氷の王子様と微笑みの男装令嬢

芯夜

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第四章 王立学院中等部三年生

251 アシェルを狙うもの⑤

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Side:アシェル14歳 夏



リーン、リーンと来客を告げる音が鳴り、本日の遊び相手を招き入れる。

アシェルは相手が罠にかかったと思っているし、それは相手の青年も同様だろう。

イザベルが扉を開けると、緊張した面持ちの青年が入ってくる。

演技力で選ばれているのか。戦闘技術も高いのか。
それとも、あえて演技に慣れてない人間を投入して、初々しさを出しているのか。

きっとアシェルの周りを嗅ぎまわっている人間に絞って観ていなければ、普通に下級生がお誘いをかけてきたのだと勘違いしてしまいそうだ。

「お、お邪魔します。」

「どうぞ。あ、シーツをかけてる方に座ってくれる?汚れないようにしてるから。それと、紅茶と珈琲どっちがいい?」

「じゃ、じゃあ紅茶で。」

青年の返事を聞いたイザベルは、アシェル達の前に紅茶を淹れて置いた後、扉からすぐ傍の壁際に待機する。

お互い紅茶に一口だけ口をつけ、来客の最低限の対応だけは済んだ。

「さて、時間もないし本題に入ろうか。君は男性同士のやり方を知りたい、もしくは本命との前に事前に体験したいんだよね?先にどこまでを希望しているのかとか、詳しく聞いても良い?聞きたいのは、キスをしてもいいのか。受け側と攻め側どちらを経験したいのか。ここは触られたくないって場所はあるのか。コレだけ教えてくれる?」

「あ、はい。キスは大丈夫です。むしろお願いします。私が受け側で……。募集も受け側って聞いてますし、きっと相手の方はノンケの方ですし。仮に受け入れて貰えるなら、その方が確率は高いかなって……。それと、特に触って欲しくないところはないです。一応、その。下準備もしてきたので。綺麗にはしてきてます。」

顔を真っ赤にしながら、青年は質問に答えてくれる。

その青年に、アシェルは優しく微笑んで見せる。

「ふふ、ありがとう。じゃあ、時間も勿体ないし始めようか。おいで。」

ぽんぽんと膝の上を叩くと、少し逡巡したのち、青年はアシェルに向かい合う様にして膝に乗ってくれる。

その腰に腕を回し、そっと頬を撫でながら首輪に魔力を通す。

攻撃力低下デタック』の術式を、予め首輪に施してある。
新しく魔法を構築してデバフをかけるより、既にある術式に魔力を流した方が悟られにくい。今回は釣れた敵用にピンクの首輪の内側に、予め術式を刻んでおいたのだ。

