雲の上のシャボン玉

雨宮ノリオ

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 シャボン玉は思わず「おーい」と呼んでみました。とは言ってもシャボン玉の声はとても小さかったので、届いたとは思えませんでしたが。偶然向こうもこっちに目を止めたようで、進む方向を転換して近づいて来ました。鳥はシャボン玉とくらべると、信じられないようなスピードでした。
「何だい君は? 」
 鳥はぐるぐるとすごいスピードでシャボン玉の周囲を回って飛びながら聞いてきました。
 シャボン玉は目が回りそうになりながら、自己紹介の言葉を捜します。でも自分が何なのか分からないので、生れた時のことを説明するしかないのでした。
「僕は、・・・・・・人間の女の子が息を吹き込んだ棒の穴の中から生まれて来たんです。気がついたらここまで浮いてきていました」
「ふうん・・・・・・」
 スマートな鳥はシャボン玉の言うことが分からなかったようです。その鳥は渡り鳥でしたので、そう長く人のそばにいる訳ではなく、人間がシャボン玉を吹くところを見る機会が無かったのです。
 何のイメージも湧かないようで、「ぼくはツバメだよ」とぶっきらぼうに名乗ると、もう興味が無くなったようでした。「悪いけど君は食べ物にはならないようだし、それに動くのが遅すぎて一緒にいるのは大変だよ。じゃあね。ぼくは子供のために虫を捕まえなくちゃならないから」
 ツバメは来た時と同じようにピューッとすごいスピードで羽を翻して去って行きました。
「せっかく会えたのに・・・・・・」
 シャボン玉はあまり話ができなかったのが残念でした。また一人になってふわふわ浮かんで上昇して行きます。また寂しさが湧いてきましたが、今度はその思いはすぐに破られました。
 少しすると今度は後ろから「ガアッ」と大きな声がして、真っ黒な大きな鳥が近ずいて来たのです。バサバサとせわしなく羽を動かして、さっきのツバメとは大違いの騒々しいやつでした。
「何だお前は。ここはオレ様の縄張りだぞ」
 そう言ってきたのはもちろんカラスで、近くに寄られると羽の風圧だけでシャボン玉の体は歪んで割れてしまいそうになります。
 まだ生まれて間もないシャボン玉は、初めての乱暴な相手にどうしたらいいか分かりませんでした。黙っていると、カラスは一人で合点して、
「あっ、お前は人間が作るシャボン玉っていう奴だな。女の子が吹いてるのを見たことあるぞ」
「僕はシャボン玉って言うんですか」
 シャボン玉はカラスが怖かったですが、自分の名前が分かってほんのちょっとだけ嬉しかったのです。
「自分の名前も知らねえのか。馬鹿だなカア。まあそれはどうでもいい。縄張りから出て行け」
 シャボン玉には縄張りという言葉の意味が分かりません。なので思わず、
「ナワバリって何ですか」
 と聞いてしまうとカラスは怒って、
「ふざけるな。早く出て行け。食っちまうぞ。カアッカアッ」
 そう言われても気流の上に浮かんでいるだけのシャボン玉には早く移動することなどできません。
 どうすることもできず、困ってしまって縮みあがるばかりです。カラスはそんなシャボン玉の体をつつこうとしました。おっかなびっくり「危険は無いだろうな」というように軽く触れる感じで太いくちばしを突き出します。
 実を言うと、カラスもシャボン玉は遠くからしか見たことがなかったので、直接触れるのは怖かったのです。何しろ巨大な飛行機まで空に飛ばす人間の作ったものですから、思いもかけず大爆発でもしたらどうしようと用心したのでした。
 カラスはほんのちょっとつついただけでしたが、それでもくちばしの先が触れるとシャボン玉の全身には電流のような痛みが走りました。膜の表面がさざ波だって裂けてしまいそうです。シャボン玉は生れてすぐに割れて消えてしまった兄弟たちを思い浮かべました。僕もあんな風に割れてしまうのか。他の兄弟にくらべれば生きた方だけれど、短い命だった。
 カラスはどうやら危険は無いと分かると、カアッと嬉しそうに一鳴きしました。そして本気でくちばしの突きを入れようと構えます。
 その時です。突然そのカラスの態勢が大きく崩れました。上空から大きな鳥が急降下してきて来て、鋭い爪の一撃をくわえようとしているのに気づいたのです。
