ニコラ・ロウの華麗なる悪役生活

天乃律

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第七章 薬草学フィールドワーク

第1話 ニコラもそうだったのかなぁ?

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 白い壁、白いベッド。
『病室』という一般的なイメージをそのまま落とし込んだような四角い空間に、茶金髪ツーブロックの中学三年生と、輪郭のぼやけた初恋の女の子が向かい合っている。
 分厚いハードカバーの小説を捲りながら、あいつは微笑んでいた。


 ああ、これは、こいつが二周めを読んでいた頃の記憶だ。


 最終巻の発売を前に一から読み直したいと言ったから。季節は冬に差し掛かっていた。ページを捲る白い指先は、注意して見つめなくとも震えていて、筋力が落ちているのは明らかだった。

「それでね、この悪辣ないじめっ子エドマンドがグレた理由っていうのがね、実は婚約者の女の子のためだったのだよ」

「はあ? なんだそりゃ」

「二人は家同士が決めた婚約者同士だったんだけど、ある日、女の子が町中で出逢った男の子と恋に落ちるの。それでヤンキー坊ちゃんは、親たちが婚約関係を解消しようって考えるように、自分の評判を死ぬほど悪くすることに決めたんだよ。愛ですなぁ」

「んなモン好きな男できたから別れるって言えば済むことだろ……」

「ところがどっこい、彼女はとっても引っ込み思案で大人しくて、親の言うことに反抗したことが一度もなかったのよね。だからヤンキー坊ちゃんは、誰の目にも婚約解消が仕方ないと思われるように、自分が悪役になることを択んだ……」

 グレた理由にやや納得がいかない反面、そうだな、と同意する自分がいた。


 理由なんて些細なもので、転がり落ちるのは一瞬で、それなのに這い上がるのは容易じゃない。
 悪くなるのは簡単だ。


「結局リディアと関わったことで、婚約者の彼女は勇気を出して親に打ち明けて、婚約は円満解消。だけどエドマンドはきっと、彼女のことが大好きだったんだろうねぇ……そう思うとちょっと切ないかな」

 細い指。
 白い手の甲。

 寝間着に浮かび上がる痩せた腕、襟の隙間に覗く薄い皮膚、骨の浮いた鎖骨。

 血管まで透けて見えるような蒼白い頬。
 いつも微笑んでいた唇。

「……人を好きになるって、どんな気持ちなんだろう? わかる?」
「俺にそういう心情の機微を求めるな」
「あー」

 イヤ「あー」じゃねーよ失礼だな。
 唇を尖らせる俺に、彼女はけたけたと笑った。

「だってすごくない? このお話、好きな人のために魔王になっちゃったり、好きな人のためにその人を殺そうとしたり、好きな人のために魔王のしもべになったりするんだよ。かと思えば大事な人のために火事場のバカ力を発揮したり、悪役として振舞おうとしたり、周りの誰にも文句言わせないためにトップの成績をとったりするの」

「そりゃ小説だからだろ……。実際はそんな波乱万丈じゃねーよ」

「そうなの? 不良だから波乱万丈なのかと思った」

「平和な同級生よか色々あるかもしんねぇけど、さすがに魔王にはならんぞ」

 なーんだつまんない。
 そんなことを言いつつ悪戯っぽく瞬くと、彼女はフと白いカーテンの向こうを見やった。


「ニコラもそうだったのかなぁ?」


   ◇  ◇  ◇


「……どういう意味だ?」

 自分の零した譫言で目が覚めた。
 はっと顔を上げると、ヒュースローズ寮の自室、窓際に持ってきた椅子に座っていた。組んだ脚の上には薄手のブランケットがずり落ちている。

「寝言なんて珍しいな」
「……、……トラク」

 声をかけられて初めて、トラクがいることに気づいた。
 心臓が嫌な跳ね方をする。
 夢を見た。それで、夢の内容に関する寝言をつぶやいた。何か聞かれてまずいことは言わなかっただろうか。俺の莫迦野郎もっと気をつけろ。

