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第七章 薬草学フィールドワーク
第9話 薬草学FW(5):双頭の魔物
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目を逸らさないまま振り抜いた拳が左側の頭を捉えた。目玉辺りを思いっきり殴りつけると嫌な感触が伝わってくる。ぎゃんっと吠えた左の頭の仇をとるように、右側が俺の右腕に思いっきり噛みついた。
牙が、皮膚と筋肉を突き破る。骨までいったかも。だが捉まえた!
「ニコラ!!」
「トラクこいつどうにかしてくれ!」
俺の右腕に深く牙を食い込ませた頭を地面に押しつけ、そのまま胴体の上に伸し掛かる。出鱈目に振り回された前脚の爪が右肩と左の脇腹を抉った。
「〈大地〉か〈樹木〉魔法使えるだろ、どうにかして捕まえろ! 痛ってぇなクソ……死んでも放さねーぞこのわんコロが!」
「どうにかってその状態じゃあニコラまでまとめて捕まえちゃうよ!」
「じゃあその麻袋の中身だ! 薬草!」
「トラク、どいて」
アデルが右脚を引きながらリディアとともに駆け寄ってきた。
トラクを突き飛ばし、目玉を潰されてクンクン哭いているほうの頭の口に手を突っ込む。
「……なにを喰わせた?」
「きみかげそう。……じき死ぬ。暴れるだろうから早く腕を抜いて」
今日の課題で採集した一種、きみかげそうは鈴の形をした白い花をつける多年草。
花も茎も葉も根も全部、毒。
そのまま食べたら即死する。
トラクが俺の腕に噛みついているほうの頭の口を抉じ開けにかかった。俺も無事な左手や足を使って、どうにかこうにか右腕を引き抜く。
それとほぼ同じくして、びくん、と魔物が痙攣した。
杖を構えたトラクと、触媒の小瓶を持ったアデルが前に出る。
地面に倒れ込んでいたエウが震えながら俺の服を握ったので、無事なほうの左腕で頭を抱きかかえた。エウに見せたいものじゃない。
駆け寄ってきたリディアがポシェットの中身を取り出す。前期の期末テストでもお世話になってしまった血止めの軟膏だった。……また持ってきてたのかよ。
「…………」
誰も、何も語らず、びくびくと震えながら泡を噴く魔物が息絶えるまで見張っていた。
長い数十秒だった。
休日の午前に上がった三本の発煙筒は、学院中に衝撃を与えた。
発煙筒イコール深奥の森での非常事態という意識が刷り込まれているらしい。薬草学の先生や、もしもの時のためにと助手がてら待機していた博士課程の院生、手の空いていた教員、はたまた上級生までもが駆けつけた。
中には兄貴とルウもいて、血だらけの俺を見て絶句していた。
「ニコ……一体何が!?」
「あー、話せば長いことながら……とにかく兄上、エウフェーミアをお願いします」
茫然と座り込んだまま、菫色の双眸からぼろぼろと涙を零しているエウは、俺が血のついた左手で撫でていたせいで血塗れなのだ。
俺とトラクは医務室に搬送され、他のメンバーは先生方に付き添われて校舎に戻った。
この世界には全く便利な魔法薬というものがある。
校医の先生とイルザーク先生が即座に薬を調合してくれたので、激マズのそれを飲んだら怪我自体はすぐに治った。無理やり骨や筋肉や血管や皮膚を修復していく感覚がなんとも気持ち悪かったのでもう二度と飲みたくない。
「魔物に噛まれた傷からは魔力が流れ込む」
弟子たちが襲われたというのに、イルザーク先生は俺のほうにつきっきりだ。
「魔力が抜けるまでは熱が続くだろう。しばらく医務室で療養しておけ」
「ええ……入院ということでしょうか」
「二、三日も唸ればすっきり治る。痕も残らぬ」
つまり二、三日入院とのことだった。
トラクのほうは軽い擦り傷と火傷だったので、塗り薬だけで解放され、先生方の事情聴取を受けたらしい。俺のほうはイルザーク先生に、魔物が現れた瞬間の対応から最後のアデルの判断まで、思い出せることを全て事細かに話した。
デイジーの捻挫もたいしたことはなかったらしい。
途中で兄貴が昼食の差し入れにきてくれた。さすがに大怪我だったのでロウ家にも連絡がいったようで、近く見舞いに誰か寄越されるとのことだった。