 カラスは悲鳴をあげて逃げ、あやうく攻撃をかわしました。
「お前こそここから出て行った方がいいんじゃないか。低い空ならともかく、この高さは私の縄張りなんだよ」
 急降下して来たのはグライダーのような立派な羽を持つタカでした。降下する時には短くたたんでいた羽を大きく拡げて急停止すると、堂々とそう宣言したのです。
 カラスはシャボン玉を追っているうちに、タカの縄張りの高度まで上昇してしまっていたようです。
 いくらずうずうしいカラスでも、さすがにタカにはかないません。カラスは悔しそうにカアッと一鳴きすると、じたばたと羽をはばたかせて下方へと逃げ去って行きました。
 後にはタカとシャボン玉だけが残りました。
「あの」何か言わないといけない気がして、シャボン玉は話しかけます。「助けてくれてありがとう」
「感謝なんかする必要は無いよ。あのカラスの奴は虫が好かないんでね。縄張りに入って来たからこらしめてやっただけさ」
 タカはゆっくりと上昇気流を羽に受けて、シャボン玉の回りを滞空飛行しながら言いました。上昇気流の多いこのあたりは、タカにとってもいい空域だったようです。
「あの、僕もそのナワバリとかに入っているんですか。だったらごめんなさい」
 ようやく縄張りという言葉の意味が分かりかけてきたシャボン玉があやまると、タカは高笑いして、
「ははは。私はカラスとは違うよ。何の害にもならないシャボン玉なんかにちょっかい出したりするもんかい」
 驚いたことに、タカはシャボン玉が何なのかを知っていたのです。すごく目がいいのでこんな高くからでも人間が吹くシャボン玉を正確に見分けられたのです。そしてカラスのように疑い深くはないので、シャボン玉は無害と正しく認識していたのでした。人間に目の仇にされて駆除されるカラスと、どちらかと言えば保護されているタカとの違いでしょうか。考えてみれば疑い深くなってしまったカラスもかわいそうなところがあります。
 タカは続けて聞きました。
「しかし君、よくこの高さまで昇って来たね。普通シャボン玉はすぐに割れてしまって、高いところには来れないものだけど」
「そうなんですか」
「ああ。何か空に高く昇るこつでもあったのかい」
「それが・・・・・・僕にもよく分からないんです。気がついたら温かい空気に押し上げられてここまで来ていました。ただ僕はすぐには消えたくない。せっかく生まれてきたんだから生き続けて、この広い世界をもっと見てみたい気持ちはあるんです」
「ふむ。もしかしたらその気持ちが通じて上昇する気流を呼びよせたのかもしれないね。しかしそれにしても生れてすぐにこの高さまで来るなんて大したもんだよ。私などは子供の頃にはなかなか飛べなくて、何か月も訓練して、やっとこの高さまで来たものだけどな」
「そうなんですか? 」
 生まれた時から宙に浮いていたシャボン玉には、空を飛べない苦労は分かりません。
「うん。そういうものなんだよ。ところで君、これからどこへ行くつもりだい。良かったらまた他の鳥に襲われないようにしばらく見守ってあげようか」
 シャボン玉は自分がどこへ行くのか分かりません。ただずっと気流に乗って上昇し続けているので、どんな高さまで行くのだろうと思うばかりです。
 正直に「どこへ行くのかわかりません」と答えると、タカは鷹揚にうなずいて、「風の向くまま、気の向くままか。いいねえ」にっこり笑ってくれたのです。
 親切なタカは、しばらくシャボン玉を見守ってくれました。
 その間も、シャボン玉はゆっくりと上昇し続けます。シャボン玉が乗っかっているのは、すごく大きくて長く続く上昇気流なのでした。
 そのうちに、頭上で太陽が雲に隠れました。ゆっくりと流れる雲はもう空の七割くらいを覆い、青い空は少なくなっていたのです。急に世界が翳ったのでシャボン玉はびっくりしましたが、そばにいるタカは、
「大丈夫だよ。曇っただけさ」のんびり言うのでした。「曇り空も知らないなんて、君は本当に生れたばかりなんだなあ」
「あの、今、白くてふわふわした大きなもの後ろに隠れたギラギラした丸いかたまりはいったい何なんですか? 」
 シャボン玉はずっと気になっていたことを聞いてみました。
「白いものは雲。ギラギラ光るものは太陽さ。何なのか、正確なところは私にも分からないがね。太陽は毎日あっちの山から昇って来て、そっちの山の方へと沈んでいくんだぜ」
