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4話
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空もすっきりと晴れた休日にライラとリックは自然溢れる土地シュベールを訪れた。その見どころと言えば間違いなく国で一番大きな花畑で、特に今のような春の時期には街に鮮やかな彩りをもたらしてくれるらしい。今日は絶好の観光日和と言えるだろう。
ライラは子犬のようだと評される反面、普段の服装は淑やかだ。明るい色よりも大人しい色を選び、化粧も薄く施し髪も下の方で緩く結っている。それでも子犬のようだと言われるのはひとえに彼女の愛嬌の良さのおかげだと言えるだろう。そんな彼女も今日はいつもと違う装いをしていた。白と黄色の明るい花柄のワンピースに身を包み、化粧でも明るい色を選んで濃いめに施した。髪も高いところで一つに纏めて結っており、その姿はさながら流行に敏感な王都の街娘だ。
ワンピースの裾をひらひらと揺らしながら歩くライラをリックはじっと見つめた。そして徐に口を開く。
「今日は随分と雰囲気が違うな」
「え?あぁ、はい!せっかくのお出掛けなので頑張ってみました!」
「……あなたはそういう格好が好きなのか?」
「うーん、そうですね。たまには良いかなと思いまして」
「そうか」
その淡白な返事と変わらない無表情からはリックがライラの格好をどう思っているのかを推し測ることは出来なかった。しかし、ライラにとって重要なのはリックがどう思うかではない。いかに自分を消すことができるかが、今身に付けている全てにおいて最優先するべきことなのだ。端的に言ってしまえば似合っていなくても構わない。ライラはまるで鎧を纏うように笑顔を作って前を歩いた。
街は王都よりも昔ながらの造りの建物が多く、どこか懐かしい気分にさせてくれる。所々に花々が飾られ、いかに花畑を誇りとしているかが目に見えるようだ。しかしながら、この美しい街並みがライラとリックに変化を与えてくれるのかといえばその答えは否であった。ライラにとっては幾度と目に焼き付けた景色であり、そこに感情が乗ることはない。そしてリックにとっては初めて見る景色なので変化をもたらしてもおかしくはなかったが、どうやらこの街並みも凍った心には無力だったらしい。
「この先の丘から街を一望できるらしい。良かったら行ってみないか?」
ふとリックが前方を指差してそう言った。その丘は彼がシュベールへの訪問を希望したときから言っていた場所だ。そしてそれはあまり人がいない場所かつ景色が綺麗な場所というライラの希望を満たすものでもあった。人は基本花畑に興味をそそられるので丘を登ることはあまりない。ライラには頷かない理由がなかった。それでも、彼女は首を横に振りたかった。それをぐっと我慢して笑顔で明るい声を出す。
「素敵ですね!ぜひ行ってみましょう!」
彼女がなぜその丘に行きたくないと思うのか、それは自分にとっての不安の根源がそこにあるだろうと考えているからだ。シュベールにいたのはもう2年も前のことなのだから、本当にそうであるかは分かったことではない。でも彼女に迫り来る恐怖は彼女が知っている間はずっとあの丘の上にいた。だから嫌なのだ。
「……少し顔色が悪く見えるが、大丈夫か?」
「え?いいえ!そんなことはありません。ただ……少し疲れただけですよ」
「それならどこかで休んでいこう。急ぐ必要はないからな」
「……はい。ありがとうございます」
ライラは心の中で自分を叱った。まさか顔に出ていたなんて思いもしなかったのだ。しかしそのおかげで丘に行く時間を少しでもずらせたのはよかった。夕方を越えればきっと不安もいなくなるはずだ。
「そこの店で良いか?」
「はい。外観も綺麗ですし良さそうですね!」
近くにあった喫茶店らしき店に入った。そこはライラの知らない店だったので比較的新しい店なのだろう。ここなら不安や恐怖に駆られることはない。ライラはそっと肩の力を抜いた。
扉を開けて中に入るとよく焼けたパンの香りがした。店内を窺うと店員らしき若い女性と目が合った。
「いらっしゃいませ!!」
元気の良い声が店内に響き渡る。どうやら他に客はいないようで、それも相まってその声はやけに大きく聞こえた。笑顔も眩しいくらいで、リックは頭の中でその笑顔をライラと重ねた。
