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マンボウ
しおりを挟むそれから、シャボン玉はずっとわずかづつ高度を下げ続けました。海面との距離は十メートルを切り、どうかすると波しぶきがかかりかねないほどの低さです。海は穏やかで、大波に襲われる恐れは無いようでしたが、その幸運も、わずかな時間命が長らえるだけのような気がします。
海面にまた魚影が見えてきました。細い小さい魚がたくさん素早く泳いでいる。と、思ったらその直後、水面を突き破って空中に次から次へと何十匹もピョンピョン細い魚が飛び出して来ました。トビウオの群れです。
すぐ近くを矢のように飛び交うので、シャボン玉はぶつかってしまうんじゃないかとヒヤヒヤしました。
その魚にも話しかけてみたかったのですが、あまりにも速すぎて無理でした。
「どうして海面から飛び出して来るの」とか、「どうしてそんなに速いの」とか聞きたくても、言葉を発しようとした時にはもうボチャンと水の中に入ってしまっています。シャボン玉は完全に無視されてしまって、これではまるでスピードについて行けずにウロウロしている自分が馬鹿みたいです。何てせっかちな魚なんだと腹立たしい気がするほどでした。
でもこれは、シャボン玉の方が悪かったでしょう。トビウオが海面から跳ぶのは敵から追われて逃げるためなのですから。海の中にはトビウオを食べようとしている大きな魚がいたのです。死ぬかもしれないピンチにいるのはシャボン玉だけではないのでした。
でもそんな、生存競争とは関係無さそうなやつも、海の中にはいました。
トビウオが去った少し後、シャボン玉が本当に海面すれすれをただようようになってきた時、海の中からのっぺりして平べったい子供の落書きみたいな姿のやつがぽっかりと顔を出してきたのです。
シャボン玉は、最初そいつが何なのか分かりませんでした。魚にしては間抜けすぎる顔に見えたので、人間が作ったものなのではないかと疑ったのです。体の表面が、ウロコが無くてゴムみたいなのも変でした。
でも、そいつは言葉を発してきました。
「ヘンなやつが飛んでるなあ。おーい、へんてこりんなの。君はいったい何なんだい? 」
これまで出会った中で一番ヘンな生き物からへんてこりんと声をかけられるとは、シャボン玉も見くびられたものです。
「僕はシャボン玉」シャボン玉は自己紹介し、そして控えめに付け加えます。「僕には君の姿も少し変に見えるけど・・・・・・」
「クプクプクプ。面白いことを言うなあ。さすが見た目がヘンなやつは違うなあ。名前もへんてこだ。シャボンダマだって。プーッ。ヘンだヘンだ。クプクププ」
ずいぶんと失礼なやつです。シャボン玉もさすがに少しムッとしてきました。
「そう言う君の名前は何なのさ」
「ボクかい。ボクには立派な名前があるよ。エッヘン。聞いて驚くな。人間たちはボクのことをマンボウって呼ぶんだ。どうだい、海の王様みたいだろう」
「変な名前」
シャボン玉は思わず本音をもらしてしまいました。
「クプクプププ。まあ、恐れ入ったからってそんなに無理して見得を張らなくてもいいよ。シャボンダマなんて名前じゃあひがんでしまうのも無理ないけどね」
マンボウという魚は、そう言って自信満々に目をグリグリ回すように動かします。マンボウの体は平べったいうちわのような形をしているので、片側しかシャボン玉の方に向けられないのです。今は右側を空に向けているので、小さくてまん丸い右目だけでシャボン玉を見ることになります。口も恐ろしくおちょぼ口です。いったいこんな小さな口で食べていて食べ物は足りるのでしょうか。
「ひがんでなんかいないよ」
「うん。そういうことにしておこう」
マンボウは体全体を動かして、こくんと頭を上下させました。マンボウの体には首も曲げられるところもまるで無いので、うなづくためには体全体を動かすしかないのです。そしてブクブクと水面の上に出した口から泡を吹き出します。その泡は細かくて粘着力があったので、よだれとして口の回りに貼り付いていきす。
「ところで、もう一度聞くけど、何だね君は。そんな丸い体をしているってことは、やっぱり何かの卵なんだろ。クプクププ」
「違うよ。シャボン玉だって」
「だから名前は分かったよ。卵のシャボンダマ君だね。で、どんな動物の卵なんだい」
「だから卵じゃないって・・・・・・」
シャボン玉はそう言いましたが、いざシャボン玉が何なのかを説明しようとすると、とても難しいと気づきました。カラスやタカが分かってくれたのは人間がシャボン玉を吹く所を見たことがあったからで、そうでなければとても理解させられるとは思えません。海の中にいるマンボウが、シャボン玉を吹くところなどを見たはずがないのです。
「卵じゃなければ何なんだ。言ってみろ。ふーん。やっぱり言えないじゃないか。卵卵卵卵卵に決まってる」
「じゃあそう思ってくれてもいいよ・・・・・・」
シャボン玉は面倒くさくなってきました。どうせ長く付き合う相手とは思えません。こんな分からず屋は、適当に相手をした方がいいのではないでしょうか。
「ふーん。やっと認めたか。じゃあどうして何の卵か言わないんだ? 分かった。自分が何の卵か知らないんだな。産みっぱなしにされた捨て子だから親を見たこと無いんだろ。かわいそうなやつだ。じゃあ当ててやる。君は、うーんと・・・・・・鳥の卵だ。空を飛ぶ鳥は卵も空に産むに決まってるからな。どうだ素晴らしい推理だろ。クップクプププー」
「違うよ」
