上 下
8 / 138
第一章 俺と婚約者と従者

第7話 新米従者がやってきた

しおりを挟む

「新規従業員を募集しているところが一か所あるんだが、応募してみる気はあるか?」

 慎重に言葉を選んだ俺に対して、シリウスは疑わしい目つきになった。
 仕方ない。俺は一年前に出会ったばかりの悪ガキ仲間、そのわりに同じ地区の学校に通っていないし家もどこか不明という、だいぶ怪しい存在なのだ。

 だからといって「俺、領主の息子なんだー」なんて大っぴらに言うわけにもいかなかったし。
 まだしばらくは黙っているつもりだったけど、友人の窮状を見て見ぬふりはできない。

「……オレは只人だぞ」
「あー平気平気、そこ関係ない」

 只人の社会的地位は低い。
 基本的に貴族以外の身分差が大きくなく、奴隷制もないベルティーナ王国で唯一、最下層に位置するのが只人だ。
 この国で魔法が使えないということはそれほど不利なのだ。

「ほとんど魔法は使わない。むしろ魔法を使ったら手抜きすんなって激怒する人ばっかりだ。衣食住つきで、雇い主の知り合いが王都の病院に勤めているからヨアナさんも紹介できる」

「話がうますぎて逆に怪しい。仕事内容は? 危ない話じゃないだろうな」

「仕事内容は、まあ……十二歳になったばかりのガキのお守りだ。怪しい仕事なんかじゃねえよ」

 それどころか、オーレリー地方一クリーンな就職先といっても過言ではないぞ。
 シリウスはやや不安そうだったが、最後には首を縦に振った。




 翌日、邸の前に馬車が停まったのを確認した俺は玄関の扉を開けた。

 ロウ家の使用人が馭者を務める二頭立ての馬車から、まずは面接に赴いていた執事バトラーが降りてくる。
 その後ろから、背の高い少年が一人。目の前に聳える邸を見て顔を引き攣らせた。

 いや、わかるよ。ちょっとデカすぎるよな。
 俺も昔よく迷子になったもんだ。

「ニコラ坊ちゃま。どうなさったのですか、わざわざお出迎えなんて」

 目を丸くした執事の後ろから、「?」とさらに目をまん丸く見開いた新規従業員が顔を出す。
 シリウスだ。

「……はっ?」
「やあ。待っていたよ、僕専属の従者ヴァレットさん」
「な……なんて?」

 シリウスは唖然としている。
 町の友人から紹介された仕事先は領主の館、さらにその友人が貴族の坊ちゃんの格好で出迎えたものだから、思考停止もいいとこだろう。

 その反応を見て、執事は俺がシリウスに正体を隠していたことを察したようだった。不憫なものを見るような眼差しをそっと新人に向けている。

「王都の知り合いに連絡をとったら、明日にでも都合をつけてくれるそうだよ。きみの家の番地を教えておいたから早速診察してくれるだろう。診療費はロウ家から支払うことになっているから心配しなくていい」

 ちなみに親父殿たちには「町で暴漢に襲われたところ助けてくれた少年が色々困っているみたいだから僕専用の従者として雇いたい」と説明してあった。

 真っ赤な嘘ってわけじゃないぞ!

 一年前、町で暴漢(オスカー)に襲われ(たが反射的に応戦しボコボコにし)た俺のもとに現れ(て、オスカーの頭を地面に叩きつけながら「ツレが悪いことをした。女にフラれてむしゃくしゃしていたらしい。すまなかった」と謝り、危うく俺の過剰防衛になるところだったのを)、助けてくれたのは事実。

 そこ、補足が多いとか言うんじゃねえ。

「……えっ? に、ニコラ……だよな?」
「いかにも僕は──」

 町でたまに会う悪ガキ仲間から、主人と従者に関係性が変わる。
 いくらシリウスの生活が苦しいからって、母親を医者に診せてやりたいからって、ほとんど騙し討ちみたいになっているのは後ろめたい。


「オーレリー辺境伯ディートハルト・ロウ卿が次男、ニコラ・ロウだ」


 シリウスの目ん玉がガッと見開かれる。
 わは、落っこちそう。

「領主の息子ぉっ? おまえが!?」

 その瞬間、執事がシリウスに拳骨を叩き込んだ。
 おお体罰……暴力……いや港町の悪ガキどもを拳で下した俺が言えたことじゃねえな。シリウスだって一員だしゲンコくらいじゃへこたれんだろ。

「黙っていて悪かったねー。ああもちろん嫌なら辞めてもらっても構わないよ? 僕の今後数年分の誕生日プレゼントがパアになるだけだから。あぁ、数年分の誕生日プレゼントと引き換えに雇ってもらった従者が辞めたからって、そんな、ねぇ」

「辞めさせる気ねえなテメエ!!」

 執事の拳が再び唸った。


     ◇  ◇  ◇


「坊ちゃま。朝ですよ」

 入室前のノックで目を覚まし、顔を覗かせたシリウスに声をかけられてから身を起こす。
 布団との離れがたさは前の世界も今の世界も変わらない。

「……はよーシリウス」

「おはよう寝坊助。今日の予定は午前中に歴史のお勉強、午後から魔法のお勉強。夕方以降は特に何もなし」

「んじゃ夕方は散歩にでも出るかなー」

 あれからシリウスは、ビシバシしごかれながら立派な従者となるべく日々を過ごしていた。

 俺自身がそう気難しいタイプの坊ちゃんではないため、新米従者は就職の翌日から現場に放り込まれて、俺を相手に茶を零したりタメ口きいたりとやらかしまくっている。
 家令や執事はそのたびにきっちり注意するので、俺は「まあまあいいじゃないのー」って甘やかす役目だ。

 シリウスの母親、ヨアナさんを診たのはもちろんベックマン氏。
 命に係わる病気というわけではなかったが働き詰めが祟ったようだ。先日休みを取って帰省させたところ順調に回復しているという。

 俺には専属の従者ができて、シリウスは就職できて、ヨアナさんは快方に向かっている。
 いいこと尽くめで最高じゃあないか。

 午前と午後の勉強を終えると、夕食までの間を縫って俺は愛馬に跨った。
 漆黒の毛並みがうっとりするほど美しい黒曜ちゃんである。
 前世の死に際に大破した愛機を彷彿とさせる黒に一目惚れしてしまった。かなりの気まぐれ屋さんで、仲良くなるまでは大変だったもんだ。

「お、シリウスもだいぶサマになってきたな」
「いや……ヨルが乗せてくれてるだけだ」
「上等上等!」

 乗馬どころか馬に触れたこともなかったシリウスだが、この二週間でようやく駆け足ができるようになった。
 彼の跨る栗毛のヨルはロウ家の古株。黒曜よりも気性が穏やかで、誰でも気持ちよく乗せてくれる。

 二頭並べて俺たちは敷地内の森へと駆けた。

 土地勘のある俺が先導し、シリウスは後ろからついてくる。
 あまり距離を開けないように振り返って確認すると、ぱちっと目が合った。

「…………」
「おうなんだ。なんか言いたそうだな」

 ここんとこ物言いたげな顔をしていたけど、ようやく決心がついたのか。

「ニコラ。……訊きたいことがある」
「なに?」

 行き先は黒曜に任せることにして、俺は言いよどむシリウスに視線を返す。
しおりを挟む

処理中です...