からなかったのに、アークが居なくなって初めて分かったんだよ。今更気付いたって遅いのに……。」
「アシェル様。別に遅くはありません。それをアークエイド様にお伝えすれば——。」
「駄目だよ。アークがぎゅってしてくれた時、いつもの眼をしてなかったもん。僕がいつも貰ってばっかりで、何もお返し出来てないから。愛想尽かされちゃったんだと思う。そもそも家族じゃないのに、何もお返ししてない時もずっと愛情をくれようとしてたのがおかしいんだから。それに……もしアークがまだ好きでいてくれても、ムーラン嬢と婚約するかもしれないでしょ?それなのに余計な事言えないよ。僕なんかより、国同士の繋がりの方が大事だから。ムーラン嬢はアークのこと好きだし、ちゃんと話せば分かってくれる子だから。少し矯正は大変かもしれないけど、ちゃんとして良いことと悪いことが分かれば、素敵なレディになると思うよ。公務の間はちゃんと皇族らしい振る舞いが出来ていたから。」
イザベルがぎゅっと、アシェルの腕を抱きしめてくれる。
「アシェル様……わたくしはアシェル様のお傍にずっといますわ。血の繋がりはなくても、アシェル様はわたくしの大切な家族です。見返りなんて必要ありませんわ。わたくしにも旦那様や奥様やご兄妹にも。見返りなんて無くても、皆アシェル様のことが大好きです。」
「ありがとう、ベル。僕も大好きだよ。……人肌は恋しいけど、やっぱりベルと一緒に寝ると眠れそうにないね。眼を閉じてると、ベルがベッドから落ちちゃんじゃないかってドキドキしちゃう。」
「わたくしはもう小さな赤ん坊ではありませんわっ。覚えてないんですから、あまり言わないで下さいませっ。」
イザベルはそういうが、アシェルは思いだそうとすれば思いだせるのだ。
小さくてぷくぷくとしていて愛らしい。そしてお転婆すぎて危なっかしいイザベルのことを。
それにアークエイドがくれた沢山の愛情も思いだせる。
普通はこんなにハッキリと思い出せないらしいので、幸せな思い出があるだけでも恵まれている。
初恋は叶わないものだと聞いた事があるし、そもそも貴族なので恋愛結婚できる人の方が稀だろう。
家族や友人からの愛情も沢山貰って、薫だった時には考えられないほど光と愛情にあふれた世界に生きているのだから、これ以上望むのは贅沢だ。
もっと贅沢がしたいなんて我儘を言ってしまうと、神様にこの幸せな世界を取り上げられてしまいそうだ。
「僕はちゃんとここで横になってるから、アル兄様のお部屋に泊まらせてもらっておいで?きっとアル兄様はとっても喜んでくれるから。」
「わたくしはソファでっ!」
「それはダメ。ベルがここで寝て僕がソファで寝るか、ベルがアル兄様と寝て僕がここで寝るか。どっちかだよ。もし使用人室で寝たりしたら、僕は今日邸を脱走して、明日お父様とお話しする時間まで戻ってこないからね。」
「……分かりましたわ。アル様のところへ行ってまいります。その前にアシェル様の錬金小屋から魔道具を持ってまいりますので、御用がある時は必ずそちらでお呼びください。というよりも、寝台を降りられる前には必ずお呼びください。それが約束できないのであれば、私は一晩中でも壁際に控えさせていただきます。」
「今日は侍女じゃないって言ったのに……。」
「お傍に置いて下さらないのでしたら、最低条件です。アシェル様の条件を呑むのですから、わたくしの条件も吞んでいただけますよね?」
イザベルは聞いてくれているが、アシェルが嫌だと言っても聞いてはくれないだろう。
このイザベルの問いに選択肢は無いのだ。
「分かった。ちゃんと約束する。」
イザベルを腕の中から解放すると、何かを取り出してサイドチェストの上に置かれた。
「本当はもう少し遅い時間にお渡しする予定でしたが……。旦那様のお作りになられた睡眠薬とマナポーションです。お眠りになりたいのに眠れなければ服用くださいませ。それから旦那様から伝言です。本日は周りに気にするものは無いのだから、ゆっくりとお眠りになるようにとのことです。」
イザベルはそう説明しながらネグリジェの上からお仕着せを着て、手早くシニヨンキャップの中に髪の毛を纏めていれてしまう。