「何だと。じゃあ魚の卵だって言うのか。ウソつけ。魚が空を泳いだりするものか。ああ分かった。じゃあ人間の卵だな。この世には鳥と魚と船に乗った人間しかいないんだからな」
「えっ」シャボン玉は驚きました。まぐれ当たりもいいところですが、鋭いところを突いてきたものです。「うん。それが近いのかな」
「ふーん。人間て空に卵を産むのか。クプクプ。で、一度に何個くらい産むの? 」
「えっ、ええと・・・・・・」シャボン玉は自分がストローから出て来た時に、回りに幾つくらいシャボン玉の兄弟がいたのか思い出してみようとします。ずいぶんとたくさんの球体が空中に舞い踊っていた気がしますが、いざ幾つかと言われると見当がつかないので動揺しました。「二十、いや、三十くらいかな」
それを聞いたマンボウは、さも可笑しそうに笑いました。
「クップクップクプププーッ。そんなちょっとなのか。かわいそうだなあ。プップップッ。ボクなんか卵の時には一度に三億個も生れたんだぜ。エッヘン。すごいだろ。三十個だって。笑っちゃうなあ。プップップププー」
シャボン玉はマンボウが時々クプクプ、プップー言っていたのは笑い声だったのだと気づきました。口が小さすぎて頬も動かせないので、こんな笑い方しかできないとみえます。
ところでシャボン玉には、今聞いた中で一つ分からない言葉がありました。
「サンオクって、どのくらいなの? 」
「そんなことも知らないのか。すっごくたくさんに決まってるだろ。三十を十倍の十倍の十倍の十倍にしたよりもっともっと多いんだプー」
こんな表現をしたところをみると、マンボウにも三億がどれくらいなのか、正確には分かっていなかったのかもしれません。マンボウの知識は、船にいる人間がマンボウを見て言ったことの聞きかじりだったので、あやふやなところがあるのです。
でも、それを聞いたシャボン玉は驚きました。
世の中にはそんな大きな数があるのかと思い、あまり大きいのでイメージが湧かなくて、信じられない気がします。マンボウの方こそ自分が産まれた時のことを覚えていないので大げさに言っているのじゃないかと思いました。大体が、一度にそんなにたくさん産まれたら、海がマンボウであふれてしまうじゃないですか。どう考えても嘘に決まっています。そう言えば、あっちこっちへグリグリ動いて落ち着きのない、どこを見ているのか分からないあの目はどう見ても嘘つきの目つきです。マンボウは、ありもしないことを大げさに言いまくる大ぼら吹きなのではないでしょうか。
そんなことを考えているうちにもシャボン玉の高度は下がって行きます。もう本当に水面とすれすれで、ちょっと高い波が来たら呑み込まれてしまうでしょう。もう空に昇れるとは思えません。自分が消えてゆく最後の最後にこんな嘘つきのヘンテコリンな生き物に出会ってしまうなんてついてないなあと哀しくなりました。
シャボン玉はすぐ下で水面から顔を突き出しているマンボウにぶつかってしまうのじゃないかと心配になってきました。もう話はしなくていいから水に潜ってくれと頼みこもうとしたその時です。
笑いを引っ込めて片目でシャボン玉をじっと見つめていたマンボウは、意外なことを言い出したのでした。
「でも、どうして君の体の中には、小さな虹が入っているんだい? 」
「えっ、そんなことを言われたのは初めてだよ。虹って何? 」
「空にきらめく七色の輪っかだよ。それが体の中に入ってるなんて不思議だな。虹の卵なのかと思っちゃうじゃないか。なのに人間の卵だなんてへーんなの。クプクプ。もし虹の卵だったら良かったのになー。ボクは虹と話がしたかったよ。ボクが今まで見たものの中で、一番美しいものが空にかかった虹だったんでね。じゃあね、サヨナラ」
そしてチャポンと水面から沈んで、そのまま深みへと去ってしまったのです。
後に残されたシャボン玉は、マンボウの最後の言葉が強く心に残りました。
僕は虹の卵・・・・・・。
そう言えば生まれた時に回りにいた兄弟たちの体の中には、七色の綺麗なきらめきが見て取れたものですが、あれが虹というものに似ているのでしょうか。虹というのは何なのでしょう。生き物なのでしょうか。鳥のように空を飛ぶものなのでしょうか。雲のように高い空に浮かぶのでしょうか。
ですが、もうそれを確かめる時間は無いようです。
海面までは三十センチほどの距離です。海は凪いで、波はほとんどありませんでした。シャボン玉はいよいよ最後の瞬間が来ると覚悟を決めようと思いましたが、気持ちは中々まとまりません。不安とたまらないやるせなさが、心の中で渦巻いています。
僕はせいいっぱい頑張ってここまで旅して来たけれど、本当にこれで良かったんだろうか。やり残したことは無いんだろうか。消えて行った兄弟たちや、風船君のためになれたんだろうか。僕を作ってくれた人間の女の子の、恩に報いることができたんだろうか。
シャボン玉の心が落ち着くのを待っているかのように、高度は中々落ちませんでした。海上のほんのちょっとの気流の動きが、シャボン玉を押し上げて均衡を保ってくれていたようです。
ですが、その均衡もいつまでも続くというものではありません。シャボン玉は、しっとりと体を包むようにして降りしきる、霧のような雨の存在を感じ始めたのです。この状況での雨は、すべての終わりを意味します。どんなに優しい雨でもシャボン玉の体を下へと押し下げないではいないでしょう。
万事休す。
シャボン玉は自分の体が下降して行くのを感じ、きつく目をつぶるような想いで自分の消滅を覚悟しました。
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