刃物で刺されるなら、これだけで即死級の重症は免れるはずだ。
致命傷を負わせようと思ったら、助走も付けれないほど近距離なら力が物を言う。

魔法なら解除キャンセル出来る自信があるが、一つくらいは発動させてあげるつもりだ。ただメイディーについて調べているのなら、魔法を仕掛けてくることは無いと思う。

物理で来るであろう想定で、その一撃は貰う予定でいる。

どちらにせよ、アシェルを殺したいのか。無力化させてどこかに拉致しようとしているのか。
それすらも分からないのだ。

それは相手の動きで分かるだろうと思っている。

腰を引き寄せチュッと優しく唇を啄むと、きゅっと唇が閉まる。
緊張している、初心な子そのものの反応だ。

何度か啄んでも緊張が解けることは無い。

「ふふ、緊張してる?もっと力抜いて……じゃないと、無理やり襲ってるみたいになっちゃう。」

「俺……あ、私はそんな……。いえ、やっぱり緊張してるんだと思います。」

緊張していると指摘された青年は、顔を茹蛸のように真っ赤にしてしまっている。

「普段は俺なの?楽な方で良いよ。」

「あ、すみません。その……手を、繋いでもらっても良いですか?その方が安心できるので……。」

そう言って、青年は頬を撫でた右手に手を絡めてくる。

アシェルはその手を握り返した。
直ぐに動けるように右手をフリーにしていたのは間違いだったかもしれない。

「いいよ。キスしよう?飛びっきり気持ちよくしてあげるから。」

また唇を重ねると、先程までよりは柔らかくなった唇。

啄むようにキスした後に唇を舐め、そのまま舌を押し込めば受け入れられる。

チュク、ピチャっと唾液の絡まる水音が静かな部屋に響く。

「っん……はぁ……んんっ……。」

たどたどしく舌を絡め返しながら、青年の艶めかしい声が唇の隙間から漏れる。

ビクンと身体を揺らした時には手に力が入るので、ソレが気持ち良いのだと分かりやすい。

たっぷりと舌を絡めて唇を離すと、蕩けた瞳と眼があった。

「ふふ、気持ち良かった?反応してくれて嬉しいな。」

既にテントを張り始めたズボンに繋いだ手を擦り付ける。
そこに慌てて青年の手が重ねられる。

「あっ、はずか、しいです……。」

「どうして?気持ち良いのを隠さないで。もっとよくしてあげるから。」

「その、俺……大きくないから。」

「そんなの気にしなくて良いよ。」

今のところおかしな素振りは見せない。
まだ服を脱がせるには早いかと、もう一度唇を重ねた。

欲を言えば何か狙いがあるのならさっさと行動してほしいが、今回様子見をされるのだとしたら、またアシェルに誘われたいと思ってもらわなくてはいけない。

どれもこれも初体験のような反応を見せているので、相手の狙いも分からない以上、警戒はしつつも嫌な思いをさせないようにしなくてはいけない。
どんな相手でも、相手がハッキリと悪だと分かるまで無理強いはしたくない、というのがアシェルのポリシーだ。

今度は先程よりも激しく舌を絡めていると、不意にカチリと音がして手首にひんやりとした感覚が触れた。
同時に。アシェルの展開していた探査魔法サーチの反応が無くなる。

咄嗟に唇を離し、腕を見れば金属製の腕輪のような物をはめられていた。

「なんのつも——。」

「ごめんなさい!」

「っ!!」

青年を押し離そうとするよりも早く、太腿に鈍い痛みが走る。
そして青年はアシェルから飛びのき、首筋に血濡れた切っ先が突き付けられた。

イザベルがそれに反応して、咄嗟にこちらに駆けて来ようとするが、首筋に当てられた刃がそれ以上動かないのを見て動きを止めた。
扉を開けるべきか、今すぐアシェルの解放を願うか迷っているように見える。

「もう一度聞くよ。何のつもりなのか、教えてくれる?」

「……大人しく、着いて来てください。得意の魔法は使えないはずです。」

つまり腕輪のせいで魔法が使えなくなり、探査魔法サーチは強制的に使えなくなったということだろう。
確かに魔力を練りたくても、魔力回路が腕輪の部分で塞き止められていて上手く使えない。

