ニコラ・ロウの華麗なる悪役生活

天乃律

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第六章 猫かぶり坊ちゃんの座右の銘

第1話 〈暁降ちの丘〉襲撃事件

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 心臓を叩くような爆音が一瞬で駆け抜ける。
 地面が不吉に震動し、爆心地から吹き届いた風が頬を叩いた。庭園の緑が悲鳴を上げ、邸のガラス窓がびりびりと震える。

 咄嗟にはガス爆発でも起きたのかと思ったが、燃料やエネルギーは大抵魔法や魔素で賄われるから有り得ない。
 大規模な魔法の衝突と考えるのが妥当だった。

「リディア……ついに遠隔で爆発を……?」
「やっぱりそうなのかな!?」

 主人公組は至極真面目にそう考えたらしいが、ロウ家の面々はそうはいかない。
 爆発音がしたのは森の方角からだ。鳥が一斉に羽搏き、逃げるように西の空へ飛んでいくのが見える。


 森の奥にあるのは〈暁降ちの丘〉───


 兄貴を仰ぐと、こちらも険しい表情だった。

「リディアさん、アデルくん、二人とも邸へ。シリウス、二人を地下壕へ案内するんだ。使用人全員、詳細が確認できるまで地下壕から出ないように言いつけて。家令はここへ」
「畏まりました」

〈暁降ちの丘〉で何かが起きたとすれば、今のご時世、高確率で魔王軍との衝突だ。
 俺たちの記憶のある限り、あの封印の地で直接ことが起きたことはない。しかし兄貴はさすが冷静だったし、シリウスも俺も、動揺を表に出さない程度には訓練されていた。

 爆発に驚いて腰を抜かしていたリディアを、シリウスが横抱きにして連れてくる。
 彼女は不安そうな表情で俺のシャツを掴んだ。

「な、なにが起きたの? ねえちょっと、ニコラ」
「いいからシリウスの言う通りに大人しくしていなよ。きみのヘッポコ魔術があんなに大規模に爆発するわけがないだろう」
「た、確かに……」

 だから俺に縋るな! なんか仲いい感じに見えちゃうだろうが!
 そこそこ見知っていて、この家の次男で、不安をぶつけやすい相手なのはわかるけども!

 シリウスの防御用に厨房からかっぱらってきた鍋をリディアの頭にかぶせる。フライパンはアデルに引っ掛け、シリウスの背を押した。

「ニコ」
「行け。二人を頼んだぞ」

 もしかして、ここからすでに『四巻』に入っているのか?
 休暇中のイベントなんてないだろうとボケッとしていたツケか。何が起きているにしたって、世界の命運を握るこの只人二人が傷つくことなどあってはならない。


 ……見通しが甘すぎた。吐き気がする。


   ◇  ◇  ◇


 暁降ちの丘。
 魔王封印の地として知られてはいるものの、そこが一体どのような土地で、魔王がどのように封印されているのか、明らかになっていない。
 というよりも、魔法教会は意図的に詳細を隠し、隠していることを国民も知っている、という状態だった。

 暁降ちの丘や魔王封印の詳細が外部に洩れれば、封印を解く方法を求める魔王軍の残党に付け入られる種となる。情報を知る者は少ないほうがいい。
 ゆえに、封印がどのようになされたかを知る者は、この世に五名しか存在しない。

 魔王を封印した英雄一行──ゴラーナ学院長を含む、四名。
 そして封印された当の魔王。

 オーレリー地方の森深くに存在するその丘は、封印以降、魔法教会の厳重な管理下に置かれ、常に警固されていた。

 その地が血に濡れるのは二十年ぶりだったという。




「……ロウ家のみんなは、怪我はなかったんでしょう?」

 陽の当たるベックマン家の中庭で、エウフェーミアはそっと俺の手を握った。
 あと数日でバルバディアの後期が始まるところ、俺と兄貴は王都フィーカへの旅路を経て、この邸で休憩させてもらっていた。明朝、出発することになっている。

「まあな。戦闘行為も森の中でのみ起きたから、市街地にも被害はなかった。リディアとアデルはその日のうちにイルザーク先生が迎えに来て、オクの町に帰ったし」
「王都も、その報が入ってから、ちょっと落ち着きがなかったよ」
「だろうなぁ」

 魔王第三配下、サー・バティスト。
 そいつが何百もの魔物を従えて、周辺の結界を破って丘を襲撃した。居合わせたイルザーク先生が応戦し、教会からの要請を受けたヴェレッダ騎士団も出撃、ここ数十年では最も大規模な武力衝突になったという。
 死傷者も多く出た。

 出撃した部隊の中には、港町ルフのやんちゃ仲間、オスカーもいた。重傷だという。
 騎士団の面々には顔見知りも多い。知った名前が殉職した。重傷を負い、退役を余儀なくされた人もいる。

 残りの休暇を楽しむような余裕はなかった。

「……どうなっちゃうんだろうね」

 不安、というよりも純粋な疑問を滲ませながら、エウは俺の手の甲を撫でる。
 ティーテーブルに用意されたお茶は、手をつけないまま静かに冷たくなっていた。あー、シリウスのお茶、また半年は飲めなくなるのに。

 勿体ないから一気に飲んだ。冷えても美味いものは美味い。
 傍らで気配を消していたシリウスを振り仰ぐと、無言でティーカップを下げてくれた。

 あ、そうだ。

「そういや休み中、ずっと杖なし魔法の練習してたんだぜ」
「うん。なんだか魔力の流れが落ち着いたみたいって思ってた」

 エウがお守りのように撫で続ける右手はそのままに、俺は左手の人差し指をシリウスのほうに向ける。
 正確には、その近くにあるワゴンの上に置いてあった薬缶だ。

「“いと慈悲深き火の御子よ、加護を与えたまえかし”」

 微妙な調整は難しいので、祈詞は丁寧に唱える。するとこぽこぽと薬缶の中身が沸騰しはじめたので、シリウスは茶葉の分量を量って、お湯も一定の量を一定の早さで注ぎ、きっちり時間を計った。

「すごい。……わたしの杖なんてもういらないね」
「んー、でもしばらく借りていいか? やっぱ兄貴みたいにはいかねーし、お守り代わりに持っときてえな」
「うん。ニコにあげたものだから、自由にして」
「ありがとな」

 シリウスは、淹れ直したお茶を静かに差し出す。

 魔王の復活が現実味を帯びてきた。
 魔王軍は、魔力の弱い者や只人の住む街を焼き払ってきた記録が多く残っている。休み中に読んだ本には深い事情が記されていなかったが、どうもそういった魔法弱者を執拗に狙う向きがあったらしい。


 ……シリウス。

 リディアやアデルみたいに選ばれた何かがあるわけじゃない、本当にただの只人の、俺の友人。

 半年後にまた会うときには、世界は一体どうなっているんだろう。


 と、シリウスの深緑の眸が悪戯っぽく瞬いた。

「なんだよジロジロ見て。そんなにオレと離れるのが寂しいか?」
「えっ? 俺そんなジロジロ見てたか」
「穴が開くかと思ったぞ。ねえ、エウフェーミアさま?」
「うん。すごーく見てた」

 なんだそれ恥ずかしい。
 誤魔化すようにティーカップを持ち上げて、またしばらく飲めなくなるシリウスのお茶を飲み干した。
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