ニコラ・ロウの華麗なる悪役生活

天乃律

文字の大きさ
83 / 138
第七章 薬草学フィールドワーク

第9話 薬草学FW(5):双頭の魔物

しおりを挟む
 目を逸らさないまま振り抜いた拳が左側の頭を捉えた。目玉辺りを思いっきり殴りつけると嫌な感触が伝わってくる。ぎゃんっと吠えた左の頭の仇をとるように、右側が俺の右腕に思いっきり噛みついた。
 牙が、皮膚と筋肉を突き破る。骨までいったかも。だが捉まえた!

「ニコラ!!」
「トラクこいつどうにかしてくれ!」

 俺の右腕に深く牙を食い込ませた頭を地面に押しつけ、そのまま胴体の上に伸し掛かる。出鱈目に振り回された前脚の爪が右肩と左の脇腹を抉った。

「〈大地〉か〈樹木〉魔法使えるだろ、どうにかして捕まえろ! 痛ってぇなクソ……死んでも放さねーぞこのわんコロが!」
「どうにかってその状態じゃあニコラまでまとめて捕まえちゃうよ!」
「じゃあその麻袋の中身だ! 薬草!」

「トラク、どいて」

 アデルが右脚を引きながらリディアとともに駆け寄ってきた。
 トラクを突き飛ばし、目玉を潰されてクンクン哭いているほうの頭の口に手を突っ込む。

「……なにを喰わせた?」
「きみかげそう。……じき死ぬ。暴れるだろうから早く腕を抜いて」

 今日の課題で採集した一種、きみかげそうは鈴の形をした白い花をつける多年草。
 花も茎も葉も根も全部、毒。

 そのまま食べたら即死する。

 トラクが俺の腕に噛みついているほうの頭の口を抉じ開けにかかった。俺も無事な左手や足を使って、どうにかこうにか右腕を引き抜く。
 それとほぼ同じくして、びくん、と魔物が痙攣した。

 杖を構えたトラクと、触媒の小瓶を持ったアデルが前に出る。
 地面に倒れ込んでいたエウが震えながら俺の服を握ったので、無事なほうの左腕で頭を抱きかかえた。エウに見せたいものじゃない。
 駆け寄ってきたリディアがポシェットの中身を取り出す。前期の期末テストでもお世話になってしまった血止めの軟膏だった。……また持ってきてたのかよ。

「…………」

 誰も、何も語らず、びくびくと震えながら泡を噴く魔物が息絶えるまで見張っていた。


 長い数十秒だった。




 休日の午前に上がった三本の発煙筒は、学院中に衝撃を与えた。
 発煙筒イコール深奥の森での非常事態という意識が刷り込まれているらしい。薬草学の先生や、もしもの時のためにと助手がてら待機していた博士課程の院生、手の空いていた教員、はたまた上級生までもが駆けつけた。
 中には兄貴とルウもいて、血だらけの俺を見て絶句していた。

「ニコ……一体何が!?」
「あー、話せば長いことながら……とにかく兄上、エウフェーミアをお願いします」

 茫然と座り込んだまま、菫色の双眸からぼろぼろと涙を零しているエウは、俺が血のついた左手で撫でていたせいで血塗れなのだ。

 俺とトラクは医務室に搬送され、他のメンバーは先生方に付き添われて校舎に戻った。

 この世界には全く便利な魔法薬というものがある。
 校医の先生とイルザーク先生が即座に薬を調合してくれたので、激マズのそれを飲んだら怪我自体はすぐに治った。無理やり骨や筋肉や血管や皮膚を修復していく感覚がなんとも気持ち悪かったのでもう二度と飲みたくない。

「魔物に噛まれた傷からは魔力が流れ込む」

 弟子たちが襲われたというのに、イルザーク先生は俺のほうにつきっきりだ。

「魔力が抜けるまでは熱が続くだろう。しばらく医務室で療養しておけ」
「ええ……入院ということでしょうか」
「二、三日も唸ればすっきり治る。痕も残らぬ」

 つまり二、三日入院とのことだった。

 トラクのほうは軽い擦り傷と火傷だったので、塗り薬だけで解放され、先生方の事情聴取を受けたらしい。俺のほうはイルザーク先生に、魔物が現れた瞬間の対応から最後のアデルの判断まで、思い出せることを全て事細かに話した。
 デイジーの捻挫もたいしたことはなかったらしい。

 途中で兄貴が昼食の差し入れにきてくれた。さすがに大怪我だったのでロウ家にも連絡がいったようで、近く見舞いに誰か寄越されるとのことだった。
 親父殿はどうせ来ないだろう。というか来られても困るから来なくていい。大人しく暁降ちの丘の警護についていてほしい。

 昼食を胃に入れて、処方された魔力下しの薬を飲んだあとしばらくすると、イルザーク先生の言う通りに熱が上がりはじめた。

 特にやることもないのでボケッとしていると、医務室の扉が開いて足音が近づいてきた。
 ベッドの周りはカーテンで仕切られているが、足元がちょこっと見えている。
 エウの靴だ。

