ニコラ・ロウの華麗なる悪役生活

天乃律

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第七章 薬草学フィールドワーク

第8話 薬草学FW(4):黄金の右拳再び

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「……トラク?」
「ニコラ、──だめだ」
「だめって、何が」

「置いて帰ろう。彼女には彼女の班員がいるんだから、肩を借りれば歩けないこともないだろ。婚約者のいるきみがするべきことではない」

「……はあぁぁっ!?」

 いきなり何を言いだすんだコイツは。

「大体、自業自得だろ。普段から執拗にリディアやアデルを見下して罵倒する自分の行いが、この程度の怪我になって自分に返ってきただけだ。勿論ニコラの言う通り、手を上げたジャンには任せられない、ただでさえ足場の悪い森のなかを右脚の不自由なアデルに背負わせることもできない」

 やめろやめろやめろ!
 俺がさもアデルの右脚を気遣ってあんな言い方したみたいな感じになるだろ!!

「下賤な民である俺にも触られたくはないだろうけど、だからってエウフェーミアさんのいるニコラが彼女の目の前で他の女性を背負うのも、看過できないよ俺は」

 切羽詰まった表情で捲し立てるトラクに困りきって、俺はエウを見た。確かに婚約者がいる身で配慮は足りなかったかもしれないが、ここで負傷者を森に置いていくほうが人道に悖るような気がする。
 一方のエウは、トラクと俺とを交互に見つめて最早泣きそうになっていた。

 まさかここでトラクと意見が割れるとは。
 後ろにいたデイジーや取り巻き女子たちも、普段へらへらしているトラクが強い拒否感を示したことにびっくり仰天しているらしい。

 結局、先に決断したのはデイジーだった。

「……そこの人の言う通りですわね」
「デイジー、無理して立つと悪化する」
「医務室で薬をもらえばすぐに治ります。ヒルダ、手を貸して頂戴」

 班員の一人の手に縋りながら立ち上がるデイジーだが、明らかに顔色が悪い。いくら地図を見れば帰り道が解るからって、森のなかをこの状態で歩かせるなんて無茶だぞ。
 かといって本人が歩くと言うものを、強引に背負うのもよくないし。

 なんだかなぁと首を傾げると、トラクはきびすを返したところだった。

「おい、トラク!」
「さっさと戻ろう、ニコラ。エウフェーミアさんも」

 エウの前でデイジーを背負うなと言った張本人がエウの肩を抱いている。そんなにデイジーを見捨ててとっとと帰りたいか、気に喰わん、気に喰わんぞ。帰ったら話し合いだな。

 結局、意見が割れた俺たちを最後まで見守っていたリディア班に視線をやる。
 お人好し爆発魔は心配そうな顔でトラクや俺やデイジーをきょろきょろしていた。しょうがねぇなぁアイツも。

「デイジーのことはあとで見ておくから、さっさと行け」
「……あんたはいいの? トラクとけんかみたいになってるけど」
「帰ったら話すさ。きみの気にすることじゃあない」

 まだ立ち止まっている俺を振り返ったトラクが顔を顰める。
 何にそんなに怒っているんだか、あいつは。


「……ニコラ!!」


 これまでにないほど切迫したトラクの悲鳴みたいな声を聞いて、真っ蒼になった表情を確認したとき、ざりっと首の後ろを舌で舐められたような気がして振り返った。



 実際にはそこまでの距離ではなかったが、俺の背後に確かにはいた。



 息を潜めていた樹上から軽やかに降り立った体勢で、一つの体から伸びる二つの頭を低くうつむけた、黒い狼のような魔物が。



「──悲鳴を上げるな!」

 デイジーの取り巻きが真っ先に口を開けたのが見えたので一喝した。
 両手で口を押さえた班員たちがガタガタ震えながらうなずく。魔物との遭遇時、パニックになって悲鳴を上げることで相手を刺激すると攻撃の対象にされやすい。アンジェラ先生の魔法生物学で教わった。

 四本の脚で深奥の森の大地を深く踏みしめた双頭の魔物は、俺とデイジーから五メートルほど離れた辺りで姿勢を低くする。澱んだ赫い眼光。軽く開いた口から覗く太い牙、逆立った黒い毛、一裂き受ければ致命傷になりそうな爪。
 額から突き出す捻れたツノは魔物の上位種の証。

 ──双頭あるいは三本足は、悪魔の化身か魔王軍の使い魔。


 だったか……!