親父殿はどうせ来ないだろう。というか来られても困るから来なくていい。大人しく暁降ちの丘の警護についていてほしい。
昼食を胃に入れて、処方された魔力下しの薬を飲んだあとしばらくすると、イルザーク先生の言う通りに熱が上がりはじめた。
特にやることもないのでボケッとしていると、医務室の扉が開いて足音が近づいてきた。
ベッドの周りはカーテンで仕切られているが、足元がちょこっと見えている。
エウの靴だ。
「エウ? 入っておいで」
声をかけたが動きがない。
なんだと首を傾げた頃、ようやくカーテンの隙間からエウが顔を出した。目が真っ赤になっている。ひっでぇ顔だな、どんだけ泣いたんだ。
「エウ、杖があるなら防音魔法をかけてくれ」
「防音魔法……?」
「そう。“静寂の女神ユーフィリア、沈黙の帳を与えたまえかし”」
魔物の魔力が雑ざっている間は魔法を使ってはいけないとイルザーク先生に言われている。双頭の狼は冥界の魔物であるため、現在の俺の雑じりものの魔力は、天界の領域である精霊や神々には毒となるのだそうだ。
エウフェーミアはベストの内ポケットから杖を取り出した。
「“いと慈悲深き、静寂の女神ユーフィリア”……。“沈黙の帳を与えたまえかし”……」
謡うような祈詞が丁寧に紡がれる。
目に見えないユーフィリアの帳が、俺のベッド周辺に音もなく降り注いだ気配がした。
エウの魔法は完璧だった。
美しく透きとおる菫色の双眸に相応しい、最高純度の──
……そして、その小さな体にはあまりにも荷が重い、莫大な魔力のために。
エウはベッドの傍らの椅子に腰掛けて、手に提げていたバスケットを差し出してきた。軽く摘まめる果物におやつ、魔法瓶に入った飲み物、暇つぶしの本まで持ってきてくれたようだ。これは助かる。
「ごめんなさい……、ニコ」
「それさっきも腐るほど聞いた。謝るなって言ってんだろ」
「餓えた魔物は魔力の値の大きなものから択ぶからと、イルザーク先生や、アンジェラ先生が。わたしが、どんくさくって、腰が抜けたせいで、ニコがあんな」
いや、エウが若干どんくさいのは解ってたことだから。
……と正直に口に出すほど俺も阿呆ではないので、落ち込むエウの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわす。
「エウに怪我がなかったから、いいよ」
すると、エウは涙を散らしながら勢いよく顔を上げた。
「ニコラのばか!!」
「おおう」
「ばか! ばかばかっ」
兄貴もそうだったけど、育ちが上品すぎて「ばか」以外の罵倒を知らないんだよなこのお嬢さまは。
あんなに泣いていたのにまだ出てくるか、涙。ぽろぽろと零れる宝石のような滴を拭いもせず、エウは俺の首に勢いよく抱きついてきた。
……えっ?
抱きついてきた?
いーのかこれ抱き返しても。犯罪? 犯罪にならない?
なるわけないか。一応ニコラ十五歳だし婚約者だし……。いやでも正面からのハグはなんだか罪悪感が……。よこしまな気持ちもいかがわしい意図も全然ないんだけど、なんかこう……ええいままよ!
エウフェーミアの華奢な体に手を回して、よっこいせ、と膝の上に抱き上げる。小さい子どもをあやすような気持ちでぽんぽんと頭や背中を撫でつつ、俺は天井を仰いだ。
なんとなく、天国のおかーさまごめんなさい他意はないです、と金髪美女に懺悔していた。
「狙われたのは、わたし」
その一言には色々な感情が籠められていたと思う。
先生たちはエウの事情をどこまで知っているのだろう。餓えた魔物は……なんて尤もらしい説明だが、狙われた当人にはそんな単純な話で折り合いがつくような出来事ではないのだ。
エウがまだエウフェーミア・エルトンという名前だった頃。
エルトン夫妻とエルトン家に勤める使用人は、当時六歳だったエウの魔力を狙う不逞の輩に襲撃を受け、エウを守って死んだ。
二度目の襲撃では姉を喪った。親父殿は野盗に襲われたと俺に説明したが、恐らくこれもエウを狙ったものだったに違いない。
牙が、皮膚と筋肉を突き破る。骨までいったかも。だが捉まえた!