「エウ? 入っておいで」

 声をかけたが動きがない。
 なんだと首を傾げた頃、ようやくカーテンの隙間からエウが顔を出した。目が真っ赤になっている。ひっでぇ顔だな、どんだけ泣いたんだ。

「エウ、杖があるなら防音魔法をかけてくれ」
「防音魔法……?」
「そう。“静寂の女神ユーフィリア、沈黙の帳を与えたまえかし”」

 魔物の魔力が雑ざっている間は魔法を使ってはいけないとイルザーク先生に言われている。双頭の狼は冥界の魔物であるため、現在の俺の雑じりものの魔力は、天界の領域である精霊や神々には毒となるのだそうだ。
 エウフェーミアはベストの内ポケットから杖を取り出した。

「“いと慈悲深き、静寂の女神ユーフィリア”……。“沈黙の帳を与えたまえかし”……」

 謡うような祈詞が丁寧に紡がれる。
 目に見えないユーフィリアの帳が、俺のベッド周辺に音もなく降り注いだ気配がした。

 エウの魔法は完璧だった。
 美しく透きとおる菫色の双眸に相応しい、最高純度の──


 ……そして、その小さな体にはあまりにも荷が重い、莫大な魔力のために。


 エウはベッドの傍らの椅子に腰掛けて、手に提げていたバスケットを差し出してきた。軽く摘まめる果物におやつ、魔法瓶に入った飲み物、暇つぶしの本まで持ってきてくれたようだ。これは助かる。

「ごめんなさい……、ニコ」

「それさっきも腐るほど聞いた。謝るなって言ってんだろ」

「餓えた魔物は魔力の値の大きなものから択ぶからと、イルザーク先生や、アンジェラ先生が。わたしが、どんくさくって、腰が抜けたせいで、ニコがあんな」

 いや、エウが若干どんくさいのは解ってたことだから。
 ……と正直に口に出すほど俺も阿呆ではないので、落ち込むエウの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわす。

「エウに怪我がなかったから、いいよ」

 すると、エウは涙を散らしながら勢いよく顔を上げた。

「ニコラのばか!!」
「おおう」
「ばか! ばかばかっ」

 兄貴もそうだったけど、育ちが上品すぎて「ばか」以外の罵倒を知らないんだよなこのお嬢さまは。
 あんなに泣いていたのにまだ出てくるか、涙。ぽろぽろと零れる宝石のような滴を拭いもせず、エウは俺の首に勢いよく抱きついてきた。


 ……えっ?
 抱きついてきた?


 いーのかこれ抱き返しても。犯罪? 犯罪にならない?
 なるわけないか。一応ニコラ十五歳だし婚約者だし……。いやでも正面からのハグはなんだか罪悪感が……。よこしまな気持ちもいかがわしい意図も全然ないんだけど、なんかこう……ええいままよ!

 エウフェーミアの華奢な体に手を回して、よっこいせ、と膝の上に抱き上げる。小さい子どもをあやすような気持ちでぽんぽんと頭や背中を撫でつつ、俺は天井を仰いだ。

 なんとなく、天国のおかーさまごめんなさい他意はないです、と金髪美女に懺悔していた。


「狙われたのは、わたし」


 その一言には色々な感情が籠められていたと思う。
 先生たちはエウの事情をどこまで知っているのだろう。餓えた魔物は……なんて尤もらしい説明だが、狙われた当人にはそんな単純な話で折り合いがつくような出来事ではないのだ。

 エウがまだエウフェーミア・エルトンという名前だった頃。

 エルトン夫妻とエルトン家に勤める使用人は、当時六歳だったエウの魔力を狙う不逞の輩に襲撃を受け、エウを守って死んだ。
 二度目の襲撃では姉を喪った。親父殿は野盗に襲われたと俺に説明したが、恐らくこれもエウを狙ったものだったに違いない。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

社畜サラリーマン、異世界でパンと魔法の経営革命

遊鷹太
ファンタジー
過労死寸前の30代サラリーマン・佐藤健は、気づけば中世ヨーロッパ風の異世界に転生していた。与えられたのは「発酵魔法」という謎のスキルと、前世の経営知識。転生先は辺境の寒村ベルガルド――飢えと貧困にあえぐ、希望のない場所。「この世界にパンがない…だと?」健は決意する。美味しいパンで、人々を笑顔にしよう。ブラック企業で培った根性と、発酵魔法の可能性。そして何より、人を幸せにしたいという純粋な想い。小さなパン屋から始まった"食の革命"は、やがて王国を、大陸を、世界を変えていく――。笑いあり、涙あり、そして温かい人間ドラマ。仲間たちとの絆、恋の芽生え、強大な敵との戦い。パン一つで世界を救う、心温まる異世界経営ファンタジー。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

【完結】憧れのスローライフを異世界で?

さくらもち
ファンタジー
アラフォー独身女子 雪菜は最近ではネット小説しか楽しみが無い寂しく会社と自宅を往復するだけの生活をしていたが、仕事中に突然目眩がして気がつくと転生したようで幼女だった。 日々成長しつつネット小説テンプレキターと転生先でのんびりスローライフをするための地盤堅めに邁進する。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

【完結】子爵令嬢の秘密

りまり
恋愛
私は記憶があるまま転生しました。 転生先は子爵令嬢です。 魔力もそこそこありますので記憶をもとに頑張りたいです。

処理中です...