しっかり仕事をするためじゃないので簡単に身支度をしているのだろうが、手際の良すぎる早着替えだ。
「お父様が?……皆に心配かけちゃってるみたいだし、もう飲んでおくよ。その方がベルも安心でしょ?」
「そうですね。アシェル様が寝付くまでは傍に降りますし、お眠りになられたら魔道具を持ってきて、ボタンはサイドチェストの上に置いておきます。ちゃんとアル様のお部屋を伺うと約束しますので、ゆっくりお休みになられてください。」
「うん、ありがとう。おやすみなさい。」
「おやすみなさいませ。」
アベルの用意してくれた薬瓶を二本とも飲み干し、アシェルはまた布団の中に潜りこんだ。
掛け布団の上から、イザベルがぽんぽんと一定のリズムで背中を叩いてくれる。
強烈な眠気に襲われながらも、うつらうつらとして中々寝付けなかったアシェルがようやく寝付いたのは、10分以上経ったころだった。
アベル曰く、常人なら飲んですぐ夢の中だという睡眠薬なのに。
イザベルは戸締りを確認して、空調の魔道具と足元灯の一つにだけ魔力を注ぎ、アロマも焚いておく。
少しでもリラックスできる様にラベンダーの香りだ。
リリアーデに助言を受けてお昼寝の時に使っているようなので、匂いが嫌だったり気分が悪くなったりはしないだろう。
それから魔道具を取ってきて伝えておいた場所に置き、アベルにアシェルの様子を報告に行く。
明日の朝で良いと言われていたが、まだ就寝時間には早いし、アシェルのことが心配だろう。
報告を終えたイザベルはアシェルとの約束通り、アルフォードの元を訪れた。
アシェルが特別な好きに気づいたらしいことと、それを伝える気はなさそうだということを伝えておいた。
そしてアルフォードがイザベルを、大切なモノの中で一番だと気付いた選び方を教えて貰った。
アシェルの話しぶりに、恐らく同じようにふるいにかける作業をしたのだろう。
王立学院内で出回り始めた噂のことは、アルフォードに伝えることが出来なかった。
ダニエルに三日間休みが欲しいと言った二日間は、最上級生の野外実習に付き添っていた。
去年から導入された救援部隊専用の魔道具もしっかり用意されていたし、教職員も森に慣れている人員を中心に変更したようだ。
去年の教訓を活かしてのことだろう。
流石に通常の三の森では、救助後に棄権が必要なグループはいなかった。
救助と言っても駆けつけるまでに魔物は殲滅できていて、貰った毒に対する解毒剤が分からなかったり。魔物以外の何に状態異常を貰ったのか分からず、ぐったりしているパーティーメンバーに不安になっての救難信号だった。
流石最上級生なだけあって実力自体は十分だったし、かなり平和な二日間だったのではないかと思う。
因みにアシェルは冒険者活動中と色が違うのに、出会う冒険者たちに【血濡れの殺人人形】だと特定されたし、何故かフレンドリーに話しかけてこられた。
やっぱり冒険者の中で二つ名持ちというのは、アイドルか何かなのだろうか。物騒すぎる二つ名では、アイドル感は全くないのだが。
三日目はメイディー邸で過ごすつもりだ。
イザベルには付き添わなくて良いと言ったのに、アシェルが帰るなら一緒に戻ると言われ、冒険者ギルドで待ち合わせすることにしている。
イザベルが来るまでの間に、実習の付き添い中に狩った魔物たちを捌いておかなくてはいけない。
——ストレス発散も兼ねていたので少し狩りすぎてしまった気もするが、去年よりは少ないはずだ。
冒険者ギルドの受付で買取依頼を出して、そのまま解体場まで移動する。
「おう、アシェル。今日の獲物は三の森のやつか?」
アシェルに声を掛けてくれたのは、解体場のおやっさんことバン・アルバートだ。
「うん、そうだよ。おやっさんは無事、ユリウス先輩にギルマスは引き継いだの?」
「ようやくな。また冒険者に戻るか考えたけど、昔組んでたパーティーメンバーも引退してるしよ。まぁ、解体場に居るのも楽しいし、このまま解体場のおやっさんだな。」
アシェルが積み上げた遺体の山を、バンの指示で解体しに来た職員たちが鮮やかな手つきで捌いていく。
今日は一気に出せと言われたので、小高い山がいくつも出来た。