 右側の頭がリディアを見た。アデルと互いに庇い合うように立っている。
 左側の頭がデイジーを見て、俺を見た。視線が合う。殺気がこちら側に流れてきた。

「……デイジーとヒルダはまだ動くな。残りの二人はゆっくり、静かに後退しろ。リディアとアデルはそのままじっとしていろ。ミーナは下がれ。発煙筒を持っているなら離れたところですぐに上げろ」

 魔物と睨み合ったまま静かに指示を出すと、足音がいくつか、ゆっくりと後退していく。
 少ない動きでアデルが発煙筒をカバンから取り出し、後ろ手でミーナに渡した。俺の班の発煙筒はロロフィリカが持っているから、トラクたち三人にも逃げてもらうとして、問題は。

「……ニコラ、ごめんなさい。わたくし走れませんわ」
「わかってる。ジャンくんは腰を抜かしていないかい?」
「ピンピンしとるわ帰ったら覚えとけよ坊ちゃんゴラ」

 元気そうだな。さすが主人公組。

 魔物から目を逸らさず、一歩、踏み出す。ぴくりと耳が反応したが即座に飛びかかってくる様子はない。ぐるぐると唸り声を上げながら睨んでいる。
 もう一歩、二歩、三歩──俺の背後にデイジーがくるように調整した。あっどうしよう、これは真っ先に俺がやられるやつ。自分でやっておいて何だけど。

 でも仕方ねぇ、一番頑丈なのは俺だろうし。

「デイジーを抱えてヒルダと三人で逃げろ。ピンピンしてるならできるよな?」
「……アデルはどうすンだ」
「いざとなったらリディアが抱えて逃げるさ」

「頑張る!」とリディアから返事が飛んできた。こんなときでも前向きなのはいいことだ。

 チッと舌打ちを零したジャンが静かに動いた。同時に右側の頭と目が合っているリディアが、気を逸らすように体を動かす。
 双頭の魔物との対峙で最も効果的なのは、複数人で動くこと。
 頭が二つあっても体は一つだから、どっちを狙うか決めかねさせることだ。

「トラク。二人を頼む」
「……勝算が?」

 俺は人間相手のケンカなら程々に強い自信があるんだが、犬相手にケンカしたことはないんだよな。
 さてどうしたものかなぁ。

「ないが、まあ、エウフェーミアに怪我させたら殺す」
「ニコ……」

 エウがか細い声を上げた、瞬間、犬の二つの頭が勢いよくぐるんと彼女を見た。
 俺たちの反応よりも疾く、地面を蹴って姿を消す。

「──なんで!?」

 リディアの悲鳴がやけに印象に残った。
 そうだ、だって、なんで。一番近い場所に立っていた俺でも、恐らく魔王軍に目をつけられているはずの主人公たちでも、あきらかに動きの鈍いデイジーたちでもなく。


 なぜエウフェーミアを。


「エウフェーミア!!」

「風の神エレノア!!」

 トラクの杖の一振りで起こったつむじ風が、魔物の一発目を弾いた。鳴きながら一回転して地面に着地する、その間に駆け寄ってエウを背中に庇う。トラクが横に立ち、真っ直ぐに杖を構えた。
 不幸中の幸いというか、いまの一瞬の間にジャンはデイジーを回収し、ヒルダとともに駆け出していた。ロロフィリカの足音も遠ざかっていく。攻撃力に乏しいリディアと脚の悪いアデルが魔物の視界から外れたのも、いいっちゃぁいい。

 代わりに俺たちが、完全に相手となるわけだが。

 体勢を立て直した魔物はなおもこちらを睨んだ。

「……エウ。立てるか?」
「た、たつ、立てる、ごめ……」

 エウの声は震えていた。無理もない。

「いいよ、わかった。隙見て担いで逃げるから、心の準備だけしてろ」
「ごめんなさい、ニコ、わたし……!」

 あいつ、エウフェーミアを狙っている。
 なんでここでエウなんだ。これはもとの小説で起きるイベントなのか。それならリディアたちが狙われそうなものなのに。大体なんでこんなとこに双頭の魔物なんかがいる。魔王軍の使い魔が、リディアたちを狙うならまだ解るが……、

 血の気が引いた。おい、待て。


 魔王軍の使い魔が、エウフェーミアを?


 一瞬気がそぞろになったことに目ざとく気づいた魔物が襲い掛かってきた。トラクが杖を構えるが、右の頭が火を噴く。間一髪避けたトラクの背後の樹々に引火した。怯むことなくこっちに向かってくる。

 どうしたらいい。火の魔法は森を燃やしちまう、水で吹っ飛ばすか、樹の魔法で捕まえればいいのか、どっちにしたって速さで負けてんだから追いつくわけねぇだろ、避けたら後ろのエウが殺される、なんだ、どうしたらいい。だから魔法って苦手なんだよ咄嗟の選択肢が多すぎんだよこんな混乱した頭で魔法が発動するわけねぇし!

「ああぁあぁっ、クソが!!」

 俺は杖を捨て、最も頼れる黄金の右拳を握りしめた。


 魔物だろうが犬だろうが何だろうがとりあえず急所は一緒。目か、喉。そうだろ、俺!!

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