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第五章 期末テスト大騒動

第14話 期末テスト大騒動(5)

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 リディアが小瓶を傾けた。
 鈍色をした樹液がとろりと垂れて、瓶の口と大地を一直線につなぐ。

「“いと慈悲深き火の精、シルヴォよ。その加護を与えたまえかし”!!」

 という祈詞とは裏腹に、樹液はやっぱり爆発した。
 相変わらず失敗感丸出しのこもった爆発音とともに煙が噴き出す。リディアは同時にハルベリーの粉末を撒き散らした。

 煙に紛れたピンク色の粉がジェラルディンに襲い掛かる。
 しかし彼は鬱陶しそうに杖を一振りしただけで、煙も粉も振り払った。

「あーっ!!」
「莫迦正直に浴びると思うかい。やっぱり戦闘訓練もない一回生は考えることが可愛いな」

 そのうえ、風と同時に木の魔法を発動する。大地を割って生えてきた木の根や幹が、勢いよくリディアを捉えた。
 ぐるぐる巻きの芋虫状態になったリディアが地面に転がる。両腕が拘束されたままの俺もまた、やっぱり芋虫になってしまった。

 縄とか紐で縛られたんだったら、やんちゃ時代にふざけて勉強した縄抜けができたのに。
 木で拘束とか反則なんだよ魔法チクショウ。こんちくしょー!

「ぐっ……ぐぬぬ……」
「あー……ちょっと期待した俺がバカだった……」
「なんか言ったかあああニコラ・ロウ!!」
「ちょっと期待した俺がバカだったっ!!」

 唸ったリディアの体の下に、小瓶が一つ転がったのが見える。
 もしかしたら第二弾の構えがあったのかもしれない。中身はやっぱりハルベリーだ。リディアは苦い表情で、それをジェラルディンの視界から隠すように体を動かした。

 そのとき、帰りが遅いと思ったのか、魔法の気配を感じたのか、建物の中に残っていた三人が連れだってやってきた。

「ジェラルディン。こんなところにいたのか」
「向こうは片づけてきたわよー」
「ずいぶん頑張って逃げたのねぇ、この子たち」

 芋虫状態でうごうごしている一回生二匹に目をやり、大体察した、というような顔になる。

「やっぱりこうなったか。こっちの金髪、振り返りざまに俺たちのこと見てたからな」

 男が忌々しげに舌打ちをする。ちくしょう、バレておったか。

「で? 忘却魔法をかけるのか?」
「そうだね。マイラ、ベッキー、口を塞いでおいて。この二人の実力じゃ、祈詞が唱えられなければ魔法も使えないよ。……あー、こっちは魔術もろくに使えないんだっけ」

「悔しいことに反論できないわ……」とリディアが零した。今嘆くべきはそこじゃない。
 名指しされた女二人、金髪のマイラと赤毛のベッキーが芋虫二匹の横にしゃがみ、頭を押さえて口を塞いだ。

 あーちくしょー、腹立つなあ!!
 せめて俺が兄貴くらい魔法が使えてればな。杖がなくても祈詞がなくても魔法が使えていれば、こんなバルバディア生を名乗る資格もないやつらに遅れは取らなかった。まあ忘却魔法かけるだけって言うし、命までは取られないだろうから、なんとかして思い出してこいつらにギャフンて言わせてやる……、……。


 いや、おい、待て。


 忘却魔法ってどこからどこまで忘れるんだ?
 俺そんな魔法があるなんて聞いたことねーぞ。さすがにここ数十分程度だよな? まさか記憶喪失になったりしないよな?


 ……前世のこと、忘れたりしないよな!?


