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第七章 薬草学フィールドワーク

第5話 薬草学FW(1):物好き野郎

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 フィールドワークの集合場所は学院の敷地の外れ、深奥の森の一部を含む薬草園だ。
 ガラス窓でできたハウスの中では、魔法薬学ほか様々な授業・研究で使用する薬草を育てている。寒冷期の存在するベルティーナ王国では自然に生息できない種類の栽培、また品種改良などもここで行われる。
 そして人工的に栽培することの難しいものが、これから探検しに行く深奥の森にはごまんと生息しているらしい。

 実習内容は、これまでの授業で学習した薬草のうち指定された植物を、森のなかで見つけて採取してくるというもの。
 一応実習範囲は決まっているらしいが毎年遭難者が出るというので、救難信号用の発煙筒まで配布された。
 遭難は嫌だ……。

「深奥の森には様々な魔法生物が棲息しています」

 のんびりした口調で説明を始めた薬草学の担当は、森に棲む妖精みたいな老翁だ。
 白い眉毛と髭でほとんど顔が見えないし、これぞ魔法使いって感じのローブを身につけている。

「基本的にこの辺りに棲息しているものは温厚で、人馴れしていますが、生態系に影響を与えないためにも、遭遇した場合は驚かせないように退避してください。けっして大声を出したり、意味もなく攻撃したりしてはいけません……それでは、班をつくってください」

 問題はそこだな。
 隣にいるエウとトラクはいいとして、最低あと一人いないといけない。今日のフィールドワークでは別日に開講しているクラスの生徒も一緒だから、知らない顔触れもけっこういるようだった。
 とはいえ全く知らない生徒と組むというのも不安だし。

「もしかして三人なの?」
「ロロフィリカ」
「まあここ三人って優秀そうで入りにくいもんねー。あたし入っていい?」

 屈託のない様子ではいはーいと手を挙げたロロフィリカに、エウが「もちろん」と嬉しそうにうなずく。
 リディアたちと組むと思っていたが──と捜してみると、あっちも一応ちゃんとメンバーが集まっているみたいだった。リディアとアデルの二人組は勿論として、エウと同室のミーナと、あと目つきの悪いトゲトゲ頭の男子生徒。初めて見る顔だから別日の生徒だろう。
 トラクがこっそり耳打ちしてきた。

「例の同郷の三人目だ。ダリアヴェルナ寮のジャン」
「ああ……アレか。『アロイシウス棟のゴーストが怖くて魔法史の単位を落としかねなかったアデルの知り合い』」
「ひどい覚え方だな」

 ロロフィリカに視線を移して、向こうの四人組を指さす。

「あっちはいいのか?」
「いいよ別に。あたしエウとも仲良しだもーん」

 俺のイメージだと、中高生くらいの女子って決まった友達とのグループが絶対で、あっちフラフラこっちフラフラみたいなやつは嫌われる印象だったんだが。
 こっちの女子はそうでもないのかな。それともロロフィリカが特殊なだけか。
 なんにせよこれで四人揃ったのだから、こちらとしても有難い。

 しばらく他の生徒たちの班づくりを待っていると、突然横から胸倉を掴まれた。
 拳が出そうになったので、慌てて体の後ろで指を組む。危ない危ない。でも急に胸倉を掴んじゃだめだぞ、物騒だなドコ中だよテメエ……ではなく。

「てめえかよ。ニコラ・ロウってのは」
「……人に名前を訊ねるときはまず自分から名乗るべきでは?」

 ニコリと微笑んで返すと、目つきの悪いトゲトゲ頭、リディアたちと同郷であるダリアヴェルナ寮のジャンは、ぎゅっと顔を顰めた。
 背後でリディアが「こらー! ジャン何やってんのー!」と慌てている。

