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第七章 薬草学フィールドワーク
第7話 薬草学FW(3):トラブルの気配
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必須課題の三種類は、深奥の森のどこにでもある植物だ。
ミヤコウツギは枝も葉も広く重用される落葉の低木で、整腸作用のある薬になったり魔除けに用いられたりする。温暖期には長く白、桃、紅色の花をつけているのが特徴だ。花の部分に魔素を貯めやすいため、イルザーク先生の魔法薬学でも頻繁に登場する。
きみかげそうと恋なすびは地面に生える。
きみかげそうは鈴の形をした白い花をつける多年草で、花も茎も葉も根も全部、毒。そのまま食べたら即死するが、一定の手順で処理をすれば良薬となる。古くは暗殺にも用いられたとか。
恋なすびは、俺も授業を受けながらエッと思ったものだが、引っこ抜いたらギャーギャーうるさいことで有名なマンドラゴラの別名だった。
こっちの恋なすびは根っこの形が赤子のかたちに似ているというだけで、泣き声で人を殺しはしない。麻薬効果を持つため鎮痛剤や鎮静剤として利用されるが、一定の処理をしなければ毒性が強すぎて死に至ることもある怖いやつ(なんで名前が恋するなすびなんだよ、ネーミングセンス皆無かよ)。
薬草学や魔法薬学で頻出する三種類だ。ゆえに深奥の森に広く分布している。
小一時間もしないうちに、意外とあっさり集めることができた。
「とりあえず三種類揃ったな」
「時間けっこう余ってるし、もう少し奥に行ってみない?」
倒木に腰を下ろし、各々持参した飲み物で水分を摂りながら休憩しているところだ。
意欲的なロロフィリカに対してトラクはやや苦い表情になった。
「慣れていない森だし、無理せず帰ったほうがいいんじゃないかなー」
「ちょっとくらいいけるって! エウフェーミアももうちょっと探検したいよね?」
話を振られたエウは「んー」と考え込んでいたものの、表情に余裕はあるし、なんなら「探検楽しい」と顔に書いてある。
実際に森のなかを歩き回って、あれはこういう効能、あれは毒、とみんなでわいわい言い合うのは楽しいもんだ。エウの場合は、ベックマン氏が魔法医師だから薬草に対する造詣も深く、余計興味をそそられるんだろう。
三人の視線はこっちを向いた。
「……なぜ僕を見る?」
「いや、なんとなく。ニコラが決めるんだろうなーと思って」
「同じく。俺はニコラの決定に従うよ」
「わたしも」
俺はリーダーになった覚えはないぞ。
「……じゃあ間を取って……」
あと少しだけ。
と、言おうとした瞬間、風に乗って人の声が聞こえてきた。
人差し指を立てて口元に当てると三人とも黙って耳を澄ます。
森の奥のほうで誰か言い争っているようだ。何を言っているかまでは聞き取れない。ただ、多分に聞き覚えのある女子の声だった。
「……リディアの声じゃない?」
ロロフィリカが眉を顰めた。
俺もそう思う。うなずきながら、魔力感知を始めた。
地面を伝って魔力を薄く伸ばし、声の聞こえるほうへ向けて奔らせる。三十メートルほどのところに魔力が六つ。つまり魔力を持たないリディアとアデル、その班員ジャンとミーナ、プラス四人だ。
「リディア班と……これはデイジーだな」
「よりによってその二班が森のなかでかち合ったか」
本当、よりによってこの二班が。
出会い頭に胸倉を掴んできたジャンの喧嘩っ早さを思い出す。リディアとアデルに突っかかるデイジーとは相性最悪だろうな。
「……全く、ろくなトラブルじゃなさそうだな。悪いけどついてきてくれるか」
ロロフィリカはリディア側だ。心配そうな顔をしている彼女を無視してリディアたちを放置するのは、人間として悪手だ。いくら俺がニコラでも。
とかいって! こういうとこで良心に負けちまうから悪役生活がうまくいかないんだよなぁ、ちくしょう!