「ニコラ!!」
「トラクこいつどうにかしてくれ!」
俺の右腕に深く牙を食い込ませた頭を地面に押しつけ、そのまま胴体の上に伸し掛かる。出鱈目に振り回された前脚の爪が右肩と左の脇腹を抉った。
「〈大地〉か〈樹木〉魔法使えるだろ、どうにかして捕まえろ! 痛ってぇなクソ……死んでも放さねーぞこのわんコロが!」
「どうにかってその状態じゃあニコラまでまとめて捕まえちゃうよ!」
「じゃあその麻袋の中身だ! 薬草!」
「トラク、どいて」
アデルが右脚を引きながらリディアとともに駆け寄ってきた。
トラクを突き飛ばし、目玉を潰されてクンクン哭いているほうの頭の口に手を突っ込む。
「……なにを喰わせた?」
「きみかげそう。……じき死ぬ。暴れるだろうから早く腕を抜いて」
今日の課題で採集した一種、きみかげそうは鈴の形をした白い花をつける多年草。
花も茎も葉も根も全部、毒。
そのまま食べたら即死する。
トラクが俺の腕に噛みついているほうの頭の口を抉じ開けにかかった。俺も無事な左手や足を使って、どうにかこうにか右腕を引き抜く。
それとほぼ同じくして、びくん、と魔物が痙攣した。
杖を構えたトラクと、触媒の小瓶を持ったアデルが前に出る。
地面に倒れ込んでいたエウが震えながら俺の服を握ったので、無事なほうの左腕で頭を抱きかかえた。エウに見せたいものじゃない。
駆け寄ってきたリディアがポシェットの中身を取り出す。前期の期末テストでもお世話になってしまった血止めの軟膏だった。……また持ってきてたのかよ。
「…………」
誰も、何も語らず、びくびくと震えながら泡を噴く魔物が息絶えるまで見張っていた。
長い数十秒だった。
休日の午前に上がった三本の発煙筒は、学院中に衝撃を与えた。
発煙筒イコール深奥の森での非常事態という意識が刷り込まれているらしい。薬草学の先生や、もしもの時のためにと助手がてら待機していた博士課程の院生、手の空いていた教員、はたまた上級生までもが駆けつけた。
中には兄貴とルウもいて、血だらけの俺を見て絶句していた。
「ニコ……一体何が!?」
「あー、話せば長いことながら……とにかく兄上、エウフェーミアをお願いします」
茫然と座り込んだまま、菫色の双眸からぼろぼろと涙を零しているエウは、俺が血のついた左手で撫でていたせいで血塗れなのだ。
俺とトラクは医務室に搬送され、他のメンバーは先生方に付き添われて校舎に戻った。
この世界には全く便利な魔法薬というものがある。
校医の先生とイルザーク先生が即座に薬を調合してくれたので、激マズのそれを飲んだら怪我自体はすぐに治った。無理やり骨や筋肉や血管や皮膚を修復していく感覚がなんとも気持ち悪かったのでもう二度と飲みたくない。
「魔物に噛まれた傷からは魔力が流れ込む」
弟子たちが襲われたというのに、イルザーク先生は俺のほうにつきっきりだ。
「魔力が抜けるまでは熱が続くだろう。しばらく医務室で療養しておけ」
「ええ……入院ということでしょうか」
「二、三日も唸ればすっきり治る。痕も残らぬ」
つまり二、三日入院とのことだった。
トラクのほうは軽い擦り傷と火傷だったので、塗り薬だけで解放され、先生方の事情聴取を受けたらしい。俺のほうはイルザーク先生に、魔物が現れた瞬間の対応から最後のアデルの判断まで、思い出せることを全て事細かに話した。
デイジーの捻挫もたいしたことはなかったらしい。
途中で兄貴が昼食の差し入れにきてくれた。さすがに大怪我だったのでロウ家にも連絡がいったようで、近く見舞いに誰か寄越されるとのことだった。
親父殿はどうせ来ないだろう。というか来られても困るから来なくていい。大人しく暁降ちの丘の警護についていてほしい。
昼食を胃に入れて、処方された魔力下しの薬を飲んだあとしばらくすると、イルザーク先生の言う通りに熱が上がりはじめた。