 タカは東の山と西の山を順番にくちばしで示して説明します。それを聞いたシャボン玉は心底驚きました。
「ええっ、あのギラギラしたものは動いているんですか。それで山の後ろに隠れてしまうなんて。信じられません。あのギラギラしたものが隠れたら、いったい世界はどうなってしまうんですか」
「世界は真っ暗になってしまうんだよ。もちろん」
 タカは幽霊話をするように、声をひそめてニンマリしました。親切なタカにも、人を怖がらせて楽しむいたずら心はあったようです。
「そんなっ。そんな怖いことが・・・・・・」
 シャボン玉はあまりのことに震えあがります。
「それがあるんだよなあ・・・・・・」
「・・・・・・」
 シャボン玉はタカのニヤニヤした顔と声をひそめた話し方に疑いを持ちました。   このタカは優しくて親切なようだけど、僕をからかっているのかもしれない。きっとこの話は嘘で、僕を怖がらせて面白がっているだけなんだ。世界が真っ暗になんかなるはずがないじゃないか。
 シャボン玉は少し考えてから、親切にしてもらったお礼に、タカの遊びにつきあってあげることにしました。
「ぶるぶるぶるっ。そんなことになったら、僕、死んじゃうよ。泣いちゃうかもしれない。ひいいいいんってね」
 大げさに身震いして恐さを表します。
「はっはっは。大丈夫だよ。みんな経験してることだからね。慣れればなんてことないさ」
 そんなことをしている間にも高度が上がり、シャボン玉たちは見晴らしのいい空域に到達しました。やや低くてなだらかな南方の山並みの向こうが見えてきたのです。南の山は高さが低いだけでなく、奥行きもあまりありませんでした。山の向こうにはシャボン玉たちのいる盆地とそう変わらない平野が広がっていたのです。向こう側にも家や道路があるようでした。少しですが田んぼもあります。ですが、何かようすが違います。ずっと遠くの方に太い青い線がすーっと長く一本横に伸びていて、空との境目が一直線になっているのです。シャボン玉にはその光景がすごく不思議に思えました。青い色の境目に、吸い込まれそうな気持ちがしたのです。
 あの青い線はいったい何だろう。
「タカさん。あの低い山の向こうのずっと先に見える青い線は何ですか」
「ああ、あれかい」シャボン玉に聞かれると、タカもその方向を見てうなずきました。「あれは海だよ。あの青いのは全部水なんだ」
「水? 」
 シャボン玉には水もよく分からないのです。
「君の体を作っているものさ。君の体も水で出来ているんだぜ」
「えええっ?!! 」
 これこそが本当にびっくりというものでした。シャボン玉の体と同じものがあんなにたくさんあって世界の端を埋め尽くしているなんて。いったいあの海というものからは、シャボン玉がいくつ作れるのか想像もできません。
「それで、あの海っていうのはいったいどこまで続いているんですか? 」
 シャボン玉はさらに聞いてみましたが、気がつくとタカはもう近くにはいませんでした。シャボン玉より下の空を滞空していたのです。タカは上を見て、大きな声で答えてきました。
「私にも分からないよー。・・・・・・悪いがシャボン玉君、私はもうそばにはいてあげられないようだ。タカの飛ぶ高さは超えちゃったんでね。それでは私は失敬するよ。いい旅をしたまえ」
「あっ、ありがとうございます」
 タカは翼をたたみ、高度を下げて行きました。姿がみるみる小さくなって行きます。
 そして、またシャボン玉は一人になりました。ですが、前ほど寂しくはありません。この世には自分に親切にしてくれる存在があると分かったからです。そしてタカが去って行った下の空を見降ろしていると、しばらくして何やら遠くに小さな赤い点がポツンと浮かんでいるのが見えてきました。それは丸くて、少しずつ大きくなってきます。どうやらシャボン玉よりも早いスピードで、上昇して来ているようすなのです。数分すると大分近ずいて、声をかけられそうな近さになってきました。
「おおーい。上昇してくる君。君はいったい何なんだい? 」
 シャボン玉が思いきって呼びかけると、
「風船だよー」
 と答えが返ってきました。

    


     
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