精々嫌味ったらしく登場してやるぜ……。
声の流れてくる風上へ向かっていくと、徐々に内容が聞き取れるようになってきた。
「触らないで頂戴!」
「もーうるさいなあ! 心配しなくても只人は感染したりしないわよ!」
なんだその言い合いは。
「そういう問題じゃありませんわ。下賤の民に触られるのが我慢ならないと言っているんです!」
「下賤ねーハイハイどーも! あのねぇ悪いけど怪我人ほっぽって平気な顔で立ち去れるほど薄情者じゃないのよ!」
「おいリディアそんな女放っておけよ。本人がそう言ってんだからよぉ」
「うるさいジャンは黙ってて!」
地面に座り込んだデイジーの右脚を掴むリディアと、そんなリディアの髪を引っ掴んでギャーギャー怒るデイジー。言い合う当人たちはそこまで険悪ではないのだが、「下賤」とまで言われたジャンやミーナの表情はよくないし、デイジーの班員はリディアに対して嫌悪感剥き出しだった。
どうしたものかね。
大声でぎゃんぎゃん言い合っているせいで、俺たちが近づく足音も聞こえていないらしい。
はらはらと様子を見守っていたミーナがロロフィリカに気づいた。と同時に俺のことも見て、絶望的な表情になる。
おいミーナ、いま「事態を余計にややこしくしそうなやつが来てしまった」って思っただろ。顔に出てるぞ。
腕組みをして傍らの木に凭れかかったまま眺めていると、まず俺に気づいたのはジャンだった。
「……ニコラ・ロウ……!」
まるで親の仇でも見るかのようだ。
続いてリディアがこっちを振り返り、複雑そうな表情になる。
「……これは何かな? そこのヘッポコ爆発魔が、デイジー嬢の脚を掴んでいかがわしいことでもしているのかな?」
「誤解よ!!」「誤解ですわ!!」
息ぴったり。
「そうかい。それじゃそこの、初対面の僕の胸倉を掴んだ喧嘩っ早いジャンくんが、デイジー嬢を突き飛ばして怪我でもさせたのかな?」
「それは誤解ではないわ! うちのジャンが悪かったわ!!」
「謝っただろーが!!」
大声で肯定したのはリディアだ。そんなこったろーと思ったぜ。思わず本気で大きな溜め息をついてしまった。
飲み物や採集用のナイフを入れていたサコッシュをトラクに預けて、俺はデイジーの傍にしゃがむ。
身内のジャンが原因で、それでなくともこんな森のなかに負傷者を放っておけない、リディアのその良心は純粋な美徳だ。
だがデイジーもデイジーで、自分が散々見下している只人に治療されるのも、それこそ貴族の自分が市民から施しを受けるのも我慢ならない。それもまた矜持なのだ。自分は貴族として市民たちに恩恵を与える側だと教育されてきたからこそ。
「……ま、一応同じ貴族の子女としても、下賤は言い過ぎだと思うけどね」
デイジーはばつが悪そうに目を逸らす。
至って普通の感性として只人を見下すこのお嬢さまの価値観でも、過ぎた発言だったことは羞じているらしい。
この世界の根深い差別として恐らく、リディアとアデルを只人と莫迦にすることは気が咎めないのだろうけれど。
「痛めたのは足首?」
「右足首と右手首よ」と答えたのはリディアだ。
突き飛ばされた拍子に足首を捻って、地面に尻餅をついたついでに右手首も痛めた、そんなとこかな。発煙筒を焚いて救助してもらうほどの怪我でもないだろうし。
「ロロフィリカ、悪いけどここで帰還だ。いいね」
先程もう少し奥まで行きたいと主張したロロフィリカは、戸惑いつつも「りょーかい」とうなずいた。
「何があったにせよ女性に手を上げるような下衆にも、そこのひょろひょろ黒縁眼鏡にも任せられない。デイジーを連れて薬草園まで戻る」
「誰が下衆だ誰が」
「貴様以外に誰がいる」
「アデルはひょろひょろじゃないもん!」
「黙ってろ爆発魔。言っておくが、とっとときみがバルバディア生に相応しい魔術の技量を身につければ防げるトラブルがごまんとあるんだからね」
「どーもすみませんでしたっ!!」
