ニコラ・ロウの華麗なる悪役生活

天乃律

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第七章 薬草学フィールドワーク

第6話 薬草学FW(2):おまじない

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 森の中はしんと静まり返っていた。
 最初のうちは道らしきものに沿ってある程度まとまったグループで歩いていたが、立ち止まったり、追い抜いたり、少し道を逸れてみたりとするうちに少しずつはぐれていく。やがて話し声もぱたりと途絶え、気配さえ感じられなくなった。

 立ち並ぶ常緑樹から時折はらはらと葉が落ちる。
 地面に落ちる木漏れ日がなんとも穏やかで気分がいい。なんだか故郷の森を思い出す。
 昔はよく、まだまだ等身大ビスクドールみたいだったエウとピクニックをしたり、慣れない従者業にくたびれてへろへろのシリウスを連れていったりしたものだった。

 思い出に浸る俺の背後で、ロロフィリカがいきなり大声を上げる。

「あーっ! ねえいまミヤコウツギっぽいのが見えた! ちょっと取ってくるね!」
「ロロフィリカおい、一人で行くのは……」
「大丈夫大丈夫、声の聞こえないとこまでは行かないから。トラクも来て!」

 地図によれば、実習の範囲に目立った傾斜や崖はない。
 授業の内容が進めば色々な地形の場所に行くことにもなるだろうが、今日のところは多少離れても大丈夫だろう。とりあえず立ち止まって、木々の間を駆けていくロロフィリカとトラクを見送った。

「……エウ、疲れてないか?」
「平気。こういうのも楽しいね」

 にこりと微笑む表情に無理をしている様子はない。
 俺は手近な倒木に腰を下ろして、内ポケットから取り出したハンカチを隣に広げた。ぺしぺし叩くと、エウははにかみながらハンカチの上にちょこんと座る。

「なんか、ルフの森を思い出すな。最初にシリウスと出かけたとき、湖の畔ででっかい魚の魔物に襲われて大変だった」
「シリウスに聞いたことあるよ。『あいつ主人のくせに従者を庇いやがったんだぞ、信じられるか』って言ってた」
「ぐ。根に持つなァあいつ……」
「嬉しかったんだと思うよ」

 ポワポワ笑ったエウからの視線を感じて、俺は居心地悪く身じろいだ。
 そんなにじっくり見つめられたら穴が開くぞ。

「……えへ。なんだか久しぶりに、ニコとお話したなぁって感じ」
「いつも喋ってんじゃねーか」
「だっていつもキラキラしてるから」
「ああそっちな。……最近はボロが出てんなと自分でも思うんだが、どう?」

 主にエドマンド事件では、いくら座右の銘『ケンカはステゴロ派』といっても、お坊ちゃん一人で五人をボコボコにしちゃったのはまずかったなぁと思う。
 駆けつけたアンジェラ先生の「こいつこれを一人で……?」みたいな訝しげな顔が忘れられん。

 あのあと生徒たちの間で『ニコラは魔法を使わなくても武術に優れているらしいぞ!』という妙な噂になっちまって、いや半ば事実ではあるが、若干肩身の狭い思いをしたのだった。俺の優れているのは武術じゃなくて荒事ですので。

「大丈夫だと思う。この間、他の寮の女の子が『ニコラっていつもにこにこしていて穏やかで本当に王子様みたい! あの兄にしてこの弟ありよね! 麗しいわ!』って噂してたよ」
「そう? 俺のお坊ちゃまモードも捨てたモンじゃねーな」
「トラクやリディアさんは怪しんでる。二人でいるときや実家では実際どうなの、って訊かれた」
「だァからリディアと話すなっつーに」

 エウはにこーっと笑って俺の文句を流した。くそ、反抗期か。

 ロロフィリカとトラクはまだ戻ってこない。
 五十メートルの範囲までなら俺の魔力探知で居場所はわかるし、それ以上になってもエウがいる。もうしばらくしても合流しないようなら捜すかと鷹揚に構えていたら、エウがシャツの裾を控えめに掴んできた。

「あのねニコ。……ギルお兄さまから、教わったおまじないがあるんだけど、ニコにしてもいい?」
「兄上から? 別にかまわんけど」

 うなずいたエウは、口元に両手を添えて内緒話の格好になった。
 意図を汲んで耳を寄せると、小さな声で、なにかの呪文らしき言葉を唱える。

 聞き取れはしたものの、よく意味がわからない。馴染みのない音の羅列だから一度じゃ覚えられなかった。古べルティーナ語だろうか。

「……ニコにいいことが起きますように、って、おまじない」

 白い頬を恥ずかしそうに染めて、可愛い生き物が顔を離す。

 ンだコラ、おいテメエ。撫でくり回してやろうかこいつ。美味しいものでもお腹いっぱい食べさせてやろーか!?
 などと内心荒れ狂いつつ、それら全てを盛大な溜め息に込めて、俺は頭を抱えた。
 あざといぜ、うちの婚約者。

「ニコ?」
「あーなんでもない気にすんな……。今なんて言ったんだ? いいことが起きるおまじないなら、俺もエウにしてやるよ」
「だめなの。ギル兄さまにも訊いたらだめだからね?」
「なんだよ、だめだめって。自分から言い出したくせに……」

 そのとき、視界の端に灰色のものが揺れた。
 大地の色に混じって何か動いている。

「……ニコ?」
「し。静かに」

 深奥の森には様々な魔法生物が棲息している──という先生の言葉を思い出して、動くそれをじっと観察した。人馴れしているという話だし襲ってくることはないだろうが、なにせルフの森で魚の魔物に襲われた過去があるので身構えてしまう。
 見られていることに気づいたそいつは息を潜めていたが、俺が輪郭を捉えるほうが早かった。

 猫だ。
 灰色の猫。

 ベストの内側に差し込んでいた右手をそっと緩める。
 そういえば、半年前リディアと隠し部屋に閉じ込められるきっかけになった猫も灰色だったっけな。バルバディアには先生や生徒たちの使い魔の動物がうろちょろしているので、あの日の灰猫と同じやつかはわからないが。
 反対方向から聞こえてきたがさがさという足音に驚いてか、灰猫は猛ダッシュで姿を消した。

「ニコラー、エウフェーミアどこー? ミヤコウツギあったよー!」

 ロロフィリカの声だ。採集用の麻袋を片手に掲げながら、トラクを伴って戻ってくる。ぴょんこぴょんこと足元の石や倒木を避ける様子はなんとも子どもじみていて、一気に気が抜けた。
 ……いくらなんでも過剰反応しすぎた。
 主人公のリディアたちが近くにいるなら巻き込まれることもあるかもしれないが、今はこの面子なのだ。

 逆に、同郷三人が揃ったあっちの班には何か起きるかもしれないな。
 リディアやアデルは試練に慣れているだろうし、ジャンも見た感じ気が強そうだが、ミーナは普通の生徒だ。ちょっと可哀想かも。

「ロロフィリカ、ミヤコウツギが見えたから飛び出したんじゃなかったのかい。どれだけ遠くに行ってきたんだ?」
「いいじゃん別に。迷子になったらニコラとエウフェーミアが捜してくれるでしょ」

 けろっとしているロロフィリカの横でトラクが苦笑いしている。

「……まあトラクがついているし、そう心配はしていないけど」
「あたしのことは信用してないな?」
「控えめに言ってお転婆だなとは思っている」
「最近ニコラが容赦なくなってきた……元の王子様に戻ってほしい……」

 エウが顔を逸らして噴き出した。
 ごめんなぁ王子様じゃなくて。
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