「アデルに成績で惨敗してる残念な貴族の坊ちゃんの話はウチまで届いてるぜ」
「その惨敗の要因の八割方は、きみの同郷のへっぽこ爆発魔だということをお忘れなく」
「人のせいにしてんじゃねえよダセエいじめっ子が」

 遅れてやってきたアデルがぼそっと「ジャンが言えたことではない」とぼやいた。
 なんでこの主人公二人は同郷のジャンより俺寄りの発言をしているんだ? 内心ちょっと脱力しかけていると、リディアが俺たちの間に割って入った。

「もうジャン、やめなさいってば。あんただってさんざっぱら私やアデルのこと莫迦にしてるでしょうが」
「うっせぇリディアてめえはすっこんでろ! いいかニコラ・ロウ、こいつを悪く言っていいのはこのオレだけなんだよ! なんも知らねぇお貴族さまが我が物顔で庶民いたぶってんじゃねえ!!」

 ……ほうほう?
『こいつを悪く言っていいのはこのオレだけ』ねえ?
 なんだその好きな女子をイジメる小学生男子みたいな理論。

 まさかとは思うけどこいつ──と、恋愛ごとには興味がないふりして意外と人の機微には敏いアデルを見やると、うんざりした顔で深くうなずいた。

「……物好きもいたもんだ」
「好みは人それぞれだから……」

「そこォ!! 意気投合してんじゃねえ!!」
「してない」「してない」

 そうかぁ、ジャンはリディアが好きなのかぁ。
 主人公はリディアとアデルだというから、てっきりこの二人が最終的にくっつくんだと思っていたけど、案外そうでもなかったりするのかね。




「みなメンバーは揃ったね? 迷った場合は配布した地図に〈道行みちゆき〉の魔法をかけると、この場所までのおおよその方角が示されます。負傷者が出た場合はすぐに発煙筒を。怪我しないよう、気をつけて行ってらっしゃい」

 森への入口は五つ。
 これは特に人の手で整備されているわけではなく、長年をかけてバルバディアの人びとが踏み分けてきた自然の道だ。早さを競うレースでもないので、俺たちは混雑が解消されたのを見計らってのんびりと突入した。

「ねえねえ、〈道行〉の魔法ってどんなだったっけ」

「ロロフィリカ……。前期に魔法学で習っただろう。“いと慈悲深き旅の女神マチルダ、加護を与えたまえかし”」

「習ったような習ってないような」

「いや習った、絶対習った。長い旅に出発する人に対して安全無事な旅を祈願したり、遭難したときに道を示してもらったりする魔法だ」

 丸めて封蝋を施された地図を開くと、左側に課題内容や決まりごとが、右側には実習範囲の地図が描かれていた。
 魔法をかければ帰り道がわかるというからには、この地図自体に魔法が仕掛けられているということだ。隠し部屋みたいに魔法陣が仕込んであるに違いない。構築式を解読してみたいが、とりあえずフィールドワークを優先しないといけないので我慢だ。

「ニコラ、課題の内容は?」

 問いかけてきたトラクの声が、普段より低かった。
 ちらりと一瞥すると、どこか強張っているような横顔が目に入る。

 ……緊張している?
 何に?

「……必須は三種類でミヤコウツギ、きみかげそう、恋なすび。時間に余裕があれば、ヒヨスと猿梨の実、アカシアフグリ。まあ、無理せず行こう」
「うん、賛成」


 トラク、俺は、おまえのことをけっこういいやつだと思っている。
 消去法でおまえが怪しいと考えてはいるが、本当はトラクが内通者でなければいい。疑いたいわけではないのだ。


 だからできれば、疑念を抱かせるような挙動をしないでくれると、嬉しい。


 半ば祈るような気持ちで地面を踏みしめた。

 前回のエドマンド事件が小説のなかの一イベントだとするならば、あれからひと月ほど経った今回のフィールドワークもまた、展開に関わりのある行事だとしてもおかしくない。
 無理はせず、そして油断せずに行こう。
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