しっしっと追い払うように手を振ると、リディアはムッとした様子で立ち上がった。そのままアデルの横にぴったり張りついて、べーっとガキみたいに舌を出している。「ひょろひょろに反論しなくていいから」と呆れ顔のアデルにぺちんと叩かれていたが。
これがもし小説の展開と重なるトラブルだったなら、この程度で済んだだけまあマシか。
デイジーを背負おうと屈むと、こっちを見ていたトラクと目が合った。
焦りや葛藤が色濃く浮かんだ、琥珀色の双眸と。
「……トラク?」
「ニコラ、──だめだ」
「だめって、何が」
「置いて帰ろう」
ミヤコウツギは枝も葉も広く重用される落葉の低木で、整腸作用のある薬になったり魔除けに用いられたりする。温暖期には長く白、桃、紅色の花をつけているのが特徴だ。花の部分に魔素を貯めやすいため、イルザーク先生の魔法薬学でも頻繁に登場する。
きみかげそうと恋なすびは地面に生える。
きみかげそうは鈴の形をした白い花をつける多年草で、花も茎も葉も根も全部、毒。そのまま食べたら即死するが、一定の手順で処理をすれば良薬となる。古くは暗殺にも用いられたとか。
恋なすびは、俺も授業を受けながらエッと思ったものだが、引っこ抜いたらギャーギャーうるさいことで有名なマンドラゴラの別名だった。
こっちの恋なすびは根っこの形が赤子のかたちに似ているというだけで、泣き声で人を殺しはしない。麻薬効果を持つため鎮痛剤や鎮静剤として利用されるが、一定の処理をしなければ毒性が強すぎて死に至ることもある怖いやつ(なんで名前が恋するなすびなんだよ、ネーミングセンス皆無かよ)。
薬草学や魔法薬学で頻出する三種類だ。ゆえに深奥の森に広く分布している。
小一時間もしないうちに、意外とあっさり集めることができた。
「とりあえず三種類揃ったな」
「時間けっこう余ってるし、もう少し奥に行ってみない?」
倒木に腰を下ろし、各々持参した飲み物で水分を摂りながら休憩しているところだ。
意欲的なロロフィリカに対してトラクはやや苦い表情になった。
「慣れていない森だし、無理せず帰ったほうがいいんじゃないかなー」
「ちょっとくらいいけるって! エウフェーミアももうちょっと探検したいよね?」
話を振られたエウは「んー」と考え込んでいたものの、表情に余裕はあるし、なんなら「探検楽しい」と顔に書いてある。
実際に森のなかを歩き回って、あれはこういう効能、あれは毒、とみんなでわいわい言い合うのは楽しいもんだ。エウの場合は、ベックマン氏が魔法医師だから薬草に対する造詣も深く、余計興味をそそられるんだろう。
三人の視線はこっちを向いた。
「……なぜ僕を見る?」
「いや、なんとなく。ニコラが決めるんだろうなーと思って」
「同じく。俺はニコラの決定に従うよ」
「わたしも」
俺はリーダーになった覚えはないぞ。
「……じゃあ間を取って……」
あと少しだけ。
と、言おうとした瞬間、風に乗って人の声が聞こえてきた。
人差し指を立てて口元に当てると三人とも黙って耳を澄ます。
森の奥のほうで誰か言い争っているようだ。何を言っているかまでは聞き取れない。ただ、多分に聞き覚えのある女子の声だった。
「……リディアの声じゃない?」
ロロフィリカが眉を顰めた。
俺もそう思う。うなずきながら、魔力感知を始めた。
地面を伝って魔力を薄く伸ばし、声の聞こえるほうへ向けて奔らせる。三十メートルほどのところに魔力が六つ。つまり魔力を持たないリディアとアデル、その班員ジャンとミーナ、プラス四人だ。
「リディア班と……これはデイジーだな」
「よりによってその二班が森のなかでかち合ったか」
本当、よりによってこの二班が。
出会い頭に胸倉を掴んできたジャンの喧嘩っ早さを思い出す。リディアとアデルに突っかかるデイジーとは相性最悪だろうな。
「……全く、ろくなトラブルじゃなさそうだな。悪いけどついてきてくれるか」
ロロフィリカはリディア側だ。心配そうな顔をしている彼女を無視してリディアたちを放置するのは、人間として悪手だ。いくら俺がニコラでも。
とかいって! こういうとこで良心に負けちまうから悪役生活がうまくいかないんだよなぁ、ちくしょう!