「何処に?」

「思ったよりも冷静なんですね。想像以上に場慣れしていらっしゃいますか?」

「そんなことは無いと思うよ。あたふたしても、何も進まないでしょ。」

「……侍女の前で何処へとは言えません。ですが、身の安全は保障します。」

「既に傷が付いてるんだけどね。」

「魔力回路は潰したとはいえ、逃げられても困りますから。そこの侍女の方、扉から離れてください。窓から飛び降りるなんて、アシェル様にも危険なことはしたくないので。」

青年は首筋からダガーを離さないまま、引っ張ってアシェルを立たせてくるので大人しく従う。

だがイザベルは強く青年を睨みつけたまま、動こうとしない。

どちらにしても、扉を開けるのが合図だ。

今のところアシェルの命に関わることは無いと知れただけでも十分だろう。

「ベル、キッチンに引っ込んで。ソレだけ離れれば十分でしょ?」

「えぇ。アシェル様、後ろ手に手を組んでください。」

心配そうにアシェルを一度見たイザベルは、指示された通りキッチンへと移動する。

それを見て、アシェルの手首を片手で両方とも掴んで、青年は歩き出す。
腕輪をずらしたとはいえ、やはり男の手ではアシェルの手首など細いらしい。

キッチンを警戒したまま青年は動き、アシェルの部屋の扉を開け外へ出た。

青年がそのまま走り出そうとした時、向かい側の扉が開き、アシェルの首筋に当てられていたダガーは力任せに弾き飛ばされた。——マリクの手で。

「なっ!?」

驚き固まる青年のアシェルを掴んでいる手はエラートの手刀で叩き落され、デュークの抜いた刃が青年の首筋に突きつけられた。

廊下に出て一歩目、一瞬の出来事だった。

「目的が分からないのに、大人しく付いていくわけないでしょ。」

無事に解放されたアシェルの元へ、リリアーデが駆け寄ってくる。

「アシェ、怪我は?」

「左の太腿だけ。僕をどこかに連れて行きたかったみたい。」

「治すわね。」

さっとリリアーデが『創傷治癒ヒール』をかけてくれ、鈍い痛みも無くなった。

その間にエラートが手際よく青年を縛り上げ、猿轡まで噛ませている。
あの手際の良さは騎士団仕込みなのだろうか。

アシェルを拉致する作戦が失敗した青年は、アシェルを睨み返してくる。
もごもごと口が動いているが、猿轡のせいで意味のある言葉として聞き取ることは出来ない。

「何か言いたい事があるなら騎士団へ。素直に話せば、悪いようにはされないんじゃないかな。」

アシェルが言葉を紡ぐ間に、マリクはアークエイドの部屋の扉を叩き、ダニエル達を連れてくる。

白騎士の一人はアシェル達に黙礼したあと、そのまま縛られた青年を連れて行った。

「お疲れ様でした。ご協力感謝いたします。」

「こちらこそ、見逃しててくれてありがとうございます。僕を探ってたのはアイツだけだから、僕を攫うのだけが目的だったみたいですね。」

ダニエルからの礼に、アシェルも礼を返す。

アシェルが何をしようとしているのか、ダニエルなら恐らく気が付いていたはずだ。

だがダニエル達がアークエイド達から離れてアシェルの近くに居る時は、あの青年はアシェルから距離を取っていた。

のにどうやって王立学院の敷地内に入ったのか。
夜をどう過ごしていたのかは分からないが、かなり用心深い性格だったんだなと思う。

「ご協力感謝いたします。あの者の持つ情報次第ですが……前回の情報だけでも、かなり裏が取れています。終息は間もなくかと。」

それはアシェル達が聞いても良い情報だったのだろうか。
ダニエルなら漏らしてはいけない情報は口にしないと思うが、いつも色々教えてくれるので本当に大丈夫なのだろうかと思ってしまう。

幼馴染たちはイザベルにアシェルの無事を伝えてくれたようで、ダニエルとの会話を遠巻きに見ている。
何かあってもアシェルがやり過ぎないように協力してくれていたのだが、ダニエルとの会話に口を挟むつもりはないようだ。

「それは良かったです。……そうだ。この腕輪、どうやったら取れるか知りませんか?さっきから外したいんですけど取れなくて。」

鈍く光る枷のような腕輪を見せると、ダニエルが顔を顰める。

「それはこの辺りには流通がないはずですが……。外すのでしたら、殿下にお願いしたほうが早いかと。一通りの害がある枷の外し方は、殿下の方が詳しいですので。その枷は魔力で外すことは出来ず、かなり訓練が必要です。」

「……ズボンだけ履き替えて来ても?」

せっかくアークエイドが出てこなくて傷がバレないと思ったが、いくら治してもらったとはいえ、血が付いて裂けたズボンを見るとお小言を言われるに決まっている。

その意図を察したダニエルは苦笑した。

「えぇ、構いませんよ。」

アシェルが自室に戻ってズボンを履き替える間、幼馴染たちとダニエルは何やら話していたようだ。
何やらというかダニエルがお礼を言って、幼馴染たちが構わないと言って少し談話していただけのようだが。