「そうだ、アシェル。一種類に付きそれぞれ5体ずつ、丸まる買取させてくれねぇか?勿論解体費用は取らねぇし、普通に素材として買い取るより色は付けるぜ。」
「特別欲しい素材があるわけじゃないから別に良いけど。どうして?」
必要だったり欲しい部位があれば交渉されることもあったが、魔物を丸々という申し入れは今までに聞いたことが無かった。
「アシェルの持ってきた魔物は、どれも状態が良いだろ?新人教育で練習させるにはうってつけなんだよ。小型のばっかり捌かせてちゃ上達しねぇし、かといっていきなり商品に手を出させるわけにもいかねぇからな。」
「なるほど。買取査定に響いちゃうもんね。そういうことなら5体と言わず好きなだけ持っていって。普通の素材と同じ買取値段で構わないから。正直なところ、魔の森の魔物素材は有り余ってるんだよね。僕個人も、邸にも。」
「そりゃありがてぇ。そういうことなら、結構な数を丸々頂くぜ。そういや、さっきダンジョンから帰った奴らが、氷結花を採取して帰ってたぞ。ストレージ持ちの持ち込みだから採取方法はともかく、鮮度だけは抜群なはずだぜ。」
「ほんとに!?それって割と下層で取れるやつだよね??ちょっと買取カウンターに行ってくる。」
「おぅ、行ってこい。こっちは任せとけ。」
バンは冒険者ギルド長を引退したのに、相変わらずギルド内のことに詳しいようだ。
そしてアシェルに教えてくれる珍しい素材情報は、本当に中々手に入らない素材を教えてくれるのでありがたい。
うきうきと買取カウンターに向かい、支払いは今日の収入から引くか、足りなければ冒険者タグから引いてくれと素材の受け取りをする。
氷結花はダンジョンの中でも極寒のエリアにしか咲くことが無く、なかなか見つからないレア素材だ。
さらには下層の素材なのでそこに行ける冒険者の実力もだが、保存の仕方や帰りの時間のことも考えると、ストレージ持ちでないと持ち帰るのは難しい。
採取も丁寧だし、数もしっかり持ち帰っていたようで、全て買取させてもらった。
折角メイディー邸に帰るのだし、家族にお裾分けしてあげよう。
ご機嫌なまま解体場に戻ると、バンに温かいココアを渡され、手伝わずにゆっくりしていろと言われてしまった。
確かにココアは温かい方が美味しいので、お言葉に甘えて解体場の隅で見学させてもらう。
流石に虫系はいつものベテラン解体員達だが、獣系はあまり見かけない職員も解体している。
流石に一人ではまだ無理なのか、数人のグループで大き目の体格の魔物を捌いている感じだ。
ベテランほどではないが、動きもチームワークも悪くないように見える。
甘いココアを片手に見学していると、見知った顔がやってきた。
「ユリウス先輩、お久しぶりです。ギルマス就任、おめでとうございます。」
「ありがとう、アシェル君。アシェル君もお疲れ様。」
いつもの黒ぶち眼鏡をかけた人当たりの良い笑みでアシェルに近寄ってくるのは、ユリウス・フレイムだ。
今年から冒険者ギルド長になったが、去年までは生徒会長をしていてアシェルもお世話になった先輩だ。
そのユリウスがじっとアシェルの顔を見てくる。
「どうしましたか?」
「いや……なんだか少しやつれてないかい?一日、二日じゃそのクマは出来ないだろう?」
どうやら顔色が悪いと思われたらしい。
これでも朝クリーンで身体を綺麗にした後、ちゃんと目元にファンデーションを塗っておいたのだが、イザベルがしてくれているようにうまく隠すことが出来ていないようだ。
「あはは……少し寝不足気味なんですよ。そんなに目立ちます?」
「うん。流石に良く知ってる顔だからね。ちょっと待ってて、マチルダを呼んで貰うから。隠したいのならマチルダに化粧してもらえばいい。」
どうやら婚約者であるマチルダも冒険者ギルドで働いているようだ。
ユリウスが近くの職員に声を掛けてくれる。
「フレイムの坊ちゃん……。そこは気付いても言っちゃダメだろうが。」
「……もしかして、おやっさんも気付いてたの?」
「あったりまえだろ。学院じゃ侍女にやらせてるんだろうが、隠すつもりならもう少し技術を磨いた方が良いぜ。」