「良かったぁ、お客さん来てくれて!2名様ですね。どうぞ、こちらのお席にお掛けになってください。ベス、お客さんだよー!」
案内された席に座りながら、ライラは背中に悪寒が走るのを感じた。しかしすぐに思い直し、まさかそんなことはないだろうと首を振る。そして平常を装おうと気づかれない程度に少しだけ大きく呼吸をしながら、調理場らしきところに下がっていく店員の背中を視線で追った。すると店員はすぐに誰かの手を引いてこちらに戻ってきた。
「ベス!ほら、お客さん」
「分かってるからそんなに騒がなくていいわよ。そもそも接客はあんたで、あたしは厨房の担当なんだから」
「もー、もっと愛想良く!お客様、こちらがうちの店の料理人ベスです!パンを作るのが得意なんですけど他にも色々と作れますから、そちらのメニューから好きなものをお選びくださいね」
耳に入ってくる情報はライラの不安を掻き立てた。「パンを作るのが得意」だということや「ベス」と呼ばれていること、愛想が悪いと思われていること。全て聞いたことのある話で、今一番聞きたくない情報だった。ライラはベスと呼ばれた料理人と目を合わせないようにリックの方に視線を向けた。リックは突然向けられた視線に不思議そうに首を傾げる。しかしそんなことに構ってはいられなかった。ライラは焦る頭で考える。このままこの料理人が厨房に戻ってくれればきっと問題なくここをやり過ごせるはずだ。いや、そもそも自分の人違いかもしれない。恐怖からまだ料理人の容姿は確認していないからその可能性も全くないわけではないのだ、と。
しかし、そんなにうまい話はなかった。料理人は鬱陶しげに店員の手を払って厨房に下がろうとしたが、ふとライラに視線を向けるとまるで張り付いたようにライラをじっと見つめた。そして大きく目を見開いたのだ。リックを見ているライラには分からなかったが、それは確かにライラの不安が実った瞬間だった。
「あんた……感じは随分変わってるけど、もしかしてリラじゃない?」
戸惑い気味にこちらに問う声にライラはぎゅっと目を瞑った。もう逃げ場はないと悟ったからだ。そして震える瞼をどうにか持ち上げると、怯えたような瞳で料理人の方を見た。
「……リズ…?」
それは聞いたことがないほどか細く震えた別人のような声だと、向かいに座るリックは思った。そして彼女の顔を見れば青く染まり視線は宙を彷徨っていて、普段の笑顔はどこにも見当たらなかったのだ。
ライラは子犬のようだと評される反面、普段の服装は淑やかだ。明るい色よりも大人しい色を選び、化粧も薄く施し髪も下の方で緩く結っている。それでも子犬のようだと言われるのはひとえに彼女の愛嬌の良さのおかげだと言えるだろう。そんな彼女も今日はいつもと違う装いをしていた。白と黄色の明るい花柄のワンピースに身を包み、化粧でも明るい色を選んで濃いめに施した。髪も高いところで一つに纏めて結っており、その姿はさながら流行に敏感な王都の街娘だ。
ワンピースの裾をひらひらと揺らしながら歩くライラをリックはじっと見つめた。そして徐に口を開く。
「今日は随分と雰囲気が違うな」
「え?あぁ、はい!せっかくのお出掛けなので頑張ってみました!」
「……あなたはそういう格好が好きなのか?」
「うーん、そうですね。たまには良いかなと思いまして」
「そうか」
その淡白な返事と変わらない無表情からはリックがライラの格好をどう思っているのかを推し測ることは出来なかった。しかし、ライラにとって重要なのはリックがどう思うかではない。いかに自分を消すことができるかが、今身に付けている全てにおいて最優先するべきことなのだ。端的に言ってしまえば似合っていなくても構わない。ライラはまるで鎧を纏うように笑顔を作って前を歩いた。
街は王都よりも昔ながらの造りの建物が多く、どこか懐かしい気分にさせてくれる。所々に花々が飾られ、いかに花畑を誇りとしているかが目に見えるようだ。しかしながら、この美しい街並みがライラとリックに変化を与えてくれるのかといえばその答えは否であった。ライラにとっては幾度と目に焼き付けた景色であり、そこに感情が乗ることはない。そしてリックにとっては初めて見る景色なので変化をもたらしてもおかしくはなかったが、どうやらこの街並みも凍った心には無力だったらしい。
「この先の丘から街を一望できるらしい。良かったら行ってみないか?」
