ニコラ・ロウの華麗なる悪役生活

天乃律

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第七章 薬草学フィールドワーク

第2話 天海のくじらの預言

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 トラクにもらったお茶のおかげで頭がすっきりしてきた。
 悩んでも仕方ないことは仕方ない──が、反省と改善策は大事だ。ちょっくら例の三畳間の隠し部屋にでも逃げ込んで、一人になって考えたい。
 ベルトに引っ掛けていた杖を取り出し、空になったティーカップに向ける。

「“いと慈悲深き〈水〉の乙女、清らかな吐息”」

 簡単な汚れを落とすには十分のお手軽なお掃除魔法だ。箒や雑巾が勝手に動いて部屋中きれいにしてくれるような便利な魔法は、今のところない。
 浮遊魔法の応用でなんとかなるだろうか。基本的に浮遊魔法は『一つのもの』に『浮く』『動かす』という動作をさせることはできるが、『部屋をきれいにする』という指令となると、よほどうまく事象干渉の内容を指示しないと、単に機械的な動きを繰り返して埃を広げるだけになりそうだ。

 こういうことを考えると、この世界の魔法はなんでもできるわけじゃないんだなと実感する。
 ここからさらに魔法が発展して不可能を可能にしていくのか、逆に魔法の規模が縮小していって技術革新の時代がくるのか……。

 なんにせよ今年を生き延びなければニコラに未来はない。

「難しい顔」

 トラクが人差し指で額をついっと押してきた。
 見上げると、琥珀色の双眸に悪戯っぽい色を浮かべて笑っている。

「このトラクさまに話してごらんよ。高貴な血筋のニコラほどじゃないけど、俺だってなかなか人生経験あるんだぜ」

「別に高貴というほどの身分でもないんだが。……そうだなぁ、トラク、例えば未来視の魔法使いは、夢で見た未来を回避しようとしてもいいのだろうか?」

 トラクは妙な顔になった。
 俺の質問が思いもよらないものだった、というような驚きと、一抹の──警戒の色。

 どきりとした。どうして未来視の話をして警戒する?
 警戒されるだけの何かがトラクにあるのか?

 つられて俺の表情も強張りそうになった。気合いで回避したつもりだがバレているかもしれない。トラクはゆっくりと、口角を上げて薄く微笑んだ。

「きみは、くじらの預言を憶えているかい?」

 トラクの言葉に俺は首を傾げた。
 天海を泳ぎ、世界を見守るくじら。その鳴き声はなんとも不思議な音程で、俺の知るクジラよりもどこか機械っぽく、金属質だ。人によっては「コーン」とか「ホーン」と聞こえているらしい。

 高くもなく、低くもなく、長い息で一定の声を上げる。
 腹の底に響き、胸の奥に残る、祈りのような旋律ともいわれるが。

「……喋るのか?」

 トラクは「喋るんだよ」と睫毛を伏せると、人差し指を天井へ向けた。

「この世で言語を解する生物のうち、特に二足歩行の人間と呼ばれる種族は、母親から産まれて三年の間、俺たちが今話しているような言語ではない独自のことばを語るとされている」

 赤ん坊にありがちな、あうーだのおえーだのといった喃語のことなのだろうか。
 それともまた別の、この世界独自のルールか。

「それは天海のくじらと同じことばである、ともいわれる。くじらはこの世を見守る聖獣であると同時に言語を司る神だ。三歳になるまでのある日にくじらから祝福を受けることで、赤子や幼児はようやく、この世に準備された共通言語を語ることができるようになる」

「つまり……三歳になるまでは天海のくじらだけが赤ちゃんの言葉を理解できて、赤ちゃんはくじらの言葉を理解できるんだな?」

「そういうことだね。──そして通常、祝福と同時に預言を賜るものなんだ。この世に生きる全ての人たちは何らかの宿命を背負わされている。その宿命に対峙するための道標となるのが、三歳までに賜る天海のくじらの預言。託宣だ。憶えているかどうかは人による」

 俺の脳裡に過ぎったのは、まだ自分があーだのうーだの喃語ですらない音しか発せなかった頃、確かに空に響き渡った透明な声だった。


 ベッドに寝かされていたら、突然、部屋が翳ったのだ。
 雨雲でもきたのかと思って窓のほうを見上げたら、上空に飛行船みたいな物体が浮いているのが見えた。しかもその飛行船は空中でくるりと体を旋回させて、直線的でなくゆらゆら揺れながら飛んでいる。

(なんじゃありゃ!)