もしかしてバンがアシェルにココアを渡して休ませていたのは、顔色の悪さに気付いていたからなのだろうか。
気を遣わせてしまって申し訳ない。
ユリウスはバンから、紳士なら気付いてもさり気なくフォローしろと注意されている。
バンの筋骨隆々な姿からは想像できない注意内容だ。そして本当に貴族出身なんだなと思わせる。
「アシェル君、お久しぶりね。」
「お久しぶりです、マチルダ先輩。」
「本当に酷い顔色ね。綺麗に隠してあげるから、顔に触っても良いかしら?」
「お願いします。」
生徒会執行部で副会長をしていたマチルダは、ギルド職員の制服を綺麗に着こなしていた。
やっぱり見ただけで分かったようで、お願いすると早速アシェルに化粧を施してくれる。
「はい、これで良いわよ。鏡をどうぞ。アシェル君のことだから殿下関連なんでしょうけど、無茶はダメよ?お化粧は一時的に隠せても万能じゃないんだから。ちゃんと睡眠と栄養を取らないと、倒れちゃうわ。」
マチルダはフレイム地方出身らしい赤銅色の肌なのに、ちゃんとアシェルの肌の色に合わせた化粧品を使ってくれていた。
ほんの少しだけ暗い色だが、違和感のないレベルのものだ。
そして丁寧に施された化粧のお陰で、鏡の中のアシェルはとても顔色が良く見えた。
「流石にこの色はわたくしは持っていないから、他の子から借りてきたのよ。あぁ、ちゃんと男の子に使う許可も貰ったから、アシェル君は気にしなくて大丈夫よ。これでも一番色白の子から借りてきたんだけど、あまり目立たなくて良かったわ。」
「すみません、ありがとうございます。」
「気にしないで。それにしても本当に羨ましいわ。遺伝で無理って分かってても、白肌には憧れちゃうわね。」
「そうですか?病的に見えてしまって貧弱そうに見えるだけなんですけど……。それにマチルダ先輩はとても美しいですよ。綺麗な赤銅色の肌がとてもエキゾチックで、大人の魅力を感じます。」
色白に憧れる女性が多いのは知っているが、アシェル程白いとただただ不健康そうに見えるだけだ。
運動するようになってようやく心配されなくなったが、毎年冬には血色が悪すぎて倒れるんじゃないかと周りを心配させてしまっていたのだから。
「まぁ、アシェル君ったら。相変わらず口が上手いのね。」
「アシェル君……お願いだから僕の婚約者を口説かないでくれるかい?」
「口説いてませんよ。マチルダ先輩が美しいのは事実ですから。そういえば式はいつ挙げられるんですか?」
「あぁ、うん。分かってはいたことだけどね。卒業して一年は新しい生活に慣れるのが大変だから、その後にってことになってるよ。領地の方で行うから、暇を作らないといけないしね。」
確かに二人とも一緒に社会人になったのだから、直ぐに新しい生活と環境というより、仕事が落ち着いてから婚姻したほうがいいのだろう。
アークエイドならそんなことお構いなしに、卒業したら直ぐに式を挙げたいと言いそうだと考えて、少し悲しくなる。
答えを出すのが遅すぎたアシェルには、悲しむ権利なんて無いのに。
不意に表情を曇らせたアシェルに、ユリウスとマチルダは顔を見合わせた。
いつも笑みを絶やさないアシェルが、こんな風に二人の前で落ち込んだ様子を見せたことは一度もないからだ。
「ねぇ、アシェル君。もし何か困ったり悩んだりしていることがあって、周りにも相談しにくいことなら、いつでもギルドにいらっしゃい。身近な人には言いにくくても、少し離れた人になら相談できることもあるでしょうから。身体は大事にして欲しいわ。」
マチルダの声に我に返り、いつもの微笑みを作る。
アシェルの化粧が下手だったせいで、余計な心配をかけてしまった。
「ありがとうございます、マチルダ先輩。少し護衛で気を張って疲れてるだけで、今夜は邸でゆっくりする予定ですから。少しは顔色も良くなるはずです。」
「そう?無理はしちゃ駄目よ。」
「はい。解体も終わったし、そろそろ査定も出ていると思うので、僕はこれで失礼しますね。お仕事中にありがとうございます。」
「アシェル君は気にしないでおくれ。それと、遺体の提供をありがとう。お陰で職員の練習が捗りそうだよ。」
「お役に立てたようで良かったです。では。」
