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第六章 猫かぶり坊ちゃんの座右の銘

第9話 うちの婚約者とお昼寝デート

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「いいよ。行こう」

 ぱ、とエウが顔を上げる。
 魔法障壁を身につけたおかげで不意の魔法は無効だが、初日のように物理的な事象が起こってしまったら、俺の反射神経だけが頼りになってしまう。そんな状態でエウの横を歩くのは、ちょっとだけ怖い。

 エウは普通の女の子だ。魔力が人より多いだけ。
 繊細で傷つきやすくてちっこくて、リディアのように勝気でもないから、エドマンドたちに絡まれたら怖くて固まってしまうだろう。
 俺がいまゴタゴタしてることも十分理解していて、平日は言いつけ通り距離をとってくれている。

 それでも、俺と一緒に出掛けたいというなら。

「エウフェーミアの珍しいわがまま、僕に叶えさせてくれる?」

 すると「うわキッザ」「あれがサマになるから凄いと思うわ」「なんかムカつくなー」なんて聞こえてきて結局俺にどーしろっつーんだ。
 今度こそお坊ちゃまモードを置き去りにして睨みつけてしまった。




 エウの準備したおやつをバスケットに入れて、薄手の上着一枚引っ掛け、俺たちは外に出た。
 先導する彼女の後ろ頭を追いかけながら、なんとなしに周囲を警戒する。私服姿の生徒がちらほら歩いているが、少なくとも見える範囲にエドマンドたちの姿はなかった。

 エウは歩くのが遅い。
 歩幅が小さいというのもあるが、基本的にのんびり屋さんなのだ。気を抜いたら先に行ってしまいそうになるので、俺は努めて彼女の半歩後ろを歩いた。

 てこてこと、幼ささえ感じさせるような歩き方で、バルバディアの敷地を行くこと十分。
 敷地内の南東に位置する寮を出て、中央の校舎エリアを横切り、西側の飛行練習場を抜ける。ほとんど深奥の森の入口に近いところにあった湖の畔で、エウはようやく足を止めた。

 どうやらここが目的地らしい。

「ギルお兄さまがね、ここなら静かであんまり人もいないだろうって」
「兄上が?」
「うん。ニコはあんまり僕に関わってほしくないみたいだから、今回はルウとリシに頼むけど、って心配してたよ」
「あー、それであの二人が……。エウ座るなら待って」

 昔はポピーの花畑に座るのも躊躇っていたくせに、可愛いワンピース姿で遠慮なく草の上に腰を下ろそうとするから、俺は呆れ半ばに制して上着を脱いだ。

「でも、ニコの上着汚れちゃう」
「いーからこの上に座る」

 有無を言わさず肩を掴むと、エウはくすくす笑いながら腰を下ろした。

 ロロフィリカと一緒に焼いたというマフィンと、保温魔法のかかったお茶とを頂きながら、俺とエウはぽつりぽつりと他愛無い話をした。

 トラクが「ニコラに変なことされたら呼ぶんだよ」と念を押して来たとか(余計なお世話)、よその寮に友だちができたとか、ロロフィリカの使い魔の猫が賢いとか、ミーナに好きな男ができたとか。

「このマフィンおいしいな」
「ほんと?……って言っても、レシピ通りにきちんと作ったから、変な味はしないと思うけど」
「レシピ通りにきちんと作るってのが難しいんだろ。俺には無理」

 なんで料理とかお菓子作りって、慣れてないやつほど隠し味入れたくなったり、手順を省略したくなったりするんだろうなー。
 かく言う俺もまともに作れるのはチャーハンくらいだったけど。