 ぎょっとしながら飛行船もどきを凝視していると、こぉぉぉぉぉん、と不思議な音がそこら中に響き渡った。
 この世界の言語がさっぱりで、とりあえず言葉の習得からだなと意気込んでいたにもかかわらず、不思議とその音の意味だけは理解できていた。



────いずれ、破壊を齎す……。



 破壊?
 謎の飛行物体が残した謎の言葉。自分に関係あるとは到底思えなかった。

 次に天海のくじらを見ることになるのは三歳、母が死んだ葬儀の日だ。
 くじらが母の魂を迎えに来たのだと、ナタリアが目頭を押さえていたことを憶えている。
 その時ようやくあれは飛行船ではなくくじらなのだと、この世界には空の上に海があるのだと知った。

 くじらが空を泳ぐという事実に圧倒されていた俺は、かつて残された謎の言葉のこともすっかり忘れていた。しかし確かに葬儀の日に現れたくじらがひと哭きした時は、ただ単なる音としてそれを捉えていたように思う。


 あれが、くじらの預言だったとするならば。
 俺はこの世に破壊を齎す──つまりは物語の通り、復活した魔王軍に追従するということなのか。
 密かに唇を噛んだ俺の仕草に、トラクは気づいたようだった。

「託宣といったって、憶えている人もいれば憶えていない人もいる。つまりは預言をどう解釈し、どう己の行動に反映させるか、それこそが問題なんだ。……少なくとも俺はそう思うね」




 一瞬だけトラクが見せた、眸の奥の警戒の色が引っかかる。
 過去視の夢を見ていたはずの俺が突然未来視の話をしはじめたから妙に思ったのか。それとも例えば、変えられてはまずい未来があるとか?

「……変なこと聞いちまったよな」

 トラクは悪いやつじゃない。
 だけど同時に、敵に回したくないタイプでもある。

「怪しまれたか。……それともトラクが怪しいのか?」

 宙ぶらりんのまま放置していた『内通者』というワードが、脳裡で再び踊り始めていた。

 寮をあとにした俺は三畳間の隠し部屋に引きこもっていた。
 前期のはじめルウに教えてもらって以降、たびたび利用しているのだが、俺の使用中に誰か他の生徒が入ってきたことはない。改めて気づくと興味が湧くもので、試しに集中して魔力感知をしてみることにした。

 胡坐をかいた状態で目を閉じる。
 自分のなかを血液と同じく循環している魔力の一部を、床に接している地点を伝って薄く薄く氷のように引き延ばす。そうしているうちに触れる、俺以外の誰かの魔力。それによって描かれた魔法陣。祈詞れいしの要素。構築式……。

 魔力で、魔力に触れる。

「……あー、〈沈黙〉の魔法の変形か。室内に誰かいる場合は扉が開かないようにする内容の祈詞なんだな」

 こりゃ俺には無理だ。
 一瞬の人払いや防音魔法ならともかく、その仕組みを常に発動させておくっていうのは無理。

 しかも、隠し部屋が魔法の産物であるからには魔力を献上しなければならないわけだが、『魔力の提供者=任意の入室者n』という指定が魔法陣のどこに該当するのかサッパリわからん。魔法陣というのはIF関数みたいなものだから、もっとちゃんと勉強すれば直感的に理解できるようになるんだが。

「隠し部屋作るのって難しいんだな」

 誰もいないので独りごと言い放題である。


 ──俺がエドマンド・ロシェットを中心とする五人グループをぎったぎたに叩きのめしたあの日から、二週間が経っている。
 生徒指導委員会が慎重に調査し、他の生徒からの証言も集めた結果、五人グループには一ヶ月の謹慎と罰則が言い渡された。俺は今回被害者ということでお咎めなし。アンジェラ先生には「一度厄払いでも受けてこい」と呆れられた。

 そして娯楽に餓える生徒たちの間では、エドマンドの婚約が破談になったらしい、というスキャンダルが実しやかに囁かれている。
 真偽のほどは定かではないけれど、先方の両親が今回のイジメ事件を聞いて申し入れたそうだ。

「…………」

 狭い部屋に寝転んで、頭の下に手を組む。窓から見える深奥の森の木々、さらに奥に聳えるフィーカ城上空辺りで、天海のくじらがゆっくりと旋回しているのが見えた。

 世界の起源を知るくじら。
 全知全能の神、魔法の世界における最高神。
 あのくじらには、世界の〈最適解〉が見えているんだろうか……。

「……これ以上は気にするまい」

 自分に言い聞かせるように、口の中でぼそぼそとつぶやく。

「いかなる理由があったとしても、他人をイジメていい理由にはならない。エドマンドには前科がありすぎる。円満だろうが何だろうが、婚約を解消する結末に変わりはないんだし」

 そう。
 いかなる理由があったとしても、他人に望まぬ暴力を振るうのは悪だ。


 ニコラ・ロウもまた同じ。


「だから俺は“悪”なんだ。いつか報いを受ける……」

 それがエドマンドにとっては婚約解消で、俺にとっては石化エンドなだけだ。





  ────いずれ、破壊を齎す。



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