アシェルはぺこりと頭を下げて、買取カウンターへ向かった。
そろそろイザベルも到着するはずなので、ローブ姿で目立たないように来ると言っていたが先に見つけてあげないといけない。
変な冒険者に絡ませたくない。
「誤魔化されちゃったわね。」
「仕方ないさ。僕らから見たら可愛い後輩だけど、アシェル君はあまり人に頼るタイプじゃないからね。もしもの時に相談できる相手が居るって、心の片隅にでも留めておいてもらえたら良いんじゃないかな。」
「そうね。わたくし達も仕事に戻りましょうか。」
「そうだね。」
アシェルの姿を見送ったユリウスとマチルダも、それぞれの仕事に戻るために解体場を後にした。
********
無事に冒険者ギルドでイザベルと落ち合ったアシェルは、馬車を借りてメイディー公爵家のタウンハウスに帰ってきた。
一人なら歩いても良いのだが、イザベルまで歩かせるわけにはいかないからだ。
馬車は停留所にタクシー代わりの馬車が数台停まっている。
目的地を告げ、お金を払えばそこまで運んでくれる辻馬車だ。
まだ昼間だと言うのにイザベルはお風呂の準備をしてくれ、アシェルをお風呂に入れてくれた。
極上のマッサージ付きだ。
それから素麺を湯がいて持ってきてくれる。
邸に居る間は食事は要らないと伝えて貰ったし、アベルと話すのは明日だ。
肌に悪いからと目元のカバーもしてくれなかった。
今日はいつ寝ても良いように、先に食事を持ってきてくれたのだろう。
固形物を受け付けなくなっていたが、週に一度であれば辛うじて、素麺だけは食べられるようになっていた。
毎日や一日置きだと吐き戻してしまうので、今はイザベルがこうやって様子を見て素麺を出してくれる。
普段は丁寧に具の取り除かれたコンソメスープで栄養を摂っている。
一度栄養剤を作って飲んでみたのだが、味が濃く感じて飲めなかった。
錬金しても味見が出来ないので、長らくマナポーション以外は作っていない。
「ベル……ベルは料理長のご飯食べておいで?使用人のご飯って言っても、素麺より美味しいのが色々出てくるでしょ?」
「わたくしはアシェル様とお食事を共にしたいから、一緒に居るのです。それに今回は邸の侍女として戻ってきたわけじゃありませんから。こうしてアシェル様と一緒に食事を摂っても問題ないはずです。それに、素麺も美味しいですから。」
アシェルは今、自室の小さな応接セットでイザベルと素麺を食べていた。
侍女ではないというものの、いつものお仕着せ姿だ。
寮は応接間があるので寝室には応接セットは置いていないが、一応邸の私室にはシンプルなものを置いてある。
明らかにアシェルのお世話の為に付いてきたのに、お風呂上りからずっとこう言い張られているのだ。
「じゃあ、今日は一緒に寝てくれる?侍女じゃないなら、一緒に寝ても良いでしょ?」
「アシェル様がそれでお眠りになられるのでしたら、ご一緒させていただきますが……わたくしが隣に居たら、アシェル様はお眠りになられないでしょう?ソファで眠らせていただくから、気になさらないで。」
「じゃあ、ベルが眠たくなるまででも良いから。それまでに寝れてなかったら、僕がソファに行くよ。」
「駄目です。ただでさえ疲れが取れていないのに、ソファでお眠りになるのは許しませんからね。……もう横になられるのであれば、わたくしが眠たくなるまででしたらお邪魔させてもらいますわ。片付けと寝支度を終わらせたら戻ってまいりますので。」
「ほんと?じゃあベルが戻るのを待ってるね。……ちゃんと戻ってきてくれる?」
「当たり前です。わたくしはアシェル様の侍女ですよ。アシェル様がお望みでしたら、どこへでもお供します。というよりも、アシェル様が嫌がってもお傍に仕えさせていただきますから。」
「ふふっ、ベルが言うと信憑性あるな。じゃあ待ってるね。」
にこっと微笑んだアシェルは、いそいそと布団の中に潜ってしまう。
疲れが溜まっているのか、それだけ心への負担が大きいのか。
最近ではイザベルが近くを離れる時に、不安を口にすることが増えた。
かなり情緒不安定になってしまっている。
それとは別にこの三日間で、今までと違う噂が出回り始めたのが気がかりだ。