精々嫌味ったらしく登場してやるぜ……。
声の流れてくる風上へ向かっていくと、徐々に内容が聞き取れるようになってきた。
「触らないで頂戴!」
「もーうるさいなあ! 心配しなくても只人は感染したりしないわよ!」
なんだその言い合いは。
「そういう問題じゃありませんわ。下賤の民に触られるのが我慢ならないと言っているんです!」
「下賤ねーハイハイどーも! あのねぇ悪いけど怪我人ほっぽって平気な顔で立ち去れるほど薄情者じゃないのよ!」
「おいリディアそんな女放っておけよ。本人がそう言ってんだからよぉ」
「うるさいジャンは黙ってて!」
地面に座り込んだデイジーの右脚を掴むリディアと、そんなリディアの髪を引っ掴んでギャーギャー怒るデイジー。言い合う当人たちはそこまで険悪ではないのだが、「下賤」とまで言われたジャンやミーナの表情はよくないし、デイジーの班員はリディアに対して嫌悪感剥き出しだった。
どうしたものかね。
大声でぎゃんぎゃん言い合っているせいで、俺たちが近づく足音も聞こえていないらしい。
はらはらと様子を見守っていたミーナがロロフィリカに気づいた。と同時に俺のことも見て、絶望的な表情になる。
おいミーナ、いま「事態を余計にややこしくしそうなやつが来てしまった」って思っただろ。顔に出てるぞ。
腕組みをして傍らの木に凭れかかったまま眺めていると、まず俺に気づいたのはジャンだった。
「……ニコラ・ロウ……!」
まるで親の仇でも見るかのようだ。
続いてリディアがこっちを振り返り、複雑そうな表情になる。
「……これは何かな? そこのヘッポコ爆発魔が、デイジー嬢の脚を掴んでいかがわしいことでもしているのかな?」
「誤解よ!!」「誤解ですわ!!」
息ぴったり。
「そうかい。それじゃそこの、初対面の僕の胸倉を掴んだ喧嘩っ早いジャンくんが、デイジー嬢を突き飛ばして怪我でもさせたのかな?」
「それは誤解ではないわ! うちのジャンが悪かったわ!!」
「謝っただろーが!!」
大声で肯定したのはリディアだ。そんなこったろーと思ったぜ。思わず本気で大きな溜め息をついてしまった。
飲み物や採集用のナイフを入れていたサコッシュをトラクに預けて、俺はデイジーの傍にしゃがむ。
身内のジャンが原因で、それでなくともこんな森のなかに負傷者を放っておけない、リディアのその良心は純粋な美徳だ。
だがデイジーもデイジーで、自分が散々見下している只人に治療されるのも、それこそ貴族の自分が市民から施しを受けるのも我慢ならない。それもまた矜持なのだ。自分は貴族として市民たちに恩恵を与える側だと教育されてきたからこそ。
「……ま、一応同じ貴族の子女としても、下賤は言い過ぎだと思うけどね」
デイジーはばつが悪そうに目を逸らす。
至って普通の感性として只人を見下すこのお嬢さまの価値観でも、過ぎた発言だったことは羞じているらしい。
この世界の根深い差別として恐らく、リディアとアデルを只人と莫迦にすることは気が咎めないのだろうけれど。
「痛めたのは足首?」
「右足首と右手首よ」と答えたのはリディアだ。
突き飛ばされた拍子に足首を捻って、地面に尻餅をついたついでに右手首も痛めた、そんなとこかな。発煙筒を焚いて救助してもらうほどの怪我でもないだろうし。
「ロロフィリカ、悪いけどここで帰還だ。いいね」
先程もう少し奥まで行きたいと主張したロロフィリカは、戸惑いつつも「りょーかい」とうなずいた。
「何があったにせよ女性に手を上げるような下衆にも、そこのひょろひょろ黒縁眼鏡にも任せられない。デイジーを連れて薬草園まで戻る」
「誰が下衆だ誰が」
「貴様以外に誰がいる」
「アデルはひょろひょろじゃないもん!」
「黙ってろ爆発魔。言っておくが、とっとときみがバルバディア生に相応しい魔術の技量を身につければ防げるトラブルがごまんとあるんだからね」
「どーもすみませんでしたっ!!」
しっしっと追い払うように手を振ると、リディアはムッとした様子で立ち上がった。そのままアデルの横にぴったり張りついて、べーっとガキみたいに舌を出している。「ひょろひょろに反論しなくていいから」と呆れ顔のアデルにぺちんと叩かれていたが。
これがもし小説の展開と重なるトラブルだったなら、この程度で済んだだけまあマシか。
デイジーを背負おうと屈むと、こっちを見ていたトラクと目が合った。
焦りや葛藤が色濃く浮かんだ、琥珀色の双眸と。
「……トラク?」
「ニコラ、──だめだ」
「だめって、何が」
「置いて帰ろう」
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