 ベッドのカーテンに手をかけて、顔だけこちらに覗かせたトラクは、心配そうに琥珀色の双眸を歪めている。

「顔色が悪いようだけど。ハーブティーでも飲む?」
「……もらう」

 答えた声が掠れていた。
 トラクがベッドを下りて杖を振る。いつも通り、計量もせず大雑把に淹れられていくお茶を待ちながら、静かに深呼吸をした。


 ──俺はまさか、余計な真似をしたんじゃないだろうか。


 俺が介入しなければエドマンドの標的はリディアたちのまま、主人公の活躍によって何もかも丸く収まるはずだったのでは?
 あの性悪いじめっ子野郎が婚約者のためにグレてみせたなんて正直俄かには信じがたいが、これまでの『小説の内容通り』の出来事を思い返すに本当のことなのだろう。
 ほんの少し我慢ならずに悪戯を仕掛けただけで、こんな───


 ぞっとした。
 頭がくらくらする。
 今、どのくらい、世界は〈最適解〉からズレているのか。


「悪い夢でも見た?」
「悪い……というか。昔の記憶みたいなものかな」
「少なくとも幸せな記憶ではなさそうだ」

 手を伸ばして、部屋のカーテンを開ける。
 バルバディアの尖塔群と、その向こうに広がる深奥の森の木々が見えた。
 天気は晴れ。天海には白い波濤がゆらゆらと揺れている。

「力ある魔法使いの見る夢には意味がある。気をつけておくに越したことはないよ」

 トラクが近寄ってきたのが窓に映って見えた。
 振り返ってティーカップを受け取ると、彼はにこりと薄くほほ笑む。白い湯気とともに、ふわりと甘い匂いが漂っていた。
 苹果りんごの匂いだ。

「昔の記憶ってことは過去視だね。過去視の魔法使いの見る夢は基本的に、将来起こることに対する警告、暗示、警戒の呼びかけ。あるいは現状に対する不安、戸惑い、困惑を表すとされている」

 そんな大げさな話じゃないんだけどな。
 とはいえ怪しまれている様子もないし、妙な寝言は口走らなかったのだろう。トラクの述べた定義はこの世界における『夢』の一般的な説であるので、俺も「うんうん」とうなずいておいた。

 大気に満ちた魔素マナは記憶を堆積する。だからこちらの世界では、魔素の記憶に影響されて過去の夢を見ることが多く、人々はそれを何らかの暗示であると解釈して行動する。力ある魔法使いはまれに未来視をすることもあるらしい。正夢とか予知夢ってやつだ。

「警告や警戒の呼びかけ、不安、戸惑い。う~ん、直近でいうと三日後の薬草学でフィールドワークがあるけど、もしかして緊張してる?」

 三日後のフィールドワーク。
 四人から六人の実習班をつくり、先生から示された種類の薬草を時間内に採取してくる、という内容だ。校舎周辺の〈深奥の森〉を歩き回るため、毎年遭難する班が出るとかいう地獄の実習である。
〈深奥の森〉というと思い出されるのは前期の期末テストだ。あのときはひどい目に遭った。

「いやそれが原因ではないんだが……まあ、エウフェーミアを連れて深奥の森を探索するっていうのは確かに緊張するね」
「過保護?」
「なんとでも言え」

 なんたって箱入りお嬢さまだからな。
 魔法薬学基礎だって、虫や内臓や血が出るたびにぷるぷる震えてるハムスターなんだぞ、あいつは。

 涙目になりながら「だいじょーぶ、へーき、がんばる」って虫を擂り潰そうとするエウのことを思い出したら力が抜けた。苦手なもんは苦手って全部俺に押しつけても怒りやしねえのに、なぜか毎回ちょっとずつ挑戦しようとするんだよなぁ。
 一瞬ふへっと笑ってしまった俺の横で、トラクが名案閃いたとばかりに両手を打ち合わせた。

「そうだ、フィールドワーク一緒に組もうよ。ニコラはどうせエウフェーミアさんと組むでしょ?」
「どうせって何だ、どうせって。そのつもりだけど」
「四人から六人班だからあと一人か。ニコラ派の適当なやつをつかまえるんでもいいけど、成績が関わるからには信用できる人を選びたいよね。デイジー嬢とかどう?」
「いや僕、成績よりも平和さで選びたいかな……」

 薬草学の授業は、リディアとアデルも一緒。
 表立って知られてはいないが、二人は魔法薬学担当のイルザーク先生の弟子なのだから、薬草のことにも多少は詳しいだろう。しかもアデルは前期の首席。リディアにしたって、ああいう森の中を歩くのには慣れているふうだった。
 非常に癪だがあの二人は頼れる。癪だが。

「……まあ願い下げだろうね、向こうにとっては」
「何か言った?」
「いいや、別に」
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