そんなイザベルの気苦労は知らず、戻ってきたイザベルと一緒に横になったアシェルは、ご機嫌でイザベルを愛でていた。
「やっぱりベルは可愛いなぁ。絶対いいお嫁さんになるし、アル兄様には勿体ないよ。僕が本当に男だったら、ベルのことお嫁さんにしたかったな。」
「っ、分かりましたからっ。向かい合わせで、あまり強く抱きしめないでください。……メルティー様が凶器だという意味が良く分かりますわ。」
「あはは……ごめんね。後ろからなら良い?ベルをぎゅってしてたいんだ。」
アシェルの希望に合わせ、背中を向けてくれたイザベルをまた抱きしめる。
イザベルに迷惑をかけてしまっているのは分かっているが、違うと分かっていても人肌が恋しい。
「アシェル様はまだ“特別な好き”が分かっておられないのでしょう?もしアシェル様が本当に男だったとして、“特別な好き”をくれない相手にわたくしを嫁がせるつもりですか?」
「んー……それは嫌だなぁ。でも僕が男だったらって考えたら、多分僕の“特別な好き”はベルだったんじゃないかなって思うよ。そう考えた時、ベルしか考えられなかったから。」
「……アシェル様は。“特別な好き”を理解されたのですか?」
「どうなんだろう……これが本当に皆の言う、“特別な好き”か分からないんだよね。でも色々考えたら、大切なモノはいっぱいあるのに一緒に一生過ごすって考えたら、驚くほどスッキリしてた。一人しか残らなかったんだもん。……ねぇ。僕がクリストファー先輩に睡眠薬盛られた時……あの時のシャツ、アークのだよね?」
そう。アシェルの中に残ったのはアークエイドだけだった。
もし自分が男ならと考えたらイザベルも残ったが、もしもの話だし、その前提条件が無ければ他の誰も残らなかったのだ。
「……お気づきでしたか。」
「ううん。気付いたのはついこの前。イザベルを泣かせちゃった日に、アークに抱きしめられて……あの生地じゃなくて、アークの匂いがしたから眠れたんだなって。おかしな話だよね。ずっと一緒に居た時は分からなかったのに、アークが居なくなって初めて分かったんだよ。今更気付いたって遅いのに……。」
「アシェル様。別に遅くはありません。それをアークエイド様にお伝えすれば——。」
「駄目だよ。アークがぎゅってしてくれた時、いつもの眼をしてなかったもん。僕がいつも貰ってばっかりで、何もお返し出来てないから。愛想尽かされちゃったんだと思う。そもそも家族じゃないのに、何もお返ししてない時もずっと愛情をくれようとしてたのがおかしいんだから。それに……もしアークがまだ好きでいてくれても、ムーラン嬢と婚約するかもしれないでしょ?それなのに余計な事言えないよ。僕なんかより、国同士の繋がりの方が大事だから。ムーラン嬢はアークのこと好きだし、ちゃんと話せば分かってくれる子だから。少し矯正は大変かもしれないけど、ちゃんとして良いことと悪いことが分かれば、素敵なレディになると思うよ。公務の間はちゃんと皇族らしい振る舞いが出来ていたから。」
イザベルがぎゅっと、アシェルの腕を抱きしめてくれる。
「アシェル様……わたくしはアシェル様のお傍にずっといますわ。血の繋がりはなくても、アシェル様はわたくしの大切な家族です。見返りなんて必要ありませんわ。わたくしにも旦那様や奥様やご兄妹にも。見返りなんて無くても、皆アシェル様のことが大好きです。」
「ありがとう、ベル。僕も大好きだよ。……人肌は恋しいけど、やっぱりベルと一緒に寝ると眠れそうにないね。眼を閉じてると、ベルがベッドから落ちちゃんじゃないかってドキドキしちゃう。」
「わたくしはもう小さな赤ん坊ではありませんわっ。覚えてないんですから、あまり言わないで下さいませっ。」
イザベルはそういうが、アシェルは思いだそうとすれば思いだせるのだ。
小さくてぷくぷくとしていて愛らしい。そしてお転婆すぎて危なっかしいイザベルのことを。
それにアークエイドがくれた沢山の愛情も思いだせる。
普通はこんなにハッキリと思い出せないらしいので、幸せな思い出があるだけでも恵まれている。
初恋は叶わないものだと聞いた事があるし、そもそも貴族なので恋愛結婚できる人の方が稀だろう。