「着替えました。お願いします。」

「かしこまりました。少々お待ちくださいね。」

今度はダニエルがアークエイドの部屋へと戻っていく。

「アシェ、お疲れ様。大きな傷じゃなくて良かったわ。」

「血の臭いがしたから、酷かったらどーしよーかと思ったよー。」

「先に魔力回路封じられたから、自分で治せなかったんだよね。連れ去り目的で本当に良かったよ。皆ありがとうね。」

「怪我をされて良かった、とはなりません。ですが、もっと酷い想定もしていたので、その程度で済んで良かったです。」

「その腕輪のせいで魔力が使えないのか?見ただけだと、継ぎ目のない金属の輪っかに見えるが。」

「だよな。アシェの手首なら細いし、抜けたりしねぇの?」

「それが全然ダメなんだよね。僕もこのまま引っ張ったら抜けないかなって思ったけど、手に引っかかるわけじゃないのに手首より先には行ってくれないんだよね……。上には少しずらせるんだけど。」

どうやってはめたのかとおもうほど、一見武骨に見える腕輪には継ぎ目が見当たらない。
それに抜けそうな見た目なのに抜けないのだ。

「アシェ、大丈夫なのか!?エトたちまで……。」

たった今お風呂から上がりましたと言わんばかりの、漆黒の髪の毛を濡らしたアークエイドに声をかけられる。

足早に近寄ってきながらラフな寝間着で肩にタオルをかけてはいるが、ロングヘアなのだ。シャツは濡れてしまっているんじゃないかと思う。
お風呂上りは寝る準備をしたことになるのか、眼鏡はかけていなかった。

「ぴんぴんしてるよ、この変な腕輪を付けられた以外はね。だから、髪くらい乾かしてもらってから来たら良かったのに。」

「アシェル殿ならそう言うと思うとお伝えしたんですが……。」

「学院内じゃ俺しか外せないだろ。それに時間もかかる。あまり魔力回路に負担をかけるのは良くないから、外せるなら早めの方が良い。……ダニエルも知ってるだろ?」

言いながらアークエイドは、アシェルに付けられた腕輪を検分する。

「また面倒なのを付けられたな。かなり複雑な解錠のタイプだが、両手用じゃないだけマシか……。」

「ねぇ、アーク。これってそんなに外れにくいの?っていうか、何処から外れるの?継ぎ目なんて無くないかしら?」

多分その場にいる全員が思っているであろうことを、リリアーデが口にする。

「かなり分かりにくいが……。正しく操作すると、ここが外れる。無理やり外すと魔力回路が傷つくから、何種類かある操作方法は覚えている。ただ、見よう見まねでは外せないだろう、とは。」

そう指さされた場所を皆で覗き込む。

確かに言われてみれば、薄っすらと線が入っているように見える。
だが、金属に付いた傷だと言われても分からないレベルのものだ。


他の場所にも同じような傷のような線が入っているので、素人目には全く分からない。

「言われても、全く外れそうって思えないわ。とりあえず、アークなら外せるのね?だったら解散しましょう。アシェは無事だったし、わたくし達もそろそろ寝支度しないと。使用人達まで寝るのが遅くなっちゃうし。」

「それもそうだな。んじゃ、アークあとは頼んだぞ。」

「だねー。俺達のお役目しゅーりょーみたいだし。おやすみー。」

「アークは風邪ひかないでくれよ。おやすみ。」

「あぁ、おやすみ。」

「皆、遅くまでありがとね。おやすみ。」

アシェルの為に集まってくれていたリリアーデとデュークは向かい側の扉へ消え、マリクとエラートはオートロックの扉へと歩いていく。

マリクとエラートは明日は休日なので、せっかくだから寝支度前に裏庭でちょっと手合わせするかなんて話しているのが丸聞えだ。

「髪の毛。魔法で乾かしちゃったら?」

「……まだあれは魔力消費量が多いんだ。疲れた状態でソレの解錠はしたくない。それと……確実に30分以上かかる。出来れば座ってやりたいんだが……俺の部屋に来るのは嫌か?」