ふとリックが前方を指差してそう言った。その丘は彼がシュベールへの訪問を希望したときから言っていた場所だ。そしてそれはあまり人がいない場所かつ景色が綺麗な場所というライラの希望を満たすものでもあった。人は基本花畑に興味をそそられるので丘を登ることはあまりない。ライラには頷かない理由がなかった。それでも、彼女は首を横に振りたかった。それをぐっと我慢して笑顔で明るい声を出す。
「素敵ですね!ぜひ行ってみましょう!」
彼女がなぜその丘に行きたくないと思うのか、それは自分にとっての不安の根源がそこにあるだろうと考えているからだ。シュベールにいたのはもう2年も前のことなのだから、本当にそうであるかは分かったことではない。でも彼女に迫り来る恐怖は彼女が知っている間はずっとあの丘の上にいた。だから嫌なのだ。
「……少し顔色が悪く見えるが、大丈夫か?」
「え?いいえ!そんなことはありません。ただ……少し疲れただけですよ」
「それならどこかで休んでいこう。急ぐ必要はないからな」
「……はい。ありがとうございます」
ライラは心の中で自分を叱った。まさか顔に出ていたなんて思いもしなかったのだ。しかしそのおかげで丘に行く時間を少しでもずらせたのはよかった。夕方を越えればきっと不安もいなくなるはずだ。
「そこの店で良いか?」
「はい。外観も綺麗ですし良さそうですね!」
近くにあった喫茶店らしき店に入った。そこはライラの知らない店だったので比較的新しい店なのだろう。ここなら不安や恐怖に駆られることはない。ライラはそっと肩の力を抜いた。
扉を開けて中に入るとよく焼けたパンの香りがした。店内を窺うと店員らしき若い女性と目が合った。
「いらっしゃいませ!!」
元気の良い声が店内に響き渡る。どうやら他に客はいないようで、それも相まってその声はやけに大きく聞こえた。笑顔も眩しいくらいで、リックは頭の中でその笑顔をライラと重ねた。
「良かったぁ、お客さん来てくれて!2名様ですね。どうぞ、こちらのお席にお掛けになってください。ベス、お客さんだよー!」
案内された席に座りながら、ライラは背中に悪寒が走るのを感じた。しかしすぐに思い直し、まさかそんなことはないだろうと首を振る。そして平常を装おうと気づかれない程度に少しだけ大きく呼吸をしながら、調理場らしきところに下がっていく店員の背中を視線で追った。すると店員はすぐに誰かの手を引いてこちらに戻ってきた。
「ベス!ほら、お客さん」
「分かってるからそんなに騒がなくていいわよ。そもそも接客はあんたで、あたしは厨房の担当なんだから」
「もー、もっと愛想良く!お客様、こちらがうちの店の料理人ベスです!パンを作るのが得意なんですけど他にも色々と作れますから、そちらのメニューから好きなものをお選びくださいね」
耳に入ってくる情報はライラの不安を掻き立てた。「パンを作るのが得意」だということや「ベス」と呼ばれていること、愛想が悪いと思われていること。全て聞いたことのある話で、今一番聞きたくない情報だった。ライラはベスと呼ばれた料理人と目を合わせないようにリックの方に視線を向けた。リックは突然向けられた視線に不思議そうに首を傾げる。しかしそんなことに構ってはいられなかった。ライラは焦る頭で考える。このままこの料理人が厨房に戻ってくれればきっと問題なくここをやり過ごせるはずだ。いや、そもそも自分の人違いかもしれない。恐怖からまだ料理人の容姿は確認していないからその可能性も全くないわけではないのだ、と。
しかし、そんなにうまい話はなかった。料理人は鬱陶しげに店員の手を払って厨房に下がろうとしたが、ふとライラに視線を向けるとまるで張り付いたようにライラをじっと見つめた。そして大きく目を見開いたのだ。リックを見ているライラには分からなかったが、それは確かにライラの不安が実った瞬間だった。
「あんた……感じは随分変わってるけど、もしかしてリラじゃない?」
戸惑い気味にこちらに問う声にライラはぎゅっと目を瞑った。もう逃げ場はないと悟ったからだ。そして震える瞼をどうにか持ち上げると、怯えたような瞳で料理人の方を見た。
「……リズ…?」
それは聞いたことがないほどか細く震えた別人のような声だと、向かいに座るリックは思った。そして彼女の顔を見れば青く染まり視線は宙を彷徨っていて、普段の笑顔はどこにも見当たらなかったのだ。
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