家族や友人からの愛情も沢山貰って、薫だった時には考えられないほど光と愛情にあふれた世界に生きているのだから、これ以上望むのは贅沢だ。
もっと贅沢がしたいなんて我儘を言ってしまうと、神様にこの幸せな世界を取り上げられてしまいそうだ。
「僕はちゃんとここで横になってるから、アル兄様のお部屋に泊まらせてもらっておいで?きっとアル兄様はとっても喜んでくれるから。」
「わたくしはソファでっ!」
「それはダメ。ベルがここで寝て僕がソファで寝るか、ベルがアル兄様と寝て僕がここで寝るか。どっちかだよ。もし使用人室で寝たりしたら、僕は今日邸を脱走して、明日お父様とお話しする時間まで戻ってこないからね。」
「……分かりましたわ。アル様のところへ行ってまいります。その前にアシェル様の錬金小屋から魔道具を持ってまいりますので、御用がある時は必ずそちらでお呼びください。というよりも、寝台を降りられる前には必ずお呼びください。それが約束できないのであれば、私は一晩中でも壁際に控えさせていただきます。」
「今日は侍女じゃないって言ったのに……。」
「お傍に置いて下さらないのでしたら、最低条件です。アシェル様の条件を呑むのですから、わたくしの条件も吞んでいただけますよね?」
イザベルは聞いてくれているが、アシェルが嫌だと言っても聞いてはくれないだろう。
このイザベルの問いに選択肢は無いのだ。
「分かった。ちゃんと約束する。」
イザベルを腕の中から解放すると、何かを取り出してサイドチェストの上に置かれた。
「本当はもう少し遅い時間にお渡しする予定でしたが……。旦那様のお作りになられた睡眠薬とマナポーションです。お眠りになりたいのに眠れなければ服用くださいませ。それから旦那様から伝言です。本日は周りに気にするものは無いのだから、ゆっくりとお眠りになるようにとのことです。」
イザベルはそう説明しながらネグリジェの上からお仕着せを着て、手早くシニヨンキャップの中に髪の毛を纏めていれてしまう。
しっかり仕事をするためじゃないので簡単に身支度をしているのだろうが、手際の良すぎる早着替えだ。
「お父様が?……皆に心配かけちゃってるみたいだし、もう飲んでおくよ。その方がベルも安心でしょ?」
「そうですね。アシェル様が寝付くまでは傍に降りますし、お眠りになられたら魔道具を持ってきて、ボタンはサイドチェストの上に置いておきます。ちゃんとアル様のお部屋を伺うと約束しますので、ゆっくりお休みになられてください。」
「うん、ありがとう。おやすみなさい。」
「おやすみなさいませ。」
アベルの用意してくれた薬瓶を二本とも飲み干し、アシェルはまた布団の中に潜りこんだ。
掛け布団の上から、イザベルがぽんぽんと一定のリズムで背中を叩いてくれる。
強烈な眠気に襲われながらも、うつらうつらとして中々寝付けなかったアシェルがようやく寝付いたのは、10分以上経ったころだった。
アベル曰く、常人なら飲んですぐ夢の中だという睡眠薬なのに。
イザベルは戸締りを確認して、空調の魔道具と足元灯の一つにだけ魔力を注ぎ、アロマも焚いておく。
少しでもリラックスできる様にラベンダーの香りだ。
リリアーデに助言を受けてお昼寝の時に使っているようなので、匂いが嫌だったり気分が悪くなったりはしないだろう。
それから魔道具を取ってきて伝えておいた場所に置き、アベルにアシェルの様子を報告に行く。
明日の朝で良いと言われていたが、まだ就寝時間には早いし、アシェルのことが心配だろう。
報告を終えたイザベルはアシェルとの約束通り、アルフォードの元を訪れた。
アシェルが特別な好きに気づいたらしいことと、それを伝える気はなさそうだということを伝えておいた。
そしてアルフォードがイザベルを、大切なモノの中で一番だと気付いた選び方を教えて貰った。
アシェルの話しぶりに、恐らく同じようにふるいにかける作業をしたのだろう。
王立学院内で出回り始めた噂のことは、アルフォードに伝えることが出来なかった。
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