「嫌って言うの分かってて聞いてるでしょ?」

「分かってはいるが、来てもらえば侍女達に髪を乾かしてもらいながらでもと思ったんだがな。アシェの部屋に行くのは良いか?」

「僕は良いけど……。そっち的に大丈夫なの?」

今もアシェルに近づいてはいけないという約束は続いているはずだ。
部屋に招くのも、招かれるのも。現状宜しくないのではないかと思っているのだが。

「もうほとんど片付いているようなものだ。どれだけ遅くても、夏休みが終わる前には全て片が付きそうだ。それに、現状外せるのは俺だけだしな。兄上なら外せるだろうが……。姉上はこのタイプは訓練してないはずだし、流石に今の時間から訪問するのも良くない。女子寮は夜間の方が警備が厳しいからな。」

チラリとダニエルを見ると、無言で頷いてくる。
問題ないのなら、アシェルの部屋で解錠してもらった方が良いだろう。

「じゃあ部屋にどうぞ。ベル。アークの髪の毛乾かしてあげて。出来たら先にバスローブに着替えて貰ってからで。アークの新しい着替えも貰ってきてあげて。」

「かしこまりました。先に着替えを受け取ってまいります。」

イザベルのことだから、必要なら髪を乾かすときに必ず使ってほしいものなどがあれば借り受けてくるだろう。
その辺りは使用人なりに拘りがあることがある、と前に教えてもらったから。

アークエイドを部屋に招き、先に脱衣所でバスローブに着替えて貰った。

ダニエルはアシェルの代わりに部屋や周囲の警戒をしてくれるらしいが、アークエイドの部屋に戻っていった。

白騎士の一人は護送中でいないし、ダニエルがアークエイドの部屋に居ない方が、アークエイドに何かあったのではと思われてしまうからだそうだ。
アークエイドは寝室に入ったら基本的に出てこないので、ムーランの護衛と顔を合わせることを配慮してのことらしい。

いつものようにソファでピッタリと横に座ったアークエイドは、真剣に腕輪のあちこちを触って、時折なぞるような仕草を見せる。
かと思ったら、腕輪の内側に指を入れたりと、何をしているのか全く分からない。

そうやって右手を預けている間にイザベルが戻ってきて、アークエイドの髪の毛を乾かしだす。

やっぱりヘアケア用品を預かってきたようで、アシェルがいつも使っているものとは違う香りがする。

大人しくイザベルに髪の毛を乾かされながらも、アークエイドの手は止まらなかった。

そんなにつけっぱなしは良くないのだろうか。

確かに魔力回路が塞き止められている感じは続いているが、傷ついて流れがおかしい感じではない。
外してみないと分からないのだろうか。

やっぱり何をされているのか分からないままだが、イザベルがアークエイドの髪の毛を乾かし終えた。

「珈琲をお出ししましょうか?」

「いや、いい。どうせ冷めるだけだ。」

「かしこまりました。着替えはテーブルの上に置いておきます。アシェル様、本日はコレで下がらせていただきます。アークエイド殿下の侍女よりお預かりしたものも返しに行きますので、そのまま私の部屋の方へ。」

「ありがとう、ベル。……って、部屋に戻るの?こっちじゃなくて??」

もう長らくイザベルは、アシェルの部屋の使用人室で寝起きしていた。

元々イザベルはアシェルの部屋で寝泊まりするんだと入学前から言っていたし、まさか寮の自室に戻ると言われるとは思っていなかった。

「はい。ダニエル様からお話を伺って、もう問題ないと判断いたしましたので、自室の方へ戻らせていただきます。アークエイド、おもてなしは出来ませんが、ゆっくりとしていってくださいませ。失礼いたします。」