 カッと目を見開いて諸先輩方を睨みつけると、ジェラルディンがにっこり笑った。

「大丈夫。〈祈り〉の魔法があるだろう? あれの応用だよ。まあシュートは魔法の力加減が苦手らしいから、あんまり保証はできないけど」

 全然大丈夫じゃねぇわ!!
 そもそも祈りの魔法はそんな都合いいものじゃない。本来、悪夢を見てぐずる子どもから怖い夢を取り除いて「もう大丈夫」って安心させるための、ささやかな魔法だ。
 シリウスが弟妹のためによく使っていた魔術でもある。
 逆に言うと、魔術でも容易に再現できる程度の、ちっちゃなものなのだ。

 シュートというらしい男がニヤニヤ笑いながら、懐から白い杖を取り出した。
 俺の口を塞いでいるベッキーの手の下でもごもご唸る。

「……俺の杖……!」
「やっぱりお前のか。お貴族様はいいよな、こんな魔力の伝導率の高い杖が買えて。そりゃあ魔法もうまいこと使えるだろうよ!」

 性根の捻じ曲がった笑みを浮かべたシュートが杖を地面に落とす。俺の目と鼻の先にこてりと倒れた純白のそれに向かって、革靴が振り下ろされた。

 ばき、と乾いた音を立てて、目の前で真っ二つに折れる。
 ひゅっと喉の奥で変な呼吸をしてしまった。



 九歳のときに、買ってもらった、初めての俺の杖。


 …………値段は聞かないほうがいいとさえ言われたくらい、メチャメチャ高い、杖が。



 一応貴族の息子に生まれて十五年が経ったが、根っこの庶民魂は庶民のままだ。自分で使うティーセットは安物でいいし、服とか新しく仕立てるのめんどいし、買ったものは壊れるまでちゃんと使いたい。

 そんな俺の持ち物のなかで間違いなく一番高価だった、杖……!

「っ、何すんのよあんた! ひどい、最低、この人でなしー!」

 顔を真っ赤にしたリディアが、キーキー喚きながらのたうち回る。マイラはあまりの勢いにドン引きして手を放したようだ。

「騒ぐなよ。こいつ辺境伯の次男坊だろ? 杖なんかいくらでも買ってもらえるさ。それで御大層な魔法を使って威張り散らしていれば凄い凄いって褒めてもらえるんだから、お貴族様ってのは気楽でいいよなぁ。もとは誰が納めた金だと思ってんだか」

「少なくともアンタの金じゃないでしょうが!! なんにも知らない人が好き勝手言ってんじゃないわよ! ニコラが魔法をうまく使えるのはねえっ、杖のおかげなんかじゃないの、ちゃんと勉強してちゃんと練習して自分で努力してるからなのよ、お分かり!?」

「はいはい、煩いよ」

 ジェラルディンはにこにこと笑顔を浮かべたまま、地面に散らばるリディアの髪の毛を踏んだ。「いだっ」と動きを止めた彼女の頬を黒い杖で軽く叩く。

「ニコラ・ロウが努力していようとしていまいと興味がない。彼ら貴族には金があって、俺たち庶民には金がない。魔法薬は金になって、俺たちは魔法薬を作ることができた。城下の貧乏人は娯楽と救いを求めていて、俺たちの魔法薬はそれを提供した。ただそれだけだ」

 こいつ。
 ……このクルクル巻き毛野郎。

 親切な顔して。裏で麻薬を売りさばくクソ野郎。
 人々の病を治すための魔法薬を悪用するうえ、魔法で俺やリディアを排除しようとする、魔法使いの風上にもおけねぇ蛆虫ゲス野郎!!

「弟子の名に懸けて見逃せないと喚いていたね。クソ喰らえだ。誇りでご飯が食べられるのかな?」
「痛い痛い痛いちょっと! 人の髪の毛踏んでんじゃないわよ!」
「この子すごいね……普通この状況でこれだけ騒げる?」
「バカなんだろ。只人だから」

 おう。
 シュートてめえ、ちょっと聞き捨てならねえな。

 俺は僅かに顔を動かして、口元を覆っていたベッキーの手に思いっきり噛みついた。指の一本二本食いちぎるつもりで犬歯を立てたが、さすがに簡単にはいかない。

「いったあぁぁい!」

 その悲鳴に反応した三人が俺を見る。

「おいジェラルディン。その小汚い足をどけろ」
「……ん?」

「聞こえなかったのかクソ野郎」
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