 調子に乗ってぱくぱく口に放り込んでたら腹いっぱいになったので、ころんと寝転がった。


 平和だなぁ。
 ……こんなに平和でいいわけねぇのにな。


 本当はもっとちゃんと、魔王のこととか物語のこととか考えて、先手先手で動かないとだめなんだろうな。

 ニコラが“俺”でよかったなと思うけど、“俺”じゃない他の誰かがニコラなら、もっと上手いこと立ち回ったんじゃないか、とも思う。


 体を動かしていないと余計なことを考えちまうもので、なんだか暗い方向に思考が沈んでいく。
 よくねぇなコレは、と視線をエウに向けると、ぱちっと目が合った。

 お茶を片づけたエウが、ぽんぽん、と膝を叩く。

「……いーのか?」
「いーよ」
「じゃ遠慮なくー」

 わりと本当に遠慮なしに、エウの細っこい膝を借りた。
 さすがに顔が見えると恥ずかしいので、背を向けて横向きになる。
 うーん肉が足りないな……華奢だもんな。でも、髪の毛とか耳とか撫でてくれる手つきが優しくて、いい気分だ。

「エウは好きなやつとか、気になるやつ、いんの」
「……なぁに、急に」
「さっきミーナが片想いしてるっつったから、エウはどうなんだろうなって」

 一呼吸おいて、エウは「いないよ」と答えた。
 そっか、いないのか。

「……脚、痺れてねえ?」
「だいじょうぶ。……ニコは、好きな女の子、いるの?」
「やぁ、いまんとこそんな余裕ねえな。自分の勉強で手一杯だし」

 自分の勉強っていうか魔王のアレコレっていうか。

 あいつの読んだ物語のなかに、エフェーミア・ベックマンは存在したんだろうか。
 いや、多分いたよな。ニコラとリディアのファーストコンタクトは彼女あってのものだ。エウが駕篭のなかで指輪に中てられなかったら、少なくともあの第一印象最悪な登場シーンにはなっていない。

 九巻でニコラが死んだあと、エウはどうなったんだろう。
 五巻以降は徹底的な悪役キャラだって言ってたし、晴れて嫌味な婚約者がいなくなって、リディアたちが魔王を倒したあとの平和な世界で、どっかのイイ男と結婚したりすんのかな。


 幸せになるのかな。
 だったらいいな。


 そんな取り留めのないことを考えながら目を閉じる。
 俺が考え事をしていることを察してか、エウは何も言わずに、そっと頭を撫でてくれていた。

 休日のバルバディアは静かだ。
 城下町の喧騒は遠く、校舎エリアにはほとんど生徒がいない。時折、演習場のほうからスポーツを楽しむ声が聞こえてくる程度で、あとは全部自然の鳴き声ばかりが小さく響く。

 鳥の鳴き声とか、木々のざわめきとか。
 魔物の鳴き声とか、吹き抜ける風の囁きとか。

 一瞬だけ、コテン、と意識が落っこちた。
 あーこれ寝るわ。やばいやばい、この状態で寝たらエウの脚が死ぬ。

「ニコ、眠たい?」
「おー、寮に戻って昼寝すっかな……」

 ごろっと半回転してエウの脚から頭を下ろすと、校舎エリアのほうから何やら物騒な五人組が近づいてくるのが見えた。

「……エウ、立てるか?」

 俺の声音が剣呑になったのに気づいて、エウがさっと顔を青くする。

「あ、あし、痺れた……」
「だろうな~~! 悪いな頭重くて!」

 魔法によるちょっかいが無効化できるようになった時点で、いずれ物理的な手法に転換してくるだろうとは思っていた。具体的には直接ケンカを売りにくるだろうな、と。
 高確率でエウやロロフィリカが周りにいるときを狙うだろう、とも推測していた。

 素行不良のやんちゃ坊主どもってのは、女の前でいいカッコしたがる雑魚を、わざわざ女の前でフクロにするのがお好きなのだ。
 これヤンキー漫画の鉄則な。

「御機嫌よう、ニコラ・ロウ」

 嫌みったらしく貴族らしいご挨拶をくれたエドマンドの前に立ち上がる。

 前回と同じ面子できっちり五人。
 これ以上のお仲間はいないってことか。ま、バルバディアって基本育ちのいい貴族の子女が多いから、こういうはぐれたやつらの数はそんなもんだよな。

 エウの脚が痺れて動けないってことだけ計算外だけど、問題ない。
 結局のところ兄貴がそうしたように、しょーもねぇ不良どもにゃ鉄拳制裁が一番効くんだ。

「御機嫌よう、ロシェット先輩と取り巻きのみなさん。何かご用ですか?」
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