ペコリと頭を下げたイザベルが部屋を出て行く。

アークエイドが少し驚いた表情をしたのは、一体何に驚いたのだろうか。

そのあとも無言のまま、アークエイドだけがせっせと手を動かしている。

無言で動かず、応接間の時計の針の進む音だけが聞こえる状態で、アシェルはウトウトと船を漕いでいた。

アークエイドに頑張らせておいて寝てしまってはダメだと思うのだが、退屈すぎて睡魔に負けてしまったのだ。

「——。アシェ、終わったぞ。」

「んぅ……。あ、ごめん、寝ちゃって……。」

中途半端な眠りでまだ寝ぼけた眼を擦りながら時計を見れば、解錠を始めてから一時間も経過していた。

アシェルの右手についていた無骨な腕輪は、パカリと開いた状態でテーブルに置かれている。

解錠が終わってすぐ起こしてくれたらしく、アークエイドはまだバスローブ姿だ。

「構わない、と言いたいところだが……。流石に無防備すぎるだろ。腕輪がある状態じゃ、身体強化すら使えないんだ。襲われても文句言えないぞ。」

若干呆れたように言われるが、相手がアークエイドなら抵抗するつもりも無い。
魔力封じの腕輪の有無なんて、些細な差でしかない。

「別にそうなったからって、文句言うつもりもないけど。」

「はぁ……。なんでそういつも自分自身のことになると、どうでも良さそうなんだ。今日のことだって、下手をしたら殺されてたかもしれないんだぞ。コレだけで済んだから良かったようなものの……体内の魔力はどうだ?違和感は出てないか?」

やっぱりズボンは履き替えておいて正解だった。

腕輪に加え致命傷では無いものの傷を負ったなどと言えば、お小言が更に長引いたのは間違いないだろう。

体内の魔力を循環させてみるが、違和感や引っかかりは感じない。

「うん、大丈夫みたい。腕輪を付けられる前と何ら変わりないよ。」

「そうか、良かった……。普通は着けられる機会はないが、下手にコレを着けたまま魔法を使おうとすると、魔力回路が傷つきやすいんだ。魔力阻害系の何かを使われた時には、無理をしない方が良い。抵抗しようとして無意識に身体強化を使っても、影響が出ることもあるからな。」

「ズタズタじゃなければ、メイディーなら治療できると思うけど……。そうなんだ。下手に色々試さなくて良かったよ。」

アシェルの場合、助っ人が待機していたのと命に危険が無いと分かったから大人しくしていたが。
これが何も知らない状態で、仮に命に危険があり助けも望めない場合、同じように大人しく出来ていたかは疑問だ。

もし同じような類の魔道具の影響を受けた時は、魔力を使ってしまわないように気を付けようと思った。

「もうほぼ決着はついてるんだ。無茶ばかりしないでくれ。」

「ダニエル殿も言ってたね。それって僕らに話してよかったの?」

「巻き込んでしまってるのはこっち……というか、アスラモリオンの方だ。しかもアスラモリオンが連れてきた護衛が、既にアシェに危害を加えている。当事者とその護衛達に聞かせても問題ないだろ。完全に片付いたというには、向こうから正式な使者が来る必要があるが、魔道具で逐一進捗は聞いているからな。今日捕らえた奴が何か吐こうと吐かまいと、余罪が増えるかどうかってだけだ。」

アークエイドの声に僅かな怒りが込められている。

それもそうだろう。
アークエイドは巻き込まれた上に、一番迷惑をこうむっているのだから。

「そっか。じゃあもうかなり話は進んでるんだね。少しでも早く、アークが公務から解放されるように願ってるよ。」

その時は、今度こそアシェルの気持ちを伝えよう。

女からプロポーズされるのは嫌だろうか?
アークエイドから正式なプロポーズをされた訳ではないが、いつも好きだとか求婚しているとは言ってくれていた。

普通のお付き合いだけならそれに頷けば良いだけだと思うが、この世界は婚約と結婚がセットだ。
ちゃんとしたプロポーズではなかったのは、きっとアシェルが“特別な好き”を理解していなかったからで、アークエイドなりにアシェルに気を使ってくれていたのかと思う。
なんせアシェルは男として生活していて、女だと発表すらしていなかったのだから。