特にやることもないのでボケッとしていると、医務室の扉が開いて足音が近づいてきた。
ベッドの周りはカーテンで仕切られているが、足元がちょこっと見えている。
エウの靴だ。
「エウ? 入っておいで」
声をかけたが動きがない。
なんだと首を傾げた頃、ようやくカーテンの隙間からエウが顔を出した。目が真っ赤になっている。ひっでぇ顔だな、どんだけ泣いたんだ。
「エウ、杖があるなら防音魔法をかけてくれ」
「防音魔法……?」
「そう。“静寂の女神ユーフィリア、沈黙の帳を与えたまえかし”」
魔物の魔力が雑ざっている間は魔法を使ってはいけないとイルザーク先生に言われている。双頭の狼は冥界の魔物であるため、現在の俺の雑じりものの魔力は、天界の領域である精霊や神々には毒となるのだそうだ。
エウフェーミアはベストの内ポケットから杖を取り出した。
「“いと慈悲深き、静寂の女神ユーフィリア”……。“沈黙の帳を与えたまえかし”……」
謡うような祈詞が丁寧に紡がれる。
目に見えないユーフィリアの帳が、俺のベッド周辺に音もなく降り注いだ気配がした。
エウの魔法は完璧だった。
美しく透きとおる菫色の双眸に相応しい、最高純度の──
……そして、その小さな体にはあまりにも荷が重い、莫大な魔力のために。
エウはベッドの傍らの椅子に腰掛けて、手に提げていたバスケットを差し出してきた。軽く摘まめる果物におやつ、魔法瓶に入った飲み物、暇つぶしの本まで持ってきてくれたようだ。これは助かる。
「ごめんなさい……、ニコ」
「それさっきも腐るほど聞いた。謝るなって言ってんだろ」
「餓えた魔物は魔力の値の大きなものから択ぶからと、イルザーク先生や、アンジェラ先生が。わたしが、どんくさくって、腰が抜けたせいで、ニコがあんな」
いや、エウが若干どんくさいのは解ってたことだから。
……と正直に口に出すほど俺も阿呆ではないので、落ち込むエウの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわす。
「エウに怪我がなかったから、いいよ」
すると、エウは涙を散らしながら勢いよく顔を上げた。
「ニコラのばか!!」
「おおう」
「ばか! ばかばかっ」
兄貴もそうだったけど、育ちが上品すぎて「ばか」以外の罵倒を知らないんだよなこのお嬢さまは。
あんなに泣いていたのにまだ出てくるか、涙。ぽろぽろと零れる宝石のような滴を拭いもせず、エウは俺の首に勢いよく抱きついてきた。
……えっ?
抱きついてきた?
いーのかこれ抱き返しても。犯罪? 犯罪にならない?
なるわけないか。一応ニコラ十五歳だし婚約者だし……。いやでも正面からのハグはなんだか罪悪感が……。よこしまな気持ちもいかがわしい意図も全然ないんだけど、なんかこう……ええいままよ!
エウフェーミアの華奢な体に手を回して、よっこいせ、と膝の上に抱き上げる。小さい子どもをあやすような気持ちでぽんぽんと頭や背中を撫でつつ、俺は天井を仰いだ。
なんとなく、天国のおかーさまごめんなさい他意はないです、と金髪美女に懺悔していた。
「狙われたのは、わたし」
その一言には色々な感情が籠められていたと思う。
先生たちはエウの事情をどこまで知っているのだろう。餓えた魔物は……なんて尤もらしい説明だが、狙われた当人にはそんな単純な話で折り合いがつくような出来事ではないのだ。
エウがまだエウフェーミア・エルトンという名前だった頃。
エルトン夫妻とエルトン家に勤める使用人は、当時六歳だったエウの魔力を狙う不逞の輩に襲撃を受け、エウを守って死んだ。
二度目の襲撃では姉を喪った。親父殿は野盗に襲われたと俺に説明したが、恐らくこれもエウを狙ったものだったに違いない。
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