どうすれば上手く、それもアークエイドの嫌がらない形で気持ちを伝えようかと思考が流れる。
流石に気が早すぎるだろうか。

アシェルが何かに思考を飛ばしたことは、アークエイドには筒抜けだったらしい。

「お願いだから、これ以上余計なことをしないでくれよ?今日ので十分だし、これ以上相手方の為に何かやってやる必要はないからな。」

何を考えているかまではバレなかったが、どうやらアシェルが更に囮になってどうこうすることを危惧されたようだ。

「もうしないよ。すぐに夏休みに入るし、一度邸に帰った時かなり両親に心配させちゃったから。今年の夏は実家に帰ってこいって言われてるんだよね。帰ったら、お父様が希少素材分けてくれるって言ってたし。」

アークエイドがまだアシェルのことを好きだと言ってくれてから、心身共にアシェルは回復していた。我ながら現金な身体だと思う。
少し万全に戻るのに時間はかかったが、もう錬金だって以前同様問題なく出来る。

となると、やっぱり新しい素材への興味は尽きないのだ。

明らかに実家へ帰省する目的が希少素材目当てだと分かるアシェルに、アークエイドは安心する。

一時期のやつれようも改善されてきている。
それにマリクから、最近ようやくまたアシェルから素材の匂いがし始めたと聞いている。
逆に言うと、それまで錬金に手を付けていなかったということだ。

アシェルにはアークエイドの護衛を昼夜問わずしてもらうより、やっぱり好きなことをしていて欲しかった。

「それは良かったな。そうだ、夏休みにはアシェも王宮へ呼ばれる可能性がある。アシェが来なくても、事情を全て知っているメイディー卿は確実に呼ばれる。迷惑料代わりに、何かアスラモリオンから貰いたい素材があったら書きだしておいてくれ。金よりそっちの方が良いだろ?」

「ほんとに!?お父様にも相談して、どこまでだったらいけそうか聞いて、見繕っておくね。」

「あぁ。腕輪は預かっておく。それと、着替えさせてもらうな。」

どうぞ、と促せば着替えを持って脱衣所へと消える。
長らくアシェルの部屋に来てなかったとはいえ、勝手知ったる他人の部屋だ。

『ストレージ』から分厚い薬草辞典を取り出して機嫌よくペラペラと捲っていると、寝間着にガウンを羽織った状態のアークエイドが戻ってくる。

簡単に目を通していただけなので気配に気付いて顔を上げると、アークエイドが笑う。

「くくっ、本当に素材には目が無いな。イザベルはゆっくりと言っていたが、流石にダニエルに怒られそうだ。名残惜しいが、王宮にアシェが来るにしろ来ないにしろ、全て終わった後。夏休み中に一度は必ずアシェに会いに行く。おやすみ。」

身体を屈めて、座ったままのアシェルの額におやすみのキスが落とされる。
お返しをしようかと思ったら、それは軽く手で制された。

「自分からしといてなんだが……あまりアシェに触れると自制できる自信が無い。……鍵だけは閉めてくれよ?」

自制しなくても良いのになと思うが、アークエイドの意思を尊重する。

鍵ならアークエイドが閉めればいいのにと思うが、あまり親しく見せない為だろうか。
——まさか イザベルから合鍵を取り上げられているなんて知らずに、そんなことを思った。

アシェルも「おやすみ。」と言葉だけ返してアークエイドを見送り、しっかりと施錠して寝支度をすることにした。



そして残りの三日はあっという間に過ぎて、9月一杯という夏休みが始まった。
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